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山形浩生の書評について2

 投稿者:高橋英利  投稿日:2012年 4月10日(火)11時55分29秒
  通報 編集済
  大田さん

どうもお久しぶりです。先日は、なんか体調崩してあんまし話せなかったですね。もったいなかったです。
なんかあの時は大田さんもあんまり元気なさそうで心配だったけれども、どうやら活発に活躍なさっているようですね。

ところで、今回の流れはそういうことだったのですね。
嫌なヤローであることに変わりはありませんが、興味ぶかい流れですね。ハッとさせられました。

つまり、大田さんを経由して、僕が彼に本を渡しているのですね。確かに僕はあの時2冊贈呈させていただきました。
そして書評を書いていただいており、その書評はお世辞にも論ずるに当たらない「感想文」レベルの粗雑なもので「がっかり」という印象なわけですが、
この反応を惹起させながらも、なお「意味がある」というのが、今回のメッセージなわけですね。

>「いささか残念な事に・・・」
さては、心の底では、僕を評論させたら楽しそうだ・・・とか想っちゃいましたか?(笑)ふふふ
いいでしょう。大田さんだから、許しちゃいます。(笑)

にしても、ハードなボールを渡すよな・・・ふいに。

この罵倒的酷評、ある意味、楽しめるものです。。。
しかも、僕の本の書評ですから、これからまず彼の書評を読み、僕の本を手に取ることでしょう・・・

やりましたね・・・(笑)

大田さんと対談されるクラスの人物だとは、露知らず、低度の低い輩だと想っておりましたが、そうでもなさそうですね。
あまりに稚拙な言説なんで気づきませんでしたが、ある種フランクな文体は読者の心を引きますね。

社会には、想っていることを口にできない人たちがいます。
そうした人は批判的感情の生起がありながら、それを社会に還元できない時、このような人物の言説の代弁により感情を満たされるのです。
彼のファンは多そうですね。

流派の違いこそあれ、これはひとつの技術でしょう。

他流試合をしたことのない僕に、こんな人いるけどやってみる?
と大田さんに紹介された気分・・・

僕は学者さんと深い突っ込んだ話をしてみたかったので、評論家ってあまり話すことがないな・・・というのが率直な気持ちです。
特に「つまみ食い」論者は。
今までのなかで評価していた日本の評論家は、宮崎哲弥さん。。。彼とは、どこかで対談していますが、ものすごくその後深まっている気がします。
仏教の話ができる時点で希少な人なんです。

で、山形さんのことは、ぜんぜん知らなかったのですが、それは僕が無知なだけで、彼は日本の2大評論家といわれるほどの人物なんですね。
彼の何が評価されうるのか、皆目見当がつきませんが、大田さんが評価している時点で深みが何かある方のようですね。
性格は歪んでいそうですけど・・・或いは言語的な資質の類においては無法者といった感じですか。
評論家としては、勲章なのでしょうね・・・人間性を追求している僕とは無縁の人です。

経歴すごいですね・・・そこに惹かれるわけではありませんが、知性のあるかたのようです。
あの文体は挑発的でありながら、あぶりだしですね。的を得ているのかは定かではありませんが。

彼は下劣な評論家ではなく、一本筋が通っている人物であると・・・

なるほど、受け入れましょう。


僕はもしかしたら・・・
誰かに「罵倒」されたかったのかもしれません・・・・
こういう形で訪れるものだったかどうかはわかりません。

僕は、自分のいまいる地点を確認するために、境界線上で闘っていたのです。
ずっとずっと。それは社会に帰属してからも、心の奥底では変わりません。
還俗してから社会で接する方々と精神的な話はしていません。
(する必要がなくなったからではありません、その次元を話せる環境はないのです。)

社会は、効率的な利潤追求が感心なわけですから。
野村総合研究所など、最たるものです。

・神はいるのかいないのか?
・生きることに、いったい何の意味があるのか・・・
・テロリストとなってしまった僕らに社会はどういう目を向けるのか・・・
・すべてを生身で受け止めた場合、僕はそれに耐えうるのか・・・

そうした問いかけが内部にあります。

で、驚くほど繊細にある領域に対しては<誤解されたくない>と想っていることがあり、
そこは聖域と化しているのです。

まさに、そうした意味で、どの宗派に属さずとも、僕は「宗教的」な人間なのでしょう。
それが弱さであるというのならば、その弱さがあることを自覚しています。

日常生活がないわけではありません。
ようやくですが、地に足はついてきています。
でも、それを公表するつもりもありません。
いろいろ傷つきます。

特にあの本は、今のところ僕の「分身」と言っていい程で、僕の肉体が滅び去ろうとも残るでしょう。
この本における言説に対する罵倒は、僕の精神に直結してダメージを与えます。

お二方・・・学識豊かで社会性を獲得されている方からみれば、稚拙で古臭く、要領を得ない生き方なのでしょう。
特に宗教界の大失態の只中にいたわけですから、僕はそうした批判を受け入れています。積極的に


何か馬鹿にされている感じは常に受けるけれども、これが僕の姿なのです。
 
 
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