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Re: 『いざなわれている世界』

 投稿者:大田俊寛  投稿日:2012年 2月 9日(木)19時51分11秒
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  高橋英利様

いつもお世話になっております。
先日は、こちらからの私信にお答えいただき、誠にありがとうございました。
実はあれから、やや心労も重なったのか、ひどく風邪を引いてしまい、体調悪化の状態が続いていました。まだ完治とまでは行きませんが、ほぼ良くなりました。
またしてもご返答が遅れ、申し訳ありません。今後も、ゆっくりとしたペースで意見交換が続けられればと思っております。

■グルジェフについて
グルジェフについては、私はまだまだ知識が足りませんので、多々誤解しているところがあるのかもしれません。以下のホームページで、グルジェフの思想についての概説が行われています。上は鈴木秀子氏のもの、下は、高橋さんの仰るスタンフォード大学系統のもの、ということになるのでしょうか。

国際コミュニオン学会
http://www.enneagram.gr.jp/

エニアグラムアソシエイツ
http://enneagramassociates.com/

これらのホームページを読む限り、グルジェフのエニアグラムは、「本当の自分」を発見するために存在すると説明されています。国際コミュニオン学会では、「エニアグラムとは」の「エニアグラムの目的」という節に、「そしてまず本当の自分、つまり本質を探し出し、それを前提にあなたにまとわり付いているこだわりやためらい、恐怖、過信 などを自覚し、あなたの”本当の可能性”を伸ばすためのバランスを回復させるのだ」という記述があります。そしてエニアグラムアソシエイツでは、「エニアグラムとは」の項目に、「エニアグラム図のなかには、わたしたちが真の自己を理解し、本来の自分自身へと至る道が示されています」と記されています。

私は現時点において、グルジェフ思想の体系とは、自分自身の否定的側面(「囚われ」と呼ばれているようです)を直視することによって精神的に成長し、「本当の自分」に目覚めることを目的としているのではないか、と考えています。私が先に「グルジェフの真我論」と呼んだのは、このような内容を指しています。

そして私がさらに考えるのは、グルジェフのこうした「真我論」は、オウム真理教のそれと基本的に同型なのではないか、ということです。周知のようにオウムにおいては、「カルマ」という過去の囚われから脱し、真我に覚醒することが目指されていました。別の言い方では、「観念」を崩して解脱することが目指された、ということになるでしょうか。

やや筋違いな批判に思われるかもしれませんが、私が懸念するのは、グルジェフの体系とオウムの体系が基本的に同型であるとすれば、果たしてグルジェフのエニアグラムによって、麻原彰晃のパーソナリティを客観的に分析することは可能なのだろうか、ということです。私は、何か別の分析理論を探した方が良いのではないかと考えるのですが、高橋さんは、グルジェフの理論に卓越した利点を認めていらっしゃるのでしょうか。

■レヴィナスとラカンについて
内田氏がここで語っているのは、精神分析で言う「知っていると想定される主体」のことですね。こちらのブログで、その概略が説明されています。

http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20071021/1195234581

精神分析においては、治療者と患者のあいだに「転移」が起こることが重視されます。簡単に言えば、患者が治療者に対して、尊敬や思慕や敵意といった、何らかの感情を抱く必要がある、ということです。そのために治療者は、患者から、「この人は、大切な何かを知っている人だ」と思われなければならない。この人のことをもっと知りたい、という欲望を喚起しなければならない。そしてラカンは、分析家は「知の欲望」を喚起する手管に長けていなければならない──たとえそれがある種の「ペテン」であろうとも──、そして私は、自分のテキストもまたこうした手法で執筆した、ということを、何度か公言しているのです。

要するにラカンは、読者の「知の欲望」を喚起するために、わざと難しく書いた、わざと分からないように書いた、ということを公言しているのですね。ラカンも含め、さまざまな現代思想の理論家は、アラン・ソーカルという人物から「知の欺瞞」として非難されましたが、ラカンにすればそれは、「分かってやっている」ということになるのでしょう。

私自身は、こうした「ペテン的手法による知の欲望の喚起」という問題は、現代思想において初めて現れたものではなく、西洋思想史であれば、フランツ・アントン・メスメルあたりからすでに見られる問題だと考えています。さらに言えば、メスメルとは、「近代的呪術」の創始者と見なすべき人物であり、彼以前にも、呪術的な知の系譜というものが連綿として存在しているのでしょう。こうしたテーマについては、エレンベルガーの『無意識の発見』という心理学説史の書物において、詳しく記されています。

内田樹氏は、ラカンやレヴィナスの言説にこうした「知の欲望の喚起」の手法を見て取り、それを「先生はえらい」という表現に集約させています。内田氏のテキストからは学ぶべきところも多いですが、私は現時点においては、内田氏の思想はオウムのグルイズムを乗り越えることができない、のみならず、その思想を突き詰めれば、むしろグルイズムに帰着してしまうのではないか、と批判的に捉えています(『サイゾー』における島田裕巳氏との対談でも少し語りましたが、知らず知らずのうちに結局は、ヨガや合気道の「師」を礼賛するという、「オカルティズム」の一形態にはまり込んでしまうのです)。重要なのは、こうした呪術的手法に籠絡されてそこに「真理」を見るのではなく、むしろそのメカニズムを解明することなのではないかと思っています。
 
 
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