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修行ごっこビジネスの蔓延について

 投稿者:コスモス  投稿日:2012年11月 7日(水)20時20分25秒
  まずは、長くなりますが、次の引用文をお読みください。

【はみ出し銀行マンの秘密会議室  掲示板「老後クラブ」より】
〈引用はじめ〉
美女の世界  アットホーム   2011.7.14(木) 16:16
大阪本社発行の毎日新聞2010年7月21日朝刊によると、奈良県が平城遷都1300年の記念書籍などを発行する「弥勒プロジェクト」を委託したシンクタンクとの間で、研究員への対価を最高で月額120万とする契約を結んだそうです。厚生労働省が労働者の賃金実態を把握するためにまとめている「賃金構造基本統計調査」(2009年)によると、高い専門性が求められる職種では、医師が月額86万円、大学教授が月額67万円、弁護士が55万円ですから、はっきりいって桁違いの高額となるギャラでした。しかし同年の12月そのシンクタンクが重大なミスを犯してしまいました。法相宗の大本山を興福寺とだけ限定して、薬師寺のことは一切説明していない『平城京レポート』が発行され、波紋を呼ぶことになります。当然といえば当然ですが無視されたかたちになる薬師寺は奈良県に抗議しました。その時点で奈良県の荒井知事は「えらい小さなことに気が付かれるんだなという印象。さまつ(な問題)だと思う」と述べたそうです。しかしその後あらためて県庁職員が『平城京レポート』を詳しくチェックしたところ、誤りが続々と見つかり固有名詞の誤記載や助詞の欠落などが37か所、認識の誤りが47か所、確認を要する記述が86か所も見つかり奈良県のみならず関西、中国、四国地方の毎日新聞読者を唖然とさせました。委託したシンクタンクは松岡正剛事務所、編集工学研究所、財団法人日本総合研究所の3法人で、その3つの機関にかかわりを持つのが自称編集工学者の松岡正剛です。さておもしろいことにグーグルの空欄に2011年6月28日現在「平城京レポート」と振り込んでも、「平城京レポート 松岡正剛」または「平城京レポート ダウンロード」しか先読み候補として表示されません。少なくとも1月前は「平城京レポート」と書き込むと、「平城京レポート 誤り」、「平城京レポート 間違い」、「平城京レポート ずさん」、「平城京レポート 誤記載」等が先読み候補として提示されていたにもかかわらず、ある日突然削除されてしまったのです。グーグルが自主的に削除することはありえないので、何者かがグーグルに手数料を払い、先読み候補から「消し去った」のでしょう。資生堂の役員と個人的に親しい間柄になり、資生堂から個人的に資金を引き出すのなら問題はありません。しかし資生堂役員の推挙でクール・ジャパン官民有識者会議座長代理やら、国民の読書推進に関する協力者会議委員に就くことは解せません。金儲け第一主義で読解力のない人間など、そんな立派な役職をこなすことなどできないはずなのに、なぜか大手を振って官庁街に出入りしているようです。

そういえば稲本の畏友松岡正剛も松岡正剛事務所だけでなく、編集工学研究所を設立していました。松岡は松岡正剛事務所の代表取締役社長だと思います。しかし編集工学研究所の代表取締役は丸善の社長を兼ねる小城武彦であり、松岡は「取締役所長」という肩書です。余人とは異なる角度からこの編集工学研究所なり企業を眺めると、(株)たくみ塾と似ていなくもないようなそんな気がしなくもありません。編集工学研究所がイシス編集学校を運営する。もちろん営利企業が設置した学校なのですから講義を聴くには金がかかります。それなりに通い金を出し続けるとステージが設けられており、順を追って階段を上るように高いステージに上ることができる。企業でいうなら平社員の段階から課長や部長になれるように、学衆から師範代や師範になることができる。師範代からは寸志が出る。とうま味があるかのような宣伝がまかり通っているようですが、何のことはない松岡の手足となるため、すなわち雑用係を仰せ付けられるようなものと思えなくもありません。(株)たくみ塾とよく似たからくりではありませんか。「君たち修業したまえ」というわりにはご本尊は修業する意思は持ち合わせておらず、現金の出納にばかりとらわれているのではあるまいか。そんな風に考えたくもなります。奈良新聞2011年2月1日版によれば「製作にかかったのが9月以降で、発注したライターが30人以上」となっていましたが、正確に書けば「素人が30人以上」の誤りでしょう。そうしてその素人はイシス編集学校の関係者がメインと思われます。おそらく松岡としては「この程度の仕事なら彼らに任せても問題はないだろう」と高をくくっていたと思われます。松岡としては「プロの校正者へ発注すればそれなりの料金を取られる。彼らだったら寸志程度で済む。なるべく金をかけたくないから彼らに丸投げすることにしよう」が本音ではないでしょうか。奈良県としては「話が違うじゃないか」でしょうが、松岡としては金儲けが第一義なのであり、モラルをどうのこうのと持ち出しても意味はないのです。奈良県から80万円請求されたそうですが素直に返還したのでしょうか。これも疑いたくなります。2001年に草月ホールで開催された主催密教21フォーラム、企画構成松岡正剛事務所+編集工学研究所で高野山大学名誉教授松長有慶はこう語っています。「現代は情報社会といわれていますが、その情報を受け取るのは皆さんです。本当のものをみきわめる目を持つことです。欲望をコントロールし、エゴを離れて、他人のための欲望に育てることです。21世紀は新しい価値観を心の中に持たなければなりません。密教は空海の原点に戻ることが必要ですが、これは密教世界だけの話ではありません。皆さんと共有してゆく話です。」「本当のものをみきわめる目を持つこと」は稀有の人間にしかできない芸当といっていいでしょう。実際松長有慶にせよ密教21フォーラムの全メンバーにそれができていません。なぜできていないのでしょう。それは松岡正剛という二線級の思想解説者に企画構成をまかせてしまったのがその理由です。それでは香山リカ著『ポケットは80年代がいっぱい』より引用します。

「あのー、もう2学期が始まっているので、そろそろ授業に出たいんですけど』すると松岡(正剛)さんは、「大学!?大学なんかに行ってどうするんだ!?」と不思議そうな表情で一喝したのだ。(中略)そのまま大学をやめてしまったのは、祖父江さんだけではない。中には、医学部の5年、6年になっていたのに大学をやめた人もいた。世間の人は、「あと1年なんだから、とらえずは卒業して医師免許は取ったほうがいいのでは」と思うだろうが、工作舎ではそんな常識は通用しないのだ。(中略)しかし医学部の6年が中退し、多摩美大では「全A」というウワサもあった優秀な祖父江さんさえ中退したとなったら、松岡さんや編集者が私に「医学部の1年?そんなのはまだ行っていないのも同じだ!」と私に言い出す日も近いのは明らかだ。しかも、十川さんは私に「もっと勉強したいなら、松岡さんが主宰する『遊塾』に入りなさい」と何度もすすめる。「遊塾」は松岡さんに私淑する若者に、編集だけではなく人生の基本を教える、という実践的な塾で、すでに2期生くらいまでが、毎週集まって、勉強や討論、ときには本の梱包作業などにも取り組んでいた。“現場の体験”と称して路上で舞踏のパフォーマンスをした人、中にはバーでストリップまがいのダンスをした人もいる、というウワサも聞こえてきた。」その後松岡は帝塚山学院大教授に就いたそうです。他人に向かっては無責任な主張をするものの、自分のこととなると保身術にたけたよくいるタイプのマキャベリストと考えていいでしょう。ちなみにその雑誌『遊』ですが、私にとってはいかにも二線級の思想解説者にすぎない松岡らしい中身のない空疎な雑誌として記憶にあります。そんな彼が識者として官庁や自治体から引く手あまたとは、それこそ夢にも思いませんでした。「ちなみに翻訳の熊崎実さんは岐阜県立森林文化アカデミーの学長で、稲本正君のオークヴィレッジとともに岐阜の森林樹木文化を担っている」と、稲本のことをずいぶん持ち上げていますが、『百の暗黒卿』の存在を伝えれば、さぞや驚くことでしょう。松岡レベルの知性や教養、審美眼、読解力では稲本の本性を見透かすことは無理だと思っていましたが、案の定私の思った通りだったのです。

〈引用おわり〉


私は引用文に挙がっているイシス編集学校やたくみ塾について知りませんので、事の真偽についてはなんとも言えません。ですが、上で批判されている手口とそっくりな「修行ごっこ」型のスクールは、「都会でよく見かける」と危機感をつのらせていました。というのも、私自身がとあるヨガスクールで危うく金と時間を浪費させられるはめになりかけた経験があるからです。

そのヨガスクールでは、世間知らずの若者や表層的な知恵しか持ち合わせていない大人が修行ごっこに貴重な時間と金をつぎこんでいました。教祖タイプの主宰者がいて、新入りが先輩の手ほどきを受けてステージを昇ってゆきます。その過程では、いかに教祖様がすばらしいか、ここがすばらしい所なのかを教えこみ、いつまでもスクールを続け、行く行くはスクールの指導者になってもらい、スクールの発展に寄与するようにと時間をかけて説得してゆくのです。
冷静になってみると、先輩指導者は、20代~30代そこいらの若者で、今まで「先生」「コーチ」と呼ばれたことは決してない、これからもないであろう学も教養も徳もない人物が担っていました。年長である教祖様の取り巻き連中はのんびり静観し、たまに偉そうに訓辞をたれるだけでした。また、そこで高額で販売していたテキストは、いわゆる「成功哲学」やら「人間開発セミナー」やらのインチキセミナーのテキストにそっくりで、ポストモダン哲学やら仏教やら心理学やら脳科学などがゴチャ混ぜにしてあるだけの酷い代物でした。教祖様がさも深遠な哲学を持っているかのようなそぶりをするので、知識量では適わない若者は「きっとステージが上がれば理解できるのだろう」などと思いこんでしまうのです。

冷めた眼で見られるようになると、「よくある信者ビジネスの一つ。そんなのにだまされる馬鹿が悪い」となるのでしょうが、大学に拝金主義者の文化人が人寄せパンダのくせに「教授」として迎えられている昨今、まっとうな知識人と、いかがわしい文化人の違いは今どきの若者には見分けられないでしょう。そんなものに運悪くひっかかってしまった若い人は本当に気の毒です。

中沢新一を内在的に的確に批判できるまっとうな常識感覚をお持ちの大田先生は、上の文を読まれて、どのようなことを思われたでしょうか。できましたら、広い視野で宗教現象をとらえられる大田先生から、
このような修行ごっこ型ビジネスの弊害について、専門家として注意喚起をする発言をしてもらえたらと思います。
 
 

確固とした「第三者」になるために

 投稿者:大田俊寛  投稿日:2012年 6月12日(火)14時09分31秒
  米本和広様

掲示板に書き込みいただき、誠に有難うございます。また、米本さんから先に謝意を示されたことに、大変恐縮しております。カルト問題を扱った米本さんの著作、特に『洗脳の楽園』と『我らの不快な隣人』からは、とても多くのことを教えられました。大学での講義でも、折に触れ、これらの著作を推薦させていただいております。

私も、自著の『オウム真理教の精神史』を切っ掛けに、現代カルトをめぐる問題に足を踏み入れたことになりますが、今でも完全に考えが固まったというわけではありません。「カルト」という概念は多分に価値判断や偏向性を伴っており、研究者としてはこれを放棄するべきだろうかという思いが、時折頭をよぎることがあります。

しかしながら、研究者が「カルト」という概念を放棄することによって、何か物事が前進するのだろうかと考えれば、決してそうは思えません。特定のカリスマや生き神を中心に閉鎖的なコミュニティが形成され、そういった集団が外部の社会に対して激しい排他性や攻撃性を示すといった現象は、現代において頻繁に見られるものであり、研究者はこうした社会的病理に対して目を背けることがあってはならない、と考えるからです。

現在の社会のなかに「カルト」が存在していることを認識すること、そして場合によっては、こうした団体の動きに反対し抵抗することは、とても重要です。しかし他方、米本さんが明らかにされてきたように、「カルト」に対する「反カルト」の動きがいたずらに先鋭化されると、両者は奇妙にも相互に似通ってきてしまうということがあります。カルトの人間は「マインド・コントロール」されているのだから発言の機会を与えるな、問答無用で拉致監禁せよ、ということが罷(まか)り通ってしまえば、その排他性・攻撃性は、もはやカルトと同種のものにしか思われないからです。

「カルト」対「反カルト」のケースに限らず、問題が「敵か味方か」という二項対立に局限化されてしまうと、両者は激しく対立しているにもかかわらず双子のように似てきてしまうというのは、これまでの人文系の諸理論において幾度も指摘されてきたことです。そしてこの場合に重要なのは、敵か味方か、善か悪か、という二元論に回収されることのない「第三極」を立てることだと考えます。最終的には、その役割は司法の人間が引き受けることになりますが、現代の宗教をめぐる問題はまったく見通しが利かないほど入り組んでおり、司法が本当に客観的な立場を取りうるのか、危ぶまれる点も少なくありません。ですので私は、研究者が理論的立場に徹し、現代の宗教問題の根源には何があるのか、この問題はなぜかくも入り組んでしまうのかということを、可能な限り客観的に説明することに努めるべきであると考えています。

しかしながら、米本さんもよくご存じのように、これまでの宗教学者は、「第三者に徹しなければならない」という自覚を十分に持っていなかったのではないかと思います。「カルト」と「反カルト」双方の顔色を窺っては、あっちへふらふら、こっちへふらふらと、足腰の定まらないコウモリのような振る舞いを繰り返してきたのではないでしょうか。また、第三者に徹するという私の方針に対しても、「現場を知らない書斎の研究者が分かったような口を利くな!」という批判が浴びせられることが予想されます。これに対して私は、その批判をいったん受け入れた上で、しかし、現場で見えるものだけがすべてではない、現場にいないからこそ見えるものもあるのだということを、粘り強く主張し続けたいと思っています。

やや長めのご返答になってしまいました。米本さんの著作によって、カルト問題を考察するための新たな視点を与えられたことに、あらためて感謝を申し上げます。また今後は、米本さんと、私を含めた宗教学者のあいだに、生産的な対話が成り立つことを強く期待しております。
 

感謝&ご報告

 投稿者:米本和広  投稿日:2012年 6月12日(火)08時01分44秒
   大田俊寛様
 初めてメールします。ルポライターの米本と申します。
 このたびは、日経ビジネスアソシエに、拙著を推奨していただきありがとうございました。
 さっそく小生のブログ「火の粉を払え」に紹介記事を載せました。
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-337.html#more
 事後になってしまいましたが、どうかご了承を。
 紹介の仕方、拙文に問題があれば、ご指摘ください。

 最近、反統一教会陣営からの批判が激しくなりつつあります。それだけに推奨記事は励みになりました。とても感謝しております。

http://yonemoto.blog63.fc2.com/

 

書き込みいただき有難うございます

 投稿者:大田俊寛  投稿日:2012年 6月 4日(月)23時36分43秒
  志寿以さま

掲示板に書き込みをいただき、誠に有難うございました。
コメントに元気づけられました。

>大田さんは、モデルを立てたり、複数のモデルを組み合わせて現象を説明することが、とてもお上手なのですね。

今さらながらではありますが、一人の研究者として、自分の「長所」や「強み」はどこにあるのだろうと、時折考えることがあります。特定のことを誰よりも詳しく知っているわけでもなく、卓越した語学力があるわけでもなく、頭がずば抜けて良いわけでもなく・・・。私が物事を図式的に整理したがるのは、
 1)あまり頭が良くないので複雑なことを考えられない
 2)しかし物事をスッキリさせたいという欲求は強い
という二つの要因から、どうやったら簡単に説明できるだろうか、ということを延々と考える癖があるからだと思います。
とはいえ、図式的に整理するため、よく分からない枝葉の部分をかなり切り落としているという自覚はありますので、いずれそのような部分に逆襲されることになるのかもしれません。そういった部分も、今後の研究でうまくリカバリーできれば良いのですが。

志寿以さんも人文系の研究者とのこと、どなたかは存じ上げませんが、今後の研究活動で何か接点ができましたら、その際にはどうぞよろしくお願いいたします。
 

失礼いたします

 投稿者:志寿以  投稿日:2012年 6月 3日(日)23時52分13秒
  はじめまして、志寿以と申します。『オウム真理教の精神史』拝読し、たいへん感銘をうけました。御著書で大田さんのことを知り、こちらのサイトにたどり着きました次第でございます。

わたくしは同じく文系の、宗教学ではない近隣領域で研究をいたしております。大田さんは、モデルを立てたり、複数のモデルを組み合わせて現象を説明することが、とてもお上手なのですね。歴史を扱いながら詳細な記述のみに偏ることなく、歴史的に重要な要素を上手く絞って取り出して手際良く整理していく手つきはとても鮮やかで、時間がたつのも忘れて一気に拝読いたしました。

また、わたくしと年齢の近い方に、このように志高く研究をなさっている方がいらっしゃると知り、とても励みになります。研究者としてのあるべき社会的責任や振る舞いについて御著書で指摘なさっている個所には、三度首肯いたしました。

若手研究者にとっては、厳しいことが多くありますけれど、どうかお元気で。今後のご活躍をとても愉しみにいたしております。

お目汚し失礼いたしました。
 

Re: 日常性…

 投稿者:大田俊寛  投稿日:2012年 4月14日(土)13時47分25秒
  高橋英利様

書き込みを拝読しました(いただいたメールも)。
どのようにお答えすればよいのか、言葉が見つからない状態ですので、
とりあえず一つだけ質問させて下さい。

高橋さんが仰っている「300人以上の信者・元信者インタヴューを行った宗教学者」とは、具体的に誰のことを指しているのでしょうか?
その調査結果は、何らかの仕方で公表されているのですか?
 

日常性…

 投稿者:高橋英利  投稿日:2012年 4月12日(木)20時44分45秒
  僕の日常性…
他の人が絡むから、大切な人が傷つくかもしれないから…語れない。

大田さんには、少しだけ話せた。。。1/100くらいだけど。
でも、誰にも語れない。
想った以上に…口が重くなってしまう。

ごめんなさい。
 

Re: 山形浩生という人物について

 投稿者:高橋英利  投稿日:2012年 4月12日(木)13時58分49秒
編集済
  僕より前からご存知で親しそうで一定の評価をしていらっしゃいますが、彼の見解は

【引用】
宮崎哲弥が本書で扱う夫婦別姓やオウムなんて、実はどうでもいい話だ。今のところは。夫婦別姓? すればぁ? オウムなんて、踊ったヤツがバカなんだから、皆殺しにすればいい。いい見せしめと余興になるだろう。そんだけの話。オウムの教義云々って、いちいち泡沫新興宗教の教義なんかチェックしてられますか、あほくさい。

http://cruel.org/wired/miyazaki.html

のようです。

・・・言葉もありません。


■3人のサンプル
僕がいう事ではないのですが、圧倒的にサンプル数が少なすぎ、学術的見地において、まだ・・・物を言えるレベルではないと想います。
それでは、ジャーナリストや巷の評論家のパースペクティブを超えていないのではないでしょうか・・・

僕の知人の宗教学者は、少なくとも300人以上の信者・元信者インタヴューを行っており、それは苦労の耐えないものだったそうです。
まず、信頼してもらい、口を開いてもらうまでが大変で、更に深く突っ込んだ話を聞き及ぶには、全神経をすり減らすような思いだった・・・そうです。
しかも、当時は彼ら(そして僕ら)は非常に社会的に危険な存在と認知され、僕だって同じようなものだと認識されていたでしょう・・・

そうした労苦を惜しんでしまっては正確なものは掴めないのではないでしょうか。

僕と、野田さんと、島田先生・・・深い話ができているのかもしれませんが、3人は・・・少なすぎます。圧倒的に。
落胆も早すぎます・・・
学術論文においても、卒論レベルになってしまいます。。。
無論、そんなことはないものと想いますが・・・これからも発言される次元においてはたくさんのサンプルを拾い集めたほうがいいとアドバイスできます。

僕のように近づいて自ら話してくれる人ではなく(・・・そんなの楽ですから)。

先生は、参与観察を行う宗教学者をいささか罵倒しすぎています。。。彼らはとても傷ついていることでしょう。
先生の言説は「フィールドワーク」そのものを「否」といっているに等しく、であるならば、他にどんな有効な手段があるべきかを提示する義務があると想います。

彼らの努力なくしては、先生の参考になさっている本などの情報は皆無だったはずです。

その上で、自分だけ無傷で、業績だけを他者のものを横取りし、論じていると・・・想われたりしませんか?
そういうことを危惧しています。

■最低360のサンプルを扱い象意を導出している占星術
オカルトの世界でも、占星術で鑑定する場合、僕達は360のサンプルを比較検討します。(石川源光氏の提唱があります)
つまり、統計学的な視点を導入しているのです。
僕はサビアン占星術師でもあったので、象意を割り出すとき、星座の一度の単位まで詳細に落とし込んでリーディングします。

オカルト全般の批判からオウムへの類似点をたびたび指摘されているようですが、僕が占星術を任された際には、1500人のサマナのデータを使い検証しています。
つまり、一定の統計的な分析を経由しているのが、占星術です。
そしてその歴史は古くバビロニアの時代にまで遡り、検討されてきたものです。

少なくとも土星までの象意に関して見れば、歴史的な時間をかけて、かなり的確な現象が化体してゆくのです。
2000年以上の観念の詰まった象意だと想ってください。

・オカルトの一種といわれる占星術にでさえ、統計学的なデータの信頼性が熟成されていること。
・学問の地平線でも、観察対象への多角的視野の獲得に関しては360度の視点を注いでください。

■僕がなぜ、神戸震災を当てることができたと想われますか?
僕もよくわかりません。
でも、なぜ、月相や天王星に着目したか・・・なぜあの時期の月食図を使用したか・・・

たまたま当たっただけだと、僕もそう述べたりしますが、それはオカルト規制を自主的にマナーとしてして課しているのであって(常識人として)、
時に、オカルトは、えぐいほど真実に迫ることがあります。
僕はそれを知っています。

自慢話に聞こえるかもしれませんが、サビアン占星術師である松村潔氏には、この業績を絶賛されております。

しかし、僕はこの予言の業績をみずから「まぐれだった」と公表しました。
あの当時、僕がそれを肯定してしまったら、世間を恐怖に陥れたのではないかと想います・・・
だから、僕はそれをしなかったのです。明記しておきます。

学問 対 オカルト・・・
そこを見落としていると、説得力はなくなると想います。

オウムのオカルトはレベルが低かった・・・と想っていらっしゃいますか?
どうでもいいことですけど・・・


http://unkar.org/r/news4plus/1287778770
【引用】
事前に大衆に告げられて、的中した例は18世にウィリアム・リリーの
イギリスの大火災と高橋英利氏の阪神淡路大震災が有名です。
リリーは、犯人に疑われました。史上おびただしい、占星術による予言が
発表されていますが、的中例はコンマ1にも程遠く、信じるに値しません。
インドでは毎年占星術による予言があり惑星直列の年には、大洪水で地球が
滅びると言っていました。毎年はずしてます。ええかげん目を覚ませインド。

ちなみに、占星術師の間では関心を持たれておりますが…僕が採用していた秘伝は、この「ウィリアム・リリー」によるものをアレンジしたものです。

まだその当時開発していたプログラムを僕は持っています。
ですが、使いません。個人的には封印しています。

この領域に関しましては、国家クラスの要望のものだと想います。
オカルトと国家…関係ありますよ…イギリスもアメリカも実運用レベルで政治に活かされています。


■グルジェフについて
僕は現在、グルジェフィアンではありません・・・・伝わっていないようなのでかなしいですが、この掲示板には痕跡が残っているので救われます。
かつては、そうだったと想います。そのベースがあってこそオウムの敷居は低かったのです。
その事については、95年以降から、そこかしこで述べている通りです。村上春樹さんとのインタヴュー記事なども参考にしてください。

あと、何度も述べていますが、エニアグラム性格学は、グルジェフ思想から枝分かれし、独立し、心理学として一定の学問的位置を獲得しております。
その実績による有効度合いは、アメリカでは、FBIやCIAが採用しているほどのものです。

僕のエニアグラム分析に関して、あいつはまだグルジェフィアンだ・・・といわれることは、心外です。
大田さんの解釈は、どうもそのように聞こえます。

それとは、別にもしグルジェフ思想について語るのであるならば、最低限「ベルゼバブの孫への手紙」・・・これを読み込んだ上で、批判なされてはいかがでしょうか?
グノーシス神話よりも古い神話が寓話として語られており、これはたぶんにグルジェフの父が「ギルガメシュ叙事詩」をそらんじており、
子供の頃から彼がそれを、耳にしていたため、その影響があり、壮大な物語になっているのですが、興味ぶかい資料だと想います。

とかくニューエイジで神智学がとりざたされますが、僕はシュタイナーよりもグルジェフに知的好奇心を奪われておりました。
 

Re: 山形浩生という人物について

 投稿者:大田俊寛  投稿日:2012年 4月11日(水)18時16分35秒
編集済
  高橋英利様

書き込みを拝読しました。山形さんのブログには、昨日は私の『グノーシス主義の思想』の書評が掲載され、それに対する回答を書いていたところでした。応答が遅くなり、申し訳ございません。

山形さんに『オウムからの帰還』をお渡ししたのは、率直に申し上げて、それほど深い考えがあったからというわけではありません。高橋さんから、「大田さんが今度対談する方がいれば渡して下さい」と言われたと記憶していましたので、「そうだ、渡しておかなければ」と、私の『グノーシス主義の思想』と合わせて献本したのです。どちらに対しても書評を出して下さるとは、全然思っていませんでした。

直接お会いした山形さんは、とても紳士的で優しい方だったのですが、ご存じのように書評においては、きわめて辛辣な筆致で知られています。特に、書物の欠点と思われる箇所に対しては、殊更にそこをあげつらって一悶着起こすことがありますので(名誉毀損騒動についても知っていました)、余りそういった物言いを真に受けず、それが山形さんの「キャラ」なのだなと、ある程度受け流すことも必要だと思います。

ということで、『オウムからの帰還』に対する山形さんの書評は、私の評価とだいぶ違いますし、余りに言いすぎではないか、と率直に思います。とはいえ他方で、今回の文庫化に際しては多くの読者が、高橋さんが「文庫版へのあとがき」でどのような文章を書くのかということに注目していたのだろうな、とも思います。文庫化以前に、私は高橋さんから直接お話を伺っていましたので、「あとがき」を読んでもそれほど違和感は感じませんでした。しかし、山形さんを含め多くの読者が、サリン事件から約17年を経て高橋さんがどのように変化したのか、どのような仕方で「オウムから帰還」したのかということに注目しており、特に山形さんは、このあとがきの書き方では、「オウムから帰還」して著者がどう変化したのかということが明確には分からないではないか、ということに不満を感じたのではないかと思います。

せっかくの機会ですので、率直かつ具体的に書こうと思います。私は『オウム真理教の精神史』を公刊して以後、幸運なことに、高橋さんの他にも、野田成人さん、島田裕巳さんなど、オウム事件に関与した人々と言葉を交わす機会に恵まれました。そして、これらの方々との会話から多くを教えられたのですが、同時に、実は彼らは「オウム的思考回路」から完全には脱していないのではないか、という深い疑念が芽生えるようにもなりました。具体的に言えば、私は野田さんに対して「革命か戦争かという二元論で考えない方が良いのではないですか」と訴え、島田さんに対して「イニシエーション論は放棄した方が良いのではないですか」と訴え、高橋さんに対して「グルジェフの体系はオウムの思想に通底しているのではないですか」と訴えてきました。しかし、高橋さんを含めこれらの方々は、言葉を交わしている間は私の話を真摯に聞いてくれるのですが、どうもその後、考え方を変えてくれたという様子が見受けられないのです。すべては私の未熟さが原因なのでしょうが、昨年の年末辺りから、私が「すべて徒労なのではないか」という疲労感に苛まれるようになったのは、一つの要因としては、このような経緯があったと思います。

山形さんからの批判に対しては、山形さんの経歴や人格云々といったことを問題にしても余り意味がなく、重要なのは、そこから学び取れる点があるかないか、ということではないでしょうか。山形さんの「神様依存症」という言葉はさすがに言いすぎだ、と私は感じますが、私自身、一人の宗教学者として、神様がいるかいないかと頭のなかで考え続けることが、それ自体として「宗教的」であるとは思いません。私は基本的に、宗教が位置しているのは社会的かつ公共的な次元であると考えていますので、宗教の問題が真に問われるのは、特定の観念がどのような仕方で社会化・公共化され、多くの人々の生を支えるものとなりうるか、という次元においてであると思います。『オウム真理教の精神史』でも述べたように、宗教が個人心理の問題と捉えられたこと、公共性から隔絶された私秘的なものと捉えられたことは、近代という時代の特殊な構造が深く関わっていますので、そういった私秘的次元を「宗教」と捉え続ける限り、オウムの磁場からは完全には抜け出せないのではないか、と私は考えます。

こういう書き方で、返答になっていますでしょうか。山形さんの書評を読んで私が考えたことというのは、大枠として以上の通りです。
 

山形浩生という人物について

 投稿者:高橋英利  投稿日:2012年 4月11日(水)14時59分33秒
  非常に下劣な人物である・・・という僕の認識と、その表現はやはり有効であると思い至りました。
いささか、手厳しいようですが、僕はこの人物の書く文体が、何か雑なだけで教養のない人物であれば、スルーしていました。
気分をちょっと害するくらい。

でも、この低俗な文体にして学歴の高さが妙にアンバランスであり、そこに作為めいたものを嗅ぎ取りました。

調べて見ると、以下のような記述を見つけます。
大田さん、ご存知でしたか?(※事実確認ですが、確実に返答願います。僕は正直迷惑をしておりますので・・・)
(この問題はこじれたりしたら良くないですし、しかもこの警戒心は、当たっていました。)
(僕は、数日間、不眠であり、本日は会社を休んでまで、慎重にこの問題をみつめています)

小谷真理 vs 山形浩生・裁判


http://blog.yuco.net/2001/12/kotani_yamagata/
http://d.hatena.ne.jp/sfx76077/20100511/1272677258

ご存知の上で、僕の本をこの方に贈呈なさったのでしょうか?
これは純粋な書評に値するものか、言いかけていた大田さんの見解をお聞かせ願います。

僕も大田さんのすばらしい功績を称えた上で、この第三者に対する先生の見解をぜひ拝聴して見たいのです。
 

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