|
立教大学での講演は時間が足りませんでしたね。先生の講義はオウム真理教という「深遠なゴミ」を相手にするだけに、大変な作業であったと考えます。中沢新一は責任を島田裕巳に押し付けて実に華麗(笑)な逃走を図りましたがオウムの教義そのものは、巨大なクズ肉の加工品でしかないと言えましょう。ただ、バブル期の高揚感と不安感を巧みに取り込み、信者を増やしていったことだけ見事と言えるでしょう。私もその一人になっていたかも知れないとふと二十歳当時の自分を振り返ることができました。しかしサンスクリット語の雑な乱用と教義の幼稚さに気がついた私は、すぐ近所にあったオウムの道場に足を運ぶことを良しとしませんでした。もう一歩先の踏み切りが先生の研究には必要だと思います。さらなる研鑽を心より願ってやみません。
いくら教義を論理的に見せかけても、新興宗教は必ず「飛び込む一線」があります。その一線がオウムの場合はどこにあったのかをもっと突き詰めてみてください。大田先生の奮闘を期待しています。
|
|