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RE:明けましておめでとうございます

 投稿者:高橋英利メール  投稿日:2012年 1月10日(火)15時18分37秒
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  大田さん

どうも。コメントありがとうございます。

■リルケ
リルケは詩人というよりも、一人の哲学者のように感じます。
ただ、その表現も自分の中ではしっくりとは来ず、むしろ、ロゴスの渦からの解放者だと僕は想っています。
なので、詩の中で表現される言葉の中に、思推を見出せますし、それが芸術的な戯れに陥っているとは捉えていません。
奥深い詩の世界は、神話を読むときに感じたような気配を感じさせてくれます。

僕は好きですね…少なくともニーチェを超える驚きがありました。お勧めの詩人の一人です。

■エニアグラム
エニアグラムはグルジェフによるものと性格分析ツールによるものと2種類ございます。
この二つは、厳密には違うもので、ルーツとなるグルジェフのエニアグラムでは、性格分析ツールまでは発展させていませんが、3つの中枢(本能、感情、思考)と呼ばれる考え方は、それよりもっと単純な構成でありながら示唆に富む内容があります。

また、グルジェフィアンの人たちは、少し性格分析ツールのエニアグラムを蔑視している傾向があります。。。
(エニアグラムの可能性を狭めてしまったと捉えられています。)
ですが、性格分析ツールのエニアグラムも深く研究され発展してきているので、面白い示唆があります。
精神疾患とエニアグラムタイプの関連の研究は、なるほど…と思わせるものがあります。

エニアグラムに長けてくると、ブレードランナーのように、相手の特定の行動様式から、どんな人物であり、どんな囚われを持っているのかが見定めやすくなります。(でも、エニアグラムはあくまでメソッド、ツールとしての位置づけで僕は取り組んでいます。)

お勧めは、リソ&ハドソンの研究によるものですが、スタンフォード大学で何人かの研究者がいたと思います。
鈴木秀子さんは、日本に始めて紹介した人ではありますが、あまり本の内容的には刺激を受けませんでした。

■ユング、フロイト
僕はこれまで、特にユングやフロイトを主軸に置いて着眼してみたことがありません。
ユングのタイプ論とグルジェフのものが似ている…というのはあくまでも主観的な印象になると想います。
それとは、ぜんぜん違うものだと僕は思いますが、それを裏付けるほどの研究をしていませんので、ここはコメントできません。

>さまざまなタイプに分類される「自我意識」を脱却すれば、その奥に「本当に自分」が潜んでいるというユングやグルジェフの「真我論」

誤読だと想われます。
もしくは、還元するとそこに至るのかもしれませんが、かなり「大雑把な」捉え方だと思います。

■真我論
グルジェフの真我論。。。?ちょっと意外でした。
なので真意が解らないですが、彼の人間への捉え方で代表的なものは以下になります。

人間をひとつの馬車にたとえることができる。
車(荷車・客車)・馬・御者・主人 と

彼の自己想起という提案は、真我を見出せというものとは、かなり違うものです。
自分の中の<馬>がのどが渇いているのに、にんじんを差し出しても動きはしないんだ…というようなことを
述べています。そして主人に気づいても居ない状態でただ御者が馬を叩いて走っている状態…などを示唆したりしています。

これは上記の3つの中枢の理論の土台となり、エニアグラムへと発展していきます。
ユングの思想が「真我を見出すこと」であったのかどうかも僕は知らないので解らないです。
彼はオカルティックではありましたが、「本当の自分を見失って探している」人だったのでしょうか?

■ルー・アンドレアス・サロメ
ちょっと、ここでは出てきませんでしたが、
ニーチェが恋し、振られてしまった相手で、後に、リルケを愛し、フロイトの弟子になるルー・サロメにも着目しておきたいですね。精神的に病んだ哲学者と詩人を相手に深く心と精神に分け入りながら、フロイトに共鳴していた彼女は特異な位置に居ます。


■ゾロアスター教の二元論
僕は、影響はあると思っています。あまりメジャーでないため研究されていないだけなのではないのかと。。。
別にそこまで古代を持ち出すまでもないのですが、もし仏教やキリスト教まで言及するのであれば、まずその前に「救済思想」つまり、ミトラ、マイトレーヤについての洞察があってしかるべきだと感じるからです。

また、先生のおっしゃる「ロマン主義的で原理主義的なものだった」という研究成果を否定するものではありません。
ですが、近代という位置づけに僕は「こだわって」いないです。
むしろ、日本の宗教学が、近代宗教をターゲットにする段階で、明治以降の研究に比重がどうしても偏っているのではないかと僕は感じます。もちろん、確かに神道が国家神道に変遷したり、非常に興味深い動きをはじめますので、そちらの研究は意義深いものだと感じています。


■グノーシス主義における惑星天の扱いについて
いずれにしても、太陽系内の天体に限られている点で、少し残念なのは、…残念でならないのは、
宗教的な神の系譜や宇宙構造の中に、銀河的な視点まで、発展した形跡を見出せない点です。

で、これは意外ですし、その意味でグノーシス主義の時代の天文学が、もっと前のマヤ文明などに遥かに劣っていたと捉えることができます。

神話と言う科学の制約を一切受けない思考体系の中に、目に見えないものがふんだんに散りばめられ、人の想像の極みを表現しうる土俵において、「惑星天」という視野範囲の狭さに驚くのです。

ヨハネのアポクリフォンの宇宙観が、あそこまで広がっているのに、バランスを欠いており、僕には意外でした。
 
 
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