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どうもです。少しづつですが、交流させてください。
本を読みながら、感じたことなどをつれづれにですが。。。
人間は、生まれ、育ち、老い、最後には死を迎える。死によって肉体は潰え、全ては無に変えるかのように見える。しかし、実はそうではない。死んだ人間が生きているあいだに作り上げた財産や、彼が伝達してきた知識は、残された生者たちのなかでなおも行き続けるからである。この意味において人間の生は、その死後もなお存続するといわなければならない。 ~p28 そもそも「宗教」とは何か 『オウム真理教の精神史』~
クリシュナムルティは、イエスの存在に関して、その影響力をして、「エコーしているのだ」とかつて語っていました。僕の記憶の中での言葉なので実際の正確な言葉であるかどうかはわからないですが、この表現はすごく的を得た言葉で納得がいくものだったのを記憶しています。
この意味するところを、キリストという特異な存在から広げて、人類一般の存在全てに当てはめてみると、またグッとくるものがあります。
人間の生は短いものですが、その僅かな期間における生命活動は、もしそれが何らかの形を形成するところまでいったのならば、連綿とエコーしてゆくのだということを示唆しうるものだからです。
この意味を捉えて生活すると、無駄なものはひとつとして存在せず、その輪郭はぼやけたものから鮮明なものに至る違いこそあれ、それは次世代に受け継がれることを意味します。
たとえ、それが破壊的で非生産的なものや悪意に染まった感情ですら、またはその逆に他者に親和的で清廉な意識状態においても、自分の好き嫌いに関係なく、それは波動として伝わるのです。
横軸~同時代のこの世界への方向性だけでなく、縦軸~次の時代への方向性~へと
この感覚があって、初めて人は、次世代への責任感を持ちえるし、狭量な精神から拡大した精神へと成長できるものだと想います。
そして、今ここにあるものが、自分の存在や境遇を含め、過去の<何らかの>産物であることを意識できるようになります。
哲学や神秘学、そして宗教には、そうした事を、気づかせうるものがあります。
とかく宗教が反社会性を帯びるものとして変貌を遂げ、その姿に驚愕することがあったとしても、人の精神に年輪のごとく刻まれたもののように感じる瞬間があります。
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