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『愛と終末と神話の世界について』

 投稿者:高橋英利メール  投稿日:2011年12月12日(月)19時45分57秒
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  大田さん
どうもです。また少し交流させてください。

僕がこの大田さんの研究室の掲示板に訪れるのは、大田さんの鋭利な分析をお聞きしたいという理由だけでなく、実存感覚を得ることのできなかった僕の最も危険だった頃である20歳~27歳あたりの学生さんを相手に先生が講話をする立場であるのもその理由だと思います。

伝えたい人は、精神的に無防備で、危険な人…そして無自覚な人

それはサブカルチャーの中では遊戯として捉えることが可能だけれども、社会的希薄性を獲得するために「リアリティ」を渇望しだして活動に移る時、たくさんの<魔の入り口>が潜んでいると思うからなんです。

僕は自分自身の閉じこもった反省ではなく、この虚構に満ちながらも現象化してしまった黙示録的終末観の悪夢(それはでも行き過ぎない点においてはむしろ救いだった)を、同時代の人々と共有しながらも考察していけたらと思っています。

でも…難しいテーマだと想います。
で、学生さんたちには、高校受験を終えた後の思考活動においては、手に負えないくらい化け物的な<思想>それが宗教哲学にはあると想うのです。おそらく学部学生の数年目にはニーチェの哲学ですら驚愕を覚えて、その魔を取り除くことろまではいけないと想います。ニューエイジで言えば、僕は前段にグルジェフの洗礼を受けてしまっているために、麻原の毒性に…実は慣れていたのだと思います。あの人はあの人で異端の巨匠だと感じていますが…危険な香りは漂います。

で、もともと家系が宗教的な背景(新興宗教ではないほう)のある方も多いと想います。
様々な宗教をお持ちの方がおられると想いますが、仏教、キリスト教、イスラム教などそれぞれに終末思想が存在しており、実際の諸生活にはどのくらいの影を落としているのか…それは定かではありませんが、少なくとも宗教に触れている人や現在のサブカルチャーに興味を抱いた若者には、終末という「爆弾」があることを認知すると想います。新興宗教でなくとも。

そこで…このテーマがいかに恐ろしくとも、避けがたいテーマであると感じるのです。特に近代は。
しかし、宗教=終末ではないですし、そこらへんの視野を広げていきたいです。キリスト教の最大の教えは「愛の教え」だと想うので、それを取り上げてみたくなりました。

で、その意味では、「愛の教え」には期待できるものがあると思います。(少なくとも戒めや罰より)
でも、いまやあらゆる事柄に繊細に注意深い視点で挑まなければいけないと感じており、手放しで「愛を賛美する」ことはできなくなっていますが、愛の没入行為自体がロマン主義的ではあるため、大田さんの分析では、そこに何らかの「罠」に似た落とし穴を既に発見なさっているのかもしれません。

「自己と他者の合一」を求める行為の中に、自己の虚像を錯覚する悲愴な物語がナルキッソスだとすれば、
「自己と他者の区別がなくなる境地があるのだ」とする悟りの境地を紹介したくなります。ここにも「闇」が潜んでいますか…?
しかも、実際には<宇宙はひとつ>というヴァーチャルとはいえ体感的な帰結(これは僕自身にもある感覚ですが宗教や精神世界を探求している人には一般に行き着く感覚だと思います…)を「ニューエイジ的なもの」と片付けるのは早計でしょう。

グノーシス主義的に言うと、ソフィアの抱いた最初の疑問、希望、願い…それが「父との合一」であり、それが拒絶されてしまったこと…そこから可視的宇宙が形成された…とするあたり、そのあたりから、始まっている原初のものです。

もはや、これは光や闇という二元論的な視点で捉える範疇ではなく、
その「宇宙のはじまり」が「宇宙の摂理」そのものではないのか…と思うのです。

これを「ソフィアの過ち」と捉えるのがグノーシス主義の代表的な見解となっているのでしょうか。。。
だとしたらそれは「宇宙は始まってしまったこと自体が誤りだった」と言っているのと同じことだと思います。
 
 
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