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『エヴァの誕生秘話に隠されている離脱思想』

 投稿者:高橋英利メール  投稿日:2011年11月20日(日)14時59分59秒
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  大田先生

先生のご著書『グノーシス主義の思想』を読み終えました。
興味深いテーマが盛りだくさんですが、まずエヴァの誕生秘話から、交流させてください。
(※内省的語り口調で違和感があるかもしれませんが、主に大田先生と話しているつもりです。)

「生命の霊」が宿ったエヴァの姿の美しさを目にして、造物主ヤルダヴァオートは性欲が激しく惹起される。そしてヤルダヴァオートがエヴァを凌辱したとき、「生命の霊」はすでにそこから逃げ去っていたのだが、その行為からは、「カイン」と「アベル」という新たな人間達が生み出される。彼らの肉体には、「生命の霊」を模倣して造られた「模倣の霊」が植えつけられ、こうして生み出された人間の種族は、交接と殺害の欲望に絶えず駆り立てられる。人間は放恣な性行によって数を増やし、地に満ちては、互いに争いあい、殺しあうのである。『ヨハネのアポクリフォン』は、これを「運命の鎖」と呼んでいる。

      『グノーシス主義の思想』第3章 鏡の認識 ~凌辱される神~

グノーシス主義は、この誕生と死を繰り返す「運命の鎖」のメカニズムを解き明かすこと、そしてそこからの離脱を図ることが目的とされる。(大田俊寛)

これは所謂仏教的な境地のひとつ、「解脱」と等価的な目的を持っていたことを示すものであり、アプローチの仕方や神々の名が異なっているとはいえ、ここにひとつの共通する理念が浮かび上がってくる。

気づかされるのは次の点だ。

 魂は、この世界に生まれ出でた事を…真に喜んでいる無邪気な状態では決してないのだということ。

しかも、この精神性は、神話や聖書や外典を元にしたものであるにしても、古くから考察されてきた「生」の謎への一つの答えとして哲学的な思推の末にたどり着いたものであることには違いはなく、メタフィジカルな領域において活躍するアイオーンやアルコーン達の物語を持ち出さなくても、恐らく到達可能な解釈だったのではないだろうか。

そして接点として、仏教思想とプラトン主義や他の思想的潮流があったかなかったか…僕は研究していないのでわからない。
しかし、あったにせよ、なかったにせよ、これほど似通った生命の輪廻像と、そこからの「離脱」思想がある点で、この世界の成り立ちについて、到達点が同じであることに、関心を示さないわけにはいかない。

そして、「離脱」が、求道精神の先にあるものだとしたら、その離脱方法こそが、違いとしてたち現れてくるのではないだろうか…
物質的肉体の住まう「この世」の価値が希薄になってゆく危うさにおいて、オウムの思想もグノーシスの思想も共通する何かがあったとして、それはこのふたつに限られた話ではなく、むしろ一般的に宗教という「あの世」をモチーフにしている思想体系にとって、こちら側の世界の観察は、極めて冷ややかに観察されうる傾向がある。その事に今更驚くには値しないだろう。

ただ、忘れてはならないのは、オウムは極めてラジカルに「この世を壊し、この世を救済しようと企んだ」組織であり、現実に発生し、その破壊力は、事実上「武器」を持つに至ってしまった点だ。

 世の中は、ぎりぎりのところで、かろうじて繋がっている状態…それが現在だと想う。

それは、その後の911事件や今年の311を体験した僕達は、フィクションとしてもはや片付けられない感覚が生起しているのではないだろうか。。。

多層的なパラレルワールドがあったとしたら、おそらくその一つの世界では、70トンのサリンが東京上空に散布されていてもおかしくないと思う。そうしたペシミスティックな仮想現実を見て帰り着く「我が家」は恐ろしく心細い。

 なんてとこに居たんだろう…(溜息…)

オウムが関心を抱いていた『ヨハネの黙示録』
…この書物の扱いは、極めて慎重にならざるをえないだろう。それはおそらく、時代を通じ地域を隔て、聖書学者や様々な思想家の方々にとっても解りきっていたことではないだろうか。一抹の不安を覚える。

ただ、明言することは避けたいけれど、これを引き起こそうとするもの達がいずれ現れるのではないかとどこかで予感していた歴史学者は存在した。彼の関心はまさに、このキリスト教的終末観が、引き寄せられようとしている様を欧米において観察してきた人だったが、それがその地ではなく、この日本で、しかもその<カルト>がキリスト教系ではなく仏教系の教義を主軸にすえるものから生まれ出でたことに驚きを隠せないでいるようだった。
(※ここらへんの話は、『日本社会がオウムを生んだ』(だったと思う)で僕は語っていたと思います。)

そしてそうなると、次に僕の感じたことは、この書の編纂のルーツになる。

 こうなることは、むしろ計画されていたのではないだろうか・・・もしかしたら。2000年ほど前に。

破滅的終末思想が生まれる背景には、既に言葉として書かれ、ベストセラーとして『聖書』の一部として取り入れられた時点で、「時限爆弾を抱えていた」と僕は想うのである。

歴史的に見て、当時は、「戦後50年の節目の事件」…と分析された社会現象としてのオウム事件。
決して、そんな浅い時代背景の歪みの露出ではないと僕は感じているのだが、その理由のひとつがこの「終末思想」が『装置』として作用し、導入されていたのではなかったか?という点

ここまできて、先生に問いかけたい研究テーマがあります。

エイレナイオスをはじめとして、何人かの教父達が、その教説の戦いにおいて、グノーシス主義を廃絶する情熱に燃えていた頃、
この『ヨハネの黙示録』の扱いは、どうだったのでしょうか?

また、聖書編纂の歴史においても、この書物が残され、例えば『トマスの福音書』などが省かれてしまう理由がわからないのです。

高橋英利
 
 
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