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今ではナレーターをするまでに
投稿者:前田 詩子 投稿日:2007年 5月24日(木)16時30分35秒今日始めてこのサイトをしり、コメントさせていただきます。
何かのお役に立てれば嬉しいです。
私は幼稚園から小学校4年生のころまで
場面緘黙症でした。
私はその名前も知らず、4年前くらいにそれを知って大変驚きました。
幼い頃の記憶もそんなに残ってないので
でもあまりいい思いではありませんね。
友人から言われたこと、先生方から言われたこと、話せないのを
いい事に 軽くいじめにあっていたこと
そういうシーンだけが うっすらと残っています。
私は今ではラジオのパーソナリティやナレーターなどの活動を
するまでになっています。
それまでは 高等学校で臨時国語教諭を4年間務めました。
話せなかったからこそ
『どうしたら伝わるか』
『伝えるなら素敵な言葉で、誰も傷つかない言葉で』
それを考えられる私に今はなったと思います。
私が 家族以外と話せるようになったキッカケは『歌』でした。
話をしない私でしたが、音楽の時間私が歌がうまいことを
担任の先生が発見し、合唱の発表会で舞台で少しの部分ですが
ソロを歌わせたんです。
それがキッカケで、歌がうまいね〜!とかなり褒めてもらったことで
「私は歌がうまいのか」と認識できるようにり、それが自信となった
のかもしれません。(小学校2年生の頃)
それから少しずつ 少しずつ、話すことにも慣れていったのかもしれません。
(記憶があまりないので、曖昧で申し訳ないです)
小学校4年生になるころには、人見知りは激しかったですが、
友達と一緒に遊ぶようになりました。
中学生になると吹奏楽部に入り、音楽に触れました。
高校生になった時、「声が素敵だ」と言われ、放送部にスカウトされ、
嫌々ですが入部しました。
アドリブで話をすることは苦手ですが、原稿があると凄くうまく読めること、
朗読がうまいことが発覚し、
始めて出たアナウンス大会で沖縄県代表に選ばれ全国大会へ出場しました。
私が話せるようになったのは、周囲の理解と、特に私の母親が
私が輝く瞬間を見逃さなかったことだった気がします。
そしてかなり大げさに 褒められたことが自信に繋がっていった
んだと思います。(かなりのオーバーリアクションの母です)
話は出来ませんが 『詩』を書かすと、とても素敵な詩を書いていたそうです。
話は出来なくても『書くと素敵な文章表現ができる』
『話が出来なかった分、「伝える」ということを深く学ぶ』
『言葉によって傷つけられた分、私は出るだけ人を傷つけない言葉を使おう』
そういうことを 幼い頃に学んだことで 今の私があります。
『言葉なんて無ければいいんだ!』
『みんながしゃべらなくなれば誰も傷つけあわない社会になるのに!!』
と、あまりにも私が感じている事が周りに伝わらないため、
『言葉』自体を憎んだこともあります。(これは最近の話ですが)
緘黙症の方は、感受性が人一倍強く、周囲の人を見抜く力もあると聞いています。
嫌な人と無理して話す必要もないと思いますし、頑張らなくて良いと思います。
気楽に楽しく、話したい人と話して、段々と慣れてきたら、自分から話したい時が
きます。焦る必要も焦らす必要もない。
私は今でも『アドリブ』は苦手なので、原稿が無い時は少し焦りますが、
だんだん それにも慣れてきました。
幼い頃、話せなかった分、家で本を「音読」するのが好きだったのはそのせいなんだなと
今更ながら感じています。
絶対話が出来るようになると確信しながらも、心は焦らず自分を信じて
そして家族や周囲の方は 『言葉に頼らず 感じて 感じて 感じてあげる』
ことも大切だとおもいます。
頭ではなく、心の目で見る。
敏感な子供達は 『表情・態度・雰囲気』などの 非言語コミュニケーションで
感じ取っています。
『迷惑じゃない』といいながら 『ふぅ・・・』とため息をついたり
『可哀想と思ってないわ』といいながらも、表情が寂しそうだったり
そういうものを敏感に感じているんだと 思います。
私の場合。そうでした。
http://jyouka.ti-da.net