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修行ごっこビジネスの蔓延について

 投稿者:コスモス  投稿日:2012年11月 7日(水)20時20分25秒
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  まずは、長くなりますが、次の引用文をお読みください。

【はみ出し銀行マンの秘密会議室  掲示板「老後クラブ」より】
〈引用はじめ〉
美女の世界  アットホーム   2011.7.14(木) 16:16
大阪本社発行の毎日新聞2010年7月21日朝刊によると、奈良県が平城遷都1300年の記念書籍などを発行する「弥勒プロジェクト」を委託したシンクタンクとの間で、研究員への対価を最高で月額120万とする契約を結んだそうです。厚生労働省が労働者の賃金実態を把握するためにまとめている「賃金構造基本統計調査」(2009年)によると、高い専門性が求められる職種では、医師が月額86万円、大学教授が月額67万円、弁護士が55万円ですから、はっきりいって桁違いの高額となるギャラでした。しかし同年の12月そのシンクタンクが重大なミスを犯してしまいました。法相宗の大本山を興福寺とだけ限定して、薬師寺のことは一切説明していない『平城京レポート』が発行され、波紋を呼ぶことになります。当然といえば当然ですが無視されたかたちになる薬師寺は奈良県に抗議しました。その時点で奈良県の荒井知事は「えらい小さなことに気が付かれるんだなという印象。さまつ(な問題)だと思う」と述べたそうです。しかしその後あらためて県庁職員が『平城京レポート』を詳しくチェックしたところ、誤りが続々と見つかり固有名詞の誤記載や助詞の欠落などが37か所、認識の誤りが47か所、確認を要する記述が86か所も見つかり奈良県のみならず関西、中国、四国地方の毎日新聞読者を唖然とさせました。委託したシンクタンクは松岡正剛事務所、編集工学研究所、財団法人日本総合研究所の3法人で、その3つの機関にかかわりを持つのが自称編集工学者の松岡正剛です。さておもしろいことにグーグルの空欄に2011年6月28日現在「平城京レポート」と振り込んでも、「平城京レポート 松岡正剛」または「平城京レポート ダウンロード」しか先読み候補として表示されません。少なくとも1月前は「平城京レポート」と書き込むと、「平城京レポート 誤り」、「平城京レポート 間違い」、「平城京レポート ずさん」、「平城京レポート 誤記載」等が先読み候補として提示されていたにもかかわらず、ある日突然削除されてしまったのです。グーグルが自主的に削除することはありえないので、何者かがグーグルに手数料を払い、先読み候補から「消し去った」のでしょう。資生堂の役員と個人的に親しい間柄になり、資生堂から個人的に資金を引き出すのなら問題はありません。しかし資生堂役員の推挙でクール・ジャパン官民有識者会議座長代理やら、国民の読書推進に関する協力者会議委員に就くことは解せません。金儲け第一主義で読解力のない人間など、そんな立派な役職をこなすことなどできないはずなのに、なぜか大手を振って官庁街に出入りしているようです。

そういえば稲本の畏友松岡正剛も松岡正剛事務所だけでなく、編集工学研究所を設立していました。松岡は松岡正剛事務所の代表取締役社長だと思います。しかし編集工学研究所の代表取締役は丸善の社長を兼ねる小城武彦であり、松岡は「取締役所長」という肩書です。余人とは異なる角度からこの編集工学研究所なり企業を眺めると、(株)たくみ塾と似ていなくもないようなそんな気がしなくもありません。編集工学研究所がイシス編集学校を運営する。もちろん営利企業が設置した学校なのですから講義を聴くには金がかかります。それなりに通い金を出し続けるとステージが設けられており、順を追って階段を上るように高いステージに上ることができる。企業でいうなら平社員の段階から課長や部長になれるように、学衆から師範代や師範になることができる。師範代からは寸志が出る。とうま味があるかのような宣伝がまかり通っているようですが、何のことはない松岡の手足となるため、すなわち雑用係を仰せ付けられるようなものと思えなくもありません。(株)たくみ塾とよく似たからくりではありませんか。「君たち修業したまえ」というわりにはご本尊は修業する意思は持ち合わせておらず、現金の出納にばかりとらわれているのではあるまいか。そんな風に考えたくもなります。奈良新聞2011年2月1日版によれば「製作にかかったのが9月以降で、発注したライターが30人以上」となっていましたが、正確に書けば「素人が30人以上」の誤りでしょう。そうしてその素人はイシス編集学校の関係者がメインと思われます。おそらく松岡としては「この程度の仕事なら彼らに任せても問題はないだろう」と高をくくっていたと思われます。松岡としては「プロの校正者へ発注すればそれなりの料金を取られる。彼らだったら寸志程度で済む。なるべく金をかけたくないから彼らに丸投げすることにしよう」が本音ではないでしょうか。奈良県としては「話が違うじゃないか」でしょうが、松岡としては金儲けが第一義なのであり、モラルをどうのこうのと持ち出しても意味はないのです。奈良県から80万円請求されたそうですが素直に返還したのでしょうか。これも疑いたくなります。2001年に草月ホールで開催された主催密教21フォーラム、企画構成松岡正剛事務所+編集工学研究所で高野山大学名誉教授松長有慶はこう語っています。「現代は情報社会といわれていますが、その情報を受け取るのは皆さんです。本当のものをみきわめる目を持つことです。欲望をコントロールし、エゴを離れて、他人のための欲望に育てることです。21世紀は新しい価値観を心の中に持たなければなりません。密教は空海の原点に戻ることが必要ですが、これは密教世界だけの話ではありません。皆さんと共有してゆく話です。」「本当のものをみきわめる目を持つこと」は稀有の人間にしかできない芸当といっていいでしょう。実際松長有慶にせよ密教21フォーラムの全メンバーにそれができていません。なぜできていないのでしょう。それは松岡正剛という二線級の思想解説者に企画構成をまかせてしまったのがその理由です。それでは香山リカ著『ポケットは80年代がいっぱい』より引用します。

「あのー、もう2学期が始まっているので、そろそろ授業に出たいんですけど』すると松岡(正剛)さんは、「大学!?大学なんかに行ってどうするんだ!?」と不思議そうな表情で一喝したのだ。(中略)そのまま大学をやめてしまったのは、祖父江さんだけではない。中には、医学部の5年、6年になっていたのに大学をやめた人もいた。世間の人は、「あと1年なんだから、とらえずは卒業して医師免許は取ったほうがいいのでは」と思うだろうが、工作舎ではそんな常識は通用しないのだ。(中略)しかし医学部の6年が中退し、多摩美大では「全A」というウワサもあった優秀な祖父江さんさえ中退したとなったら、松岡さんや編集者が私に「医学部の1年?そんなのはまだ行っていないのも同じだ!」と私に言い出す日も近いのは明らかだ。しかも、十川さんは私に「もっと勉強したいなら、松岡さんが主宰する『遊塾』に入りなさい」と何度もすすめる。「遊塾」は松岡さんに私淑する若者に、編集だけではなく人生の基本を教える、という実践的な塾で、すでに2期生くらいまでが、毎週集まって、勉強や討論、ときには本の梱包作業などにも取り組んでいた。“現場の体験”と称して路上で舞踏のパフォーマンスをした人、中にはバーでストリップまがいのダンスをした人もいる、というウワサも聞こえてきた。」その後松岡は帝塚山学院大教授に就いたそうです。他人に向かっては無責任な主張をするものの、自分のこととなると保身術にたけたよくいるタイプのマキャベリストと考えていいでしょう。ちなみにその雑誌『遊』ですが、私にとってはいかにも二線級の思想解説者にすぎない松岡らしい中身のない空疎な雑誌として記憶にあります。そんな彼が識者として官庁や自治体から引く手あまたとは、それこそ夢にも思いませんでした。「ちなみに翻訳の熊崎実さんは岐阜県立森林文化アカデミーの学長で、稲本正君のオークヴィレッジとともに岐阜の森林樹木文化を担っている」と、稲本のことをずいぶん持ち上げていますが、『百の暗黒卿』の存在を伝えれば、さぞや驚くことでしょう。松岡レベルの知性や教養、審美眼、読解力では稲本の本性を見透かすことは無理だと思っていましたが、案の定私の思った通りだったのです。

〈引用おわり〉


私は引用文に挙がっているイシス編集学校やたくみ塾について知りませんので、事の真偽についてはなんとも言えません。ですが、上で批判されている手口とそっくりな「修行ごっこ」型のスクールは、「都会でよく見かける」と危機感をつのらせていました。というのも、私自身がとあるヨガスクールで危うく金と時間を浪費させられるはめになりかけた経験があるからです。

そのヨガスクールでは、世間知らずの若者や表層的な知恵しか持ち合わせていない大人が修行ごっこに貴重な時間と金をつぎこんでいました。教祖タイプの主宰者がいて、新入りが先輩の手ほどきを受けてステージを昇ってゆきます。その過程では、いかに教祖様がすばらしいか、ここがすばらしい所なのかを教えこみ、いつまでもスクールを続け、行く行くはスクールの指導者になってもらい、スクールの発展に寄与するようにと時間をかけて説得してゆくのです。
冷静になってみると、先輩指導者は、20代~30代そこいらの若者で、今まで「先生」「コーチ」と呼ばれたことは決してない、これからもないであろう学も教養も徳もない人物が担っていました。年長である教祖様の取り巻き連中はのんびり静観し、たまに偉そうに訓辞をたれるだけでした。また、そこで高額で販売していたテキストは、いわゆる「成功哲学」やら「人間開発セミナー」やらのインチキセミナーのテキストにそっくりで、ポストモダン哲学やら仏教やら心理学やら脳科学などがゴチャ混ぜにしてあるだけの酷い代物でした。教祖様がさも深遠な哲学を持っているかのようなそぶりをするので、知識量では適わない若者は「きっとステージが上がれば理解できるのだろう」などと思いこんでしまうのです。

冷めた眼で見られるようになると、「よくある信者ビジネスの一つ。そんなのにだまされる馬鹿が悪い」となるのでしょうが、大学に拝金主義者の文化人が人寄せパンダのくせに「教授」として迎えられている昨今、まっとうな知識人と、いかがわしい文化人の違いは今どきの若者には見分けられないでしょう。そんなものに運悪くひっかかってしまった若い人は本当に気の毒です。

中沢新一を内在的に的確に批判できるまっとうな常識感覚をお持ちの大田先生は、上の文を読まれて、どのようなことを思われたでしょうか。できましたら、広い視野で宗教現象をとらえられる大田先生から、
このような修行ごっこ型ビジネスの弊害について、専門家として注意喚起をする発言をしてもらえたらと思います。
 
 
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