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『福音書が4つに落ち着いたいきさつ』

 投稿者:高橋英利メール  投稿日:2011年11月21日(月)13時18分26秒
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  なんとなく自己レス的ですが、ひとつは、答えに近いものを見つけました。
>また、聖書編纂の歴史においても、この書物が残され、例えば『トマスの福音書』などが省かれてしまう理由がわからないのです。
吟味の末省かれたのではなく、最初から4つだけに落ち着かせるつもりだったようですね。。。

他のサイトで情報をかき集めました。引用して抜粋いたしますと
http://homepage1.nifty.com/shingaku/p000011.htm

---[引用はじめ]
エイレナイオスにおける福音書~彼の時代にはグノーシス派による多数の福音書が著作された結果、いわば福音書のインフレとも言うべき状況が生まれていた。エイレナイオスはこれに対し、本来の福音書が四つだけであることを主張するため、次のように述べたとされる。

 われわれの住む世界には四つの地域があり、世界を吹く四つの風があり、そして、教会は全地に種まかれ、福音は教会の柱であり土台であり、生命の息であるから、至る処より不滅を吹き込み、人々に生命の火を点ずる四つの柱を教会が持つのは当然のことである。それ故に、万物の造り主であって、ケルビムの上に座し、万物を統合するロゴスが、人々にあらわれた時、四つの形をなしているが、一つの霊によって統合されている福音書をわれわれに与えたのは明らかである。
(『異端駁論』、第3巻11章8節=蛭沼寿雄、『新約正典のプロセス』、山本書店、1972年、p.64)

---[引用終わり]

これを読む限り、論理的な理由があるのではなく、むしろ数秘術的な理由か、もしくは、プラトン主義的な解釈からなのか、最初から「4つ」と断定してかかったいたわけですね。4つに絞るべきだという前提の思考が伺えます。
少なくとも、熟考吟味したような主張はなく、彼もその決定様式に問題意識を持ち合わせている様子もありません。

これでは、発生の仕方として同等の位置にあった他の福音書が、うかばれない気がします。
そして、結局は他はみな異端とされてしまう。いささか乱暴すぎないか?…という疑念は常に残ります。

ただし、作成年代でいうと、4つの福音書が他に比べて先に書かれていたようだ…ということくらいは言えますか?
(だとしても、それはどのような学術的根拠(もしくは科学的根拠)でそのように同定しているのだろうか。。。)
 
 
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