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『グノーシス主義における星辰の神々の扱い』

 投稿者:高橋英利メール  投稿日:2012年 1月 2日(月)20時26分32秒
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  大田さん

新年明けましておめでとうございます。

『ポイマンドレース』の項で、惑星天の関与、役割が触れられていますね…
興味深い内容でした。

【引用はじめ】
『変身物語』で自分自身に見惚れるナルキッソスの姿を精霊のエコーがそのそばで密かに見つめていたように、『ポイマンドレース』においても、水面に映った自分自身に見惚れる人間を、その他の存在者が密かに見つめている。それは惑星天の神々である七人の「支配者」たちであり、さらには、人間の姿を映し出している「フェシス」そのものである。これらの星辰の神々と「自然」は、自らの持つ性愛的性質を少しずつ人間に分け与え、彼を愛欲の渦の中へと沈み込ませてしまう。
p86 『グノーシス主義の思想』

グノーシス主義が持つ最大の特徴とは、それまで連綿と続いてきた「古代宇宙論」の否定、特に星辰崇拝に対する根源的な否定である…そうである。
p87 『グノーシス主義の思想』

星辰崇拝が当時のローマ帝国において、皇帝崇拝という政治的イデオロギーと密接に結びついていた事実を踏まえて、それはひとつの「挑戦」であった…という。
p88 『グノーシス主義の思想』
【引用終わり】

僕はこれは大胆なことだなと感じました。(神話や思想はそれ自体旧来の思想体系を乗り越えるものだとしても。)

この7つの惑星天の神々というのは、現在週の呼び名になっている、土日月火水木金を表すのだろうけれども、本来の惑わす星=惑星に該当するのは、土星、火星、水星、金星、木星の5つだけであり、月と太陽の天に表現されている様を見れば一目瞭然ですが、惑わす星と認識されるのは、考えにくいです…

つまり、7つすべての星辰の神々が一様に「格下げ」される思想には、無理があり、たとえ、そうであったとしても、それに異を唱えるものが後に出てきて当然であり、その過程で熟成され、吟味されてゆくことを考えると、太陽と月の役割までも、一緒になって悪しき存在とされてゆくのは、いささか星辰の神々にとって、「冤罪」に近い印象を与えていると思います。

その思想変遷がどのようなものだったのでしょうか…

たとえ、当時の「古代宇宙論」への否定的原動力としてグノーシス主義の本質が生じたとしても、この違和感はぬぐいきれない感覚として、残ります。

惑星は、天に位置する座標を、周囲の「恒星」たちとは違い、刻々と変動させ、時に「逆行」現象をおこしながら進むために、観測する古代人にとりわけ注目され、不可思議なものと映った事は容易に想像できます。そして、それ自体を畏れ、それはプラスに働けば、畏怖を持って神とされ、逆にマイナスと捉えられれば、自分達を騙すものとして、悪魔化されるのも、容易にイメージできます。

では、太陽は?というと恒星であり、昼を作りだしており、月や他の惑星達を照らしている。太陽神は別格のはず…。

月は月で、たしかに「自ずから輝けない」という点で惑星達と同じく、劣っているけれども、「みちかけ」があり、正確なリズムが生態系と連動されていることは、当時の古代人達にも周知の事実であったはず。つまり月の観測が恩恵をもたらす事はあっても、魔の存在として取り上げられるほど不利益な存在として捉えられていたとは思いにくい…。(※日食や月食は別にして)

だとすると、ますます、7つの星辰の神々を一纏めにして、引きづり降ろす思想が神話化されるのには、もっと別の観点が必要になってくるはずです。そこが謎として残ります。

で、太陽すら越える存在を見つめての神話体系なのだと、言えるでしょうか。
 
 
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