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終末論とオウムの問題2

 投稿者:大田俊寛  投稿日:2011年11月23日(水)23時39分3秒
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  高橋英利様

再度のご投稿ありがとうございます。こちらで分かる範囲で返答させていただきます。

まず、エイレナイオスとグノーシス主義の論争についてですが、エイレナイオスが『異端反駁』という書物で取り上げている論点は主に、「創造主と真の神は同一か」「キリストは受肉したか」「旧約聖書と新約聖書のあいだに一貫性はあるか」という三点であり、終末論はさして問題にされていません。エイレナイオスもグノーシス主義も実は、『ヨハネ黙示録』のことはほとんど取り上げておらず、私にもその明確な理由は分かりません。他の新約文書が、人類の過去と現在に関わるものであるのに対して、『ヨハネ黙示録』は「未来に関する幻視」という特殊な内容ですので、これについて積極的に論じようとする神学者は全般的にあまりいなかった、ということなのかもしれません。

『オウム真理教の精神史』でも参考文献に挙げていますが、終末論とオウムの関係について論じた書物に、越智道雄氏の『〈終末思想〉はなぜ生まれてくるのか──ハルマゲドンを待ち望む人々』があります。オウム事件を受けて緊急出版されたためか、あまり構成が練られていないところがあるのですが、参考になる書物だと思います。とはいえ、私が一読した限りでは、オウム全体を「キリスト教終末論」の観点のみから説明しようというのは、やはり無理があるという印象を受けました。私も『オウム真理教の精神史』の第四章でこの主題について論じていますが、それはあくまで、オウムを形成した多くの要素のなかの「一つ」であり、それのみが特別に決定的であったわけではない、と考えています。

>「終末を恐れる感覚」としてではなく「終末を待ち望む感覚」に変貌した姿が、その頃(1世紀~3世紀頃)から既に生じていたといえるのではないか?

イエス本人が「神の国の到来」を待ち望んでいたわけですから、「終末を待ち望む感覚」は、キリスト教の歴史を通して最初から存在していました。とはいえ、キリスト教の終末論には、ある「巧妙な仕掛け」が施されているのです。

新約聖書の諸文書では、「終末が近い」ということが繰り返し唱えられますが、「では具体的にいつ?」と訊ねると、それに対する答えは明確には存在していません。有名なところでは、『マルコ福音書』13:32や『使徒行伝』1:7に記されているように、終末の時期を決定するのは父なる神の意志に委ねられており、キリストさえもその時期を知ることがないとされているのです。高橋さんが仰るように、これまでの歴史においては、いつまでも訪れない終末に痺れを切らし、「終末は○○年にやって来る!」と断言した人が沢山出てきましたが、聖書の記述によれば、その時点でもうそれらの人々は、神の意志に反しているということになるのですよね。すなわちキリスト教は、「終末が近い!」と言ってアクセルを踏みながら、「いつかは分からない!」と言ってブレーキを掛けるのです。

カトリックにおいてもプロテスタントにおいても、大きな規模を持つ教会は、現世の人々をいかに統治するかに心を尽くし、終末論を抱く急進派が出てこないような抑制(弾圧を含む)を行ってきた、と言えると思います。しかし近代においては、この構図が崩れてしまう。一つには、教会に代わって国家が主権性を掌握し、市民に「信教の自由」を保障したため、極端な終末論を抱く人々を教会が制御できなくなったこと、そして二つには、経済的恐慌や大量破壊兵器の存在、環境破壊の問題など、「世界の破局」を思わせる数多くの要因が新たに登場したため、人々がそれに潜在的な恐怖を覚えるようになった、ということです。

『オウム真理教の精神史』でも述べたように、私はオウムの終末論においては、特にこの二つ目の要素が大きな役割を果たしたのでは、と思います。近代社会に出現する終末論には、ある独特の性質が見られます。まずそれは、神の力ではなく、人間の力によって「終末」が引き起こされると考えられることです。神の力が超越的に人間界に介入するのではなく、オウムもそうであったように、戦争・環境破壊・経済破綻など、何らかの人間の行為によって「終末」が到来すると考えている。またそれゆえに、その基盤となる歴史観も、特にキリスト教や聖書に依拠しなければならないわけではありません。『ノストラダムスの大予言』、ヒンドゥー教の神話、マヤのカレンダーなど、いくらでも代替物があるわけです。

ということで、説明が長くなりましたが、古代キリスト教の終末論がオウムの出現をすでに規定していたというのは、そういう点がなくはないものの、かなり事態を単純化してしまっているのではないかというのが、私の考えです。

http://gnosticthinking.nobody.jp/

 
 
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