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G(グルジェフ)と麻原

 投稿者:高橋英利メール  投稿日:2012年 2月12日(日)15時10分47秒
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  大田さん

どうもこんにちは。ご返信ありがとうございます。
風邪が流行っているようですね。かくいう私も先々週から喉をやられてしまい、かなり長引いております。
お互い気をつけたいですね。

ところで、今回のお話は、ちょっと待ち望んでいただけあって、興味深いものでした。
やはり、ここで語り合えることは有意義です。

■G(グルジェフ)と麻原
グルジェフの問題は、ちょっと微妙な話になるんです。誤解を恐れずに議論すると、深入りせざるを得なくなりそうで、それこそ「いざなわれてしまって」いることに気がついて、止めたくなってしまうのです。。。

これは僕個人的な話かもしれませんが、僕は麻原からの影響よりもグルジェフからの影響のほうが強かったのではないか?
というのが自己分析です。

彼の言説には、ラカンが仕組んでいる企みとほぼ同等の罠が仕掛けられています。
彼も公然と「君達の眠っている思考センターを活性化させるために敢えて解り難く語っている。」とどこかで述べており、『ベルゼバブの孫への手紙』はそうした思想的態度で書かれた本です。

かなり癖のある人物なので、生理的に嫌な人は近づきもしないと思いますが、当時僕はなぜか吸い寄せられていきました。
入り口は思想からではなく音楽でした。JAZZのキースジャレットの音楽に、Gの影響が見えます。(Gは舞踏作家でもありました。)ブライアン・イーノも確かそうです。そしてキング・クリムゾンなどを愛聴していました。

かなり躊躇いがあるので、おいおい語り落としていきたいと思います。ただし、大田さんはさすが、核心部分に気がつかれているな…と感じています。僕がグルジェフの思想に触れていたとき、僕はもはや通常の生活を送れるような状況にはなく、単位は全て取っていたので周囲には気がつかれにくかったですが、大学には登校拒否、挙句留年していた時期であり、この頃の精神的荒廃状態は耐え難いものでした。グルジェフの思想によりかろうじて自分をとどめていたのか、或いはグルジェフの思想によりこうなってしまったのか…その頃の2年間は、僕は人とまったく会話をしていません。まるで自分が人類から蚊帳の外に置かれてしまったかのような感覚で、空ばかりを眺め、時折飛来するヘリコプターを不思議そうに眺めていました。

人間は、自分達の置かれている状況に全く気がつかづに、悪しき習慣に陥り、生の神秘性にも気がつかぬまま死にいたる。
グルジェフのメッセージを還元すればこのように言われていたように思います。

…あれは、オウムの問題を語るのに、なかなか「迫れる」モデルなのです。
当時、有識者にグルジェフとの比較をさかんに述べていた僕なのですが、グルジェフ自体を知らない人が多かったため、オウム問題で語りたかった事がなかなかうまく伝えられなかったです。

僕が当時はじめてグルイズム批判を展開したのは、グルジェフ批判を暗に込めていました。
そしてそれができたのは、あの事件の背景にあった求心力の根源に、この体系があると感づいたからです。
大田さんがお気づきのように、それと似た匂いを確かに僕は感じていました。

オウムの深層に横たわっているものへしっかりと見定め、批判するには、グルジェフの深層を捉えて批判する道を経由しなければならないだろうと、僕は想っています。しかしどちらの哲学も、かなり難解で細かな部分で深いパラドックスが存在しているのです。
あまり急いで進むと見落とされるものが多く出てくると懸念しています。

真我論も他のものとは少し様子が違うものと想われます。確かにエニアグラムはルーツとしてグルジェフが広め、その後、弟子が味付けして発展させ「性格分析ツール」として世に広めたため、まったく無自覚で心のベクトルもないもの達に向かっての占い的な軽い「勧誘」の様相が生じていると思います。しかし今巷で流行っているエニアグラムをグルジェフの思想体系と同じものだとするのはよくないと思います。エニアグラム学会のプロパガンダはグルジェフ思想とは別のものだというのが僕の考えです。

グルジェフのエニアグラムは秘教なのです。当時彼はこのエニアグラムというシステムを、うやうやしく、自分のほんの一握りの弟子達にしか伝えておらず、しかも口伝でした。そして、あの有名なウスペンスキーの『奇蹟を求めて』の出版に対しては、グルジェフにとって違反行為だったのです。ウスペンスキーは、自分のかつてのグルであるグルジェフの思想を紹介しながらも、自分はそこを離れていったいきさつや、彼との取り組み方の相違を口にして、敢えて「秘教」を公表するに至りました。

古代の秘教とされるエニアグラムの発見をしたグルジェフが隠し、彼の弟子が不本意ながら公表することで、グルジェフの名とエニアグラムというシステムが世に知れ渡ることとなりました。

ところで、オウムの構造として似ている事を示唆して頂きましたが、当時分析された中で有名なのは、ラジニーシとの比較でした。
知名度でいって彼のほうが上回り、かつ古参のオウム信者の中に、ラジニーシ経由の弟子が何人かいたために、宗教組織構築の際に参考にされたことは既に知られているとおりです。

そしてこのO(和尚ラジニーシ)はかなりグルジェフの思想にかぶれてることは彼の著書を見ればわかることと思います。
そして、K(クリシュナムルティ)の行動に露骨な嫉妬心があることも明らかで、当時のニューエイジの神秘思想を捉える上でこの3人は無視できないと僕は想っています。

…ただし、現実には、麻原はG(グルジェフ)を知らなかったのです。
Kについては、信じられないほど高い評価でした。(これは現在僕の中で謎の言葉です。)
実際に僕自身が、彼に直接話を持ちかけ回答を得ているので、その時の様子を紹介いたします。

○当時の私(1994年12月頃):尊師はグルジェフをご存知ですか?(もちろん知っていると思い込んでの質問だった)
○麻原:残念ながら私は名前しか知らないのだよね。。。彼はどういう人物なんだ?どういう思想なのか?
○当時の私:形は違いますが、オウムとかなり似ていると思います。彼もチベット密教を密かに学んでいたという噂がありますし…
○当時の私:もう一人気になる人物がいるのです。クリシュナムルティのことはどう想われますか?
○麻原:彼か…彼はひょっとするとキリストの生まれ変わりだったかも知れない。彼のオーラは悲哀ににた救済者の色をしているんだよ。

彼がグルジェフのことを知らないと知って、僕はこの時胸をなでおろしました。
この安堵感は、グルジェフの恐さを知らない人にはわからないと思います。
そして、彼がエニアグラムも知らないことをしって、正直少しほっとしたのです。
実はグルジェフのほうが遥かに高度な知恵を持っていたと僕は感じており、彼ほどには危険ではないと僕は誤解していました。
(グルジェフには悪名高いSTOPという修行とSuper Effortというものがありました。よく死人が出なかったなと思います)
(オウムには狂気の集中修行というものがありました。その後の様々な修行では死者が出ており隠蔽しています)

結果的には社会的にも現実面でも、麻原のほうが<わかりやすい>危険人物でした。
しかし、僕は今もって深い部分では、グルジェフの探求していたこと(人間の意識的な進化)は<高度でわかりにくい>けれども、間違いなく危険な試みで、何か未分化の不備があったのだ…と想っています。

なので取り組みとしてはオウム問題を題材にしながら同様にしてグルジェフの問題を解体しうると僕は感じています。

またもう一つの視点があります。
「グルジェフはグルジェフの思想についていけなかった」…という点です。
弟子のウスペンスキーが同様のことを指摘し、彼の元を去っています。

これは麻原にも同じことが言えるのではないかと想うのですが、まだグルジェフほどの失態を演じきっていないのです。
裁判の状況を見れば、「え?」と想われるかもしれないのですが…

※G自身および信者は、宇宙の法則から彼だけは解放されていると想っていたようです。そして交通事故を起し瀕死の重傷を患ったことで、多くの弟子が動揺し、離れていくきっかけをつくりました。

※彼(麻原)は、最後まで自分の進むべき道は誤っていないと確信していた点で「意気消沈」はしていないように見受けられます。
精神障害は生じていたとしても、それは「思想温存」という「逃げ」であり、自分の過ちを「引き受け」「悔悟」しているように見えないのです。敢えて悪業を行い、それこそが救済であると信じている点が、恐ろしいです。
救済のためなら、敢えて地獄に一旦落ちようとも構わない…という意表をつく大胆で屈強な意志の持ち主でした。

※Gは交通事故を起した後は、支配的な振る舞いをやめ、隠遁生活に近くなっていきます。
信者にも会おうともしなくなっていくのです。。。

共に己の思想に絶対の自信を持ち合わせていたものが、その末路で「敗北」を味わいます。
しかし、両者ともさほど潔くはありません。

うるおぼえですが、グルジェフは晩年、自分の思想を真に理解する弟子に恵まれなかった…と零しています。
同じような失望感を麻原も言明しています。強制捜査時直前のラジオ説法で彼は、今後高弟たちも教団を離れていくだろうと…意味深の予言を言っていました。
 
 
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