teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


新着順:37/132 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

『鏡像理論』

 投稿者:高橋英利メール  投稿日:2011年12月17日(土)20時18分59秒
  通報
  大田さんと言えば「鏡像理論」が代表作と言えるのかもしれない。それと、やはりラカンの功績が素晴らしいからだろう。
確かに著書『グノーシス主義』における「水面」に関する扱いは繊細な視点が披露されており、一読の価値があると想う。
非常に興味深いテーマなので、今後も考察していきたいテーマだが、今回は、これを違った視点から見ていきたい。

僕にとって、『鏡像』と言えば、やはりライナー・マリア・リルケの詩からそのイメージを膨らませてゆくことになる。

----
「鏡像」三篇 / ライナー・マリア・リルケ


ああ ものおじした鏡像の美しい輝きよ
何処にも存続することができないので なんとそれが輝いていることだろう
それは鎮めるのだ 女達の自分自身への渇きを
彼女達にとって なんと世界が鏡の壁で張りめぐらされていることだろう

まるで私達の本質からひそかに流れ出でたものの中へ落ちていくように
私達男は、鏡の輝きの中へ落ちてゆくのに

彼女達は自分の本質をそこに見出して それを読み取っている
彼女達は二重に存在していなければならないのだ
そうすれば彼女達はまったきものになる

ああ 歩み寄るがいい 恋人よ 澄んだ鏡の前に
そうすればお前は存在するのだ
お前とお前との間に
緊張がよみがえり そのなかの名状しがたいものを
測る尺度が新しく生まれ出でる

お前の鏡像だけ、お前が増えて
なんとお前は豊かなことだろう
お前に向かってするお前の肯定が お前の髪の毛 お前の頬を
お前のために是認するのだ
そのように自分を受け取ることに満たされて
お前の眼はくるめき 見比べながら暗がってゆく

----

一篇だけを朗読してみても、彼の視点は美しい対象者に注がれながらも、彼の思推を見出すことができる。
ここで「鏡像」を覗き込む行為自体を「過ち」とみなすのはつまらないもので、勇み足。
僕は決してそんなことをしたくはない。

ただ、彼の詩に登場する主体である「彼女」は自身の「存在」の確認のために、「鏡」を使用しているのであり、
それはひとつの選択として落ち着いた行為ではなく、半ば切羽詰った「渇き」によってなされたことが指摘されている。

リルケを知らない人は彼を単なる「詩人」と解釈してしまいがちだが、彼の零された言葉にはじっくりと煮詰め上げた哲学が存在している。。。彼は思推の末に、ロゴスをそぎ落としていった形而上的な哲学者と見たほうが妥当だろう…
僕は、彼の詩に散りばめられた、選び抜かれた言葉(そう、言葉の末端である「葉」として)を注意深く読み解く必然性を常に感じる。

そしてまた、彼女達にとっての「鏡」とは、自己の存在の確認作業の他に、既に自己愛への渇望も含まれており、かつ、それが彼女達の「周囲に張りめぐらされている」点で、ただならぬ影響力を秘めていることを知る事になる。
外見の写像へのリアル感は、恐ろしいほどで、実際に女達は、自分が美しくなければならないと、幼少の頃から、半ば脅迫されて存在しているのであり、それは親や兄弟や教師の教育ではなく、本質的な「気づき」だろう。

その上で、残酷にも彼女達は、こう思うに至るのだ。
「可愛くなければ、綺麗でなければ、私は愛されず…存在しない。」とまで…

実際に、そこまで正直に口に出して告白した女性にはさすがにお目にかかってはいないが、
ほぼこの事実と同じ内容の事を僕は女性から告白されたことがある。

この女性の鏡像に対する奥底に潜んでいる喜びと苦悩に関しては、出家した女性から教わったものだ。

女性で「出家」願望があり、解脱願望を生じさせた彼らが、まず闘っていたものは、知らずに己自身の周りに張りめぐらされた、この鏡像だったと言える。それは社会的な構造でもあり、もっと原初の構造が雛形としてあったのだ。

そこから逃げ出すには、もはや、鏡を壊すか、鏡の中の自分を輝かせるのかどちらかの選択すじしかなくなっていく。

もちろん、社会は幾分救われており、曖昧だ…
幸いなことに、美は形状のみでないことを、彼らはのちに学び、鏡に映ることのない美を発見していくことになる。。。

しかし、ひとたび、鏡像を虚像とみなしはじめるや、彼らは、それを忌み嫌うようになってゆくのだ。

これが「尼さん」の姿だ。
しかし、自己像を拒絶した彼女達は、自己の内部で克服できた世界の虚像を、実は「鏡像」=「他の人から見たリアルな似像」とまで発展しているところまでは、舵取りできないのだ。
そこで、この他をどうしても誘惑しかねない「美」というのは悲劇的なものになっていく。

美を楽しめるうちは、喜びだ。
しかし、美を拒絶し始めた彼女達にとっては、それは苦しみに変貌するのだ。

やがて、彼女達の多くは、敗北していく。
自分の中の「美」を正直に、対等に扱わない限り、問題が解決しないことを知るのだ。

それは、鏡像に囲まれた彼らが、「増殖」しはじめることまでをリルケは見抜いており、更に、その「コピーされた鏡像」の光量が少しづつ失われていき、徐々に暗くなってゆくことまでも示唆している。

この詩をはじめて読んだときの驚きは、僕の場合、ラカンを凌いだのだ。
 
 
》記事一覧表示

新着順:37/132 《前のページ | 次のページ》
/132