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RES:終末論とオウムの問題2

 投稿者:高橋英利メール  投稿日:2011年11月24日(木)21時08分25秒
  通報 編集済
  大田先生

コメントありがとうございます。

>引用はじめ
越智道雄氏の『〈終末思想〉はなぜ生まれてくるのか──ハルマゲドンを待ち望む人々』があります。オウム事件を受けて緊急出版されたためか、あまり構成が練られていないところがあるのですが、参考になる書物だと思います。とはいえ、私が一読した限りでは、オウム全体を「キリスト教終末論」の観点のみから説明しようというのは、やはり無理があるという印象を受けました。
>引用終わり

僕もその本は当時手にしましたが、今ちょっと詳しくは思い出せません。僕は出家した時期と脱会後数年経った時期に、一度全部書物の類を失っているので、またどこかで購入してみないといけません…

ところで、普段から「終末」のことばかり考えている人間ではないのですが(そう思われてしまっているかも…)、せっかく先生とお話できる機会ではあるので、できるだけ珠玉のテーマで語り合いたいと想っており、その中の一つです。

95年か96年頃、橋爪大三郎先生(とはTVで一度しか面識がないです)や大澤真幸先生ともお話させて頂いた経験があるのですが、そこでも僕はさかんに「終末観」について熱く議論を交わしていたような記憶がおぼろげにあります。(笑)
村上春樹さんとの対談においては、かなり「冷めきった」視点で、かわされ、奇異な視線で見つめられました。
ロバート・リフトンさんとは、この点に絞ってかなり長期間にわたり意見を交わしあった記憶があります。。。彼とはかなり頻繁に議論しました…彼は僕以上に「終末思想」の発動に警戒を感じておられたのです。。。

観点として「オウム問題」に絞った場合、おっしゃるとおり要素としては「それだけではない」事は確かです。

おそらく僕の不安を喚起するいくつかの問題についての帰結が、どうやらもはや「オウム真理教」だけではなかったのだということにいきついており、それは「過去」ではなく「未来」への作用であるが故に…この問題を探求する上では様々な研究が必要になってくるのです。なので、いわゆる切り口として『ヨハネの黙示録』を題材にあげました。
これに比べれば、ノストラダムスの大予言も、マヤの予言も時代的認知度と地域的認知度においてどうしても浅くなります。

まあ、今は「マヤ予言」の時期に突入していると言えますが

>引用はじめ
新約聖書の諸文書では、「終末が近い」ということが繰り返し唱えられますが、「では具体的にいつ?」と訊ねると、それに対する答えは明確には存在していません。有名なところでは、『マルコ福音書』13:32や『使徒行伝』1:7に記されているように、終末の時期を決定するのは父なる神の意志に委ねられており、キリストさえもその時期を知ることがないとされているのです。高橋さんが仰るように、これまでの歴史においては、いつまでも訪れない終末に痺れを切らし、「終末は○○年にやって来る!」と断言した人が沢山出てきましたが、聖書の記述によれば、その時点でもうそれらの人々は、神の意志に反しているということになるのですよね。すなわちキリスト教は、「終末が近い!」と言ってアクセルを踏みながら、「いつかは分からない!」と言ってブレーキを掛けるのです。
>引用終わり

まさにここが重要な点なのではないかと想っています。
僕はこのトリックの事を、過去に設定された『装置』だと表現しました。
確か僕は大澤真幸先生との対談で、これはもはや『装置』としか言いようがない…とつぶやいたのです。

起される事件が近代になればなるほど兵器開発の発展により悲惨なものになりますが、その現象をもって「近代の傾向」として大枠は取り損ねていないと想います。(しかし忘れてはならないことがあります。原因と結果の法則によれば、果実の洞察には原因の見極めが必要になります。どこまで深く遡るかについては先生と僕では違いが出ているようですが…)

そして、先生のこの分析と視点は、端的にこの終末観に潜んでいる「心理的葛藤」を表現し、そこに留まっており冷静なものです。
そして、終末思想が「キリスト教」の専売特許ではなく、…多くの宗教では単にその亜流に留まるでしょうが、ルーツの古い宗教や古来から存在している思想の中に、存在していることを知ると、この世界が幻のごとく儚いものであることを感じさせます。

 これは、既にロマン主義に陥っているのだ…と捉えられる傾向がありますが、そのように捉えられると哀しいものがあります。

終末と救済がセットになった物語がいくつか存在します。古くはゾロアスター教というのが出てきました。先生がおっしゃっているように、天使と天使の戦いがあそこには語られております。。。そしてどちらかが「光」でもう一方が「闇」とされています。

僕は以前オウムがゾロアスター教の思想も色濃いのではないか…と感じたのは、教祖の前世ビジョンの話と、集いあう信者についての前世ビジョンを聴いた時に感じたのです。すなわち信者同士の過去世の2分化がありました。

彼はこのように語りかけていました。
「前世から縁のある約された弟子達よ、集まりなさい」…と。
「私に付き従っていた弟子だけでなく、私に恨みを抱いていたであろうものも…歓迎する」

そして集いあう信者達は、あそこに出家しているもの達のなかでも「逆縁」と「親縁」に分かれており、そのことを信者同士が「秘かに」気づき、「秘かに」語り合うのです。
「逆縁」であることに霊的に気づいてしまったサマナは、複雑な想いで…いやむしろだからこそ、今生こそは…と信を強めていましたこのビジョンは阿修羅界での闘いをベースに語られていましたが、敵も味方も取り込み弟子にしたという彼の前世自伝は強烈に機能したのです。。。

 すなわち、説法会に行って、危険を察知し、もしくは反感を抱くものさえも、信者にしていたのです。

。。。このエピソードで一番有名な被告は新実被告です。
他の実行犯が、傷を伴いながら教祖から離れてゆくなか、頑なに教祖信仰を貫いている一人である彼は、自分の心の中では「彼とは刀で切りつけあうほどの仲だった…」と述べているのは注目に値すると想います。

先日、死刑宣告された遠藤死刑囚ですが、彼は教団で「イエスマン」であり、社会的にも「イエスマン」であるとも捉えられていた時期がありますが、彼の親しい信者仲間には、当時このように零していました。

「僕は、尊師のことが、恐くて恐くてたまらないんだ。。。」
恐怖を感じていた人ほど、逃げられないのです。

彼(教祖)の暗喩のメッセージはこうでした。
「やがて光の軍勢と闇の軍勢が戦うだろう、果たして君達はどちらに属すのだ…」

もはや宗教的脅迫としか言いようのない問いかけが「教祖」から「信者」に発せられていました。
そこで、教団の思想体系として、仏教でいう「ヒナヤーナ」「マハーヤーナ」「ヴァジラヤーナ」を順次説いていき、最後には「ヴァジラヤーナ」しか選択させない…というが現状だったと思います。

話がそれました…元に戻します。

>引用はじめ
カトリックにおいてもプロテスタントにおいても、大きな規模を持つ教会は、現世の人々をいかに統治するかに心を尽くし、終末論を抱く急進派が出てこないような抑制(弾圧を含む)を行ってきた、と言えると思います。しかし近代においては、この構図が崩れてしまう。一つには、教会に代わって国家が主権性を掌握し、市民に「信教の自由」を保障したため、極端な終末論を抱く人々を教会が制御できなくなったこと、そして二つには、経済的恐慌や大量破壊兵器の存在、環境破壊の問題など、「世界の破局」を思わせる数多くの要因が新たに登場したため、人々がそれに潜在的な恐怖を覚えるようになった、ということです
>引用終わり

おっしゃる視点は重要だと想います。現代の時代が抱える問題として背負うべき主体が、教会、国家、一個人という変化の上にあるという指摘にはハッとさせられました。
ただし、中世に教会が機能していた頃に、彼らが抑制してきた行いは、いきつくところ「異端裁判」になりました。
ここには、「裁く側」と「裁かれる側」の双方に、非常に解決しずらい難題がありました。
決して、教会が機能していた頃に、「死」や「信仰的生活」に対して、有効で理想的な解決が存在していたとは言えないはずです。

>引用はじめ
『オウム真理教の精神史』でも述べたように、私はオウムの終末論においては、特にこの二つ目の要素が大きな役割を果たしたのでは、と思います。近代社会に出現する終末論には、ある独特の性質が見られます。まずそれは、神の力ではなく、人間の力によって「終末」が引き起こされると考えられることです。神の力が超越的に人間界に介入するのではなく、オウムもそうであったように、戦争・環境破壊・経済破綻など、何らかの人間の行為によって「終末」が到来すると考えている。またそれゆえに、その基盤となる歴史観も、特にキリスト教や聖書に依拠しなければならないわけではありません。『ノストラダムスの大予言』、ヒンドゥー教の神話、マヤのカレンダーなど、いくらでも代替物があるわけです
>引用終わり

その通りだと想います。同感です。
ただし、単純化するために論じたわけではないので、その点は誤解だと想います。伝わらないのはもどかしいのですが…

<イエス本人が「神の国の到来」を待ち望んでいた>…ということは、世界宗教に発展したキリスト教が世界に「終末思想」を機能させる土台に一役買っている結果となっている…ということです。逆説的な結果を。その影響力は軽くはないでしょう。

長文、失礼致しました。
 
 
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