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RE: 宗教と呪術、その他

 投稿者:高橋英利メール  投稿日:2012年 2月26日(日)15時34分2秒
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  大田さん

どうも、こんにちは。
しばらく海外に出張しており、返事が遅れました。

文庫本『オウムからの帰還』は、今度お会いする機会がありましたら、是非贈呈させてください。
僕はまだ先生のようにシャープに言説を唱えることはできないのがもどかしいですが。

ところで、いくつか重要な論点も出てまいりました。

■「呪術」と「宗教」の違いに関して
当時活躍していた宗教学者の方々が全く触れていなかったとは思いませんが、充分に深められてもいなかったテーマでもあります。
ぜひ、ここら辺の分析も披露していただけると助かります。

>こうした「宗教」と「呪術」の二分法を前提とするなら、麻原彰晃やグルジェフ、あるいは中沢新一や内田樹といった一部の知識人たちが語っていることは、実は「宗教的真理」についてではなく、主に「呪術的真理」についてではないかと考えられます。

これはでも、大胆な指摘ですね。テンポとしては引き込まれるのですが…
しかし、大田さんがそこまでおっしゃるのであれば、この違いを明確にした上で、見落とされていたであろう「呪術的真理」とそのメカニズムを解体していかなければならないでしょう。そしてその上の討論として学術的にも精査されうるものと発展するものであれば有意義だと感じますが、いささかこの刺激的な言説も、早すぎはしないか?というのが僕の印象です。
このテーマを語るのであれば、もう少し広く学術的な場でも展開していただきたいです。

それに、ここに挙がっている人たちの思想を十派一からげに纏め上げ批判する姿勢には賛同できません。大田さんはどうもそういう傾向がありますね…
(それは外野の第三者にとっては楽しいめるものかもしれませんが、僕はちょっとついていけません。)
僕はそこまで彼らの思想に通じておりませんので、軽はずみなことは言えません。
それは仮にも人生をかけて練り上げた諸思想家の方々に、粗野で短絡的なくくりすぎはしないか?と感じます。
大田さんによってステロタイプに纏め上げられた説明は、それによって簡略化されて解り易くなる反面、細部のディテールを大胆にそぎ落とし、誤謬も生み出してしまう恐れを感じるのです。老婆心ながらも。

…とはいえ、この「呪術的」な側面のあぶり出しは重要なことだと思います。
ひとつ僕のほうから上げられる点は、「名前」です。

オウムにはホーリーネームの制度があり、教祖の霊的視点と感性で弟子に新たな名前が付与されたのです。
仏教にある「改名」と似た意味合いをベースにしているのですが、そのスタイルは先述のO(ラジニーシ
の団体が使っていた手法の模倣であり、もっと「今的」であり、信者にも「受けていた」と想われます。
日本ではなかなかないスタイルで、意外性がありました。
その横文字の新たな名前に、どこか「本当に生まれ変わった」感じを持たせることに成功したのです。

現世の名前すら「捨て」させ、教祖が名付け親となって「生まれ変わる」儀式…それがオウムのホーリーネームであり、その影響力は精神的に計り知れない大きさを持ち合わせていたと推測できます。

信者は、その意味で「教祖」に名づけられた名前によって「呪われて」おり、その強さは計り知れないほど大きかったと言えるでしょう。

ちなみに、僕はそれを与えられていない点において、かろうじてその「呪い」から逃れていたと言えるのではないかと。
その代わり、出家前、出家後、脱会後を通じての一貫した僕の「高橋英利」という名前は、重くのしかかっています。
自分で言うのもなんですが、僕は自分の名前に一時期つぶれそうでした。

僕の意見を述べます。
「宗教」と「呪術」の二分法を前提にしては、いけないと思います。

この時点で行われる「排除」には有意義な発見はありません。
その二つはむしろ「混合」していたと言えるでしょう。

事実、カルトと宗教の違いによる、既存宗教の防御的な姿勢が当時さかんだったと思います。
その上で、カルトの行動的結実をもって、違いを語りたい気持ちは充分に分かるのですが、入り口は同じ性質のものでしょう。
それを理解した上で、もう少し内部に迫りたい…17年の歳月が経った今、それが少しはできるのではないかと想うのです。

呪術的性質も捉えた上で、宗教的動機が厳然としてあったであろうことを度外視すれば、その視点はひどく視野が狭いものとなってしまうと想われます。

そして、その点において、麻原を精神病で単なる凶悪犯という視点で捉えてしまうことに危険性を感じます。

■麻原とグルジェフ
>結論としましては、オウム真理教の教義や麻原彰晃の人格をグルジェフの体系で分析するということよりは、両者をともに一種の「呪術の体系」と見なし、相互の共通性や違いを比較分析してみる方が有効なのでは、というのが、私の考えになります。

了解です。僕も別に特殊な体系でのみ観察することは本意ではないので、大田さんのアプローチに期待いたします。
じっくり行っていただければ…と思います。

■麻原彰晃・村井秀夫・上祐史浩の関係について
ここらへんは、当時の三者をよく知る人物などから情報を引き出したほうがいいように思います。
僕はかろうじて、この三者を観察できる位置にいたので、その地点から見えていながら世間では表現されていない点をご紹介させていただきました。

■文庫本「オウムからの帰還」あとがきの挿絵
自分で言うのもなんですが、歴史的に貴重な資料になると想っています。
一枚目の麻原は、麻原初公判の時、彼が着席した直後に見せた表情になります。
ここから読み取れるメッセージは、ロゴスを超えており、僕はどんな表現も的確でない…ものを感じます。

当時、この裁判の傍聴も狭き門でしたが、この傍聴における僕の法廷画は、世に出ませんでした。
僕がかつて信者だった事や、裁判当時において脱会後の人間であることを踏まえた上で、この絵が適当でないと判断されたのでしょうが、僕は、この「世に出すことのできなかった絵」を公表すべきだと思うに至りました。

計4枚の絵を載せましたが、麻原の変遷が読み取っていただけると思います。
 
 
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