• [0]
  • ■□■□■□■□ 緘黙の体験 ■□■□■□■□

  • 投稿者:管理人
  • 投稿日:2012年 9月19日(水)23時05分30秒
 
主に緘黙の体験などの書き込み専用のスレッドです

投稿者
題名
*内容 入力補助
sage

  • [112]
  • 緘黙の家庭環境

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年12月15日(日)13時49分58秒
  • 返信
 
緘黙は脳の器質的な造りの問題と、緘黙の子は緘黙というような
遺伝子的な問題があるような気がします。

私も話せるときと話しにくい時があり、それもやっぱり脳の器質の問題も
あってそうなってるとしか思えない。
周りの空気を読みすぎると言います。それで口をつぐんでしまう・・
あれこれ緘黙の事を調べていますが、緘黙は不安障害でもあるみたいです。
それで、緘黙の子の親が変れば緘黙の子もなぜか話し出す場合があるみたいです。
私の場合もそうですが、母が本当はすごく大人しい人なのに活発に振舞っていました。
それで自然ではないので、自然ではない母に素直になれなかったような気がします。それって、大人しさの否定?ですよね。自己否定してる母親が分かってしまってるのに、ぎこちないのに、素直な自分?大人しい自分を出せないし、
出したところで、もっと活発に!と咎められてしまうわけですし。

そういう大人しい自分否定を母がしていたから、なぜか私も素直になれなかった
素を出せなかったのかな。と思う。
だから、一生ダメになった、母のせいだと今は思わないが、とても大変なのに
かわりは無い。
素のままで、ありのままでまず愛されなかったら、受け止められなかったら
その感情はどこに行くのだろう。
素直な感情によいわるいは無い。それを決めてしまっては自然ではないから
無理がかかる。
その型に入れない。緘黙を見るときに、その家庭環境も見ることは、子供の資質
だけを考えるじゃなく、
心理的な因果関係を考えて、親自身も改めるべきはあらためることが必用なのだと思う。
なぜ、素じゃない自分を生きていた母と私は話がしづらかったのだろう。
多分、素のそのままの大人しい時の私をも否定されたからだろう。
コミニケーションが下手な人だったのだと思う。素を生きられなかった人なのだと思う。
だとしたら、私は私の気持ちのまま、感情を出す必要が今できれば緘黙から自由になれるんじゃないか・・
と、感情によしわるしをあまりつけない自由な愛溢れる人達と、なるべく
コミニケーションを取るように努力している。
そこでの雰囲気に慣れることが、自分を認めることになるに違いない。

  • [111]
  • ここの管理人さんも緘黙であった

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年11月 4日(月)11時29分48秒
  • 返信
 
ここの管理人さんも緘黙であったのです。
だから、緘黙の人の気持ちは分かる人だと思います。
緘黙の人達だけの安心できる世界ってあるのかなと思ったりします。
ここで言いたいことを言わせて貰って、許されているのは本当にありがたく思います。
それは多分管理人さんの緘黙で悩む人達の何とか解決策を見つけたいという強い思いからなのでしょうね。

  • [110]
  • 警戒心

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年11月 4日(月)11時25分49秒
  • 返信
 
カウンセラーの先生によく警戒心が強いと言われました。
なぜ、無防備になれないのだろう。心を裸にというか、カウンセリングでは
親子関係やそういう所に問題点を持ってゆこうとします。
ですが、そうなるとどうも合点がいかないところが出てくるのです。カウンセリングを完全にやり終わって、終了した所で、やはり一般的な感覚と緘黙の感覚は違うから、同じ良好な結果にはならないような気がします。
問題は、警戒心が強すぎる、無防備に喋れない、心を開けられない。所にあり、
それが慢性になっているので当たり前で、常に警戒心と無防備になれない孤独感を抱えていると言えば言えるのではと思ったりします。
やはり、心を開けられない、無防備に話せない、自己表現できないのは、
ストレスなのだと思います。
それらがどこから起こりどうすれば、必要ない警戒を解き、素のままの自分を受け入れてもらう喜びを体験できるのでしょうか・・
素のままの自分を愛せないとは違うのですね、素のままの自分をさらけだすのが恐い。
私の場合は、アダルトチルドレンなので、他の緘黙の方とは違い、本当に何でも馬鹿やってもひどい事いっても気にしない、責めない、許してくれる心の広い相手なら、他人でも巣を出せると思うのです。
でもそういう人にはめったに合いません。過去一人いたかな~くらいです。
でも、本当にありえないくらい正真正銘穏やかな人や心根の優しく強い人には等身大の自分をぶつけられました。
はしゃいでました。その人がたまたまお見合いで出会った人で、かなり年上でしたので、求婚されましたが、数年しぶっていて最後は相手が諦めてしまったので
タイミングが遅かったです。
でも本当に心底穏やかで何をやっても怒らない、私がダメだと思ってるところも全て受け止めてくれる心の強くて優しい相手であれば、この世に一人じゃないなと思えたって事だと思います。
本当は、そこまで行かなくても安心して巣をさらけ出せる人を探していて、
安心感を得たいと心の底から私は思ってるのだと思います。

  • [109]
  • 恐怖は脳の中にある

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年11月 4日(月)11時11分20秒
  • 返信
 
編集しようとしたら、できなかったので。
恐怖を感じてしまう原因は脳の中にあり、周りの同級生や仲間とは
むしろ話したいと思ってると思います。
話したいのに何か壁があり圧迫感があり、話せない。
大人になった私は、意識的という事ができるので、意識的に話しますが。
無防備に話すってのは未だに出来ません。思った事をそのまま言うのができません。

  • [108]
  • 一番困ってるのは本人

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年11月 4日(月)11時06分52秒
  • 返信
 
緘黙の子供って、親や周りから見ればどう接して良いか分からないのだとおもう
頑固に見えたり、かたくなに見えたり、弱気すぎる子に見えたりするのだろうな。
わたしも母からもっと活発になりなさい!愚図だね!と怒られた記憶が。
愚図じゃないんだよ、つらいんだよ。話したくても勇気が出ないのは私の度胸がないせい?と小学校の頃から、話せないままずっと
今日こそは!今なら!と自分の心に弾みをつけて、話そう話そうとしていたと思います。
話せない自分が本当に情けなく、毎日憂鬱な気持ちで悩みを抱えていました。
話したくても話せない、ものすごい恐怖感が原因だと思いますが、その恐怖は気が小さいとか弱気だとか恥ずかしがり屋だとか、それが原因ではないと思います。
恐怖から身を守ってる状態が緘黙なのだと思います。それは目の前の同級生が原因ではないし、ものすごい恐怖の正体がなんなのか?それを解明して欲しいと思います。
私自身は、それは脳の反応が一般脳の人よりも強いために、外の反応がかなりの刺激になり、圧迫され、圧迫された状態だから声が出せない。
ものすごい恐怖の前で、人が声を出せないというのは、大人でもあります。
そのような状態と表現すれば、近いのかなと思います。

緘黙の子は無表情な事が多いので、考えてる事が分かりませんが、
ものすごく喋れない自分を恥ずかしいと思っていて責めています。喋る事を強制されてそれが出来ない自分がなんなのかわかりません。
周りの大人に従い、自分は情けない子供なんだと思うようになります。
だから周りが二重に責めるのではなく、うまく乗せていって、リラックスできる
所を増やしてゆく事、広げて行く事だと思いますが、問題が恐怖から来てるだけに中々難しい所はあります。
子供の恐怖感をもう少し解明できたら、私は脳の過敏反応のせいであると思うのですが。
私は現在40代ですが、自分で適応障害だと思っていますが、それを主治医に上手く伝えられません。
主治医と共通する感覚がなく、それを主治医がいくら話しても理解できないからだと思います。脳の過敏性を穏やかにさせる環境や薬があれば、私には気分の上下を無くさせる薬を処方したらいいのでは無いかと思います。
例えば、躁鬱病の薬などです。
でも、それらの薬を飲みたくなくて、リーマスやらデパケンやら・・・今現在の薬は万能では無いと思います。
デパケンは随分二年ほど飲みましたが、飲んだ直後急に悲しくなって情緒不安定になりました。元々大きな粒で体に悪そうで飲みたくなかったのですが、その時の主治医の進めで飲みましたが。
今現在は、社会不安と鬱で、デパスとソラナックスのマイナートランキライザーを飲んでます。
うつ状態が治らないので、慢性的な鬱ですが、これにはパキシルが出ましたが、
副作用が恐いので、副作用で攻撃的になってしまったりもするし、体に不調が来たりしますから、抗鬱剤は飲みたくなくて飲んでません。
ちょっとした、運動やちょっとした気分転換で何とかしのいでいます。
緘黙に聞く薬はないのかも知れません。
私のような年齢になれば、自分の個性と割り切り、地道に自分の生きやすい方に考え方を持ってゆく、自分を貫く等で、どうしても個性的な生き方になってしまうんだろうなと諦めの気持ちで気分を明るくし、自分の考えで治療を模索してゆくのかなと思います。

  • [107]
  • 脳の使い方と生き方

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年11月 3日(日)12時25分13秒
  • 返信
 
掲示板が連続になってしまうので、
こちらに書かせて頂きます。
身近にアスペルガーの女性がいまして、本当に彼女自身苦難してみえます。
自らアスペルガーと称しているので、ご自身でそうとう苦労してみえたんだなと
正直で純粋なゆえに、大変な事もあるのですねえ。

私もこの脳をどうやって調和させてゆくか?考えてるところです。
アスペルガーのその人は、本当に、遠慮がちというか、人との会話でも緊張
してしまうという奥ゆかしさを持っていて、それは自分は人と感覚が違うから
何か傷つけてしまうようなことを言ってしまうんじゃないかという懸念であると
思うと、
なんだか同じ臭いがして、共感してしまいます。つらかっただろうねと。
そんな相手に気を使う姿勢が、私と類似していて、苦手意識というか、私も
話していて、同じ空気?で話せます。
私がアスペルガーと言われた事は長い年月ありません。カウンセラーからも
その指摘はありませんでした。
あったらあったで良かったのですが。だったら何?と思うと、やはり緘黙脳。
としか言いようが無いのです。
使いようはないのか?あのわけのわからない病名たちは何だったのか?混乱
困惑が、病名を危うくしています。
しっかり自分の緘黙脳を考えて付き合ってゆく事がどうやら求められているように思うようになりました。
私は、知らない歌でもすぐ覚えるし、昔から耳に入ってきた曲は演歌でも何でも
ファンじゃなくても、覚えてしまって。だいたいメロディーも歌詞も覚えてしまい、口ずさめる曲が半端ではなく多いのです。何百?でしょうか・・
あとは、過去に書いた言葉なども割りとしっかり覚えてるのです。あの時に
ああしたこうしたは、映像で残ってます。
そういうのは変ってるのでしょうか?
今は人間関係は諦めた部分でとても楽になったので、これを活かして行くには
どうしたものかと思ってます。

  • [106]
  • 心の傷・・ひとり言

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 7月 7日(日)07時22分51秒
  • 返信
 
心の傷がどこにあるのかを見出すのは
大事だなと思う。

例えば、
私は自分の願望を貫く。絶対に自分の思い通りにやる。
という言動をする人は、
今まで、願望が叶えられなかった人であり、絶対と思っていたが
途中で、挫折した人なんじゃないかと思ったりする。

あなたの思い通りにはせず、
自分の思い通りにするから・・という強固な思いというか発想は
どこから来るかといえば、
過去、思い通りにならなかった怒りや、そういうものが原因になってる
場合があると思う。

でも、その思いは上手に塗り替えられている事がある。
上手くいかなかったのは、誰々のせいだ、邪魔が入ったから上手くいかなかったのだ。
と、自分の力のなさや知恵のなさを、棚の上に上げて
自分の力が万全であるかのように、思いたいのが人間。

邪魔や横やり、ゴタゴタはあって当然であり、
それらを良く避けた、上手に横によけた者が、成功するのでは無いかと
思う。
何かに挫折したとき、手柄を横取りされたとき、
あいつさえ居なければ、という考えではなく、あいつをどうクリアーすれば
良かったのかな、と知恵を絞ればいいのだと思う。

人間、戦いは
いやでもしなくてはならない時があり、嫌いな人は絶対に出てくるし
だからこそ、好きな人も出てくるはずで。
折れた自分の弱点を見る事で、今後折れない自分になれる
何事も、
誰かのせいにしない事だと思う。
生きてる以上、他人とは仲良くしたいし信じたいが、どうしても戦わないといけない場合がある。
問題を避けていては、成功しない。問題点から自分の欠点をのぞいて

自分を多めにみていては、人のせいにしてばかり
それは依存である。
決定的な別れも、必要なのだと思う。

  • [105]
  • あんたなんかどうでもいい

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 7月 7日(日)07時05分18秒
  • 返信
 
この言葉が
劣等感になり、深層心理に入り込んでいた。

いや、違うんだ
私が一番大切なんだ。自分を大切にできるという事が
自分を持つという事。
大切にする仕方は人それぞれだけど・・
どうでもよくなんかない。
あなたにはどうでも良かったかも知れないけどと、
思う。

私の事を、私だから慕ってくれる人がいる
私だから近寄ってきてくれる人が居る

随分、つぶれて、随分、疲れたけれど。
でも、
踏まれても、倒されても、生きてかなくてはいけない

私の身近で
昔からの精神の病の人達が、数人、自殺を選んで亡くなっていった。
何を思っていたのか、でも幻聴というのは心身を消耗し、大変にツライのだと思う。
幻聴を完全に治す薬は今現在ない。

その人には、その人のつらさがあり、
それは他の人間には分からないが、それぞれ抱えている。
亡くなった人達の症状は、私であれば、到底・・・耐え切れるかどうか
わからないようなものであると想像したりする。

治せるものなら、どんな努力をしても治す。
カウンセリングに通いはじめて、7年経ち、やっと卒業が見えてきた。
見えなかったゴールが身近にせまり、
あの苦しんでいた頃の私が、何に悩んで何に苦しんでいたのかが
客観的に見えるようになった。

カウンセラーというのは、本当に色々なことを試すというか
私のカウンセラーは、本当に親身になってやってくれた。先生の
あなたなら、何とかなるような気がする
という一言で、何とか私は、精神科にかかり、もう20年以上過ぎたが
精神科では何にも得られなかったが、
カウンセラーとの話し合いで、私を見つけてもらい、私は自分をちゃんと
しっかり見る事ができるようになった。

あんたなんかどうでもいいと言った姉とは
絶縁している
合っても罵られる・・私に対しては罵る言葉しかもっていない。
生きてるか死んでるかくらいの
相手なのだと思う。
姉にとっての私は。

もう二度と会いたくない、会わないだろう。
弟とは、
いつか会う気持ちになる事はあるかも知れない。
でも、ここ数年ではなく
もっと先だと思う。

私の事をどうでもいいと扱う人とはもう二度とあわない
許せるようになったときは、様々な困難を私がクリアーして
生活に満足した頃だと思う。
家族を潰す人、潰される人

心理をずっと受けてきて、
随分な勉強家と言われた。屈しない精神がどこからくるのか分からないが
私は随分と弱いんだけれど、
絶対に、他人に屈しない思いがある。
仲良くしてくれる人達と心を共にしながら、私の心は健康と思える日まで
まだまだ、元気に歩いて行こうと思う。

  • [104]
  • 緘黙児の世界は一つしかない。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 7月 7日(日)06時44分1秒
  • 返信
 
緘黙の子は、話す場が家庭しかありません。

私の家庭は、立派な機能不全家庭だったので、父から言葉での虐待を
受けていました。
目の前にボロボロの雑巾があり、その雑巾が父の言葉でまたボロボロにされ
やがて、麻痺してゆくという、のが目に映るような。
もう麻痺してボロボロの心をさらに、ボロボロにされてる感覚を味わっていたあの頃。

父の劣等感による、自分の子供虐め。

逃げない母。
こんな環境では、緘黙だった私はもろに影響を受けたはずでした。
私には家庭しかなく、家で話す事が全てで、他の学校での同級生との人間関係は、ただいじめやら悪口を言われる、馬鹿にされる等でしたので。
ひたすら、目を閉じ、時間が過ぎるのを待つような学生時代でした。
だから、
世界は家庭しかなかったのです。

何事にも、人格否定系の言葉を付け加えて喋るような家庭でした。
生き残りがサバイバル。だったんだなと今は思います。
そんな中、できのわるい、世間体の悪い私は・・さらに愛情を与えられない
支持されないという悪循環
放って置かれました。あとは、父からの暴言も情け容赦なくつづき
あれは・・父親ではなかったなと思います。
父親業をできなかった人

子供ができたから母は父から逃げられないんだ、怖い!怖い
逃げたい逃げたいと思ってました。父から
さまざまなしがらみがあろうとも、父から離れなかったのは、母の責任だと
思います。
それが子供にも影響した。
悪循環は断ち切らねばならない。守るべき者が本当はなんなのか、身を張って闘って欲しかったなと思いますが、そうはならなかったでしょう。

私は私。
母は母。
でも、ずっと父というか男性が怖くて。今もその後遺症に悩んでます。

カウンセラーが人を好きになる事ができたことを喜んでくれていて、
その理由がわかりませんでしたが、
結局、私の場合、言葉というものは感情をしたがって発育し成長してゆく
心ありき、
人を誰ひとり好きになれなければ、情緒が成長せづ、言葉も発達しない
相手を傷つけないように何かを伝えたい、それは愛しているからだ。

愛がなければ、傷つけようが何でも
伝わりさえすればいい。
それは相手の人格否定、存在否定。そんなことが家庭で行われて
きたと思います。

私の家庭は、そこいらの緘黙の人達の家庭よりも
もしかすると、ずいぶん、家庭の中でも戦いつづけなければ
認められない家庭で
随分と病んだ家庭だったとおもいます。とても、冷たい。

家庭しか知らず
他の世界をしらないので、
どうしても、家庭でつかっていた戦いの言葉で人と接してしまう。
経験することができなかった
経験値の圧倒的な少なさが、人間関係をダメにしてしまっていたのです。

知らない
ということ。

悪い経験をたくさんしてきてしまったということ。

記憶にな悲しい苦しい思い出しかつまってないという事。

緘黙でも
温かい人達に囲まれ支持的な大人たちに恵まれていたら
まったく違った私の人生になっていたでしょう。

少なくても、。いまごろはけっこんをし子供に囲まれて
いたと思います。

父が怖いが男性を憎むになってしまっていた
男性が怖い、男性恐怖症がむくむくと心の中に存在している

でも、怖いけど近づいてみる
怖いけど信じてみる
私が結婚をし、ずっと子供を作るのが怖いとおもっていたのは
母のように逃げられなくなるから
誰から・・父から男性から
そして虐められる。

そういう思いが私の人生を支配していた。みたいです。
辛い思いをさせないって
事は、自分にも他人にも家族でも、まず大事なことなのだと身にしみます。
潰された人生だったかも知れないけど、
今は、
一番の理解者がいると思える。小さな選択でも、より自分の為を思い
自分を大事にしている自分が一番の自分の理解者であると
力づよく思えるようになってから、世界が違ってきたように思う。

  • [103]
  • 緘黙は情緒障害

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 7月 2日(火)09時07分55秒
  • 返信
 
昨日知ったのですが、私は情緒障害のようです。
いま特殊学級というのがあり、緘黙も特殊学級に入るようです。
いわゆる、
情緒障害というのは、感情のコントロールが流れ出てしまうか
必要以上にとどまってしまうか、どちらかなのです。
いままで情緒障害というものだと思わなかったので、今後勉強をすすめ
自分に役立たたせたいと思ってます。
精神科医は不勉強で、福祉業界も精神科医の病名に頼りっきりという
極端さがあるので、
私は七年、臨床心理士によるカウンセリングをこれしか無いというおもいで
行ってきましたが、
それだけ時間を費やして自ら努力をして勉強してきても
まだ自分とものをこれからどうしたらいいのかがわからないのです。
だから、
誤解をされたりして福祉の場でも
やりづらさを抱えてしまうのですね。あるところは秀でていて
あるところは不器用すぎる
これは他人には中々わかってもらえない。
器用な人ばかりが、不器用な人をこまらせることになっても
困りますね。真実を知らねば。

  • [102]
  • 緘黙による対人恐怖

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 6月 2日(日)08時57分38秒
  • 返信
 
私は長年、神経症でした。
全ての神経症を経験してきた。

不安神経症を自分で克服できたのは、学びになった。

それなのに、どうしても治らないのが対人恐怖。
対人恐怖になる説はいろいろあるようだが、

緘黙、私の対人恐怖の原点の1つは、
人を避ける、人を見ない事だとわかった。
やっと、
去年あたりから、人をはっきり見るようになった。
意識的にしてみた。

意識とは・・・
私は人に見えないように生きていきたい、恥ずかしい存在と思って
過小評価してきた。
世間から自ら自分を消していた。
だけど、実ははっきり見えているのだって気がついた。
他人は見たいものだし、私だって実は他人が気になるのだ。
どれだけ隠しても
はっきり見えてるなら、

現実にそくした方が生き易い
そう思ってから、人を見るようになった
人の視線から逃げないようになってきたように思う。
私が私の存在を認めてきたので、
対人恐怖が強く、視線恐怖にまで苦しめられて生活上、生活が成り立たなかったが
私が私を見つける、認める、ことで、
他人に隠さなくてよくなり、
対人恐怖が弱くなった事は否めない。

その対人恐怖について、加害者的なことを先走りして勝手に人に言われ
決め付けられた。
私の心がわからない私は、もうろうとした。
パニックになった。
そこまで自分をわからなかった。わたしがいた夏。

気がつけば治る。
それまで、どれだけ振り回されないかが鍵。

  • [101]
  • 嫌な事はいや

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 6月 2日(日)08時44分15秒
  • 返信
 
嫌な事は嫌だといったはず、

でも受け入れられなかった。
こうだから、こうでしょう。。

それはあなたの気持ちでしょう。
私の心は、どんどん奪われた。
嫌な事は嫌だといっても
自己嫌悪に陥らない術も学んでいる。
忙しくて、
潰れそうになる。

楽しく気ままに
生きられたのなら、後遺症なんて
精神科なんて
関係なかった。

  • [100]
  • 心を解き放つ

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 6月 2日(日)08時40分10秒
  • 返信
 
過去を忘れ去り、
すべて負の心を一旦忘れ、
心のままに、心を解き放つ

誰のためでもない
自分の為に生きてみたい。

楽しければ笑い、哀しければ泣いて
素直なままに
息を殺すのを止めたい。
心を殺すのを止めたい。
何よりも自分に正直でない時に、今正直に生きてないぞと
自分で気がつきたい。
ときどき、長年の縛りの人の顔色優先の人生を送ってきたばかりに
すぐ自分の気持ちが見えなくなる。
そして、見えなくて苦しくなる
楽しくできる毎日が、私には楽しくできない。

だから、心を解き放つ
そのままの私を許してくれなかった世間に背を向け、
欲しいのをほしいと言い、したい事をしたいという。
自己主張を悪いものとされ、
できなかった、できなくなってしまった。

自由気ままに
出来れば、緘黙の後遺症は良くなるはずだ。
自分の心が見えなくなる苦しさは、鬱に直結している。
一人で居たい時に一人で居て。
人に合わせないのを、これから学ばねばならない
自由の権利。
ここが行きたい、あそこが行きたいという時に、
許してくれるならば、
言いたい放題、言えば治るかな。
カウンセリングも終盤で、
少し進み過ぎたようです。

自分の心に正直にしばらく、何とか眠れるように。。
ここ最近眠れづ、嫌いな睡眠薬を飲むようになりました。
でも、
変われた実感はある、
今はまだまだ不器用で、でも去年よりは意識がもうろうとしない。
しっかりした自分がいる
それだけでも、カウンセリングの効果を感じている。

  • [99]
  • ぶりかえす

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 6月 2日(日)08時24分37秒
  • 返信
 
電車に乗る事が多い。交通手段が基本的に徒歩なので、
段々電車に乗る苦痛にも、工夫が出来るようになって来ました。

先日、私鉄の電車の中の女性同士の会話が聞こえてきたのです。
細かに、感情豊かに、情緒豊かに、自分の細かな感情、感覚を踏まえ
リズミカルに話す。その話に、耳を奪われました。

言葉とは、心だ。
私にどれだけのこの心の中の感情を表す言葉のスキルがあるのだろうか?
普通に話してきた人は、感情豊かに表現するから、豊かな人に見える
魅力的だ。
わたしは・・・
スキル上でも、極端に数が少なく。無に近い・・。
今だって、心と言葉が直結し、生き生きとしていられる相手に出会えているだろうか、そして、そこから心が生まれ、言葉とし、発せられているかどうかを
考えた。
千のスキル、それ以上無限大のスキル・・
を普通に話してきた人に感じた。

じゃあ、相手が1000としたら、私は?80か60だと思った。
自殺したくなった。笑
対人関係の経験も少ない、やり取りも体感してこなかった。
親近感が他人に対して持てない私になってしまった。成り行きで当たり前に
そうなっているのだと自覚できた。
諦めようか?
人によっては、自殺に値するだろう、もう取り返しのつかぬ・・得られるものが
少ないという現実。
思い通りにならないとう現実。
それを受け止めないといけない。。現実

それから道がみえない現実

これからつまらない事ばかりが続くだろう。
少し鬱がぶりかえし、不眠が続いてる。

また、私の心が見えなくなってきた。
もう言葉は諦めよう。
しばらく・・

カウンセラーには、沈黙はできますか?と聞かれた。
それも・・できないんです。

あなたは、嫌だという思いをわかってもらえず
ただ相手のいいなりにする事だけ、自分の心を無視する事だけは
人よりとても秀でているのにね、
自分の思い通りには、いつまでたっても・・。

努力・努力の人生だった。
誰よりも、話すことや人に関わる事、仕事のこと、
嫌でも我慢し続ける事に対して努力してきた。
何一つ楽しい事はなかった。
評価されることも、満足することも・・。
人に比べれば
なんて損な人生なんだろう。

言葉以外での、表現の仕方はないのかなと
思ってる。
緘黙はありきたりな病気ではない。
精神業界でも理解されていない。
そこで無駄な時間を浪費してしまった。
反省が私にある。
自分なりに生きてみる。

みなのようになりたいけど、まだなれない。
だったら、
ありきたりでない、表現で
自分を見つけたい。
希望を失えば、私はまた鬱になって寝込むだろう。

  • [98]
  • いきなり来た

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 5月24日(金)08時38分56秒
  • 返信
 
カウンセリングが進むと、いきなりきたモテキ。
もうすぐで恋愛ができるようになります。と言われたので、
少々まだ早い。
どうしてそこまでカウンセラーはお見通しなのかも、私にはわからない。

当然、私を嫌ってる人には全くモテない、相手にされないのだが
なんだかモテキがやってきた。
一機に来るもんです。
私が変ったら世間も変るのだな~と改めて思う。
再婚したいから付き合って欲しいという人も出てきたし、私自身がすきだな~と
思う人とちょっとだけ付き合えるようになった。
心のままに、いきる
何が自分が欲しいのか見極め、狩に出る。人付き合い以外でも、何でもそうしていたら、いきなりモテキが来た。
自分にはできない~と決めつけていたけど、何でできないとおもうの?と胸の内に聞いてみるとただ、臆病な私がいた。思い込みじゃないの?やってみたら?
と答えがでた。
心が変れば人間関係も変る。人が寄ってくる。
なぜなのだろう・・・。

どこまでやれるかわかんない。どこまで何をしたいのかもわからない
でも、やっと冒険できるときがきた。
少し危ない?と思っても、傷ついても、大丈夫。

  • [97]
  • 世間話は最終目標。恋愛はもうすぐデキル

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 5月24日(金)08時22分46秒
  • 返信
 
カウンセラーには主に、人間関係の作り方の悩みや誤解の悩みの解決に
ついて相談してきたように思う。私自身をカウンセラーに分かってもらう事も含め、関わってきたように思う。
私がどういう人間か、さえ親にも分かってもらえなかった。緘黙や家庭環境が
邪魔をし、私っていう人間が、生半可なまま、育ってしまった。

魔の二歳児というのがあるらしい、可愛くて仕方ない時期だそうです。
可愛くて仕方ないけど、動き回り、親は大変だそうです。
私の魔の二歳児は、保育園に預けられる年でした。。。信じられない、一番かわいい時期を預けてみてもらい見たいと思わないなんて・・と思います。
まるでモノのような、産んだら、ちょっと世話やけない、仕事が忙しいから・・
保育園に預ければいい。
という。発想というか・・。

保育園に入りたくなかったのです。私は。。まだまだ、親にずっと見ててもらいたかった。
愛が足りなかったのです。多分。。
私の場合はそうで。とても、心細く、とても哀しくて、周りを拒否したような覚えがあります。哀しすぎて、口を開くと泣きそうでした。
とても心細い、その感覚は今でもあります。

それなのに、満面の笑顔で保育園に通わせる母に・・。私を見てないなと更に不安に心細く思ったと思います。
母は慣れれば、黙って通うようになるだろう、という思いで、私の心の内に触れる事ができない性質だったと思います。
母も可愛がる事がどんな事か、わかってなかったんじゃないかと思います。

愛が満タンでなく、私はそこから挫折しました。
安心感もなにもなく、私は愛されてるんだ大事な存在なんだっていう、確信もなく
ただわかんないところに放り出された感じがしたし、実際そうだったんだと思う。
まだ保育園には未熟で通えない私を無理やり入れた形だが、母にとってはそうではなく、扱いにくい子供だったのだと思う。

思うとおりにならない、思わない。子供。慣れればという、のは、拒否を一切
拒否されている。
なれる、そこに行き続けることだ。
こんな嫌なことを散々やらされて、本当にしたいこと、母とのふれあいであったり
楽しい時間であったり。安心感であったり・・。

それをぶち壊すものは、父の罵声や、母を取り合う姉や弟の存在でもあった。

今日も眼を覚ますと、
ものすごい落ち込みようだった。
なんでそんなにネガティブなんですか?と弁護士に聞かれた事がある。
なんでかな~
心理的に言えば、親に愛されなかったからじゃないかな。安心感がなくいつも不安なのに歩かなくちゃいけないからじゃないの?
とは、応えなかったが。

親から認めてもらえない、まるごと愛されないというのは、
何度かやり直しの時期がきたと思う。
会社に入社して、だいぶ経った頃に、私は母の背中に抱きついた事があった
そうせねば、もう自分がダメになってしまうと思ったから。
抱きつける人は、母しか居なかったし。
すると母は、無言で、体を揺さぶり、私を邪魔!という感じで自分の体から切り離したのだ。
拒否、無言、会話なし、何も聞かれない、

私の何をわかっているというのだろう?
聞いて欲しかった。
どうしたの?
何かさみしいの?大丈夫?

そんな事を聞ける母なら、私はこうはなっていなかったのかも知れない
ずっと私の心を無視というか、人の心に鈍感な母だった。

緘黙の私には、世間がなく、家庭しか人間関係がないんだと思っていた。
だから、そんな家族や家庭でも壊したくなかった。
私の何がいけないのか、私は母から認められなかったし、愛されなかった
本質をわかてもらえなかったし。劣っていると思われていたと思う。

もっと三歳や、十歳になるまで、ずっとくっついて温かい愛情を注いでくれたら。
そのまんまの私を受け止めてくれたら、
心理的にわかる、母はずっと私を受け止めてくれず、嫌われていた。
母の欠点と私の欠点が似ているからだと思う。
母も、本質は言葉で伝えたりするのが苦手で、シャイで、劣等感があって、自分を大切にできない人で、人の評価ばかりを気にする。そのくせ、負けず嫌い。
愛情という世界とは程遠い、できるか、できないかの世界を好まざるを得なかったのでは。

だから、できない私が嫌いだったのだと思う。自分の欠点をまるごと持って生まれたような私が。受け止めきれなかったのだと思う。
好かなかったのだ。
でも、子供の私は、母から好かれなくて、それがすごくわかって不安がずっと今のいままで続いている。

母が自分の劣等感を克服し、自分で自分が楽に生きれるような人になっていて
それで生まれた子供が私であったのなら、私は母にもっと十分に愛されただろう。

劣等感や、愛の枯渇を、見ようとせず、
ただ子供を生み、ふれあいもせず、保育園に預けたのが母だった。

カウンセリングでは、世間話が最終目的と言われている。
私は、世間話が出来ない。
慣れというが、?だ。世間話をしてるフリはできる。でも、手に汗がでて
体が緊張し、無理に笑顔を作る。
だから、疲れてしまう。
フリではなく、本当に世間話ができるまで、カウンセリングを続ける。
心からの言葉が出てくるまで、まだ時間がかかる
心と言葉が一体になるには、まだまだ私は言葉を発するときに違和感を感じる
一日黙ってていいよと言われたら、どんなに嬉しいだろう。。
緘黙に戻りたいときもある、自分の心を無視して話してる、一致しない感覚。
話せば話すほど、自分の気持ちとかけ離れてく。

恋愛はあと少ししたら、出来ます。
そうカウンセラーに言われた。
40半ばにして。やっと、子供でも恋愛をしているのに・・・
やっと本当に心と直結して出来るようになる。。
そうです。
言葉と心の一致。
言葉への劣等感。緊張、疲れ。
それらが取れるまで。

スピッツの夢追い虫という曲があるそうだ。
削られながら、夢を追う。という詩がある。
あちこちが、傷だらけになりながらも、
夢を追っている。
だいたいの人が、なんの苦も無く手に入れている話すという事を使いこなして
らくらくにしてる話すという事を。
私は、傷だらけになりながら削られながも、手に入れたいと思っている。
愛情も満タンになったら、話すという事ももっと苦痛ではなくなってゆくはず。

  • [96]
  • 生半可な理解が人を傷つける「わからないという事をわかる」

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 5月16日(木)07時32分10秒
  • 返信
 
どれだけ分かったと思っても、分からないのが他人です。

分かったと思っても、人の事は本当に分からないのが人間です。
私の周りに生半可な知識の、素人作業所スタッフが集団がいます。
病名で、人を判断するな!と心底おもいます。

緘黙はわかっているのか?と・・・憤る私。何も知らないで病名をつける精神科医
それをみて対応する福祉スタッフ
一体、私はどこに~~~??どこにもいないんですよね。誤解されたまんまの私しか良い誤解ならよいけど、、変な誤解はね。

仕方ない、理想的な作業所などない。と思ってます。
誤解も誤解のまま、ちょっとハートがびりびりとヒビが入りましたけど、プライドを傷つけられてね。
でもいいです。自信満々結構!ですねー
今回、ちょっとスタッフの言動に疑問を感じ、あまりいじらないで欲しいな~~と
おもった私でした。
なお、そのことについては、話し合っても仕方ないなと思ってます。
誤解は受けたまま、傷ついた私がそこにいる、それだけでいいのです。
だってわかったつもりでいる人にわかってないと言っても伝わらない事が多いから
どこまで行ってもわからない事をわかる、わかるなんて有り得ないんだ人の事なんて、
自分の事さえわからないのに。
でも、自分で自分の傷ついた心が分かればいいんだよって
自分で自分をなぐさめてます。
私が学んだ事は、人を決め付けない事、必要以上に入り込みすぎてその人を
潰さない、支配しない、上に立たない・・意識くらいかなぁ。。でも大事だよね。

  • [95]
  • 主治医はよく選ばねば。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 4月 2日(火)14時03分1秒
  • 返信
 
解明されてないと言っても、
主治医は選ばないと危険な事になります。
私なんて大打撃でした。女性の30代Y医師・・。この先生が、長年
居続けたことで、無理解の中、私はうつ病になりました。
それまでうつ状態だったのに、体から元気がなくなり、腹から力がぬけて
ひょろひょろで、、その女医が無理解で、相性が合わなかったせいで、私は
長年うつ病では無かったのに、なってしまった。
うつ状態と、うつ病の違いは、うつ状態は体力があり元気で、鬱々とした気分がああります。
うつ病になってから感じたことは、体力と=で体力がなくなる。腹に力が入らない。思考が止まる。体が動こうと思っても動けない。とにかく、体力が無い。
いつも疲れてる。

Y医師の事は許せないを通り越し、どうでもいい。どうせ、開業したって
患者から愛想をつかされるだろう。
何か克服しようとして精神の道に進んだのかも?でも、やはり合ってなかった
人の気持ちに無頓着、無理解。おまけに冷たい。謝らない。
立派な病気だわ~~。
あまりにも酷い事をされたので、訴えるといったらやっと主治医を変えてもらえた。
今の主治医は、人間的でちゃんとコミニケーションが取れる。
私は、その前の女医のことをアスペルガーが入ってると今でも思ってる。
今まであんな先生に会った事は無かった。
数々、色んな先生に診てもらってきたが、あのような感情が鈍磨してコミニケーショんが出来ない、話してて変な感じがする先生は皆無だった。
やたら不安になった。
それでいざこざで疲れ果て、病院に行くのも恐怖で、癒される事なく、
不安が不安をよび、かつ7年の月日が・・うつ病を発症させたと私は言える。
腹が立つ。
腹が立ちすぎて、もうどうでもいい。人の心を助けるお勉強をしてきて、
大失敗してる先生というのは、おかしな存在で何もならない、ならないどころか
加害者になってる。
先生選びは慎重に。私は今の先生で十分。ほっとしてる・・。
向かない仕事を選び、患者に死を考えさせる精神科医ほど邪魔なものはない。

  • [94]
  • 緘黙は解明されたのか

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 4月 2日(火)13時30分42秒
  • 返信
 
緘黙が原因も治療方法も、後遺症も何も確実に解明されていない以上。

それによってどのような後遺症が起こり、どのような病名になるかというのは
不明ではないか。
原因も、その病名さえも分かられていない。
虐待だけでなる人ばかりでもなく、緘黙の年数も人それぞれ。で。
表面的に現れた症状だけで、現存の病名をつける事は危険性がはらむと思う。
ないのだ。
きっと、緘黙の後遺症につく病名など無い。
いまは無い。
でも、どこの病院へ行っても、それを研究している所がない。
私はカウンセラーに長年かかる事で私という人間を分かって知ってもらって、
それから段々と自分が分かるようになってきた。
カウンセラーが言ってる事の意味も、私が表現がとても下手で人に誤解を与えやすく、かつ、私自身もかなり他人に対して警戒心が強い人間だという事も、
段々と分かってきた。
既存の病名は緘黙にはつけないで欲しい。と私は思う。
原因がちがえば、理解も違い、間違った解釈で患者を解釈してゆく医者は
時に患者を傷つけ、何の役にも立たず、そこにコミニケーショんは存在しない。
その無駄な何年をかけるのは、とても損失であり、
つらい子供時代を送って、人生をやり直したいと思ってる私のようなものの
足を引っ張る事にもなったと思う。
それを思うとやり切れない。
でも、自分で考え、自己分析と勉強を繰り返し、いつも何かに気がついて、試行錯誤を繰り返し、自分をわかりたい。不安を解消したい、自信を持ちたい。
いつになれば・・の私の困惑の繰り返しの、うつ状態が。
答えを出してくれると良いと思う。
答えがない以上、どこに行ってもダメならば、自分で見つけるしかない。

自己表現をするのがとても苦痛ではありますが。
私の主治医は私。
克服の道は自分次第で決まる。まだまだ頑張らねばなりません。
春だから温かくて、勉強と作業通い以外は、ほとんど疲れて寝てしまうので
調度よい、たくさん眠り、疲れを取りたいと思う。
もっと自分を甘やかしたい。

  • [93]
  • うつ病が長引く場合、ちぐはぐな暴言について。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 4月 2日(火)13時12分8秒
  • 返信
 
患者会から七年離れてる間に、私が何をしてたかと言うと、
契約社員で働き、仕事は充実するものの、結婚が上手く行かず、相手にも
精神的な問題があったのですが、離婚に至ったり。

1人で悩んで何とかして精一杯で、患者会などというお付き合いの世界に参加
する余裕など、まったく無かったのですが、

久しぶりに参加すると、まるで昔のそのままのように話しかけてきて、いささか
ついてゆけず、話もそこまで聞く?というような突っ込んだ話やらで。
ズレを感じてました。
そもそも病気になるような人は、器用なタイプではないと思います。
私もそうで、みなもそうで。

で、
その男性のちぐはぐな発言や暴言に、いまだに憤りを感じ、どうやって顔を合わせたらいいのか、わからない思いも、うつ的に私をさせていて悩んでます。

ネットで、調べたところ長引くうつ病や暴言やキツイ言葉などの連発は、
うつ病ではよくある事のようです。
全く言わない人もいるので、元々その人が持っている特性のようなものは
あるのだとは思うのですが、
寂しい、虚しいから、キツイ言葉を吐くのかも、イライラして、どうしようもなく
感情が鈍感になり、言ってよいこと悪い事の区別がつかなくなるというか。
そうらしいので、腹立つ重いも、その男性のうつの症状と納得しようと思います。
わからなくてイライラしましたが、。

それと、
緘黙の場合ですが、私は実の父の怒鳴り声や、暴言、嘲笑、いじわる
身体的でない虐待にあってきたのですが。
子供の頃にそのような虐待に合うと、脳事体がやはり成長が止まるというか
神経伝達物質や、刺激に異常な反応を示す事になるのだと思うのです。
だから、
もうその傷を負った脳を修復する事はできず、思いのほか、重い、治りにくい
バランスの悪い脳、つまり病的な脳になると思うのです。
それならば、自分の精神的な努力や訓練だけでは、中々脳に自分が打ち勝つ事は
できないのではないか・・。
私の場合は二才から、18歳まで緘黙でしたので。その間、家庭で虐待等がありましたから。
治療不可能に近い状態なのだと思ったのです。

三年前に交通事故にあいまして、相手方が90パーセント以上悪く、
軽自動車は横転し、車は廃車になり、私は横転した車の中でもう死んだのではないか?とぐるぐる回転する中で思いました。
でも、内臓は大丈夫でした。
しかし、相手方の老夫婦が無保険で、無責任な方だったので、荒々しい言葉を
はかれ、挨拶にも来られなく、廃車になってしまった車で帰れず、
どうするかも、自分で決めねばならなかったのです。

その後に、車代等は払わせたものの、相手方の誠意の無さ。金が欲しいんだろ!
との暴言。。
そのような事を言うのなら、保険入っとけ!と私は内心思いました。
お前なんかと話したくない、首がむちうちで上げられず、何もできず、弁当を買って部屋は荒れ放題、少しは手伝ったらどうか?

などと、思いました。
それから、車で走るのが怖くなったのです。
いったん、スイッチが入ってしまうと、怖くて怖くて仕方が無くなり、
それまで高速を走っても平気で運転は好きな方だった私が、高速を走ったら
いきなりパニックになり、怖くて怖くて、ハンドルを握ってても、ハンドルが安定せず、ふらふらな運転になって、とてつもない恐怖を味わい
つかれきりました。

トラウマ。
もう私の脳は治らないかも知れない。私は治らないと思ってる。
だけど、できる所まで回復したいだけ。それは諦めないし、自分の人生も必ず
納得いく形に進めていくつもりで。
脳は治らない。
心の傷の修復は、慣れだけではどうにもならず、ときおり襲ってくる悲しい思いと
不安の原因は、薬だけでもどうにもならない。止める事はできない。
気分転換を図り、ああまただなと耐える事は上手くなった。時間がくれば、その思いは薄れる。
それは慣れた。
これらを緩和するには、やはり薬の力しかないのだろうと私は自分の調子をみて
思う。
薬なんて飲まず、精神的な鍛錬により、或いはリラックス、本を読む、人生勉強などで、克服しようと思っていた。
だけど、ちがう。
やはり、器質的な脳の変化が多分あるに違いないと思う。
でなければ、私が時折むしょうに悲しくなったり不安になったり、耐えに耐えた人生だったが、それでも耐え切れないほどの思いが、まだ残っていて襲ってくるのは
理解しようがない。
脳の気質的な成長の遅れ、変形。
そのような原因が必ずあると思う。では私はどうするか、何ができるのか、
仕事に行き始め、このような悲しみ、不安、どうしようもない苦痛の気持ちを
どうやってやり過ごしながら、仕事を同時にするか・・・を考えると、
もう薬漬けしか無いのだろうなと思う。
睡眠薬を飲み、不安と抗うつ剤を飲み、脳が小さな刺激にも動いてしまうので、
とても疲れやすい心と体を抱えながら。
仕事ができるだろうか。

私はここまで自分で考えてきたし、実際、こういう風に自分の体と心を使って
追求してきて、結果を見てきて、まるで実験のように、たくさん本を読み、調べに調べて、実生活で気にかかったことをノートに書き、また調べる。

余計なものは要らない。
そこまで殆ど解明されてない。なのに、そこまで到達していない医者やら
福祉関係者が、あれこれ上からレッテルを張り、決め付ける。
それは人を潰す事がある。
私も潰れそうになった。何年も悩んできた。
なんとなくちがう。。たくさんの周り道をして、自分が仕事をやったり、やめたときの心境やら、会社にいきたくない時の心境や苦しさの意味を、抱えて考えてきた。
わかりたかった。知りたかった。

考えるばかりの毎日。調べるばかりの毎日。
でも、脳や心を何とかせねば、何をやっても、気楽な生活は送れないと思った。
どこで満足するか、どこで落ち着くか。
今はあと少し、考えが及ばない。
でも、順調に自分なりに、答えは出てき始めていて。私のカウンセラーとも
息が合うようになってきた。
口で自分を説明する事は、とても苦痛だった。口が動かないし、苦手な表現を
しなければカウンセリングは出来ない。
話すのが嫌なときの方が多い。緘黙なのに、いまになって、苦手な事を克服しながら治療を受けるのは、とても疲れる。
だけど、あきらめない。あきらめたら、完璧じゃない人生だったけど、それすら
捨てなきゃいけなくなるし、
自分を捨てたら私は生きていけないと思う。
元々気楽には生きていけないくらいに、悲観的な心配性な人間だから。
これからは、
心の鍛錬や、訓練、慣れと言った事とは外れた方面で治療してゆきたい。
ひたすら分析し、脳の構造の問題として、緘黙を捉えて、そして後遺症を考え
どうやったら、それと共に生きれるか。
うまくやっていけるか、自己実現の方法を確立し、自分にあった程度の生活の
青写真を確立し、それから、その道でしあわせになりたい。

人はみんな、優しさを求めてる。
私にどんなに辛く当たる人間さえも、自分には優しくしてもらいたいと思ってる
という事は、その私を馬鹿にして侮辱した男性も、
ちっぽけな弱い、傷ついた人間というだけで、特別、意識的に私を傷つけようとしたとは考えにくい。
そう思うことで、何とか許せる気持ちになった。

  • [92]
  • 私に2時間、暴力を振るった男

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 3月31日(日)18時59分25秒
  • 返信
 
20代後半の時に知り合った男性で、

知り合って一ヶ月もしないうちに、私はこの人は性格が酷すぎるから
何事もなかったように早めにすぐにでも別れようと思った人がいます。

相手の思うとおりに私はならなかったので、相手は不満だったみたいで。
私は関係も浅いうちに、お付き合いを切りたかったのです。

そうすると、何かと今まで自分に冷たくした彼女をいかに
制裁を加えたかを話し出したんです。
内容は犯罪そのものでした。

そして、私は車の中で軟禁状態にされ、
逃げ出そうにも力で取り押さえられ、ボコボコに殴られました。
2時間ずっと、殴られました。
自分の思い通りにならない私、別れようとしてるのが
気に入らなかったのです。

そして、後で聞きました。
「もっと、精神的な病気を酷くさせて、ボロボロにしてやろううと思った」
鳥肌が立つ思いでした。
このような、精神的に弱く優しさの欠片もない男性はいる。
でも、犯罪行為までしたり、精神的な病の相手を、精神的にもっとボロボロに
酷くさせてやりたい、病院送りにさせてやりたいと
本気で彼は思ったようでした。

はぁ~
なんて、なんて幼稚な。なんてなんて自己中な。なんて傲慢な
なんて愛するとは程遠い行為なのだろう。
なんて人間ができてなさすぎなのだろう。
そんな事を考えるんだ。
残酷だ。
と思った経験が私にはあり・・・

この患者会の幹事さんのことがひっかかって仕方がありません。
精神的な病の方には、
歪んだ思考になってしまった人もいる、長年の闘病で
何が正しくて何が間違ってるか。
やりすぎか、そうでないか・・常識的かそうでないか。

自分のやってる事がわかってないのではないか
それとも何かの敵意の裏返しのようなものも
あるのかも知れないと私は思う
じゃなきゃ、うつ病になるだろうか?

攻撃性が自分に向くのがうつ病で、他人や社会に向くのか自分に向くのかの
違いだけで、
怒りがそこにあると思う。
それが私に向かったのだ。
相手がどうなっても構わない、自分がこんなにツライのだから。
自分可愛さもいい加減にしないといけないと
本当に弱い人をみて、おもう。
ちなみに、私は入院しなかった。鬱になるのもならないのも、今は気力だと思う
私が寝込んで、
喜ぶような男性は必ず人格的に曲がってるのだが、つまり相手を幸せにできるような人では今現在ないという事で。
それらの為に、精神的に弱いからと言って、寝込むものか!と強くおもうと
案外、寝込まないでいられる、
今のところは、あんなヤツのために寝込むかと思っている。

人というのは自分可愛さで、他人に対して思いやりのない
事をする人がいます。
鼻で笑ってしまいます。精神的に弱い男ほど、そういう変なやつがいるし
そういうヤツと出会ってしまったのも、
私の精神的な脆さだったのだと思います。もう1つ言えば、社会的な経験というか
人間関係の経験のなさや、自分への自信のなさが招いたものであったと思う。

  • [91]
  • 戦い

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 3月31日(日)18時41分6秒
  • 返信
 
すごくツライ。

何がツライって言うと、涙が出そうなくらい、患者会のうつ病の幹事に
どうしようもない努力もしない人間で
魅力的でないと、後は、酷い言葉の数々・・

メール好きですか?
その答え、
バカにするな!でした。へっ?と思うでしょう普通。

えっ何ですか?バカにしてなんていません。
どうしてですか?
普通、一般男性は生保者を恋愛対象としない。
そーですか・・。はい

でも、わたしはあなたにメールは好きですか?と聞いただけですよ。
確かに、メールするぐらいだから、好意的ですよ。
ですが、メール好きですか?です・・

その答えが、
バカにするな!・・・・・・・・人を嘲るのもいい加減に。しましょう。よ。
それをあなたがメールで言われたら?やられたら?
あいてをどうでもよいと思ってるから、やれる事じゃないですか?
その試し行為は。

わたしの事嫌いになったでしょ?
普通一般男性は・・何も努力をしない人は・・などと、続いたのです。

俺はお前とメールするほどの男ではない、バカにするなという意味だったようです。
そんなだから、奥さんに捨てられるんだよっ!
いきなり、自分が起こした裁判で勝った途端、出て行ったそうです。

わたしは、自分が久しぶりにあい、相手も変っただろうし、私も当然変ってる
それより、相手というものが、わかってない。はずと思って接してました。
当然そうです。
10年近くもあれば、人は変ります。
それが、何かわたしが仕事をしていない、生保を受けてる状態に特別何かショック
だったようで。
それが何なのかわたしには、わかりません。
作業所も毎日通ってるのか?と会った時に聞かれたので、毎日は行ってないし
そしたら、何か愕然としたガックリした表情に変った。

その言葉のDVでわたしはとうとう、寝込んだ。
寝込むとは思わなかったが、うつは突然襲ってくる。
気力が消えてしまう。

それが、その相手がわたしが回復してから、
「もっとへこめばよかったのに、」つまり、もっと気落ちして寝込めば
いいのだ。
とメールでよこしたのだった。
この方が患者会の幹事をやってるんですよね。。。

なんて、人の心の痛みがわからない人間なんだとおもって不思議でした。
自分だってうつ病でしょう。
寝込んだ事もあるだろう・・

この人は自分が一番がんばってると思ってるんじゃないかと言う答えに
到達した。
病気なのに仕事して自立してるんだから・・あなたもできないわけない。
努力が足りない。
自分の立場を考えろ、何で生保なんだ、なんで人の税金で食ってんだ。

だったら、一番質素な楽しみも何もない生活をしたらどうですか?
空き缶を拾ったら金の有難みがわかる・・・等。

の侮辱の羅列。
人を大切にしないで自我そのままの自己中な様。ありよう・・。
に何て傲慢な人でなしなんだろうと思ったが。
許すことにした、
そんな軽薄な人間を相手にしてる暇はない。
だけど、うすっぺらだな~~

ちなみに、
わたしの犬猿の中の姉が正社員で勤めてるところの
子会社みたいなものなんだけどね、彼の会社は。

出向っていったって、
そもそも、そこの会社は人使いが荒いんで
仕事のなすりつけあいなんだって。
その会社に、子会社で出向したら、そりゃ荒い使われ方をしたので
恨むのも仕方がないかも知れないですけど。
所詮、
子会社ですから。

裁判がすきな方で、裁判に勝ったら奥さんが出てったなんて笑い話だ。
それくらい、嫌われていたのだ、憎まれる何かがあったんだ。
わたしと同じように・・・わたしはただの知人ですけどね。
人間破壊だよ。あれは。
何かと言うと、警察か福祉課に相談するだって、
ばかじゃないの。
自分で何とかしろよ、と思う。
臆病な証拠で、すぐに人に頼る。
守ってもらおうとするのに、人を散々口で傷つける
バカにする。
やった事を考えたらいいのにと思う。

鬱にならないように、
うつ病患者でも、相手のことを落ち込ませて
ああ、勝った自分は強いなんて
勘違いに思ってる人間もいるって事で、そら恐ろしい。
その人自身が曲がってるから、冷淡だから、
中身の中心が、
表面的によくても、心は薄ら寒いそのままだろう。

  • [90]
  • 緘黙の初歩的で単純な原因と言われるものは。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 3月31日(日)08時09分42秒
  • 返信
 
私のカウンセラーは臨床心理士ですが、

最近、大学院を出て、臨床心理士になった方に
緘黙の事は大学院で学んだかを聞く機会がありました。

どの程度の認知度か?学んだか?聞いたか?
どうやって教わったか?

答えは、深いものでした。一言では答えられないですが、
さわった程度ですよと、
ひととおし、目を通す程度・・
それを研究したり、心理的に解明してゆくと、それはそれは深い世界に
なるみたいです。
ですが、それを深く研究して、何の得になるかと言えば・・。
あまりお金になりませんね。

私のカウンセラーも、多分、分からない世界だと思います。
私と意見のすりあわせと、ご自分の知識、カウンセリング理論に基づいて
分からない緘黙経験者との話しを理解し、
そして私が自己実現と病気の回復の為に個人的な理解とアドバイスをしている。
お金という報酬があるから、できるのだと思います。
あとは、カウンセラーの思いですよね。仕事として、成り立たせる。

世の中には、偽者カウンセラーが五万と居ます。

話しを元に戻しますが、
緘黙の初歩的で単純で、根本的な原因は、

幼少の頃の何者かからのイジメ体験だそうです。
脅威、に耐える。
体験する。インパクトに遭遇したわけで。

幼少の頃のいじめ体験、脅威な存在による傷つきは、
大人の何倍ものショックがあるそうです。
それだけ、とても深く根幹から傷つき、
その人を変えてしまうほどのものだと言う事らしいです。

幼少の頃の息を飲むほどの脅威を受ける体験が何頭あり、
息を飲んで、耐えた。ストレスを受けた。
その体験が緘黙の初歩的な原因。
多大なストレスで、抱えきれないものが、黙ることで耐えようとする
息を殺す、
幼少の頃の、大人では考えられないようなショック。
は一生を左右するには十分だという事です。

頑張れば何とかなる。
努力が足りない。
同じ緘黙の人でも何ら普通にやってる人もいるじゃないかは。
あまり意味のない言葉です。
責めさえします。
と、考えます。

そうかーと思いました。
でも、これが私。
私は私。捨てようとおもった人生を、また拾って生きるのって
新鮮では無いでしょうか。
悔し涙を心の中で笑いに変えて。
幼少の心の傷と向き合い、ショックを受けるつど、そんなに辛かったのかと
そんなに傷ついてるのかと、自分の心に問う。
そして、自分の子供の頃の傷を受け止める。
そして、今、五体満足でない心を持ちながら、それでも鍛えて生きる。
それでも、それでも、それでも。
あきらめない。

人生というカードを手渡され、いざ歩き出したら
スタートしたら、石につまづいて、倒れて怪我をした。
その怪我の後遺症で、
遅くしか、歩けないかも知れないけど。
痛くて、仕方がないけど。
誰よりも辛い経験は、何か得るものがあると信じて。

何も喋れなかった私が、笑えなかった私が
笑ってる、話してる
全て恐怖克服の努力だった。

まだまだ、周りの基準には満たしていない。

  • [89]
  • 話すこと

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 3月30日(土)17時48分37秒
  • 返信
 
話すことが辛くて考えたところ、
ふと思い浮かびました。

たとえば、何でもいいから話したいことを聞かして欲しいから
思い浮かんだことを喋って!といわれたら、私はどんどん話すだろうと
思うのです。
この掲示板でもそうですが・・・。湧き出るから書きこんでます。
無理にじゃなく、思いが湧き出るので、伝えたい、知って欲しい。
緘黙の認知、生きてきた証明といっては大げさですが。
何も残せないのは、いやです。
こんな苦しい思いを、人とは違う人生を五体満足なのにしてきて
いろいろジレンマがあります。
病気を知ってもらえないと、私のことも知ってもらえないようです。

で、どれだけでも浮かんだ感じたことを話してよいと言われて興味深く
聞いてくれるのなら、私はどんどん話せるのです。

話したいこと。
話さなきゃいけないこと。とは違う。
話したい、話したい、ことは楽に話したい。どんどん喋りたい。
だけど、強制・・
何度も聞き返され、無理やり口を開いて喋る伝達が、苦痛。

話したいことだけを聞いてくれる人に話すときに
別に苦痛ではなく、むしろ楽しいのです。
不思議・・・。
私の場合は、実際話してることと想いの間にギャップがあるそうです。
これもかうんせらーに言われたのですが、。
だから、辛いのでしょうね。
自分の本当に思ってることを言えるのなら、苦痛ではないはずですから。
ぱっと頭に思ってることが浮かばないのですね。
タイミングがずれます、とてもおそく自分の思いに気がつくことがあるようです。
たった一回の人生、欲しいものをぐんぐん手を広げて勝ち取れるようにしたい。

  • [88]
  • いつもでも心は冷静に。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 3月27日(水)10時13分3秒
  • 返信
 
書いてると分かる、

やっぱり、どんな事を他人が言ってもしても
心は
冷静に、距離を取って
誰かが傷つけるような言動をしても、
無関係・・と思えるような訓練を。
いつでも心は冷静に、表情は豊かになれるよう努力したい。
少しずつ、それは
手に入れてる実感があり、自己受容が段々と出来ている。ということは
ベースは脆いなりに、あるという事。
いつでも、心は冷静に。
そう、誰にでも生きる事は大変だ。

  • [87]
  • 自分を責めてしまう。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 3月27日(水)10時08分45秒
  • 返信
 
自分なりの方法で、
患者会の幹事の酷い行動を、わたしは表現した所・・
カウンセラーから、いけない
と。
これこれこーだから、これはやめておいた方がいいと。

それと、あまりにもその幹事が言った事は
ひどすぎると。
よく知らない他人によく言えたもんだと。やはり、病気だからじゃないのか
にしても、いけしゃあしゃあと
喋れるもんだ。
わたしだから、言ってもいいのだろうか。考えると腹が立つのでやめておく。

でも、自分を同時に責めてしまってる
やめたい。
誰でも人に迷惑をかけながら生きてる。
そのわたしは1人だ。
そう思い込もうと思う、自意識過剰なので、自分をより責めてしまう。
何か1つでも、落ち度があると分かるとせめてしまう。
どうしようもない。
から、わたしも迷惑をかけてる一人と思おう。

誰かが言っていたが、
普通になれなくても、これが自分だとベストを尽くせばいい。
自分を受け入れろ!
他の人に気を配り、気をまわし、手伝いのような事をしていけば
普通に親切にしていけば、いいのだろう。
その前に、誰もわたしに話しかけてくれないと思いが湧き、悲しくなる
恥ずかしくなる、そこにいたたまれない。自意識過剰をどうにかしたい・・。
泣きそうになる。
でも、暗示で、泣かないよう、悲しくならないよう
自分をなだめ、わたしより酷く不安な人もいるだろう・・・わたしより引っ込み思案な人もいるのだろう・・・と
奮い立たせて、
普通の人達にいつか普通に話せるといい。

普通じゃないけど、普通になれなくていい。と思うことで
スーパーへ行くにも、怖くなくなる。
不思議。
会では出来るだけ、ぼけ~~~と出来るようにしたい。
テーブルが、囲まれていて、
目を上げると、人の視線があるので、わたしのような症状があるほかの人にも
ちょっとキツイと思いますが。。
あのテーブルの設置は、社会不安や強迫のある人には、ツライと思います。
でも、ツライと思ってる自分を、
わかっていれば、その場でどう振舞えばいいのか、次第にわかるようになる。
行動のほうに目が行けば、ツライという思いの方ばかりに集中しないで済む。
そういう図式があるので、
実践で、ツライと思いながら、自分でその思いを受け止めながら
会話したい人があれば、会話相手になって、、後はぼけ~~~とする訓練を
しよう。

患者会の幹事が言うには、
わたしはちょっとの失言にも、ぎゃーぎゃー騒ぐから
人が離れてゆくらしい。。
それも一理あるが、
その前に、お前の失言癖を治せ。なんて自分勝手な
しかも、会には何年かぶりに出席し、
何もわたしの人柄を知らないはずなのに、言うのだ。

  • [86]
  • 緘黙は甘えじゃない。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 3月27日(水)09時47分50秒
  • 返信
 
最近、鬱がひどいのか何なのか・・いつも、鬱屈したうつ状態で
心細い。さみしい。

寝込まなくて済んでるのは、行動的に生活を送ってないからだ。
やりたい事をやろうとして、興味のむくままに作業所に行ったりしてると
知らず知らずに、疲労していて、
何か心にちょっとショックな事があると、すぐ傷つきうつ状態に入り寝込んでしまう。
つまり、何かストレス状態にあり、さらにストレスがかかると、気分がさらに沈み、視線恐怖や、対人恐怖、敏感、うつ状態が出てくる。

患者会で何を他の人と話したらいいのだろうと、考えてる。
幹事の言葉使いの荒さで、険悪になってしまい、寝込んだ。そのことを知ってる
会の人も多いだろうし・・。気が重い。
あなたは何の病気ですか?
あなたは何人暮らし?
どんな事に悩んでるの?
を聞けばいいのだろうか。何だか、聞いても言っても仕方ないような気がする。

笑っていても、いつか寝込むんだ。だったら努力して会話したくない・・。ような
答えが出てしまってる。
何か文句があるわけじゃない、何も求めるものが今は何も無いんだよ。考えてみれば。
ケーキの事を友人に相談すると、そんなのその立場であなただけが買ってかなくていい!と言われました。
じゃ、代りにスナック菓子持ってけばいいね。と言うと、それも要らない。
高くて買えなかったから、人数分買うと三千円以上になるから、私には買えませんでしたでいい!
と言われた。
そりゃ、そうだよね・・・。。。みんなお金払ってないのに、親元暮らしの男性とか。私には超うらやましいんだよ。寝込んだときとか、不安な時に1人じゃないでしょ。何か話せる人がいるでしょ。

はぁ~~何もかもが違いすぎる、偉そうに言ってるんじゃない。
本当に私の欲しいものを、すでに持ってる人が多いじゃん。。。ばーか。

だから、何も持っていかない。

それにしても、患者会の幹事は、私に随分と酷い事を言ってくれた。
そのせいで、うかつにも寝込んでしまった。
でも、そのお陰で、作業所通いを考えなおし、自分に負担のない生き方を一度してみては?
を今現在、試している。

努力の人生とカウンセラーに言われるが、根っからの努力家といわれるが、
努力を一切やめるのだ。
やめるといっても、私の場合、料理が好きなので、料理の研究や挑戦や新しいメニュー作りは、やめられません。
元々料理の先生になりたかったくらいなので。買い物も怖いけど、当然やめられません。
やめたら、食っていけません。餓死します。
宅配は、人と合いますね。
来られるくらいなら、買い物に行く。昔は、スーパーに行けない事もあった。
ちがう病気の近所の人に、少しお金をわたし頼んで買ってきてもらったくらいだ。
お金をあげた。
できなかったから、できないときがあったから。非常に苦痛だったから。

赤面&呼吸が増える&汗だくだく&視線恐怖&体力消耗。
疲労困憊だった。
でも、避けられなかった。

今はスーパーも、顔が無表情になってしまうが
一応行けるようになった。
今の目標は、スーパーに入ってる洋服の店や本屋、生活良品の店などの雑貨の店を
「リラックスして、楽しんでみにいけること」です。

患者会の幹事に、
ネットカフェもその身分で、やめろ!税金の無駄使いするな。と言われたが、

わたしの、ネットカフェが通いは、夢でしたから。
ネットカフェにいても、いきなり、緘黙になってしまい、音が出せなくなるんですよ。
でも、人ごみの中で、部屋から出て、喫茶店に行くというのはハードルが高く。
囲いのあるネットカフェで、帰宅途中の疲れを取る、人ごみの中の視線から、いったん休憩するには、
ネットカフェにさえ行けれないのなら、殆ど、引きこもりですから。
やってけない!と、人なれの練習として行ってるんです。半分は。

カウンセラーから言うと、
普通の人はドアを開けるときに、次何をしようか、今日はどうしようかと
考えてる。
わたしは、ドアを開けようか開けまいか、恐怖感でドアの前で立ちすくむ。
ドアをあけた、その風景がどんななのか緊張して、恐怖を感じる。
普通ではないそうです。
そうですよね、わたしみたいに怖い生活をしていれば、誰も笑ってないし
外行きたくないですよ。

ネットカフェなんていくな!不健康だ!と言われたけど・・。
ネットカフェくらい行けないなら、私は引きこもりになっちゃうから、
なんていっても
わっからねーだろうな。
この世界の違い・・・どうやってこっちからは見れるのに、あっちからは
見れない。心を表現して、甘えと言われないで済むだろうか。

はぁ~~。
決め付けは人を傷つける
二才から、緘黙になったわたしの脳が正常に機能しているとは思えない。
どうしてそう思えないか、
わたしの脳はストレス脳になってしまっている。
いつも、ノイローゼのように考えてる。
空白がない。
ぼけっとできない。
努力を誰よりも病気克服のためにしてきた自負がわたしにはあります。
今も、毎日、携帯のネットで調べ物をしてる毎日で
ほとんど精神的な病について興味をもったもの、克服できそうな方法などを
調べ続けている。

努力がやめられない。
いつも不安で仕方が無い。

作業所かよいも、ほどほどにしようと思ったのは
努力をしないのではなく、
ちがう生活をしてみたら、自分がどうなるかの・・・試みです。
外へ出なくちゃ、ひとと合わなくては、わたしの生活は嫌でも成り立ちません。
その中で、部屋の中で四、五日、生活するというのは、

1人でいても、不安にならないように。なれるのか?
です。
自分で心の実験してるみたいな、生活はずっとずっと続いてきました。

電車での、
不安発作が止まらず、大きな声を出して、悲鳴を上げるのではないか?という恐怖

真冬なのに、背中の汗がだくだくで滝のように流れる。
呼吸が苦しくなる。等は、
考え方を変える事で無くなりました。医者が治してくれたのではなく、
わたしが倒れても、誰もわたしの事を知らないのだから、放っておくだろう
何が何だか分からないだろう。
ぽかーんとするのではないだろうか?と考え付いて、
不安発作、五年目にして、治った事があった。

その間のストレスといったらなかった。
電車で、40分の乗り換えありの、老人ホームで働いていた。
普通の電車にのり、乗り込むときから、恐怖との戦いだった。頓服は飲んだし。
でも効かなかった。
恐怖が一番高まり、途中下車を何度もした。
もし、その老人ホームを辞める事ができなければ、強迫が更に強まり、悪循環の繰り返しだったと思う。
心が弱い。

どこかに逃げ道を作っておかないと、すぐ圧迫感にやられてしまう。
そう、勝手に。
自動思考。ストレス脳。努力や精神力だけではどうにもならない
成長過程で、受けたストレスが
半端ではないから、もう脳自体が実際は普通の人の脳とはちがう形状で
育ったのだと思う。
わたしは、脳は過去を記憶すると思ってる。
だとしたら、わたしの日々の恐怖体験は克服しても、脳に残っている。

うつ病患者は、過去つらくても
楽しい事を積みかさねる事によって、うつを改善してゆける。

だが、緘黙の場合
あまりにも、脳が成長過程であり、その中で育ったので
何らかの気質的な変化が起きてると考えてる。
その根拠は、精神力で超えようと20年以上してきた、毎日勉強し
苦手な会話もした。
でも、いまだに、ちょっとの事で、視線恐怖になり、情緒不安定だからだ。
患者会の、その軽症のうつ病の幹事に
わたしは自分が緘黙だった事を話した。
すると、わからんわ~と返って来た。
そう、わからないものはわからない。あなたとわたしはちがうのに
言いたい放題だけが、得をする。

  • [85]
  • 下手な事を言ったら怒られる

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 3月26日(火)09時19分14秒
  • 返信
 
怒られるとは
無視とか、無価値だとか、その程度でしか
扱ってもらえなかった?

とにかく、私の感情無視で喧嘩は起こり
私は不幸になり
平和ではなく
私の感情無視で、
私は私の感情さえ、家族の中で無視されてきた。

過小評価しか自分に対してできない人になってしまってるようです。
それも、今現在、クリアするために
あれもこれもで大変です。

ですが、感情を無視されつつ、
例えば、喧嘩をした次の日、昨日はごめんね・・心配させてしまって
大丈夫?と私の気持ちを推し量るような母であったのなら、
私は感情を過小評価する部分はもう少しましになっていたと思う。

感情を評価されない、無視されるのに
自己表現はできない
親から無視される認められないという事は、
生きる事ができないという事に、子供の心理はなるのだ。
それなのに、表現しろ
感情を表せ喋りなさい。

良い感情だけを出して、悪い感情は省き
要領よく、喋りなさい。

とメッセージされていたような気がする。

今でも、
毎日、自由にしゃべりたい願望はあり、
でも他人相手でも、思いを自由に喋ると。。びくびくしてしまい
結果疲れてしまう。
なんだか感情を出して、のびのびすると
怒られる。叱られる。冷たい目に合わされる。
という恐怖感が
いま、私のこの年齢であってもある。

だから、話せない。
無意識に表すのが大げさだけど命や存在を脅かされそうで
できない。
一言でいうと、そういう状態は特殊だとわかるし、
どうにかしたいのだけど。
恐怖心がぬぐえない。
今度のかうんせりんぐで、下手な事をいったら存在を脅かされそうで
つい人の顔色を伺ってしまう
と相談してみようと思う。

大事な問題だ。

解決方法は、何でも話してもよい心の広そうな安心できる人相手に
話すことだし、その関係を楽しむことでもあると思うが、
いま、思い当たる人材は、
ボランティアの既婚の男性で、本当に二ヶ月に一度くらいしか会わない。
あの人の、どこが他の人より優れてるかと言うと、
穏やかさ
安定している
いつも変らない
広い思考がある
心のゆとりがある
人の意見を正しく理解する能力がある

それらだと思う。
人材が足りない。。。

  • [84]
  • 早めの発想の切り替え

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 3月26日(火)08時31分22秒
  • 返信
 
もう無理だと思ったら、
早めに発想を切り替え、生きやすいポジションを探す事かも。

会社がダメなら、女性なら結婚とか。

私は、結婚もダメな人間だったので。
心開けないし。
恐怖心があるし。

早めの発想、きりかえ、
どこまで人生順調に行けるかわからないけど、いま一番楽なポジションに
乗ってみる。
リズムに乗せて自分の人生をコントロールする、それが少しできたら
変ると思う。

緘黙でも、精神的な病の症状が色々でるひと
まったくならない人、
育った環境の差もあるので、その人の資質もあり、まったく普通の生活をおくり
結婚をし、子供もちゃんと育ててという人もいるのだろうな。
と思う。
私は・・・人間関係が少なすぎる。それをまず、どうにかせねば。
喋るのも苦痛だし。
もっと話せたときもあるのに、話すのがもう少し上手にできて楽しかった時も
あったのに、いまは
長い間、意識的に口を動かさねば話せない。
だから、話すのに体力がいる。

どこかのものすごい田舎にいき、人が少ないところで、結婚をし子供を作り
そうしたかった。
人がごみごみの中で、人って面白いなと思うには、まだまだ遠すぎる。
隣の家とも、すごく離れているような山奥の家にお嫁に行きたかった。
でもタイミングがずれた、
意識化する、描くこと?それが必用だった。

  • [83]
  • 家と外でのギャップ

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 3月26日(火)08時13分31秒
  • 返信
 
掲示板の方はまた連続になってしまってるので
こちらに書き込みします。

緘黙が世間に知られて欲しいという気持ちが強く書き込みしている部分も
あって。

緘黙になる条件の一つに、親の家と外での人柄のギャップというものが
あるのでではないか。。と思うのですが、
私の母は家では真っ暗、近所や仕事関係の人と関わる時には、満面の笑顔で
明るくてしっかりした人と思われていたとおもう。
あまりのそのギャップや、父と壮絶な喧嘩をして泣き家出を繰り返してる毎日で
納期が限られている仕事を続けていたので、
嵐のようなゴタゴタ、私がなぐさめる、、泣く、やめてと懇願する、次の日には
へっちゃらで仕事をやっている・・・。

こういうのを見てると、子供は何が何だかわからなくなるんじゃないか
自分の懇願の虚しさや、言っても仕方が無い感覚や、自分の存在価値
を脅かされる。
とてもあやういものになってしまう。
そして、母親の態度のおかしさ。裏と表と感情にあまりにも演技的で素直でない。
生き方自体が、曲がりに曲がって、自分の感情に素直に生きてない。

とにかく、家での嵐のような悲劇を世間の誰かに知らせて、止めて欲しかった。
なのに喋ってはダメで。母は昨日とは違いニコニコして、仮面をかぶっていた。
わけです。
混乱して、普段をさらしてはいけない、普段のままではいけない
でもどうしたらわからない、家の恥は喋ってはいけないになっていたのじゃないかと
だとしたら、私の場合は
やはり、母の家と外での性格や態度のギャップを肌で感じて戸惑い、どうしたら
よいのか学べなかった。
家の恥を出してはいけない・・この母の縛りがあり、困惑して余計どうしゃべってよいのか分からなくなってしまった。
下手な事をいったら怒られるし。怒られるような気がした。
こうした、ギャップに苦しむのが緘黙ではないかと思う。

患者会の話に戻しますが、
レベル的に、私の緘黙は特殊の中に入るのだと思います。
前出のうつ病の幹事さんは、軽症にあたる。仕事をしている中でうつ病を患ったので、私のような保育園から喋れない、声を出せない人とは
見てる世界が違うのだと思います。
見てる世界や、表現や喋る技術の差や、心の整理の差があるのに、自立!甘えるな!と言われてしまうと・・

もはや、いじめてはいないけど、
いじめの範疇になってしまうんではないか、違いは見た目ではわからない。
患者会と言っても、本当に色々な病気の人がいて、程度も様々で・・
安易に決め付けてその人を酷評すれば、人間関係にひびが入るのではないか
出来る方が、出来ないほうを酷評する。
決め付ける、こうすれば自立できる、あれこれ禁止する、
こちら側から見て、どうしようもないなと思いつつ、それにどうやって添っていくかも、勉強なんですよね。だから、とっても疲れます。

疲れるから、うつ病が治らない。体力が戻らない。でも、治さなきゃ
の繰り返しです。
10、20代の頃は本当に無我夢中で生きてきて、毎日泣いてました。
30代は、少し自己表現が出来るようになり、少し楽しかった。
でも、人生の中で一番精神的にも苦しく、葛藤した。精神的な症状が如実で、、
統合失調症のような症状も出ました。
視線恐怖で一年間、夜しか外に出れない。。本当に人の視線がビームのように
突き刺さる、本当に痛みがする。
敏感すぎて、外へ出れない。神経が研ぎ澄まされてしまう。等に悩まされ。
思うように行きませんでした。
その中で、契約での仕事ができ、仕事の楽しさや話す内容の充実した普通の人達の中にまぎれる事は、私は難しい人と思われていただろうけど、聞いていて楽しいし
私も生きてるんだなという実感を味あわせてくれて、世界が広がりました。
でも、続ける事は不安感がどんどん増してゆき、
できませんでした。
何が足りないのかを、自問自答し、会社をやめました。会社をでて、帰ろうと思うのに、怖くて電車が乗れなくなっていたり、人目が気になりすぎて、歩くのも、、、、、しんどかったり。
そんな自分が変だと思ったり。でも何より、心細かった。

色々な経験ができたのが30代で一番輝いていたのではないかと思う。

結婚については、一回離婚しているので、
色々ありすぎて・・。かなり、疲れた。
人生についての後悔もある。
縁談話があったのに、人を見る目がなく、

人生は、日々の積み重ねと思ってて
あまりにも、ゴタゴタで、理想と違いすぎ、

出来るようになっても時期が過ぎていて、夢をつかめず。
それらをしてるうちに、
モラトリアムになってしまった。
誰でも一回きりの人生。
頑張って生きたいと思う。
だけど、スキルを学んで、社会に出ての、今は私はこの年齢でスキルを学んでいる。
これから、再挑戦しなければいけない。世の中は、雇用が厳しい。
その中で、この私の能力で自立できるかどうか、
フォローがたくさんあれば、出来ると思うけど。
今も、条件が整えば、働ける。
が、その条件が難しいのだと思う。

あきらめたい、ばかばかしい。
カウンセラーに言わせると、普通に生きてきた人は、私のような苦しい思いで
毎日を送っていないそうだ。
もっと軽快に普通に楽しく生きているそうだ。
でも、今は意識して、いわれた事が理解できるので、訓練をしなくては
毎日耐えられるようにならない。
仕事もできない。だから、頑張ってる。

年齢の事を言い出したらきりがないので、
人生捨てたくなるので、

患者会では、どうやってふるまおう。。。

  • [82]
  • ふと通りかかりました、さん

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 3月10日(日)07時24分59秒
  • 返信
 
普通になれればベストだけど、そうじゃなくてもいいんだってことを思えば
もっと楽になる。
病院に通う、薬を飲む、専門家に通う、を選ばない選択肢があるって事ですね。
なるほど・・。そうかも、知れません。
理解を求めても、そこに無いなら理解される事はない。ない世界で
いくら訴えても、尽きる事ないのかも知れません。
薬もたくさん飲んだし、医者通いカウンセリング通いして苦しみが治らず、
それは、私の病が酷いからだ、緘黙が深く理解されていないからだ、と
思ってる私とは反対な意見ですね。
私の家庭は機能不全家庭だったので、そこからの問題点もあると思ってる
ですが、貴方の「傷ついた思いを今でも忘れません」という言葉に人として
の芯を感じました。あ~~
自分を疑ってないのですね。それって大事なこと。。

私は高卒で会社に入り、赤面、対人恐怖と会社の中で深刻な症状を抱え
苦しみが増大していき、神経症のはじまりを迎えたので。
もう少し、家庭の両親が支えてくれたら・・弱さを認めてくれたら、
励ましてくれたら、何とか乗り越えれたかもと思ってしまいます。
あの時は必要だったのだと思います。
甘いでしょうか。
元々弱さを認めてもらえない家庭だと、仕事をはじめてからも、相談事が
できないし、言っても決め付けられ、ちょっと不向きなアドバイスをされます。孤独に問題を抱え、挫折する。。
家庭環境も大事だと考えます。
でも、緘黙と言っても、100人いれば、100通り、だからこそ、
仲間ができにくいのかも知れません。お喋りも得意でないし。それぞれが
独立した病気なのじゃないかとも思います。
ですから、孤独の病。難しい。
私は、家庭問題寄りの発言が多かったのですが、家庭が円満でごく普通の家庭でも、緘黙になる人はなるって事なんですよね。
人それぞれ。

貴方の文章を読んで、作業所に行きながらも
ときおり、嫌だなと思ったら休めるようになってて。。引きこもりって
大嫌いだったんですが、頑張りすぎも良くないなって。
自分ペースを見つけつつあるのかも知れません。
ずっと外に出て居ないと不安でしたが、今は、1Kの部屋に引きこもってても好きな音楽聴いたり、嫌な気分には時々なりますが、
ウツで寝込むことは無くなりつつあります。

また、精神の作業所に行っていても、何か違う・・と感じてます。
そこでは満足できないのです。
どうもなじめない。なんだか、物足りない、自分がいる場所?と違和感。
薬は、今のところ、病気を併発したので必要で、一週間三時間程度しか
眠れなかったり。。酷いですから、まだ最小限度飲んでます。
そうですね、
諦めて孤独になる、自分は人と違う、社会を諦めるなどにならない事を
選ぶ方がいいのかも知れない。
私なんか、って思いを捨てられるのか?
病院は危険です・・もろ精神病院に最初行ってしまったので・・。
地獄図をみて、さらに人間不信になりました。
頭は正常なので。
あの世界は忘れられません。確かにデイケアとか、この世の雑事と離れて
遊べるので、なにやっても自由なので、楽しかったのですが。
入院も、雑事と離れられ、逃げられて安息でした。なんども、そのご
入院生活をしたいとおもったくらいです。
甘い世界は禁物で、でもそこに用意されていて、行けと言われる場合もある。
普通になれなくても、いいんだってことを思えばって
緘黙の人には一番適切なアドバイスかも知れないと思い、励まされました。
自分中心の事ばかり書き連ね、気分を害されたと思います。
貴重なアドバイス、ありがとうございました。

  • [81]
  • (無題)

  • 投稿者:ふと通りかかりました
  • 投稿日:2013年 1月23日(水)22時45分42秒
  • 返信
 
長い論文を書く気力はないけど、少しだけ。
自分を、人を決め付けないで欲しいなって思います。
例え症状の名前は一緒でも、中身は十人十色です。
親や家庭「を」否定されるのが一番苦痛だった。
中身はごく普通の子なので。普通に育ててもらったから、普通の内面なのです。
専門家で的を得たことを言ってるくれる人は1人もいませんでした。
傷ついた嫌な思いは今でも忘れません。
専門家通いを否定はしないけど、離れるって選択肢もあります。
周りの普通の人の言葉の方が心に寄り添ってくれました。
薬の処方について、私の考えでは反対です。
ハンデのせいで職業や学業を諦めて孤独になる…
という時以降に、薬が必要なような状態(ウツだとか)になると思います。
普通になれればベストだけど、そうじゃなくってもいいんだってことを思えば、もっと楽になると思います。
かんもくは、ウツや自閉症(普通の作業が物理的にできなくなる状況)とは違います。
社会的な場所(学校や会社)を離れて、病院に通う…という選択は絶対やってはダメだと私は思います。
病院にはいかなくってもいいから、学業や職業を諦めちゃだめです。
勝手なひとりごとですみません。

  • [80]
  • 学校と家庭

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月18日(日)07時10分3秒
  • 返信
 
学校で話せない子供は、そこから学ぶ事ができない体験することができない。
家庭しかない。
家庭の家族関係が、後々はっきりと大人になり緘黙の人の人間関係を左右する事になると思う。
家庭内不和で育った私は、より他の病気を併発しやすい。
家庭内で仲良く育った人は、狭い人間関係の中ならやっていけるのではないだろうか。なんとか・・
家庭内不和だと緊張を家庭でも強いられ、思った事が言えない。
だから、学校でも言えない、自己表現できない、家庭でも本当に思った事を受け止めてくれる人、聞いてくれる人がいなければ言えない。
私は、これに当たる。
話すのは、聞いてくれない両親の元だと「意思表示だけになる」情緒的なやり取りを子供はしたいのだが、心の余裕がない両親だと、情緒的なやり取りをしてる暇がないし、元々センスがない両親だと、本当に思ってる事をいう事を緘黙の子供は体験できないのではないだろうか。

だから家庭は大事だと思う。とくに緘黙のような子供にはそれしかないわけだから。
私は、いまやっとカウンセリングでそれを学んでいるが、もう6年
民間カウンセリングでないと、そこまでやってくれないと体験した事があり、ずっとお金を払い続け民間カウンセリングに通っている
私の場合、家族がいないというのもあり、それもカウンセリングに通う理由になった。
いま、カウンセリングをやっていて、やはりキツイ。
変える!ということは、キツイ。

今回、変えるべきところを指摘されたのは、
以前、自分自身でこうやったら上手くいくかな。。と何とか身に着けたものだった。
癖ではなく、そうしたら上手く社会を渡っていけるのではないだろうかと意識的に身に着けたものを指摘された。
何か上手く行かない時や不穏なときに、相手の欠点を探しそれのせいにして心の平安を得るというやり方だ。
これを悪い癖と言われた、治せと。
だが、それはかなり大人になってから身に着けた癖というか、こうすればいいのではと自問自答の末に身に着けたものだった。元々私が持っていたものではない。

自責の念が、家庭内不和で強いので。
相手の責任を考えるようになった。それじゃないと、自分が潰れてしまう危険を感じた。それで身に着けようとしたものだったがそれを変更しろと言われた。

まったく難しい。でも変更します。。。
こうやって自分の考えを否定され、かえるという事は固くなった体を痛みをしたがいやわらかくするのに似ていて、すごく大変。
だけど、子供の頃に見につけてこれたものを、身に着けてこれなかったので
そうするしかない、。
かなり、ハードで、大変すぎる。
でも、自分への愛だと思ってやりきるしかない。当分、自信なんて持てないだろう


自信の持ち方が違っていたとしたら、今度はしばらくその自信をもてない
結果が出るまでは時間がかかる、それまでは不穏な日々が続く。

薬は、デパスとソラナックス、パキシル。
全部、自分でこれが飲みたいと言ってきたもの。それが、本を読んでいたら
社会不安障害の人に、効くとされる処方だった。
パキシルは、パニック障害、にもきく、私は以前、フルボキサミンを処方されていたが、こういう抗うつ剤は、社会不安障害に効くのだが、
フルボキサミンは、強迫性の症状に対して効くので、私にはあまり聞かなかった。

パキシルは一日一回、デパス、ソラナックスは頓服で飲むのがいいと思うが
医師は三回出している。
どうして薬を飲むのか、体に悪いのにと自分に問うと

七年ほど前から、自律神経がストレスで完全に狂ってしまい
失調症になったと自覚していて・・。それが元に戻らない状態がずっと続いていて。
これを治そうと思ったら、一年は静かな休養所で現世から離れて静かに自分のリズムを整えるくらいでないと、うるさい毎日の中では今の自分の力では取り戻せないと感じていて。
それらの失調から、より不安や神経などが煽られやすく、より乱れやすくなっている。
それらが諸症状を悪くしているので、やはりデメリット、メリットを考えると
今まで薬を飲む生活をしてきて、のわたしなので、今は薬を飲んだ方がよりストレスは少ないと思っている。

いつになったら空けるかわからないけど、
この悩みが、
いつになったら指摘されず、自信をもってやり方を学んで手に入れて
1人でやっていけるかわからないけど。
それでもやっていく。
やめてもいいけど、やめなくてもいい。どちらでもいい。

さまざまな趣味を持つことは大事で、
私には読書くらいしか趣味がなく。人と比べられない、人間関係が無いところで
自分を解放させないと、行き詰ってしまうと感じた。
たくさんの趣味をやってみて、楽しいと思えるものをやってみる、
楽しむことが苦手な私でもたくさんやってみれば見つかるかもしれない。
何かないとやっていけない。
人と比べられる世界からの逃避、人間関係からの逃避
作品だけで評価されるもの。
関わらなくても出してもいいもの。。。
それが趣味なんだと思う。
人間関係は煩わしい。

  • [79]
  • 緘黙、社会不安障害、回避性人格障害

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月17日(土)07時20分14秒
  • 返信
 
緘黙は無視されがち、決め付けられがちです。ほとんど何も説明しなくて
理解されることは無い。
誤解されるばかりの生活だとおもいます。そこから、苦手な事=ダメ
もっと努力・・となり、鬱々として、そのままの自分ではダメだと社会からも
学校からも、友達からも家族からも決め付けられたりする事が多いと思う。
誰にもわかってもらえない孤独な状態が延々とつづく。
苦手なことが悪い事だ、努力が足りないと人格を全て否定される。
自己否定をしだす、このままじゃダメだと子供の頃から思い続ける、ストレス
重圧。
胸がつぶれそうな想い。
そして大人になる、中学生、高校生あたりから症状がではじめる、不安障害
でも、それが不安障害とは認められにくく、ただの我侭と努力が足りない
やる気がないと思われる。
それから、社会人になる。そこで、自己否定が強いために活躍できない。
元々の性格が恥ずかしがり屋でもあり、自分の失敗の方に目がいくタイプなので
自発的なことがますますできなくなる。
周りからの評価も、普通に話せない状態で育っているので、言葉をえらぶ。
より慎重になる。
休憩時間も、くったくのない話が中々できない。リラックスできない。
密封状態の中に置かれてしまう。
エネルギーが途切れるのも時間の問題。

境界例型人格障害は共生関係で、がんじがらめの人間関係を作るという
人間関係のもちかたのあまりの不器用さから、人格障害を疑われる事もあるだろうが、
本来、境界例型人格障害と緘黙、社会不安障害は共生しない。
医者の中には「わけのわからない人間」を境界例と診断する人もいる。

境界例と診断された場合の危険性もあり、もし社会不安障害の人が緘黙の人が
回避の人が、診断された場合、より自分を否定的に疑い見ざるを得ない事になる。
医者にかかるときに、本当に信頼できる医者にかからねば、自分を自信がない上に
疑いつつ責めつつの、非常に苦しい毎日になる事が予想される。

緘黙、社会不安障害、回避性人格障害は
元々、人に迷惑をかける病ではない。
もし、元々緘黙で自分の表現をどうしたらいいのかわからない。
私なんて、元々場面緘黙だったので、場面緘黙しか知らない、中途社会不安障害組みです。・
元々の社会経験が長く。途中で社会不安障害になったのならば、薬で治すことも
かなりの効果があり、元の状態に戻ればいいだけですが。
元々の性格があり、それに生育環境の問題が加わり、タイミングが加わり
緘黙になり、長い緘黙経験を積み、緘黙の世界でいき教育を受けて育ったものが
やがて社会不安障害を併発するというのは、治りにくいと思う。
この点で、
もっと緘黙に目をやる医者がでてきてほしいと思う。治る部分と治らない部分をわけねば。
誤診や、誤解はさけねければ治療自体が患者を苦しめる事になると思う。
私自身も、勉強に勉強をかさね
それでもまだ社会不安障害に苦しめられている。
いま、私自身、頼れるのは医者ではなく自分になってしまっていて。
医者には、なるべく理解してもらうという地点と知ってることで協力してもらうという地点でしか、接点はないと思う。
だから、薬も治療方法も、自分自身が開拓していかねば
治らないと思うようになった。

緘黙はタイミングやきっかけがあれば治ると思う。
早期治療して治れば後遺症は心配しなくてよくなると思う。
長期にわたって何年も続いた場合、社会不安障害、回避性人格障害を
わずらいやすくなるとおもう。
その場合、的確に医者が回避性と名づけてくれるか診断できるかは不安。
生育暦からたどっていって、それからの流れを見ない医者も多い。
私はずっと信じていましたが、
色々と考えるようになりました。本当に複雑で、人の心は繊細で
大雑把に扱うべきものでないと思います。大雑把に診断を下されると
より治療に意味をもたなくなる。ほか、
患者に重大な損失を与えると思う。
そういう功罪を意識していない人間という残虐さにまた人間不信になってしまう。

  • [78]
  • 怒り、恨みは二次的感情

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月14日(水)06時58分20秒
  • 返信
 
高校まで場面緘黙で、いきなり就職した。

就職すると、いろいろ納得いかないことがおきる。
壁にぶつかった
その心のもやもやをどう表現していいか、私にはわからなかった。
少々、知的障害というか、そういう先輩がいて
怒り、の表現をその先輩をみていてやってみた。ことがあった。

怒りを表現しなければ、どうなっていたのだろう。
代りに、さびしさになっていたと思う。
だけど、怒れてしまうような出来事を、さびしさに感じていたら心は平常心だったし、良かったかも知れないけど。
怒り、腹が立つをそこでいう事を学んだ。怒りの表現、それまで他人や同級生に
暴力を振るわれ、悪口を言われても、怒りの感情が全く湧かなかった。
怒りの感情がそれまで皆無だったのだと思う。
だから、自分が損をしても、泣いて終わっていた。

怒り恨みは二次的感情じゃないかと思う。
怒りなどあまりもたず・・・それって、違うんじゃないか・・・。へえ?。ううう。なんだろな。
で、それまでの私は終わっていた。

あの時、怒りの表現を覚えて、良かったのか悪かったのか判らない。
どちらかといえば、不幸になった。かも知れない。
それって、違うんじゃないの?へ、驚いた、ふーーん。と見る。それで
終わってしまっていた。
それが、意識して怒りの表現をしていると、それが身につき
まあ普通になりたかったからそうしていたのだが。それで、赤面も対人恐怖も直したかった、。
怒りを身に着けることで、からかいを対処したかった。
情けないと、情けないと肩を落とし続ける事は、本当に体中から力がぬけてしまい
疲れ切った。
あれが毎日やり過ごせたのは、若く体力があったからだと思う。今の私でh
体力がないので、鬱になると思う。
鬱とは、ある程度、体力があればはねかえせるものだと思う。

二次的感情をあえて、持ってから
批判能力が高まり、物事を白黒判断するようになった。
なんとうか、腑に落ちない物事を見過ごす事ができなくなった。
間違っていたのかもしれない
私には、激しい感情はなく。
ただひたすら、わかんないなーと戸惑う毎日で、そのほうが私らしかったのかも知れない。
怒ることは疲れる。
なんだかよくわかんないなーでいいんだとおもう。
戻りたい。、
二次的感情は、必用なときにだけ取り出して、心の奥底に大人しくいてもらいたい。
変な身に着け方をした。
散々馬鹿にされ続け心身消耗、神経衰弱になり、病人そのものの私は
満身創痍で、皮膚がなく、いたむ肉のままで会社にいき
傷つき続けたようだ。
おおうものがない、おおうものがあれば痛くないのに。傷を負った心がむき出しで
痛んだ、そこにまた刺激を与えられまた痛んだ。
それが目に浮かんだ。
傷ついた心でも、それを補える、おおうものがあれば、守れる。おおうひとがいれば守れる。やがて、傷は癒える。
血がとまり、かさぶたができ、治る、心もそう。だから、心のバンドエイドがいる
それは、多分人。
私にはバンドエイドがなかった、ずっと傷がふさがらなかった
そこに、恨み、怒りの感情を入れたらどうなったか
必用だったけど、
人間関係を学べない場所だったので、あまりよろしくなかった。
今も本当に人を心から怒り、恨んでいるわけではないと思う。
あのとき、
世渡りのため、普通になるためと思い。
一生懸命みにつけた、腹を他人に立てることは
私には、いらないものだった。
わからないなー、へー、ふーん、とみてる時間がなくなり
物事をあじわい、みる、そのままをみる余裕がなくなり
人からみても、我侭な人間にみえるようになったと思う。
わからないなー、へー、ふーん。と忘れてしまえるようになりたい。
元に戻るだけ。
あのとき、手に入れてしまった、あのとき、練習した怒り。
あのときも、それでも一生懸命で、もし間違っていたとしても
それも仕方がない。

  • [77]
  • 精神科医の力量の違いは、大きい。名医とは

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月14日(水)06時24分20秒
  • 返信
 
心を救うのが名医。心を掴むのが名医。
必用に応じ的確なアドバイスができるのが名医。
全て心が従う

心がない人はいくら優秀でも名医にはなれないと思ったりする。
以前、転院していった主治医が
今、大学病院の助教授になっているのを知った。
よくその先生とはぶつかりあった。魂をもった医者というか
最後に別れるときに、
今の仕事は大変すぎるからもっと違う仕事を探してやってください。という
言葉を貰った。

離婚の時に、アスペの夫なので、話し合いができづ、いきなりの事が多く
それも心が通常と違うので、本当に悲嘆に暮れる事が多くなって毎日のように
部屋に帰っては泣いて、朝起きては泣いていた。

私には実家がない。両親もいない。泣く相手がいない。
私だって、実家に帰らせていただきます!という言葉を吐きたかったが
その分、結婚生活で息抜きや、一旦休憩ができなかったと思う・・・。
だから、実家を売り払い遊び暮らした弟は許せない。

その主治医は泣きながら電話をする私に、悲鳴のように泣いて泣いてなく私に
電話口に出て励ましてくれた。
うんうんと聞いてくれた。だから、私はあの苦しさを耐えぬけたのだと思う。
おお泣きしながら電話をしていた、話を聞いて助けてくれた、一切迷惑だろうけど
私にそんな余裕はなく、ひたすら泣いて泣いて、
助けてもらわないと、心が潰れそうだった。
そして、次の日には会社に行った。頭がおかしくなりそうだった。まだ仕事があって救われた。
変らないものがあるという事はどんなに救われる事なのだろうと思っていた。

それからも、ずっとはっきり離婚が決まるまで
ずっと1人で、突然1人で、仕事に行っては帰って泣き続けた。
ああすればよかった、こうすればよかった、でも
決定的な面で、
話し合いができる相手ではなかった。悔しかった。それより、自分の不出来が
私を責めた。

その頃、アスペとはまだ診断されていなかった夫とはトラブルが絶えず
どう理解してよいのかわからず、困惑の毎日で喧嘩ばかりだった。
私が甘えすぎていた部分もあって、表現がとても下手な部分もあって。
でも、夫は話し合ってくれず、いつも思考の中に私はいなくて。
寂しかったのだと思う。
喧嘩ばかりだった、寂しかった、そして苦しかった。

あのとき、あの先生でなければ
私は助けてもらえづ、潰れていた。もしかしたら死んでいたかも知れない。
とっくの昔に自暴自棄になり、不安定に心をかきむしられていただろう。
会社だって続けられなかったに違いない。

あのとき、あの先生が偶然にも私の主治医でよかったと思う。
だから、精神科医の力量は、患者のエネルギーと向き合えるかどうかだと思う
むきあえない医者は、避ける方に力を使い自らを守る。
だから、例外な事はしないと思う。どれだけ患者と真剣にむきあって
その心を守ったか。
それが名医なのかも知れない。
ガッツのある先生だったと思う。避け避け自衛診療ばかりする医者は、
その時はうまくいっても、患者を本当には助けられない。
真剣ではないからだと思う。
病院選びは、あらためて本当に大事なことで簡単に考えてはいけない
あのときに、
あの先生でなかったら、私はどうなっていたか
本当に支え続けてもらえたから、困難を乗り越えることができたんだなと思う。
いつのまにか、
力を取り戻した私は、泣く事もなくなった。

  • [76]
  • 悪い評価ばかり受けても生きる。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月13日(火)08時59分27秒
  • 返信
 
わたしは最近、あまり調子がよくない。

子供のころの、母からの愛情を超えるほどの父からの精神的虐待。
父の前では、もろい母でしかなかった。
父は絶対的で、今、私が最も恐れているのはあの父であり、心の奥底から
ずっと、愚かな父で、働かず妻や子供をいじめる酒飲みの父であったけど
でも、馬鹿にできず恐い存在。
どうにも動かそうにも、どれだけでも食らいついてくる生き物
動かない石。
あげあしとり、ひっぱりあげる。等、
あまり父という男性によい印象はない。

先日、いつもの友人とツアーにいった。友人に誘われてのツアーだったので
お金をすべて払ってくれた。
私はいやいやだったので、払ってくれたのだろう。
どうしてもという事だった。
その間中、いつも越えられない壁を越えたというか、その友人に我侭がいえた
靴かして、服かして。
お弁当を二つ作ってきてくれて、中身は同じだけどどっちがいい?と聞くので
いつも子供用の弁当を作ってるらしく、私はウインナーが食べたいといっていたが
ちゃんとウインナーも入れてくれて、容器が違うだけなのに、どっちがいいと
聞くところが面白かった。
ずっと普段の生活より甘えられた。甘えるとはこんなにも楽しい事なのかと感じていたというか。

その安心感。そのどうして私をそれ程までに優しくしてくれるのか
信頼してくれるのか、親しいお付き合いをしてくれるのか。
ひたすら甘える我侭の私と、そんな私を見下さず、こういう人間だと同級生という
親しみからか、付き合ってもらっていて。
親より、元夫より、とても親しみを感じる。その安心感の元は、わがままを
受け止めてくれる、気持ちをわかってくれようとする。決して、弱みをみせたことで、それで揚げ足を取ったりしない。
どんなダメな私でも、距離を取り接してくれた。

それは、彼女が、
どんなダメなところも、母親が全て受け入れて応援してくれたからこそ
できることなのかとも思う。
昔、遊びにいったときに、彼女が台所にたつ母親の横にたってずっと嫌だったことやその日、一日の事を、聞いてと話つづけるのを、彼女の母親はずっと話し相手になっていた。
こんなに甘えられていいな、相手をしてもらえていいなと
高校時代か、社会人になってから、家にあがらせてもらったときに感じたことが
なぜか鮮明に覚えている。
そこが驚きで、脳裏に残ったのだと思う。

私の家と違う・・。
相手にしてもらえない。こういう構造は障害を生みやすいという。
だから、今現在、私は病気で
同じく場面緘黙のような症状があったその友人は、心を病まず二児の親になっている。
私は、やはり、家族にもう縛られるのは嫌で。だから、今現在、ひとりというのも
とても嘆かわしいとは思ってはいない。
だけど、安心できる人がいるならば、もう一度女性に戻って、愛し愛され同じ方向を向いて歩きたいと思う。
アスペは、同じ方向を向けないから苦しかった。
家庭内で、向く方向が別々とうことはかなり辛い出来事だった。
私も幸せな家庭を知らない、夫も、私よりはマシだと思うが、幸せとはちょっと
違った家庭環境で育った人だと思う。

同じ方向、共感、をして歩きたい。
早々と諦めてしまうのは、自分にとって無責任だと思う。

私の母は50歳前後に諦めの境地に至っていた。
もう一度、女性として花を咲かせて欲しい
でも、母にはそんな気持ちはないようで、木炭のように真っ黒になって
工場と父の前、家、の前に、朽ち果てていったように思える。
もう少し、自分自身への水やりが出きれば、
そんな自分への愛情もかけ、枯れ枯れになってしまうほどに精神的、肉体的に
ハードな日々だったかもしれない。
年商1人で働き一千万越え、月々45万円の返済ができる収入があったという
事は、年収をきいたことがないが、365日
17時間労働というか、朝の6時から夜11時くらいまで毎日働いていたので。
その収入が出来たのだと思う。

家の横に工場があり、いったりきたりだから余計できたのだろう。
せめて、父さえいなければ
安心して休めたのに。
人害というか、本当に人の害は、害を受けた人の寿命を縮ませる。
しかも、害を与えてる方が生きながらえる。

相手を苦しめる事をしてはいけないと
強く思うようになったし
同時に、男性に対して苦手意識や、実際の1人で生きてくるなかで
様々な男性の痴態を見てきて。
嫌いになった。
若い頃はそれでもとても好きな人がいて、長年お付き合いをしたが
三角関係の果て、だまされていて、そして新しい彼女の元へ行ってしまった。
いまは、それだけ好きな人とそれでも付き合ってそれなりに
お互い、惹かれあっていたのだから、幸せだったと思っている。

その後、そこまで好きになれる人と実際に付き合ったことがなく。
私自身の人間関係と情緒的に成長していない部分で、
または、傷つき、表現をやめてしまった部分で、かなりいびつな
女性になってしまったと自分のことをおもう。

緘黙は暗い、内気、情けない、もろもろ
よい評価など受けて育たなく、たくさんの負の評価を実際にまいにちのように
学校や、家で下された。
私自身も、変れない自分を変えなきゃといつも安堵ができなかった。

今は、どれだけ変でもおかしくても
私は私なんだからと受け入れて愛してる。
悪い評価ばかり受けてさらされると
人生が狂ってしまう。

実際、人の評価は良い評価を受ければ
生きやすくなる
悪い評価を多く受ければ
生き抜くくなる
それが絶対的にある。

私は良い評価など要らないし、悪い評価もいらない
誰もわかってくれなくていい
でも、それでも私は私を愛してる。
口が上手なものが世渡り上手で、安易に世の中を渡れるのなら
人を困らせる人がなんの罪悪感も持たないのなら、

私は口が下手で、評価もない。
でも、それでいい。意地でも何でも不器用なままで生きるしかなく
いつか、その不器用な誠実さや、
?をつかないところやらが、評価される日がくるとおもってる。
それに、
私に色々な人が、いろいろこれまたこの人はああだこうだ
思うだろうし、言うだろう。
でも、そこに思う人がいても
実際の私は居ない。
誰がなんといおうと、私は私を逃げるわけにはいかない。
それでも生きてくしかなく
誰もが、自分の人生を大事に思うはずだ、だったら
いかに過小評価されようと酷評をうけようと
なんと評価されようと
私なりに精一杯、自分自身を生きたいとおもうのは
諦めの境地だが、それでいいと思う。
いかに、不器用な人間がいきるのに必要なのは、自分がされたくないことを
人にもしないという事かなと思う。
そして誤解されてもなんでも、誠実に思った事を実行し、結果を受け取ることだろうと思う。
必用なのは他人の評価ではなく他人でもなく、自分がどうしたいか
それはそんな難しい事じゃないとおもう。
人からどう見られているかが不安で溜まらず、強迫観念にかられていたが
あまり人の目は当てにならないものだと最近おもう。

もう、十分。
人からの評価なんていらない。自分だけの評価でいい。

評価なんて、軽いものだ
状況が変れば変る、でも自分自身はなんら変らないでいたい
ずっと変らないもの、人が見ていなくてもわかってもらえなくても
誤解されても、
私の意思は、そのまま持っていいのだと思う。

緘黙が生育期に絡む障害なので、
脳の構造になんらか変化が起きたかも知れず
また、緘黙は、もともと不機嫌な気質があるという説もある。
わたしも、黙っていて安心できる状況なら、
黙っていたい。
話す、感情を交換する等は、かなり高度のスキルであり、よほど
気の合う人でなければ、自分の感情を押し殺して生きてきたので、自分すら
見失ってしまう。
アスペに誤解されるように、私もアスペを理解できない
理解できないと誤解しやすい。

もっと人間関係をひろめ、私もしんに女性としていつかは
最終的には再出発したい、それが私の到達点だとなんだか思う。
しあわせになろう。
いつか、かならずしあわせになるんだ。
そのため、今日も頑張る。
人の評価など、最低限の礼儀だけをつくせば
後は、放っておこうと過ごしてみようかと思う。

  • [75]
  • 思い出したこと。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月13日(火)01時07分19秒
  • 返信
 
突然、嫌な事を思い出して悶々としていました。
夫はひどいなと思います。

もう別れてしまったけど、
私が病気で自分はなんともないのだそうです。
いつも、わかりやすい言葉ではなし
伝えるのに時間がかかり
私にも相当なストレスでした。

先日、少し電話で話す機会があり


久々に話すとやはり違和感があって疲れてしまいました。
だいたい、
集中力がなく、聞いてるのか否か答えが返ってこない
返事まちで、数分またされる。
だから、私は夫の返事まちの時に夫に、囲碁か将棋?のときのように
一秒、二秒、とカウントまねをして
いま、待ってるよと気づかせたりして。

もう責めないで!という夫に
責めてるのではないよ。
自分が困惑しているから、責められているように感じる
かも知れないけど、まってる方だってつらいんだよと
伝えたこともあります。

普通の脳の人との会話は、
難しい表現や、比喩などをすると
より意味が伝わりやすかったりしますが
アスペは
言葉を単純化して
伝えないと、伝わらないので
自分らしい表現がこちらができなくなります。

お互いが、
難しいところでコミュニケーションすることになり
互いが苦痛を感じるのかも知れません。

いかに、
比喩や感覚で話す事がたのしいかを
それらができないので
つまらなくストレスをかなり感じていた

それなのに、
いつも私の病気ばかりのせいにして
病識をもとうとしない
夫は
いつも何でも私のせいになっていて
私が私不信になる
原因にもなっていた
と本当に罪作りな話だと思う。

アスペと一緒にいると
とてつもない孤独に襲われ
まるで自分が加害者のように
思えてきてしまった。
非情に耐え難い壁だった。

わからない事を
一方的に妻のせいにする

後は、
毎日探しものを激しくするところや、そのつどパニックになって
一緒に探さなくてはならなくて
心が休まらなかった事、またか~と。
毎日、鍵がない!あれがない!と大騒ぎで。
ちゃんと置いておけばいいのに・・
パニックになり、ハラハラすると無視していたときもあったが
本当に私もどうしていいのかわからなかった。
毎日、あれがない、これがない!!
巻き込まれて。

後は被害妄想。
「わざとやったんでしょ?」
違うって!という私に
「いや、わざとだ」

このやり取り。本当に疲れた。

会話がまったくたのしくなく
夫と顔をあわせることに心臓がドキドキするようになった
動悸。
へんな緊張が走り。リラックスできず。
それでもいつも私は悪者で。

少なくとも、少しだけでも
発達障害が多少あると精神科医に言われたんだから。
気にする事はないが、
自分の方にも落ち度というか、難しい面があることを
自分は正常という
夫には過去、
疲れた。
多少は自覚をもってくれていれば、違っていたのか。
ナイフのような
言葉、いきなりのストレートな傷つく表現。
罪悪感のなさ、
傷つけてるという自覚のなさ。
つながりのもてない関係。

やっぱり、
人の気持ちがわからないまではいいが、
わからないからといって
私の方ばかり、おかしいと批難されたことは
腹が立つ。
楽しい会話なんてむりだった。

今は、
アスペでない人と接し話す
いかに
会話が楽であるかをとても感じる

それは、
何かの機会に以前の夫と話すとき
苦痛を感じる
私がいて

カウンセラーが
夫とは難しいと話していたのはこのことかとおもう
感覚が違う者同士が
一方だけを
おかしいと傷つける言葉を吐くのは
私はやりきれないほど深く傷ついた出来事だったと思っている。
とても疲れる会話をしなきゃならないストレス

誠意のみ。
それでしか
関係は続かなかった。最後までわかってはもらえづ
なぜ、私は
なにがしら、心に病をもったような人と親子
夫と縁があるのが
面白おかしくそして哀しく、縁なのだなとつくづく
自分の緘黙を思った。

  • [74]
  • 緘黙と自閉スペクトラムの関係

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月12日(月)07時22分48秒
  • 返信
 
私も自閉症の部類に入るのかもしれません。
心から話していないとは、
その部分では器用なので話すことはできるし
なんとか意思疎通はできるのだけど、
心が開いていない。
いまをいきてない
過去をもちこしていきてる。
健康な人ほど、今、その瞬間に生きてるような気がします
すっきり、その都度、だから様々な事を理解し受け入れてすんなりと
いくと思うのです。
わかりはしないけど、そういう想像です。

私は長年、こういう人だと思われて殺されてきたので。
こういう人だと思われたくない。
いつしかそれが身についたのかも知れません。
つかみどころのない人、何を考えてるかわからない人になったのは
私の1人の生活のサバイバルの結果だと思います。

女、として見られると様々危険があります。
馬鹿みたいですが、本当にそう感じて。
わざとやぼったい格好をしたり、わざと品のないそぶりをしたり
そうすることで、女を意識させず
自分の自由の幅を広げたというか・・。守ったというか。
ごつい女の人と、きゃしゃな女の人がいれば
危険なのは、華奢な人の方
弱弱しい方、それをなんだか学んでしまって。防御方法をもたず世間を渡れなかったので、
自ら、品のないそぶり、格好、やぼったい姿
センスのない、人が見向きもしないようなちぐはぐさをわざとみにつけるようになりました。
すべて、自分ひとりで生きる生活を守る為です。そういう、女らしくないのを
身に着ける事により、変な嫌がらせから守れた。
女を感じさせないことですね。
ミニを穿くにも自分が着たいから穿くのであり、必ずスカートの中が見えないように黒のタイツを穿いたり。
様々な勝手な欲望から自分を守りたいというのはあります。
自ら好きになった人ならば別ですが、
人様の勝手な欲望を満たす事はありません。そんな欲望のために微塵も
自分が使われたくない。
かたくなに、それを思うのです。変でしょうが。
別に男性ではなくても、女性でも、その女性の勝手な都合のために
つまり欲望のために、使われるのはゴメンだと思います。
人の欲望の糧になりたくない。
だけれど、まごころには応えたい。まごころで人と接していきたい。
真のこころ、考えぬかれた心、作り上げられた心
つまり、
全てのものは、人の想念で出来ており
作り上げられた気遣いの心は、欲望や我とは離れています。
それが愛です。
愛には愛で応えて行きたい。そういう付き合いをしたい
と何だか思います。
私の考えは変かも知れませんが、作り上げたものはそのままでないから
愛。
でも、そのままの欲望は愛ではない。
鳴かぬなら殺してしまおうホトトギス
鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス
最近、鳴かぬなら殺してしまおうホトトギスという人に出会い
その心の汚さに、悲鳴をあげたところです。
ころす、
人の意思をねじまげてでも、自分の我を通す
相手の気持ちを殺し、自分の気持ちを優先し脅かす行為は
我の強さ以外の何者でもなく
そういう人が、福祉スタッフとして関わってると
なんらか問題が生じてくるとおもうのです。
自分を押し付ける、男性スタッフに辟易しています。

私が、男性恐怖があり
それらをスタッフどうしで話あったそうですが。
「男性が苦手という事で、仲良くしたいと思っています」と
最近、入ったばかりの30代後半くらいの年齢?の男性スタッフが
私につきまとい、
作業や、何かとやってる最中は関わってこないのに!
雑談のときなど、絡んできてやんわり話しをそらしてるのにくっついてきて、
そこの場所から離れても、後をくっついてきて。
もともと私は話すこと自体にストレスを感じるので、気の合う人としか
話せないのです。
ですが、そんなことを知らず、押しの一手。
ニヤニヤしながら、外に出ても外にでてきて、私をのぞきこむのです。
ですから、そこにいた人が、どうしてそこに立ってるの?と聞いてくれました。
それが、社会福祉士なんですからあきれたものです。

ほんとうに怖い。
精神的に病的な人や、嫌なことをする人間でも資格は取れて、
そういう場所に入ってきます。
ですが、こういう事をしたら嫌われるのではないか?と多少悩む経路があれば
ニヤニヤして私を追ってこないと思うのです。

よくよく、考えてみたら
その男性スタッフに、親しみをもって寄っていく人が居ません。
いつも、ぽつんとしています。
それなのに、男性が苦手とスタッフに打ち明け、配慮を願っているのに
ずんずんとくっついてくる
俺を受け入れろ!というのがいやです。
本当に気色悪いです。

あんな事をするから、強引で人の事を考えないから
他の人にも好かれない。それがわからないのなら、向いてないのだと思います。
わたしの男性恐怖を多分、面白おかしく思ってるのです。
論外。
そう思えて仕方ありません。
鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス
でも、私は
自らでしか鳴きません。
強引は我の象徴。
精神的に弱い人間は、福祉の現場には不向きだと思います。
利用者の困惑を喜ぶ神経は
自らの力のなさえの発散かも知れませんが、力がないのならどこに無いか
どうして他の人は必要とされるのに、されないのか?を考えれば
人への発散などしないはずです。
その、思いやりの無さが人を遠ざけているのだと思いました。
いまも、悩んでいます。
ストーカーのように後ろから、ついてくるその男性スタッフは
男性特有の、嫌われて、腹が立って、嫌がらせをしてやろうタイプではないかと
おもえて仕方がありません。
とにかく、私に話しかけなくても話す人は幾らでもいるので
そちらの方向へいってほしいです。
緘黙は頑固だとカウンセラーにいわれたのですが、
同時に繊細でもあるといわれました。
自閉スペクトラムにはいるのではないか?と思ったのは実は今日で・・・

毎日、いろいろ考えた末のこと
自閉スペクトラムに自分が入るのか否か。
これから、それを検証してゆきたい
学んでいきたい
あてはまるところがあれば、もっと知りたいと思います。
なにせ、時間があってもあっても足りません。
でも、こうやってもくもくと1人で書き込んでられるのも
やはり、私に自閉症の気があるのかも知れません。

福祉のスタッフは病みやすいといいます。
あれこれ考えすぎ、病みやすい。
その男性スタッフも
自己表現をどうしていいのかわからず
そういう方向へ走ったのかも知れませんが自殺行為だと思います。

  • [73]
  • 家は地獄と住む事を拒否した弟

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月12日(月)06時15分31秒
  • 返信
 
父が、近所につっかかる人だったし
大声で怒鳴り散らす、いろんな人に大人気ない迷惑をかけていたのはある
弟は実家の土地に住みたくないといった。

父は、母が亡くなってから、人ががらっと変り、生きていけないと言い出した。
一番愛していたと言い出した。豹変
あんなに痛めつけていたのに、人が信じられない気持ちになった私だった。
あんなに痛めつけて、お酒を顔にぶっかけて
寝させない。
大声でどなる。威張り散らす。父は朝でもなんでも自分の好きなときに、仕事もせず酒を飲んで寝てる生活をしていた。たまにくる仕事のお客さんに、無愛想だ!とか
文句を言っては、母に八つ当たりをしていた。
ほとんど仕事をしないで過ごしていたので、母はつかれきっていたと思う。
なのに、寝させない。
本当に血も涙もない行動をする人だと当時から思っていた。
が、矛先がわたしに向いたり、家族全員に向けられたので、家庭内が殺伐としていた。
なぜ、離婚しなかったといえば、当時は暴力を振るわなければ離婚理由にならず
我慢が足りないとされたからである。
母は数回、家庭裁判所に離婚の相談に言っている。
母や家族に暴言や物を壊したり、破天荒にやりたい放題、仕事もしないで酒ばかりを飲む父が、離婚理由にならない時代だったのだ。
誰も親戚も父には手を焼き、肩をもつのだったが、
別れる話が出ると、人が変ったように謝り、誓い、するのだが、忘れる頃になると
ふたたび、同じ人間になった。

父により、かなり心の痛手を私も負い
この人さえいなければ・・・と思う自分を責める事もあった。
早く死んでくれないか、まで高校時代は思っていた。

話が飛ぶが、私が病院に入院したときも、私の事より、自分のさみしさから
「自分の娘に電話して何が悪い!と、ほぼ毎日、病院の病棟に電話をしてきて
私を呼ぶのだ。
うんざりというか、父の役割を果たしていないなと思った。まるで私が面倒をみているような、
そういう状態を主治医は見ていて、父と私を離れさせるための入院という事であった。

数ヶ月入院をし、一旦退院をしたが、不安ばかりで。
3日ほど家にいたが、もう辛くなり。
鬱々としてきて、病院に逃げたくなった。
どうしても入院したいと、また入院をした。
そうこうするうちに、父が体を壊し入院する事になった
それが最後だった。

それまで、父と二人。
睡眠薬をもらって飲んでいた父、酒と睡眠薬で
ほとんど食べ物を取らなかった。

ある中になっていた。
はってあるいては、冷蔵庫の中に酒がないか探しに来る。
ステテコとシャツの姿で、風呂にはいらない。
祖母の部屋だった八畳の畳の部屋で、父は酒で寝たきりの生活を送るようになっていた。
睡眠薬と酒でほとんど酩酊状態だったため、トイレにいけず布団の中でトイレを
したりしてしまい。
はってきた父の手は、父の糞尿だらけだった。これは、本当に痛い話で
だから、冷蔵庫を開け触ると、それらが付いた。
そんな生活を何ヵ月もしている。
まくらの頭の上には、空になった酒のパックが山積みになり。
酒がなくなると、電話で、玄関にお金を置いておいて、酒屋にもってきてもらうのであった。
私は何とかしたかった、近くに親戚も住んでいたし、何とかしてほしいと思っていた。
私自身が出来るなら立ち直らせたかった。
父が食べられるような、サンドイッチや、ラーメンなどを作ったり買ったりしては
父の枕元に持っていった。
お父さん、これ食べてサンドイッチだよ。これだったら食べれると思うから、
酒ばかり飲んでては体に悪いから食べて。栄養を取らないと。
と父に言うのだが、
みむきもされなかった。サンドイッチも何も手をつけてはもらえなかった。
心が通じない相手だとつくづく思った。
本当に寂しかった。私は、相手にされない価値のない子供なんだと思った。
拒否のサインのように感じた。

でも、本当に食欲がなかったのだと思うのだけれど
たまに回復し、出前を父が頼むので・・・
どんぶりとかラーメンが多かった。
わざわざ店で取らなくても、食べれるようなものばかりだったが
出前は喜んで食べていた。
私は何にする?と聞かれ、父に付き合って食べていた。
本当に私の思うとおりにならない、自分だけの父だった。

体重を非常に気にしており、体重計に乗って自分が思うほどの体重では
なくなると、
食べ出す。
非常に痩せていた。
でも、体重計にのって自分の体は心配はしていたようで。
減ってくると食べる。そうだったように思う。
私が食べてとお願いしても、食べないのに。

そしてまた酒びたりの日々がはじまる。
冷蔵庫も使えなくなってしまった。
父に着替えてほしいとやっていたのだろうか?
布団を上げると、下が真っ黒くなっていた。
風呂に入らない、着替えない、布団の中でトイレをしてしまう。
寝ておきて、おきたら飲む。
何もしないでそういう生活をしていた。
それができたのは、私の実家が、母親が働きお金を残したからで
土地も購入していて、それを切り売りしたからであった。

私の作った料理も食べてもらえず
いらないといわれた。
弟と姉は一切近寄らず、私が父の事を相談すれば
あんたが家を出ないから悩むといわれ、あんたが悪いといわれた。

いまも、私はこの考えはおかしいと思ってる。
私が家をでて働けないから悩む。それはそうだ。
でも、悩みの原因は、父のその状態で、決して良い状態ではない。
その、状態を何とか変えねば
父もその中から逃れられないのであって、治療が必要だとおもう
そして愛情が必用だと思った。
その辺が、私がアダルトチルドレンになった要素かも知れない。
でも、誰かが愛情をかけないと、父の命は無いように思ったのだ。
愛情でしか治せないとおもった。
元気になって欲しかった。
いろいろ失敗していくうちに、私がどれだけ頑張っても、父は私の思うとおりにはならないとわかった。
でも、元気になって欲しかった。
ただ、元気になって笑って暮らして欲しかった。
生き生きと生きて、自分の人生を生きて欲しかった。

でも私の思うとおりにならない父だった。
だから、防げなかったのかも知れない。
だが、父が体の病気で入院したときにアルコールの禁断症状がでて暴れて
提携する精神科の病院に送られた。
その時に、父は他の入院患者と一緒にまるで廃人のように、ご飯を食べていたそうで。これは、弟が言っていたのだが。
それで退院させたい、入院なんかさせたら、きょうだい付き合いこれからしない
何も助けないと脅かされ、私は、いやいやだったが、退院させることに同意した。
でも、
あのまま、入院をしていたら、
父にとっては、家で1人でいるより、作ってもらったご飯を食べ、他に人がいて
温かい清潔な布団があり、なにより、
私にとって、父がアルコールのない生活が送れる健康な状態を思えば
ある程度数ヶ月は、入院させたかった。
父が亡くなったのは、父のせいだろうか。
寿命だろうか
アルコール依存症の人間は、およそ父くらいの年齢で亡くなる人が多いそうで。
それくらいだよと言われたことがある。
それくらいかも知れないけど、
入院させるお金に困っておらず、父だって健全な生活を送れ、また人生を取り戻すチャンスだったかも知れないのに、
家族ではどうにもならなかった飲酒をやめさせる機会でもあったことは
今も確かだと思う。
それについて、私はもう姉と弟と話し合いたいとは思わない。

弟は私をホームレスにさせ、金をふんだくり。
怒鳴り散らし、怒り。自己中に生きた。
姉は、私を助けてくれたが、
姉は姉なりに、一生懸命に私のためを思いしてくれた
でも、成功を望んでくれても
それに応えられず、それを誤解された。
私は努力をしたが、何かが欠けていて、
人間関係の力がなく、それが負担になり、不眠症やら
ノイローゼ状態になってしまい、結局応えられないのが
姉には理解できない人だったのだと思うし、
今は、理解してもらおうとは思わず、
離れて暮らし一切合わないほうがいいとおもっている。
姉は姉なりに随分苦しんだと思う、決して、考えが浅い人ではなく
優しいところや賢く人の気持ちを汲むところもある。
でも、上手くいかない。
結局は私の我侭、我慢のなさになってしまうので。
責められる。
責められても自分のすぴーどでしか前進できない
形だけを整えてきたが、しっぱいした理由は、
心がついてゆけなかった。
頭では望むのに、心が人の中にいると不安で溜まらない
一年一緒にいる、会社の人でも、怖い。
とてつもなく怖い。
仕事は楽しいが、人の中にいる自分が突然とても怖くなり不安になる。
刺激に敏感になり、赤面がでて、ぎくしゃくし
目の前のデスクの人の顔さえみることがプレッシャー。
あまりの緊張が、あって
仕事に集中できない。
でも、いろいろ仕事を変えてきたが、作業などの仕事につくと
人より頑張り評価されたいと思うので、評判はよかったが・
いつ何時、いじめの標的にされるか、いつも他人を疑ってばかりいて、
不安で不安で、顔は一応わらってみせるけど
心の中は人間不信でいっぱいだった。
それが、異常だという事はわかるのだが・・それでも、人間不信が治らず
医者にきくと、
人間不信だけは中々治らない。とはっきり言われた。
対人恐怖が一応なおっても、その意識が薄くなっても、気にしなくなっても
人間不信だけは、
治すのが難しいという話を聞かされた。

今は、人中にいても
この中にも、なにか心の症状で悩んだりしている人がいたり、
私だけじゃないんだと思え、
私も段々、自分だけが異常との認識が薄まりつつあるが
まだまだ、頑として私は変ってるとの認識が取れない。

  • [72]
  • かってに着いてきて出来た友人

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月11日(日)23時33分34秒
  • 返信
 
保育園、小学校、中学校と、友人はいませんでした。

高校で、なんとなくくっついてくる感じの友人が二人いて。
なんとなく、少しは会話をしたと思います。
でも、私の心は閉じたままだったのだと思います。
二人の高校時代のことをあんまり覚えていないのです。
ただ、ギクシャクしながら、こんな程度でいいのかなと思って
付き合っていたというか、
こんな事を言えばいいのかな、とこの程度話しておけば大丈夫かなとか。
とりあえずの言葉。
心からの言葉はでてこなかったみたいで、今もカウンセラーに
心から言えていないといわれています。

でも。かってに私に目をつけて、くっついてきてくれた
ので、
私も、遠慮しながら、なにかにつけ
両親をなくした頃から、
数年くらいから連絡を取ってみたりするようになりました。

気がつけば
20年来の友人になっていました。
最近も、ここ数年も、気まぐれでひとりな私に
戸惑う事もあったみたいだし、
最終的には1人でもいいと思ってるし、1人で生きてきた根性があるし
意地もある。
でも、ひたすら私にくっついてきてくれるわけが何となくわかるような
きっと友人も淋しいのだ。
仲良くしたいのに、できない。仲良くしたいのにしゃべれない
お互い話が合うとか、気が合うとか、一緒にいて楽しいとかの関係でもなく。

それがいつのまにか、長年のお付き合いになって。
理解力のなさや、お互いの人間関係の力のなさ、表現力のなさ、人間関係のスキルの無さで、ぎくしゃくしたが、
少し私は我侭が言えるようになり、少し踏み込んで図々しくものが言えるようになり、ずっと気まぐれな私の話を
素直に受け取って、ずっと私を信じてくれた。
なんなのかわからないけど、縁が切れず、とぎれとぎれでお付き合いをしている。
多分、私が不器用だから信用して親身になってくれるのだと思う。
もし、私が器用だったら。
人間って不思議な縁で、こんな人間関係のスキルのない経験のない私でも、
一応、幾人かの話ができる知人達がいる。
こういう友人が欲しい、こんな関係を作りたい、あの人と友達になりたい
と思ってできた関係は、皆無ですが、
でも、なんだか周りに居てくれる人達に、これは縁だったのだろうかと
思う。
流れ流れて、ここまで来て、
これから、少しずつスキルがあがるたびに
人への理解力が増してゆき、
私も変ってゆくのだろう。
若い頃より、恋愛だって何一つ自由にいかなかった。

自己表現ができづ、もっていかれてばかりだった。
理想的な関係なんて築いたことがない。
築きたいのだけど、方法がわからない・・
いかに、子供時代からの人間関係、家庭の中の人間関係が不可欠だったか。。
でも後悔なく、
なんだか勝手についてくれてきた友人達は、私に何らかの親しみを感じてくれて
付き合ってくれたのだろう。
なんの努力もしていない、努力ができない、仕方がわからない
努力して理想の人間関係が自分が好きなタイプの人と付き合えるのなら
いくらでも、これからでも努力するつもり、。
カウンセリングを進めていく過程で、多分身に着けるとおもう
まだまだ時間がかかり、私の青春も終わりそうなのだけど

これから、もっと人間関係を広げれば
格段にカウンセリングが進むらしいので、
人を知る機会を増やし、その中で気が会う人を増やしてゆきたいし
見つけていきたいと思っている自分がいる。

  • [71]
  • 心の癖が、病気と云われるのはおかしい。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月11日(日)22時43分16秒
  • 返信
 
心の表現や癖が病気といわれるようになりました。

緘黙のような症状こそ、発見され治療というか
周りの協力を得たいところですが
様々な症状を症候群や障害と、位置づけるのはおかしいと最近感じます。
かなり、おかしい。
ずっと私は精神科で治療をし、自分でカウンセリングに通ってきました。

が、薬で治すのは無理だとつくづく感じます。
いま、障害、症候群と○○恐怖症と言われているものの、
大半は、ただの性格だと思います。

先日、
とある会で、かなりの数の人が出席しているものでしたが、
対人恐怖症となのる男性や、
緊張してあせが止まらないで悩み、たぶん、病気だと治療を受けていたのでしょうが。
汗。。汗なら拭けばいい。
対人恐怖症も、薬では治らないと思います。

汗で緊張して、なぜ気になるのかを考えると
人前で汗をかき緊張する
緊張するから汗をかく、
緊張してはいけないとおもってる、或いは、汗が嫌だとおもってるのかも
知れないけど。
拭けばいいのではないかと思います。
いけない、○○ではダメと思うから、恐怖症になるのかも知れません。

躁鬱でも、躁でも本人が苦しくなければいいし、
鬱でも、暮らせる状況が整って、本来の自分をとりもどす事ができる場が
あればいいし、
いけないと思うと、なにもかもが病気になるような気がします。

だけど、緘黙は心身の生育に非情に大きな負担を残すし
将来も変ってしまうほどのこと。
話せない苦痛や、そういうものをとりのぞいて欲しいとおもいます。
生育の過程、子供のこころの健康を守る事は
将来、ストレスに強い人間になれるとは思います。

  • [70]
  • 緘黙でも、生育によって違いが出る。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月11日(日)22時32分47秒
  • 返信
 
どうやら、私の高校時代の友人も長い付き合いでやっとわかったのだが、
場面緘黙のように思える。
学校に行くとしゃべれない、小学生のころは仲の良い子と遊んだり友達がいたようだが、うらぎられ?てから、小学校は違うのでよくわからないが、用心深くなったらしい・・・。
高校で一緒の高校になり、最初のころはあまり私はその友人を認識しておらず
1人で、学食をたべていた。
食堂と学校の教室、どちらかで食べる事ができた。食堂で、私はひとりで食べていたらしい。
まったく覚えていません。でも、友人は1人で食べるなら一緒に食べてくれたらいいのに。と思っていたと最近聞きました。
私が1人でたべていたこと、その私を見ながら一緒になぜ食べてくれないのかなとおもっていた事を、はじめて知りました。
私には、本当に記憶がありません。

あまりに一生懸命で記憶がないのか、、
たぶん、その友人と食べないのは遠慮だったのだとおもいます。。。

それで、友人は学校で思い切りしゃべれない分を毎日、家で発散していたそうで、
家では主のようにふるまっていたといいます。
それが、私は・・・・・・・。
家でも脅えていたし、実父が欠点を見つけてはあげつらい、ひきずりおろされるし、帰ったら母が家出をしていたり。
姉にはストレス発散で嫌がらせをされ、弟のことは心配で・・・。
まったく家が安心できる場ではなかったのでした。
激しい喧嘩は日常茶飯事、私は喧嘩は嫌いです、ですが、しないと・・
しないと、家では無残な結果になるので。
ほんとうに、おもいやりがもてない。家族というより、なんというか。
嵐のような家族でした。
したくないのに、喧嘩をさせられる。しないと、いいたい放題云われる。
自尊心を守る為にやっていたような。
感情をかきむしられるのは、本当に嫌でした。

家庭の環境により、病気になるかならないかがわかれめなのだとおもいます。
神経症や、いろいろ、
家族が応援してくれている、受け入れてくれる家庭環境の緘黙と
家族がまったく安心感のない、嵐がいきなり吹くような居場所のない家庭の子と
は、大人になってから結果が違ってくるのかもなと。

でも、いまのところ、
ずっと1人がいいとおもってきた私の願いは偶然に叶い。
過去を否定しないで、生きられていて、
家族にしばられない、家族に苦痛を与えられないで
生活できることがしあわせだと思います。

  • [69]
  • 見られて恥ずかしいものが何もない。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月 7日(水)11時01分38秒
  • 返信
 
見られて恥ずかしいものがなにもない。
嘘、偽り、
うまいこと言って他人をあざむく。
これらが、ない。
ただお上手は言う。

不思議だが、喫茶店のマスターにあれこれ
話すうちに、愚痴を。
一人に話すと、隠し事がなくなったような気分になり、
外へ出るのが多少怖くなくなった。

外へ出るとき、ドアが怖くてあけられない
人々の目が私を切るように見つめるよう。だったのに
ついさっきまで。
ドアを開けるとき、次は何をしようとおもってる私がいる。
不思議。
ずっとクリアーできなかった世界・・。
何も考えず恐怖に思わず、次は何をしよう。
それに集中できることはありがたい。
この状態が続きますように。

  • [68]
  • 喫茶店でおしゃべり

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月 7日(水)10時42分0秒
  • 返信
 
この一年で、出会った喫茶店があり、
そこがカウンター式で、初老の男性がひとりでやってるので、

統合失調症の友人と一緒に行った。
前々から友人はその喫茶店にたまに行っていたらしい。
よく友人がしゃべるので、私はひたすら黙って話しをきいていた。
友人は多分だが、
アスペを持っている、だから空気が読めない。
体調が悪い日があり、かなりうつだった、体力も限界で
思った以上に力がなく、カウンターに座ってるのも大変で。
人の顔がみえるのも、圧迫感しか感じず辛く・・・。

その時に、友人に疲れたからそろそろ帰らないというと
まだ、私はいいから~と
友人の車でのせてきてもらっていたので、帰れず。
喫茶店に入ってから一時間近くたっていた。
もういいんじゃないか、もうだめだ。。
鍵をかりて、車のなか、8月の炎天下、クーラーを入れさせてもらえず
助手席に横たわった。
それからも待たされた。
どうしていつも気持ちをわかってあげてるのに、こういう時に
私の気持ちはわかってもらえないのだろう?冷たすぎる。
待たせてマスターと話してる、友人。。
その後、ニコニコ笑って走って車にきた、15分経過していた。
待たせると悪いから~と言った。
納得したからでてきたのだなと思った。

むしょうに原がたった。
それより、他の友人に携帯でぐちっていたので、
今こられても、でもすごくストレスで。

そういうやりとりをマスターは知っている。
「あなたも、強情だなあ」
と言ったらしい。

10年近くになる付き合い。

それから、とげとげしい言葉が数々彼女から出るようになり。
疑問だった。
疲れた。
それでしばらく縁を遠くした。

その間、ふつふつと色んなことがよみがえり
マスターに話にいくようになった。
なにせ、誰も客がいないので話しやすい。
それに、友人が心の病気だと自らいっていたので、
もう何でもよくなり、
どうせ私もそう思われてるのだろうと思い、話してやる!と
息巻いて喫茶店にいった。
他人に自分の病気のことを話す経験などなくひたすら隠して息を殺し
いきてきた。
それから、私は三時間。。。

その話を他の人に話すと、
人がすきなんだね~ほんとは人がすきなんじゃない?
といわれた。

違うように思う。そうでもない、人より怖いものはない。
つまり、
私には、家族がいなくて、むしろきょうだいも冷たく無理解で
暴言、嘘を言うし、冷たく厳しい。ひどい。
だから、
他人しかいないのだ。
この人ならと思った相手に、あれこれ話す・・
これによって、少し変わった。
いやな体験も、七転び八起き。

人がすきなんだねと言った友人は
実家の母や姉や、愚痴をいえる本音を言える人がいる。私には
それを受け止めてくれる人は、他人。
しかいない。
人がすきなのではなく、わたしのような家族がいない人間が
できることは、垣根を作らず
他人のフトコロに入って我慢する事がどうしてもできなきゃ
話し相手もないって事で。
他人の垣根崩しの橋渡しかも知れない。
見られて恥ずかしいのものが何もない。


  • [67]
  • 人間も動物

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月 7日(水)05時37分49秒
  • 返信
 
キリスト教と、人類の進化
二つに一つの問題。
キリスト教があり、人類があったでもいいのでは。
キリストが言ってる事はおおむね、そうだなと思うし、人類の進化
人間もサルだった、も多分そうだよね。と思う。

いじめの問題も、サル山問題で
結局、強い者が集団で弱いものを虐めるのはサルだった人間の名のこり
いじめる人間は、サルにより近い。
動物に近いわけで、脳が人間化していない。まだサル部分が多く、
ときおり獰猛になる。
で、いいのではないかと、思う。
やはり、人間は動物だったのだ。
なにやら大人しく緊張してる場面が気詰まりで、警戒されてる空気やら
そういうのが、何らかつっつきたい、と思うことが最近、私も経験し、
ショックを受けている。
友達なのに。。泣
つまるところ、私のストレスが=警戒されてる空気(弱い)と察知し
共鳴し、ごちゃごちゃになり、その緊張に耐え切れず何らかアクションを
起こしてしまうサル。
なんだと思った。
だから、人間社会にもいじめは無くならず。
じゃ、どうすればいいかといったら、自分の残虐性を認めることからしか
はじまらない。
で、止める、
理屈に合わないことは止める。
感情と理性があれば、かならず感情が勝ってしまう。らしい。。。
私の場合は、
夢を喪失し、生きたいように生きられなかった過去やら
過去のことを考えても仕方ないと思う憂鬱やら、
だから、それらを踏まえたうえで、覚悟して、立ち直りたい。
優しさ、
そう、優しさ、日本古来の礼儀、は強さかも知れない。
優しさは強さ。
強くなりたいなら優しくなろう。

  • [66]
  • 考え方を変える

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月 6日(火)05時53分5秒
  • 返信
 
以前、NHKのハート・・なんとか
障害者の石田いらの番組で、強迫神経症の特集をやっていた。

強迫神経症・・・私も知ってる患者がいたが、相当プライドが高い女性だった。
声がめいろうで、綺麗で、旦那さんがおり、私と同年齢だった
気位が高く、元気でどこが病気かと感じた。

後は、手洗いが終われない男性もいた。手荒いが終らず食事時間にまにあわないのだけど、止める事ができず、やっと終ったら(納得がいく)もう
時間がすぎ、片付けられていたので、看護婦に食って掛かっていた。
怒っていた。

こだわりだと思う。
拒否なのだと思う。現実を受け入れることの拒否が強迫神経症となる。
じゃどうすればいいかというと、
死ぬか生きるかの前にたたされないと治らないと思う。わたしは。
相当こだわりが強く、それが許される場面にいる。
許されるから続ける。
必ず、強迫神経症には保護者がいた。旦那なり、父親なり、力の強いもの
強迫神経症は、拒否。
分析してゆき、これが嫌いだからいやだからこうなってるだとわかれば
直すと思う。
恐怖も何が怖くて、怖いと思ってるか・・自らの見たくないものへも
目を向けないと解らない。
でも、
強迫神経症の人は、おおむねプライドが高く、活発で、そういう細かな思考はしないで、行動にでるのだと思う。
怒り、拒否、プライド
誰でも欠点はあるのだから、と思う。
生きるか死ぬかの場面になったら治るものを私は病気と思わない。
かくゆう私も強迫性の薬を飲んでいて
恐怖症。
だった。いまでも、ついさっきまでその恐怖で身動きができない
思考の毎日を送っていた。
怖くて解らないから拒否するのだろう、自分のスピードで歩きたいから
とまるのだろう
だから、私は自分のリズムとスピードを感じたいと見つけたいとおもう。

  • [65]
  • 一番優しい者が犠牲になる

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月 6日(火)05時37分59秒
  • 返信
 
20代の頃、初老の精神科医が私の担当で、
病院に不信を抱きながらも、また見舞いに来てくれる家族がなく、
もし閉じ込められても出してくれる人がいなければ、私は身動きができない状態に置かれるという恐怖がありました。
が、
私の担当医の事を信じるしかありませんでした。
入院患者にはいきなり殴られるし、寄声は怖いし、看護婦も信用なら無い
(なるような普通(健全そうな人もいた)
私の入院理由は、つまるところ、精神的不安定、人間がまだ出来てなかった
一人で生きてく力の不足、世間を知らないのでものの考え方の構築の基礎が
できていなかった・・・重いノイローゼを患っていて
相当な対人恐怖症と不安神経症であった、病名は神経症全般と付けられた。

避難・・であった。
私にとって、いきなり放り出された世間が、どんなものか
その年令までで知ってるはずの事を知らず、もちあわせていなかった。
ゆえに、会社で負ってしまった赤面と対人恐怖で
心身消耗、意気消沈していた。
世間がわからない・・そういう不安がおしよせた。

避難。
であったが、デメリットもあった。やはり、ああいうところには
入院しないほうが絶対に良い。

ああいうところだから。
私は、自尊心と命を落としそうになった。
でも入院は現実逃避ができ、楽であり、力の無い私がいきてくのには
それ、しかなかったように今は思う。

その先生が、「家庭で一番やさしい子が犠牲になる!」といっていた。
どうして?と聴く私に、一番やさしい者が犠牲になるといつも答えてくれた。
少し離れて考えると、精神科業界に正解はないように私は思う。
ただやってはいけない事がある。
それは患者の人権を侵すことだ。とおもう
こういう事に長年経験してきて、問題意識を持っている
あなたは○○だから結婚はやめなさい、子供を作るのはやめなさい
今から10年前でも、精神科医はそんなことを患者に言うのだ。
それは人権であり、○○する為に力をかすのが精神科医であって欲しい。
患者の人権になるうるような、行為を阻止する治療を行う医者は
滅びて欲しいと今は思っている。

腹が立つ。のうのうと生きてるのが腹が立つ
県立I病院のT医師は最低だった。

愛情がなければ治らない
精神科医は後悔していたら勤まらない仕事だろう?
いくにんの
命を失ってきたのだろうか
愛がなければ治らない。
人として熱く誠実で真剣でなければ
治せないと
思うのに。

  • [64]
  • 絶縁の意味

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月 5日(月)06時39分28秒
  • 返信
 
私は弟と絶縁しています。
姉とも、なんどか考えますが、やはり絶縁しか無いのだろうと思います。
元々実は責任感が強いので、絶縁も苦しいのです。
ですが、人の事をなんとも思っていない弟をもやは信じる気にはならず、
信じないと決め、
暴言の虐待を続ける姉の悲鳴を聞きたいと思わなくなりました。
私は一人で立って一人でやっていかなきゃ、言葉の迫力、妨害、暴力
嘘、にまたやられてしまいそうです。

もっと穏やかに、誠実に
お互いが譲歩しあわねば、尊重しあわねば、現実はそれでなく
姉に暴言を吐かれてる間も、違う違うといいながらも
それは違うと説明しようとすると、電話を切られ一切聞かれないなど。
誤解。
架空の関係の中で、想像上で争うのはもうごめんなのです。
現実を知らないで、お互いの情報交換もなく、いきなり決め付け暴言
あまりにも幼稚すぎる。
私が、そういう行動をさせる起因にもなっているのなら。
私も嫌だし、近寄れません。
家族崩壊。
誰かのせい、何かのせいにしない。と決めるといいんだと思います。
私は中間子ですから、
上も見て、下も見て育ちました。
自分だけの事は考えられません。
ただ自分なりの努力をしてゆくのみ。
家庭病、
家庭アレルギーは私にはあり、もう家庭を持つことを本音で
望んでいない。
ごたごたより、一人がいい。
もしできるのであれば、姉と弟が話し合い、和解しあい、仲良くなったら
復縁はあるかも知れない。
本来は、きょうだい仲良くがしたいのですが。
一番弱い立場のものが、どうしてもつらい目にあうような素因はまだ
残ってる以上、近づくのは避けたい。
カウンセラーにも、関るのは止めなさいと言われています。
自分なりに考えてみるものの、家庭内不和は私のせいでなく
仲良くする術を知らないもの同士が、
分かり合うのは難しいと思います。
淋しいですが、それが本当のところかと。

  • [63]
  • 母の決めつけ、過干渉とネグレスト

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月 5日(月)06時25分45秒
  • 返信
 
もう母の事は憎んでいません。なんとも思わなくなりました。
話すこともできづ、亡くなって20年以上たちました。

なんとも思わないのは、話したことがあまりなく
私が私を自覚して言葉にして表現するまで行かない内に亡くなりましたから
母がどう考え、どう感じ、どうしてそうしたか。。考え方や感じ方を知る
会話の時間もありませんでした。
どういう人か知らないのです。真の言葉でのやり取りがないというか
私が緘黙であったために、後は、家庭内で本音をいえなかったために、
話し合いといっても、できなかったので、母がどういう人であったか知る由もないのかと思います。
ただ、たえず周りの目を気にしてる人のような感じはします、それを大事にしてそういう人であった、他人から悪く思われたくない人でもあったとおもいます。

もうそういう母親を憎む気にはならず、かえってもっと知りたかったし
長生きしてくれたら、もっと会話ができ、もっと母を知ることができたのではないかという、気持ちに自然になってきています。
とても、淋しい。
やはり、母は私には一人しかいないわけですから。

ですが、こうやって何とか自分の力で過去を振り切って
忘れる方法もあるし、何でもなかったように生きる方法もあるが、
あえて、捨てず振り返りながら進む私を褒めて欲しいと思ってる。
母がわからなかった、私の緘黙を私自身が治してる。
解明してゆく。
それを褒めて欲しい、母を悩ませただろう私の緘黙。自ら克服してゆく
姿を褒めて欲しいからやっている気持ちも生まれるようになってきました。
もう随分と図太く、
自分で自分の身を守れるようになりました。
私なりの答えは、
命さえあればいい、元気で明るくあればいい
信頼できる人がいればいい、
自分の目を信じることができるようになり、去年まで外出恐怖が如実で
生活自体も困難の極みでしたが・・。
あの苦痛が二度と襲ってこないように、進んでいます。
自分の目を信じることができれば、対人恐怖症はよくなるし、人に害さえ与えなければ、自分の苦しみを抱え込めれば、また人が怖くなくなりました。
自分に自信を持つこと、
自信がない、自信がなさそう・・と言われ続けた私ですが、
今は自信がないとは自分で思えなくなりました。
私の感覚でものをみて、人をみても大丈夫と何となく落着いています。
自分を信じられないのが、自信がないという事で。
何とか生活上、色々な困難や心配事があるけど、他人の力を二次的には
借りるものの、
自分で考え決断し、想像し想定し、行動して、結果を見るを日々やっています。
一人で生きていくことはとても大変なので、どうしても考えざるを得なくなります。
緘黙だった私は、たぶん一人でも生きていける根性を持っていて。
それが、普通の人とは違うのだと思います。
ただ、根性だけでも生きていけないので現実的なところは普通の人に助けられています。
なんとか、緘黙のままで緘黙の一生を成功させたいと思う・・
緘黙を否定したくない、忘れ去りたくない私がいる。
あれだけ苦しく我慢の日々を子供時代に送ったのだからという
孤独感からかも知れない。
孤独感さえも大事にしたい、そこに何らかの人を救うヒントがあるように
おもえます。
例えば、子供時代におもっていたのですが、集団心理が私はキライで
必ず、同調心理が働き、私は、多人数のいじめにあいました。
集団心理の危険性、同調心理の危険性、自主性の無さ・・が
弱者を追い詰めるという事を肌で感じて、育ったために。
集団心理で流される人達がきらいですが
客観的に冷めた目で冷静に対処することも同時に大切だと思っています。
心の問題を、子供の頃から考えており、
みずから、緘黙だったのに、自ら悩み考えており、
いつか、声に出し、伝える時が必然的にくるだろう
誤解を解く
それをなんとなく、子供ながらに何となく
その時のために、今は話せないけど・・
証言するときがくるだろうと、思っていました。
家庭問題、子供の問題
間違った大人
誤解
力の無いものが犠牲になる
これらを何とかしなければならないと
子供なのに、当時から思っていました。
と同時に、どうして私はしゃべれないんだろう
と自分を責め、悩んでいました。


レンタル掲示板