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書き込みいただき有難うございます

 投稿者:大田俊寛  投稿日:2012年 6月 4日(月)23時36分43秒
  志寿以さま

掲示板に書き込みをいただき、誠に有難うございました。
コメントに元気づけられました。

>大田さんは、モデルを立てたり、複数のモデルを組み合わせて現象を説明することが、とてもお上手なのですね。

今さらながらではありますが、一人の研究者として、自分の「長所」や「強み」はどこにあるのだろうと、時折考えることがあります。特定のことを誰よりも詳しく知っているわけでもなく、卓越した語学力があるわけでもなく、頭がずば抜けて良いわけでもなく・・・。私が物事を図式的に整理したがるのは、
 1)あまり頭が良くないので複雑なことを考えられない
 2)しかし物事をスッキリさせたいという欲求は強い
という二つの要因から、どうやったら簡単に説明できるだろうか、ということを延々と考える癖があるからだと思います。
とはいえ、図式的に整理するため、よく分からない枝葉の部分をかなり切り落としているという自覚はありますので、いずれそのような部分に逆襲されることになるのかもしれません。そういった部分も、今後の研究でうまくリカバリーできれば良いのですが。

志寿以さんも人文系の研究者とのこと、どなたかは存じ上げませんが、今後の研究活動で何か接点ができましたら、その際にはどうぞよろしくお願いいたします。
 
 

失礼いたします

 投稿者:志寿以  投稿日:2012年 6月 3日(日)23時52分13秒
  はじめまして、志寿以と申します。『オウム真理教の精神史』拝読し、たいへん感銘をうけました。御著書で大田さんのことを知り、こちらのサイトにたどり着きました次第でございます。

わたくしは同じく文系の、宗教学ではない近隣領域で研究をいたしております。大田さんは、モデルを立てたり、複数のモデルを組み合わせて現象を説明することが、とてもお上手なのですね。歴史を扱いながら詳細な記述のみに偏ることなく、歴史的に重要な要素を上手く絞って取り出して手際良く整理していく手つきはとても鮮やかで、時間がたつのも忘れて一気に拝読いたしました。

また、わたくしと年齢の近い方に、このように志高く研究をなさっている方がいらっしゃると知り、とても励みになります。研究者としてのあるべき社会的責任や振る舞いについて御著書で指摘なさっている個所には、三度首肯いたしました。

若手研究者にとっては、厳しいことが多くありますけれど、どうかお元気で。今後のご活躍をとても愉しみにいたしております。

お目汚し失礼いたしました。
 

Re: 日常性…

 投稿者:大田俊寛  投稿日:2012年 4月14日(土)13時47分25秒
  高橋英利様

書き込みを拝読しました(いただいたメールも)。
どのようにお答えすればよいのか、言葉が見つからない状態ですので、
とりあえず一つだけ質問させて下さい。

高橋さんが仰っている「300人以上の信者・元信者インタヴューを行った宗教学者」とは、具体的に誰のことを指しているのでしょうか?
その調査結果は、何らかの仕方で公表されているのですか?
 

日常性…

 投稿者:高橋英利  投稿日:2012年 4月12日(木)20時44分45秒
  僕の日常性…
他の人が絡むから、大切な人が傷つくかもしれないから…語れない。

大田さんには、少しだけ話せた。。。1/100くらいだけど。
でも、誰にも語れない。
想った以上に…口が重くなってしまう。

ごめんなさい。
 

Re: 山形浩生という人物について

 投稿者:高橋英利  投稿日:2012年 4月12日(木)13時58分49秒
編集済
  僕より前からご存知で親しそうで一定の評価をしていらっしゃいますが、彼の見解は

【引用】
宮崎哲弥が本書で扱う夫婦別姓やオウムなんて、実はどうでもいい話だ。今のところは。夫婦別姓? すればぁ? オウムなんて、踊ったヤツがバカなんだから、皆殺しにすればいい。いい見せしめと余興になるだろう。そんだけの話。オウムの教義云々って、いちいち泡沫新興宗教の教義なんかチェックしてられますか、あほくさい。

http://cruel.org/wired/miyazaki.html

のようです。

・・・言葉もありません。


■3人のサンプル
僕がいう事ではないのですが、圧倒的にサンプル数が少なすぎ、学術的見地において、まだ・・・物を言えるレベルではないと想います。
それでは、ジャーナリストや巷の評論家のパースペクティブを超えていないのではないでしょうか・・・

僕の知人の宗教学者は、少なくとも300人以上の信者・元信者インタヴューを行っており、それは苦労の耐えないものだったそうです。
まず、信頼してもらい、口を開いてもらうまでが大変で、更に深く突っ込んだ話を聞き及ぶには、全神経をすり減らすような思いだった・・・そうです。
しかも、当時は彼ら(そして僕ら)は非常に社会的に危険な存在と認知され、僕だって同じようなものだと認識されていたでしょう・・・

そうした労苦を惜しんでしまっては正確なものは掴めないのではないでしょうか。

僕と、野田さんと、島田先生・・・深い話ができているのかもしれませんが、3人は・・・少なすぎます。圧倒的に。
落胆も早すぎます・・・
学術論文においても、卒論レベルになってしまいます。。。
無論、そんなことはないものと想いますが・・・これからも発言される次元においてはたくさんのサンプルを拾い集めたほうがいいとアドバイスできます。

僕のように近づいて自ら話してくれる人ではなく(・・・そんなの楽ですから)。

先生は、参与観察を行う宗教学者をいささか罵倒しすぎています。。。彼らはとても傷ついていることでしょう。
先生の言説は「フィールドワーク」そのものを「否」といっているに等しく、であるならば、他にどんな有効な手段があるべきかを提示する義務があると想います。

彼らの努力なくしては、先生の参考になさっている本などの情報は皆無だったはずです。

その上で、自分だけ無傷で、業績だけを他者のものを横取りし、論じていると・・・想われたりしませんか?
そういうことを危惧しています。

■最低360のサンプルを扱い象意を導出している占星術
オカルトの世界でも、占星術で鑑定する場合、僕達は360のサンプルを比較検討します。(石川源光氏の提唱があります)
つまり、統計学的な視点を導入しているのです。
僕はサビアン占星術師でもあったので、象意を割り出すとき、星座の一度の単位まで詳細に落とし込んでリーディングします。

オカルト全般の批判からオウムへの類似点をたびたび指摘されているようですが、僕が占星術を任された際には、1500人のサマナのデータを使い検証しています。
つまり、一定の統計的な分析を経由しているのが、占星術です。
そしてその歴史は古くバビロニアの時代にまで遡り、検討されてきたものです。

少なくとも土星までの象意に関して見れば、歴史的な時間をかけて、かなり的確な現象が化体してゆくのです。
2000年以上の観念の詰まった象意だと想ってください。

・オカルトの一種といわれる占星術にでさえ、統計学的なデータの信頼性が熟成されていること。
・学問の地平線でも、観察対象への多角的視野の獲得に関しては360度の視点を注いでください。

■僕がなぜ、神戸震災を当てることができたと想われますか?
僕もよくわかりません。
でも、なぜ、月相や天王星に着目したか・・・なぜあの時期の月食図を使用したか・・・

たまたま当たっただけだと、僕もそう述べたりしますが、それはオカルト規制を自主的にマナーとしてして課しているのであって(常識人として)、
時に、オカルトは、えぐいほど真実に迫ることがあります。
僕はそれを知っています。

自慢話に聞こえるかもしれませんが、サビアン占星術師である松村潔氏には、この業績を絶賛されております。

しかし、僕はこの予言の業績をみずから「まぐれだった」と公表しました。
あの当時、僕がそれを肯定してしまったら、世間を恐怖に陥れたのではないかと想います・・・
だから、僕はそれをしなかったのです。明記しておきます。

学問 対 オカルト・・・
そこを見落としていると、説得力はなくなると想います。

オウムのオカルトはレベルが低かった・・・と想っていらっしゃいますか?
どうでもいいことですけど・・・


http://unkar.org/r/news4plus/1287778770
【引用】
事前に大衆に告げられて、的中した例は18世にウィリアム・リリーの
イギリスの大火災と高橋英利氏の阪神淡路大震災が有名です。
リリーは、犯人に疑われました。史上おびただしい、占星術による予言が
発表されていますが、的中例はコンマ1にも程遠く、信じるに値しません。
インドでは毎年占星術による予言があり惑星直列の年には、大洪水で地球が
滅びると言っていました。毎年はずしてます。ええかげん目を覚ませインド。

ちなみに、占星術師の間では関心を持たれておりますが…僕が採用していた秘伝は、この「ウィリアム・リリー」によるものをアレンジしたものです。

まだその当時開発していたプログラムを僕は持っています。
ですが、使いません。個人的には封印しています。

この領域に関しましては、国家クラスの要望のものだと想います。
オカルトと国家…関係ありますよ…イギリスもアメリカも実運用レベルで政治に活かされています。


■グルジェフについて
僕は現在、グルジェフィアンではありません・・・・伝わっていないようなのでかなしいですが、この掲示板には痕跡が残っているので救われます。
かつては、そうだったと想います。そのベースがあってこそオウムの敷居は低かったのです。
その事については、95年以降から、そこかしこで述べている通りです。村上春樹さんとのインタヴュー記事なども参考にしてください。

あと、何度も述べていますが、エニアグラム性格学は、グルジェフ思想から枝分かれし、独立し、心理学として一定の学問的位置を獲得しております。
その実績による有効度合いは、アメリカでは、FBIやCIAが採用しているほどのものです。

僕のエニアグラム分析に関して、あいつはまだグルジェフィアンだ・・・といわれることは、心外です。
大田さんの解釈は、どうもそのように聞こえます。

それとは、別にもしグルジェフ思想について語るのであるならば、最低限「ベルゼバブの孫への手紙」・・・これを読み込んだ上で、批判なされてはいかがでしょうか?
グノーシス神話よりも古い神話が寓話として語られており、これはたぶんにグルジェフの父が「ギルガメシュ叙事詩」をそらんじており、
子供の頃から彼がそれを、耳にしていたため、その影響があり、壮大な物語になっているのですが、興味ぶかい資料だと想います。

とかくニューエイジで神智学がとりざたされますが、僕はシュタイナーよりもグルジェフに知的好奇心を奪われておりました。
 

Re: 山形浩生という人物について

 投稿者:大田俊寛  投稿日:2012年 4月11日(水)18時16分35秒
編集済
  高橋英利様

書き込みを拝読しました。山形さんのブログには、昨日は私の『グノーシス主義の思想』の書評が掲載され、それに対する回答を書いていたところでした。応答が遅くなり、申し訳ございません。

山形さんに『オウムからの帰還』をお渡ししたのは、率直に申し上げて、それほど深い考えがあったからというわけではありません。高橋さんから、「大田さんが今度対談する方がいれば渡して下さい」と言われたと記憶していましたので、「そうだ、渡しておかなければ」と、私の『グノーシス主義の思想』と合わせて献本したのです。どちらに対しても書評を出して下さるとは、全然思っていませんでした。

直接お会いした山形さんは、とても紳士的で優しい方だったのですが、ご存じのように書評においては、きわめて辛辣な筆致で知られています。特に、書物の欠点と思われる箇所に対しては、殊更にそこをあげつらって一悶着起こすことがありますので(名誉毀損騒動についても知っていました)、余りそういった物言いを真に受けず、それが山形さんの「キャラ」なのだなと、ある程度受け流すことも必要だと思います。

ということで、『オウムからの帰還』に対する山形さんの書評は、私の評価とだいぶ違いますし、余りに言いすぎではないか、と率直に思います。とはいえ他方で、今回の文庫化に際しては多くの読者が、高橋さんが「文庫版へのあとがき」でどのような文章を書くのかということに注目していたのだろうな、とも思います。文庫化以前に、私は高橋さんから直接お話を伺っていましたので、「あとがき」を読んでもそれほど違和感は感じませんでした。しかし、山形さんを含め多くの読者が、サリン事件から約17年を経て高橋さんがどのように変化したのか、どのような仕方で「オウムから帰還」したのかということに注目しており、特に山形さんは、このあとがきの書き方では、「オウムから帰還」して著者がどう変化したのかということが明確には分からないではないか、ということに不満を感じたのではないかと思います。

せっかくの機会ですので、率直かつ具体的に書こうと思います。私は『オウム真理教の精神史』を公刊して以後、幸運なことに、高橋さんの他にも、野田成人さん、島田裕巳さんなど、オウム事件に関与した人々と言葉を交わす機会に恵まれました。そして、これらの方々との会話から多くを教えられたのですが、同時に、実は彼らは「オウム的思考回路」から完全には脱していないのではないか、という深い疑念が芽生えるようにもなりました。具体的に言えば、私は野田さんに対して「革命か戦争かという二元論で考えない方が良いのではないですか」と訴え、島田さんに対して「イニシエーション論は放棄した方が良いのではないですか」と訴え、高橋さんに対して「グルジェフの体系はオウムの思想に通底しているのではないですか」と訴えてきました。しかし、高橋さんを含めこれらの方々は、言葉を交わしている間は私の話を真摯に聞いてくれるのですが、どうもその後、考え方を変えてくれたという様子が見受けられないのです。すべては私の未熟さが原因なのでしょうが、昨年の年末辺りから、私が「すべて徒労なのではないか」という疲労感に苛まれるようになったのは、一つの要因としては、このような経緯があったと思います。

山形さんからの批判に対しては、山形さんの経歴や人格云々といったことを問題にしても余り意味がなく、重要なのは、そこから学び取れる点があるかないか、ということではないでしょうか。山形さんの「神様依存症」という言葉はさすがに言いすぎだ、と私は感じますが、私自身、一人の宗教学者として、神様がいるかいないかと頭のなかで考え続けることが、それ自体として「宗教的」であるとは思いません。私は基本的に、宗教が位置しているのは社会的かつ公共的な次元であると考えていますので、宗教の問題が真に問われるのは、特定の観念がどのような仕方で社会化・公共化され、多くの人々の生を支えるものとなりうるか、という次元においてであると思います。『オウム真理教の精神史』でも述べたように、宗教が個人心理の問題と捉えられたこと、公共性から隔絶された私秘的なものと捉えられたことは、近代という時代の特殊な構造が深く関わっていますので、そういった私秘的次元を「宗教」と捉え続ける限り、オウムの磁場からは完全には抜け出せないのではないか、と私は考えます。

こういう書き方で、返答になっていますでしょうか。山形さんの書評を読んで私が考えたことというのは、大枠として以上の通りです。
 

山形浩生という人物について

 投稿者:高橋英利  投稿日:2012年 4月11日(水)14時59分33秒
  非常に下劣な人物である・・・という僕の認識と、その表現はやはり有効であると思い至りました。
いささか、手厳しいようですが、僕はこの人物の書く文体が、何か雑なだけで教養のない人物であれば、スルーしていました。
気分をちょっと害するくらい。

でも、この低俗な文体にして学歴の高さが妙にアンバランスであり、そこに作為めいたものを嗅ぎ取りました。

調べて見ると、以下のような記述を見つけます。
大田さん、ご存知でしたか?(※事実確認ですが、確実に返答願います。僕は正直迷惑をしておりますので・・・)
(この問題はこじれたりしたら良くないですし、しかもこの警戒心は、当たっていました。)
(僕は、数日間、不眠であり、本日は会社を休んでまで、慎重にこの問題をみつめています)

小谷真理 vs 山形浩生・裁判


http://blog.yuco.net/2001/12/kotani_yamagata/
http://d.hatena.ne.jp/sfx76077/20100511/1272677258

ご存知の上で、僕の本をこの方に贈呈なさったのでしょうか?
これは純粋な書評に値するものか、言いかけていた大田さんの見解をお聞かせ願います。

僕も大田さんのすばらしい功績を称えた上で、この第三者に対する先生の見解をぜひ拝聴して見たいのです。
 

これも一つの交流なのか・・・

 投稿者:高橋英利  投稿日:2012年 4月11日(水)12時34分36秒
編集済
  奇妙な人物であり、知的なのか、それともやさぐれているのかわからない。
でもって、真面目に受け止めていいのか、流すべきなのか…

闘って見ると、相手の持ち味がわかるのか?
それともするりと逃げるだけの輩なのか…

取るに足らないやつだという認識が90%を占め、
残りの10%に、この人物には「味がある」という直感が煌く。

だから、もし僕が失礼な態度で、彼に望んだとしても、彼は意に返さないばかりか
ようやく、相手をするのではないだろうか…
(なぜかそのような想いが直感であり、いつになく乱暴な言説を吐いていても不思議ではない自分に気づく)

大田さんのよに、知的で上品でいながら、ときおりすっと磨かれたナイフで、その人の精神を刺す様を見ていると、刺された方も
貴族のような感じがするのだ。

しかし、この山形という人物は、かなり荒っぽく、例えば、網掛けの編み棒を取り出し、
「こんなもんでも、使いようでは、相手を刺せるぜ・・・」
と無考慮に振りかざす。

でもって、相手にも周囲にも、大胆で虚をつく突っ込みに目を奪わせるのだ。
しかし、この戦法は実に有効だ・・・

大田さんが<思考>センターで戦う華麗な勇者であるならば
山形さんは<本能>センターで戦う荒っぽい武者であり、
僕はといえば、<感情>センターの挑戦者なのだ・・・

この中で、<本能>センターの熟達者が、いかに多彩で優れているのかは、
麻原が証明済みだが、山形という人物、<本能>センターとしてはまったく未熟で香たたない。。。
僕は彼らを<痛いほど>知っているつもりだ。

T5<思考>センター熟練者にして、成長のプロセスで次元を上げ変貌したT8と見る。
かなりの努力家であり、思想家だ。
大田さんが、惚れているとしたら、そんなところだろう。
大田さんは、山形さんに目を留めるのは、流石だ・・・
僕に差し向けた<プレゼント>も実に鮮やかではないか・・・

T8とT8は互いに力量を認め愛ながら<戦争>をする。
T5はその参謀であり、このT8の力量を知っているのだ。
彼は青年期に恐らくT8の知者を見聞きし、学んだはずだ。。。

僕が麻原から学んだことを、彼は他の誰かから学んだのではないかと・・・
僕はT4W5で、ボヘミアン的ロマン主義者・・・

そう、いわば、大田さんが本領発揮して「批判」している人物は、僕ということになる。
綺麗で鮮やかで、切れ味が鋭くて、上品な批判・・・
大田さんは、僕を前にして、直接批判することはためらわれていた・・・僕から近づいたからだ。
たぶん、それは優しさで、僕を傷つけたくなかったから・・・

そして、今回山形さんが、僕に当てられたけれども、この三人の中で、最も知的でクールなのは大田さんだ。
何一つ、嫌味を生じさせずに、クールに相手の懐に入り、精神の奥底に眠っている話題にノックする。

僕は、大田さんの、そんなところが、好きでたまらない。
それにくらべれば、山形さんは、可愛らしく・・・僕に噛み付かれたことに多少戸惑っていたとしても、それは言わば

大田さんの計らいの中で行われた遊戯にすぎないんだろう。
こうした交流の中で、何かが生み出されると・・・オウム問題は1歩進むのだろうか。。。?

やはり、そうは思えない。下劣すぎる。
それが今の僕の見解だ。

真面目に取り合うと、もう掲示板の次元ではないんですけれども。
 

山形浩生の書評について2

 投稿者:高橋英利  投稿日:2012年 4月10日(火)11時55分29秒
編集済
  大田さん

どうもお久しぶりです。先日は、なんか体調崩してあんまし話せなかったですね。もったいなかったです。
なんかあの時は大田さんもあんまり元気なさそうで心配だったけれども、どうやら活発に活躍なさっているようですね。

ところで、今回の流れはそういうことだったのですね。
嫌なヤローであることに変わりはありませんが、興味ぶかい流れですね。ハッとさせられました。

つまり、大田さんを経由して、僕が彼に本を渡しているのですね。確かに僕はあの時2冊贈呈させていただきました。
そして書評を書いていただいており、その書評はお世辞にも論ずるに当たらない「感想文」レベルの粗雑なもので「がっかり」という印象なわけですが、
この反応を惹起させながらも、なお「意味がある」というのが、今回のメッセージなわけですね。

>「いささか残念な事に・・・」
さては、心の底では、僕を評論させたら楽しそうだ・・・とか想っちゃいましたか?(笑)ふふふ
いいでしょう。大田さんだから、許しちゃいます。(笑)

にしても、ハードなボールを渡すよな・・・ふいに。

この罵倒的酷評、ある意味、楽しめるものです。。。
しかも、僕の本の書評ですから、これからまず彼の書評を読み、僕の本を手に取ることでしょう・・・

やりましたね・・・(笑)

大田さんと対談されるクラスの人物だとは、露知らず、低度の低い輩だと想っておりましたが、そうでもなさそうですね。
あまりに稚拙な言説なんで気づきませんでしたが、ある種フランクな文体は読者の心を引きますね。

社会には、想っていることを口にできない人たちがいます。
そうした人は批判的感情の生起がありながら、それを社会に還元できない時、このような人物の言説の代弁により感情を満たされるのです。
彼のファンは多そうですね。

流派の違いこそあれ、これはひとつの技術でしょう。

他流試合をしたことのない僕に、こんな人いるけどやってみる?
と大田さんに紹介された気分・・・

僕は学者さんと深い突っ込んだ話をしてみたかったので、評論家ってあまり話すことがないな・・・というのが率直な気持ちです。
特に「つまみ食い」論者は。
今までのなかで評価していた日本の評論家は、宮崎哲弥さん。。。彼とは、どこかで対談していますが、ものすごくその後深まっている気がします。
仏教の話ができる時点で希少な人なんです。

で、山形さんのことは、ぜんぜん知らなかったのですが、それは僕が無知なだけで、彼は日本の2大評論家といわれるほどの人物なんですね。
彼の何が評価されうるのか、皆目見当がつきませんが、大田さんが評価している時点で深みが何かある方のようですね。
性格は歪んでいそうですけど・・・或いは言語的な資質の類においては無法者といった感じですか。
評論家としては、勲章なのでしょうね・・・人間性を追求している僕とは無縁の人です。

経歴すごいですね・・・そこに惹かれるわけではありませんが、知性のあるかたのようです。
あの文体は挑発的でありながら、あぶりだしですね。的を得ているのかは定かではありませんが。

彼は下劣な評論家ではなく、一本筋が通っている人物であると・・・

なるほど、受け入れましょう。


僕はもしかしたら・・・
誰かに「罵倒」されたかったのかもしれません・・・・
こういう形で訪れるものだったかどうかはわかりません。

僕は、自分のいまいる地点を確認するために、境界線上で闘っていたのです。
ずっとずっと。それは社会に帰属してからも、心の奥底では変わりません。
還俗してから社会で接する方々と精神的な話はしていません。
(する必要がなくなったからではありません、その次元を話せる環境はないのです。)

社会は、効率的な利潤追求が感心なわけですから。
野村総合研究所など、最たるものです。

・神はいるのかいないのか?
・生きることに、いったい何の意味があるのか・・・
・テロリストとなってしまった僕らに社会はどういう目を向けるのか・・・
・すべてを生身で受け止めた場合、僕はそれに耐えうるのか・・・

そうした問いかけが内部にあります。

で、驚くほど繊細にある領域に対しては<誤解されたくない>と想っていることがあり、
そこは聖域と化しているのです。

まさに、そうした意味で、どの宗派に属さずとも、僕は「宗教的」な人間なのでしょう。
それが弱さであるというのならば、その弱さがあることを自覚しています。

日常生活がないわけではありません。
ようやくですが、地に足はついてきています。
でも、それを公表するつもりもありません。
いろいろ傷つきます。

特にあの本は、今のところ僕の「分身」と言っていい程で、僕の肉体が滅び去ろうとも残るでしょう。
この本における言説に対する罵倒は、僕の精神に直結してダメージを与えます。

お二方・・・学識豊かで社会性を獲得されている方からみれば、稚拙で古臭く、要領を得ない生き方なのでしょう。
特に宗教界の大失態の只中にいたわけですから、僕はそうした批判を受け入れています。積極的に


何か馬鹿にされている感じは常に受けるけれども、これが僕の姿なのです。
 

Re: 山形浩生の書評について

 投稿者:大田俊寛  投稿日:2012年 4月 8日(日)21時46分15秒
  高橋英利様

しばらくご無沙汰しております。新しい書き込みを拝読しました。
山形さんの書評については、私にも責任がありますので、まずは簡単に応答させていただきます。

実は先日、ある雑誌の企画で、山形さんと私の対談が行われたのです。前回高橋さんとお会いした際、『オウムからの帰還』の文庫版を一冊余分にいただいていましたので、良い機会だと思い、山形さんに本をお渡ししました。いささか残念なことに、それがあの書評につながったのだと思います。

ただ今、山形さんのブログを見たところ、高橋さんからのコメントは掲載されており、ブロックしているということではないようです。おそらく「承認式」が採用されているため、コメントの投稿から掲載まで、若干のタイムラグが生じているのだと思います。

『オウム真理教の精神史』にも記載し、お会いした際にもお話ししたように、私自身は、高橋さんの『オウムからの帰還』を高く評価しており、その判断は今もまったく変わりません。おそらく山形さんも、『オウムからの帰還』を一定以上肯定的に評価されていると思います(「非常におもしろい」「ギクリとさせられる」など、共感的な記述もありますので)。

とはいえ山形さんは、「オウムから本当に帰還するとはどういうことか」という問題をさらに踏み込んで提起し、そこからあのような批判的記述が出てきたように思います。山形さんの書評を読んで、私にも考えるところがいくつかありましたが、まずは高橋さん自身は、具体的にはどのようにお考えになったのでしょうか。山形さんのブログへのコメントにしても、こちらの掲示板の書き込みにしても、いささか感情的な応答になっており、批判に対する有効な反論にはなっていないように思います。山形さんの書評にどのような誤解や理解不足があるのか、まずは冷静に応答してみてはいかがでしょうか(何分、かなり挑発的な書評ですので、冷静にというのも難しいかもしれませんが・・・)。

この度の文庫化によって、『オウムからの帰還』も新しい読者を獲得することが想定されますので、単行本の出版の際とはまったく異なる反応が出てくるかもしれません。私としては、そうした感想や批判に対して高橋さんが真摯に応答されることによって、オウムをめぐる議論の新たな足掛かりが得られることを願っています。
 

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