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今後ともよろしくお願いいたします

 投稿者:大田俊寛  投稿日:2007年12月29日(土)08時36分11秒
  もったいないお言葉に、大変恐縮しております。嘲風会では、穏やかな人々の間に狂犬が一匹紛れ込んだという感じで、かなり場違いだっただろうか‥‥と少し反省しておりました。発言を前向きに捉えていただいたことに、改めて感謝申し上げます。まだまだ若輩の未熟者ですので、これからのご指導をよろしくお願いいたします。

http://gnosticthinking.nobody.jp

 
 

宗教学の可能性

 投稿者:川島堅二  投稿日:2007年12月27日(木)11時14分3秒
お答えをありがとうございました。

宗教学も含め、大学における人文社会学の存在理由がいよいよ問われる時代になっていくのを切実に感じていましたので、大田さんのような方とお知り合いになれたことは、今年の嘲風会の大きな収穫でした。こうした大きな問題には、地道な実践によって答えていくしかないのでしょうが、今後もいろいろな場面で、ご教示楽しみにしています。

http://www1.ttv.ne.jp/~kawashima/

 

取りあえずのお答え

 投稿者:大田俊寛  投稿日:2007年12月25日(火)22時20分44秒
  苦境に喘いでいるのは宗教学ではない、というのは、確かに仰る通りかもしれませんね。しかし、近隣の諸学も似たようなものなのだから、宗教学も自堕落なままで構わないという発想は、私の好むものではありません。むしろ、人文社会科学全体の苦境を脱する道を、宗教学こそが開いていくのだ、という気概を持ちたいと考えています。

「バルト以外に何かないものでしょうか」というご質問については、申し訳ありませんが、すぐには適切な例が思い浮かびません。あのバルトの言説でさえ、キリスト教正統主義の再構築どころか、「バルト崇拝教」なるものに堕してしまうところに、近代社会において宗教を語ることの困難さが集約されているのかもしれません。批評理論の成果を十分に吸収しつつ、彼らが陥った袋小路から逃れる方途を見いだす人物こそ、宗教学の新たなディシプリンを定礎するに足る人物ではないか、と取りあえずお答えしたいと思います。

かつて批評理論は、それまで「真理」と見なされてきたものに根拠がないこと、さらにはそれがある偏向した搾取的構造を備えていることを告発し、それを乗り越えた新たな社会や人間の生き方がありうることを主張してきました。しかし彼らはそうすることによって、結果的には、「最悪の真理」、「最悪の宗教」とでも呼びうるものを引き寄せてしまった。実際のところわれわれの人間社会は、「真実」か「虚偽」かという単純な問いに還元しきれない、ある緻密な「フィクションの体系」、根拠がないにもかかわらず人々が共同でそれを信じ実践することによって機能する存在によって支配されています──法にせよ、言語にせよ、貨幣にせよ、国家にせよ。そしてこれまでの人文社会科学は、このような存在が、無根拠であるにもかかわらずそれが必要とされている、ということについて十分に自覚的ではなかったし、ひいては、新しい「フィクションの体系」はどのような仕方で定礎されるのか、またそれを具体的にどのように運営することができるのか、ということについては、ほとんど無知であったのではないか、と考えています。

http://gnosticthinking.nobody.jp

 

(無題)

 投稿者:川島堅二  投稿日:2007年12月25日(火)17時35分3秒
お答えありがとうございました。

「宗教学」にはディシプリンがない。では、他の「学」にはあるかというと、意外とそうでもないのかも・・と最近思い始めています。宗教学も「宗教あるいは宗教らしきものの問題を考える営み」くらいのことでいいのかなと・・

ところで、私は神学(東京神学大)から宗教学に転向したので、かつてバルトも少しは読んだのですが、バルトもマルクス、フロイト、ニーチェに劣らず宗教批判をした人と認識しています。そして、大田さんが指摘されたフロイトに劣らぬカルト(バルト崇拝教)を残したと思います。

  「宗教学はむしろ批判理論の限界を知っているはず」

というフレーズは、うまく言えませんがとても気に入ったので、それを根拠付ける事例として、バルト以外に何かないものでしょうか。

http://www1.ttv.ne.jp/~kawashima/

 

ご感想をいただきありがとうございます

 投稿者:大田俊寛  投稿日:2007年12月24日(月)23時09分2秒
  川島先生、昨日のいささか不躾なコメントに対し、ご感想をお寄せいただきましてありがとうございます。イラストが大変かわいいですね。

昨日の議論の中では、「宗教学にはディシプリンがない」という話が出ました。この文言は文字通りに受け止めれば、宗教学は一つの学としてすでに死んでいる、という意味であり、このような発言に薄笑いを浮かべつつそれを許容してしまうといった現在の状況は、まさに末期的であると言わざるをえません。

しかしこのような物言いには、全く理がないというわけではありません。なぜなら宗教学には現在、そのディシプリンを定礎したと宗教学徒全員が見なしうるような「祖」がいないからです。少し前、特にアメリカのシカゴ学派の連中であれば、迷うことなくミルチア・エリアーデの名前を挙げたのでしょうが、彼が一つの学の祖となりうるような研究の水準、あるいは理論的骨格を提示しうるような人物ではなかったことは、今や明らかであるように思われます。

現在の宗教学者に求められているのは、「ディシプリンがない」という現状に甘んじることなく、またその事実から目を逸らすことなく、ディシプリンを再度練り上げることであると考えます。そしてそのためには、政治学や歴史学や哲学、あるいは各宗教の神学から、謙虚かつ貪欲に、多くを学ばなければなりません。しかしこのことは、宗教学を軽侮しつつ隣接諸学に尻尾を振るといった惰弱な態度とは、似ているようで全く異なるものです。宗教学に固有のテーマを手放したり安売りしたりせず、隣接諸学の最良の部分を取り入れながら自らの骨格を強靱に鍛え上げる必要があるのではないでしょうか。そしてこのような態度は、これまでの偉大な学者たちが共通して持っていたものではないか、と考えます。

http://gnosticthinking.nobody.jp

 

こんにちは!

 投稿者:川島堅二  投稿日:2007年12月24日(月)12時12分13秒
昨日は、嘲風会のコメンテーターをお疲れ様でした。
『宗教学必須~』についてのご批判は、納得のできるものでした。

ただ大田さんのメモの最後の部分で「宗教学はむしろ批判の限界を知っているはず」ということの例としてカール・バルトを引いておられましたが、バルトは、「宗教学」をどんなに広義の意味にとっても「宗教学者」とは言えない人ですし・・むしろ「神学は批判の限界を知っているはず」ということになるのかな、と思いながら聞いていましたが、あるいは、バルトは宗教学の新たな地平を開く可能性のある「宗教学者」でもあるとお考えでしょうか。

昨日は、飲み会に残られるようなら、ぜひ上記の事を聞いてみたいと思っていました。ぜひこれからも嘲風会に出続けて、刺激を与えてください。

http://www1.ttv.ne.jp/~kawashima/

 

右の瞼が

 投稿者:大田俊寛  投稿日:2007年10月26日(金)20時09分11秒
  これは苔口さん、こちらこそご無沙汰しています。
書き込みをありがとうございます。

HPは、さしたる発展もありませんが、細々と続けております。
非常勤で初めての講義を行っていることもあり、来年の春頃までは
あまり更新することもできなさそうですが。
最近はどうやら疲労が溜まっているらしく、右の瞼がピクピク動くのが
止まらなくなってしまいました。
これって何で動いているのでしょうか‥‥。

また一緒にボーリングにでも行きたいですね。
K藤さんとは相変わらず同じ仕事先でバイトしており、T山さんは
消防士になったとの話を風の噂で耳にしましたよ。

http://gnosticthinking.nobody.jp

 

ご無沙汰です。

 投稿者:苔口  投稿日:2007年10月26日(金)15時54分16秒
  ご無沙汰してます。苔口です。

お元気ですか?てか、覚えてます?(笑)
今日久々に来てサイトがちょこちょこ更新されているみたいなんで嬉しかったです。
続けていくことって結構むずしいですからね…。

私のほうは去年からWebサイト制作の仕事に就いてます。
頑張ってはいないけど楽しくやってるつもりです。

今度お時間ありましたら、お会いしましょうね。
 

レモンの樹

 投稿者:四季  投稿日:2007年10月13日(土)16時53分53秒
  コロッケがおいしい小さな洋食屋さんでしたね。大田君と一緒に何回か行った。ミックスコロッケ(ビーフ、野菜、カレーだったっけ?)定食が懐かしい!濃いグリーンのドアと、おしゃれな内装も印象的。しかし、ちょっと狭かった…。

大田君とは、確か富士見通りの洋食屋の「…(名前忘れた)」にもよく二人で行った思い出もあります。トンカツもハンバーグも大きくて美味しい。店長とウエイトレス(何回か変わったが、全員キレイなお姉さん)の二人でやっていて。水曜日が休みだったかな?一番覚えているのが、二月に小平で立て看板を完成させて、その後に「お疲れさん」ということで二人で食いに行ったこと。僕は1,200円のヒレカツ定食を調子に乗って注文したのを覚えています(旨かった!しかし当時は千円を越える外食はしたことがほとんど無かった)。最初にスープとサラダが出て来て、メインの後に紅茶かコーヒーを選べたような。ミックスフライ定食が一番人気だったと覚えています。

思い出をたどるのも楽しいですね。でも、ジジくさくなったということなのかな…?
 

レモンの樹?

 投稿者:大田俊寛  投稿日:2007年10月 9日(火)01時04分14秒
  小平の「なにや」、懐かしいですねえ。
最初は、ラーメン、もとい中国めんで1000円も取るなんて高いなあ、と思っていたんですが、あまりの美味しさに帰りには大満足でした。今でもあるみたいですね。

http://www.ks-ippin.jp/kitamon/naniya.html

懐かしいということで言えば、寮から近かった「レモンの樹」という小さな洋食屋が印象に残っています。(名前違ったっけ?)国立に引っ越してきて確か初めて食事をしたのがここだったような。また国立で生活したくなってきました。

YM寮のHPは、新たに開設されたようですね。もう少し盛り上がってきたら乱入してみようかと思っています。

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