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  • ■□■□■□■□ 緘黙の体験 ■□■□■□■□

  • 投稿者:管理人
  • 投稿日:2012年 9月19日(水)23時05分30秒
 
主に緘黙の体験などの書き込み専用のスレッドです

 <思いやりのあるコミュニティ宣言>
 teacup.掲示板は、皆様の権利を守りながら、思いやり、温かみのあるコミュニティづくりを応援します。
 いつもご協力いただきありがとうございます。

投稿者
題名
*内容 入力補助
sage

  • [88]
  • いつもでも心は冷静に。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 3月27日(水)10時13分3秒
  • 返信
 
書いてると分かる、

やっぱり、どんな事を他人が言ってもしても
心は
冷静に、距離を取って
誰かが傷つけるような言動をしても、
無関係・・と思えるような訓練を。
いつでも心は冷静に、表情は豊かになれるよう努力したい。
少しずつ、それは
手に入れてる実感があり、自己受容が段々と出来ている。ということは
ベースは脆いなりに、あるという事。
いつでも、心は冷静に。
そう、誰にでも生きる事は大変だ。

  • [87]
  • 自分を責めてしまう。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 3月27日(水)10時08分45秒
  • 返信
 
自分なりの方法で、
患者会の幹事の酷い行動を、わたしは表現した所・・
カウンセラーから、いけない
と。
これこれこーだから、これはやめておいた方がいいと。

それと、あまりにもその幹事が言った事は
ひどすぎると。
よく知らない他人によく言えたもんだと。やはり、病気だからじゃないのか
にしても、いけしゃあしゃあと
喋れるもんだ。
わたしだから、言ってもいいのだろうか。考えると腹が立つのでやめておく。

でも、自分を同時に責めてしまってる
やめたい。
誰でも人に迷惑をかけながら生きてる。
そのわたしは1人だ。
そう思い込もうと思う、自意識過剰なので、自分をより責めてしまう。
何か1つでも、落ち度があると分かるとせめてしまう。
どうしようもない。
から、わたしも迷惑をかけてる一人と思おう。

誰かが言っていたが、
普通になれなくても、これが自分だとベストを尽くせばいい。
自分を受け入れろ!
他の人に気を配り、気をまわし、手伝いのような事をしていけば
普通に親切にしていけば、いいのだろう。
その前に、誰もわたしに話しかけてくれないと思いが湧き、悲しくなる
恥ずかしくなる、そこにいたたまれない。自意識過剰をどうにかしたい・・。
泣きそうになる。
でも、暗示で、泣かないよう、悲しくならないよう
自分をなだめ、わたしより酷く不安な人もいるだろう・・・わたしより引っ込み思案な人もいるのだろう・・・と
奮い立たせて、
普通の人達にいつか普通に話せるといい。

普通じゃないけど、普通になれなくていい。と思うことで
スーパーへ行くにも、怖くなくなる。
不思議。
会では出来るだけ、ぼけ~~~と出来るようにしたい。
テーブルが、囲まれていて、
目を上げると、人の視線があるので、わたしのような症状があるほかの人にも
ちょっとキツイと思いますが。。
あのテーブルの設置は、社会不安や強迫のある人には、ツライと思います。
でも、ツライと思ってる自分を、
わかっていれば、その場でどう振舞えばいいのか、次第にわかるようになる。
行動のほうに目が行けば、ツライという思いの方ばかりに集中しないで済む。
そういう図式があるので、
実践で、ツライと思いながら、自分でその思いを受け止めながら
会話したい人があれば、会話相手になって、、後はぼけ~~~とする訓練を
しよう。

患者会の幹事が言うには、
わたしはちょっとの失言にも、ぎゃーぎゃー騒ぐから
人が離れてゆくらしい。。
それも一理あるが、
その前に、お前の失言癖を治せ。なんて自分勝手な
しかも、会には何年かぶりに出席し、
何もわたしの人柄を知らないはずなのに、言うのだ。

  • [86]
  • 緘黙は甘えじゃない。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 3月27日(水)09時47分50秒
  • 返信
 
最近、鬱がひどいのか何なのか・・いつも、鬱屈したうつ状態で
心細い。さみしい。

寝込まなくて済んでるのは、行動的に生活を送ってないからだ。
やりたい事をやろうとして、興味のむくままに作業所に行ったりしてると
知らず知らずに、疲労していて、
何か心にちょっとショックな事があると、すぐ傷つきうつ状態に入り寝込んでしまう。
つまり、何かストレス状態にあり、さらにストレスがかかると、気分がさらに沈み、視線恐怖や、対人恐怖、敏感、うつ状態が出てくる。

患者会で何を他の人と話したらいいのだろうと、考えてる。
幹事の言葉使いの荒さで、険悪になってしまい、寝込んだ。そのことを知ってる
会の人も多いだろうし・・。気が重い。
あなたは何の病気ですか?
あなたは何人暮らし?
どんな事に悩んでるの?
を聞けばいいのだろうか。何だか、聞いても言っても仕方ないような気がする。

笑っていても、いつか寝込むんだ。だったら努力して会話したくない・・。ような
答えが出てしまってる。
何か文句があるわけじゃない、何も求めるものが今は何も無いんだよ。考えてみれば。
ケーキの事を友人に相談すると、そんなのその立場であなただけが買ってかなくていい!と言われました。
じゃ、代りにスナック菓子持ってけばいいね。と言うと、それも要らない。
高くて買えなかったから、人数分買うと三千円以上になるから、私には買えませんでしたでいい!
と言われた。
そりゃ、そうだよね・・・。。。みんなお金払ってないのに、親元暮らしの男性とか。私には超うらやましいんだよ。寝込んだときとか、不安な時に1人じゃないでしょ。何か話せる人がいるでしょ。

はぁ~~何もかもが違いすぎる、偉そうに言ってるんじゃない。
本当に私の欲しいものを、すでに持ってる人が多いじゃん。。。ばーか。

だから、何も持っていかない。

それにしても、患者会の幹事は、私に随分と酷い事を言ってくれた。
そのせいで、うかつにも寝込んでしまった。
でも、そのお陰で、作業所通いを考えなおし、自分に負担のない生き方を一度してみては?
を今現在、試している。

努力の人生とカウンセラーに言われるが、根っからの努力家といわれるが、
努力を一切やめるのだ。
やめるといっても、私の場合、料理が好きなので、料理の研究や挑戦や新しいメニュー作りは、やめられません。
元々料理の先生になりたかったくらいなので。買い物も怖いけど、当然やめられません。
やめたら、食っていけません。餓死します。
宅配は、人と合いますね。
来られるくらいなら、買い物に行く。昔は、スーパーに行けない事もあった。
ちがう病気の近所の人に、少しお金をわたし頼んで買ってきてもらったくらいだ。
お金をあげた。
できなかったから、できないときがあったから。非常に苦痛だったから。

赤面&呼吸が増える&汗だくだく&視線恐怖&体力消耗。
疲労困憊だった。
でも、避けられなかった。

今はスーパーも、顔が無表情になってしまうが
一応行けるようになった。
今の目標は、スーパーに入ってる洋服の店や本屋、生活良品の店などの雑貨の店を
「リラックスして、楽しんでみにいけること」です。

患者会の幹事に、
ネットカフェもその身分で、やめろ!税金の無駄使いするな。と言われたが、

わたしの、ネットカフェが通いは、夢でしたから。
ネットカフェにいても、いきなり、緘黙になってしまい、音が出せなくなるんですよ。
でも、人ごみの中で、部屋から出て、喫茶店に行くというのはハードルが高く。
囲いのあるネットカフェで、帰宅途中の疲れを取る、人ごみの中の視線から、いったん休憩するには、
ネットカフェにさえ行けれないのなら、殆ど、引きこもりですから。
やってけない!と、人なれの練習として行ってるんです。半分は。

カウンセラーから言うと、
普通の人はドアを開けるときに、次何をしようか、今日はどうしようかと
考えてる。
わたしは、ドアを開けようか開けまいか、恐怖感でドアの前で立ちすくむ。
ドアをあけた、その風景がどんななのか緊張して、恐怖を感じる。
普通ではないそうです。
そうですよね、わたしみたいに怖い生活をしていれば、誰も笑ってないし
外行きたくないですよ。

ネットカフェなんていくな!不健康だ!と言われたけど・・。
ネットカフェくらい行けないなら、私は引きこもりになっちゃうから、
なんていっても
わっからねーだろうな。
この世界の違い・・・どうやってこっちからは見れるのに、あっちからは
見れない。心を表現して、甘えと言われないで済むだろうか。

はぁ~~。
決め付けは人を傷つける
二才から、緘黙になったわたしの脳が正常に機能しているとは思えない。
どうしてそう思えないか、
わたしの脳はストレス脳になってしまっている。
いつも、ノイローゼのように考えてる。
空白がない。
ぼけっとできない。
努力を誰よりも病気克服のためにしてきた自負がわたしにはあります。
今も、毎日、携帯のネットで調べ物をしてる毎日で
ほとんど精神的な病について興味をもったもの、克服できそうな方法などを
調べ続けている。

努力がやめられない。
いつも不安で仕方が無い。

作業所かよいも、ほどほどにしようと思ったのは
努力をしないのではなく、
ちがう生活をしてみたら、自分がどうなるかの・・・試みです。
外へ出なくちゃ、ひとと合わなくては、わたしの生活は嫌でも成り立ちません。
その中で、部屋の中で四、五日、生活するというのは、

1人でいても、不安にならないように。なれるのか?
です。
自分で心の実験してるみたいな、生活はずっとずっと続いてきました。

電車での、
不安発作が止まらず、大きな声を出して、悲鳴を上げるのではないか?という恐怖

真冬なのに、背中の汗がだくだくで滝のように流れる。
呼吸が苦しくなる。等は、
考え方を変える事で無くなりました。医者が治してくれたのではなく、
わたしが倒れても、誰もわたしの事を知らないのだから、放っておくだろう
何が何だか分からないだろう。
ぽかーんとするのではないだろうか?と考え付いて、
不安発作、五年目にして、治った事があった。

その間のストレスといったらなかった。
電車で、40分の乗り換えありの、老人ホームで働いていた。
普通の電車にのり、乗り込むときから、恐怖との戦いだった。頓服は飲んだし。
でも効かなかった。
恐怖が一番高まり、途中下車を何度もした。
もし、その老人ホームを辞める事ができなければ、強迫が更に強まり、悪循環の繰り返しだったと思う。
心が弱い。

どこかに逃げ道を作っておかないと、すぐ圧迫感にやられてしまう。
そう、勝手に。
自動思考。ストレス脳。努力や精神力だけではどうにもならない
成長過程で、受けたストレスが
半端ではないから、もう脳自体が実際は普通の人の脳とはちがう形状で
育ったのだと思う。
わたしは、脳は過去を記憶すると思ってる。
だとしたら、わたしの日々の恐怖体験は克服しても、脳に残っている。

うつ病患者は、過去つらくても
楽しい事を積みかさねる事によって、うつを改善してゆける。

だが、緘黙の場合
あまりにも、脳が成長過程であり、その中で育ったので
何らかの気質的な変化が起きてると考えてる。
その根拠は、精神力で超えようと20年以上してきた、毎日勉強し
苦手な会話もした。
でも、いまだに、ちょっとの事で、視線恐怖になり、情緒不安定だからだ。
患者会の、その軽症のうつ病の幹事に
わたしは自分が緘黙だった事を話した。
すると、わからんわ~と返って来た。
そう、わからないものはわからない。あなたとわたしはちがうのに
言いたい放題だけが、得をする。

  • [85]
  • 下手な事を言ったら怒られる

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 3月26日(火)09時19分14秒
  • 返信
 
怒られるとは
無視とか、無価値だとか、その程度でしか
扱ってもらえなかった?

とにかく、私の感情無視で喧嘩は起こり
私は不幸になり
平和ではなく
私の感情無視で、
私は私の感情さえ、家族の中で無視されてきた。

過小評価しか自分に対してできない人になってしまってるようです。
それも、今現在、クリアするために
あれもこれもで大変です。

ですが、感情を無視されつつ、
例えば、喧嘩をした次の日、昨日はごめんね・・心配させてしまって
大丈夫?と私の気持ちを推し量るような母であったのなら、
私は感情を過小評価する部分はもう少しましになっていたと思う。

感情を評価されない、無視されるのに
自己表現はできない
親から無視される認められないという事は、
生きる事ができないという事に、子供の心理はなるのだ。
それなのに、表現しろ
感情を表せ喋りなさい。

良い感情だけを出して、悪い感情は省き
要領よく、喋りなさい。

とメッセージされていたような気がする。

今でも、
毎日、自由にしゃべりたい願望はあり、
でも他人相手でも、思いを自由に喋ると。。びくびくしてしまい
結果疲れてしまう。
なんだか感情を出して、のびのびすると
怒られる。叱られる。冷たい目に合わされる。
という恐怖感が
いま、私のこの年齢であってもある。

だから、話せない。
無意識に表すのが大げさだけど命や存在を脅かされそうで
できない。
一言でいうと、そういう状態は特殊だとわかるし、
どうにかしたいのだけど。
恐怖心がぬぐえない。
今度のかうんせりんぐで、下手な事をいったら存在を脅かされそうで
つい人の顔色を伺ってしまう
と相談してみようと思う。

大事な問題だ。

解決方法は、何でも話してもよい心の広そうな安心できる人相手に
話すことだし、その関係を楽しむことでもあると思うが、
いま、思い当たる人材は、
ボランティアの既婚の男性で、本当に二ヶ月に一度くらいしか会わない。
あの人の、どこが他の人より優れてるかと言うと、
穏やかさ
安定している
いつも変らない
広い思考がある
心のゆとりがある
人の意見を正しく理解する能力がある

それらだと思う。
人材が足りない。。。

  • [84]
  • 早めの発想の切り替え

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 3月26日(火)08時31分22秒
  • 返信
 
もう無理だと思ったら、
早めに発想を切り替え、生きやすいポジションを探す事かも。

会社がダメなら、女性なら結婚とか。

私は、結婚もダメな人間だったので。
心開けないし。
恐怖心があるし。

早めの発想、きりかえ、
どこまで人生順調に行けるかわからないけど、いま一番楽なポジションに
乗ってみる。
リズムに乗せて自分の人生をコントロールする、それが少しできたら
変ると思う。

緘黙でも、精神的な病の症状が色々でるひと
まったくならない人、
育った環境の差もあるので、その人の資質もあり、まったく普通の生活をおくり
結婚をし、子供もちゃんと育ててという人もいるのだろうな。
と思う。
私は・・・人間関係が少なすぎる。それをまず、どうにかせねば。
喋るのも苦痛だし。
もっと話せたときもあるのに、話すのがもう少し上手にできて楽しかった時も
あったのに、いまは
長い間、意識的に口を動かさねば話せない。
だから、話すのに体力がいる。

どこかのものすごい田舎にいき、人が少ないところで、結婚をし子供を作り
そうしたかった。
人がごみごみの中で、人って面白いなと思うには、まだまだ遠すぎる。
隣の家とも、すごく離れているような山奥の家にお嫁に行きたかった。
でもタイミングがずれた、
意識化する、描くこと?それが必用だった。

  • [83]
  • 家と外でのギャップ

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 3月26日(火)08時13分31秒
  • 返信
 
掲示板の方はまた連続になってしまってるので
こちらに書き込みします。

緘黙が世間に知られて欲しいという気持ちが強く書き込みしている部分も
あって。

緘黙になる条件の一つに、親の家と外での人柄のギャップというものが
あるのでではないか。。と思うのですが、
私の母は家では真っ暗、近所や仕事関係の人と関わる時には、満面の笑顔で
明るくてしっかりした人と思われていたとおもう。
あまりのそのギャップや、父と壮絶な喧嘩をして泣き家出を繰り返してる毎日で
納期が限られている仕事を続けていたので、
嵐のようなゴタゴタ、私がなぐさめる、、泣く、やめてと懇願する、次の日には
へっちゃらで仕事をやっている・・・。

こういうのを見てると、子供は何が何だかわからなくなるんじゃないか
自分の懇願の虚しさや、言っても仕方が無い感覚や、自分の存在価値
を脅かされる。
とてもあやういものになってしまう。
そして、母親の態度のおかしさ。裏と表と感情にあまりにも演技的で素直でない。
生き方自体が、曲がりに曲がって、自分の感情に素直に生きてない。

とにかく、家での嵐のような悲劇を世間の誰かに知らせて、止めて欲しかった。
なのに喋ってはダメで。母は昨日とは違いニコニコして、仮面をかぶっていた。
わけです。
混乱して、普段をさらしてはいけない、普段のままではいけない
でもどうしたらわからない、家の恥は喋ってはいけないになっていたのじゃないかと
だとしたら、私の場合は
やはり、母の家と外での性格や態度のギャップを肌で感じて戸惑い、どうしたら
よいのか学べなかった。
家の恥を出してはいけない・・この母の縛りがあり、困惑して余計どうしゃべってよいのか分からなくなってしまった。
下手な事をいったら怒られるし。怒られるような気がした。
こうした、ギャップに苦しむのが緘黙ではないかと思う。

患者会の話に戻しますが、
レベル的に、私の緘黙は特殊の中に入るのだと思います。
前出のうつ病の幹事さんは、軽症にあたる。仕事をしている中でうつ病を患ったので、私のような保育園から喋れない、声を出せない人とは
見てる世界が違うのだと思います。
見てる世界や、表現や喋る技術の差や、心の整理の差があるのに、自立!甘えるな!と言われてしまうと・・

もはや、いじめてはいないけど、
いじめの範疇になってしまうんではないか、違いは見た目ではわからない。
患者会と言っても、本当に色々な病気の人がいて、程度も様々で・・
安易に決め付けてその人を酷評すれば、人間関係にひびが入るのではないか
出来る方が、出来ないほうを酷評する。
決め付ける、こうすれば自立できる、あれこれ禁止する、
こちら側から見て、どうしようもないなと思いつつ、それにどうやって添っていくかも、勉強なんですよね。だから、とっても疲れます。

疲れるから、うつ病が治らない。体力が戻らない。でも、治さなきゃ
の繰り返しです。
10、20代の頃は本当に無我夢中で生きてきて、毎日泣いてました。
30代は、少し自己表現が出来るようになり、少し楽しかった。
でも、人生の中で一番精神的にも苦しく、葛藤した。精神的な症状が如実で、、
統合失調症のような症状も出ました。
視線恐怖で一年間、夜しか外に出れない。。本当に人の視線がビームのように
突き刺さる、本当に痛みがする。
敏感すぎて、外へ出れない。神経が研ぎ澄まされてしまう。等に悩まされ。
思うように行きませんでした。
その中で、契約での仕事ができ、仕事の楽しさや話す内容の充実した普通の人達の中にまぎれる事は、私は難しい人と思われていただろうけど、聞いていて楽しいし
私も生きてるんだなという実感を味あわせてくれて、世界が広がりました。
でも、続ける事は不安感がどんどん増してゆき、
できませんでした。
何が足りないのかを、自問自答し、会社をやめました。会社をでて、帰ろうと思うのに、怖くて電車が乗れなくなっていたり、人目が気になりすぎて、歩くのも、、、、、しんどかったり。
そんな自分が変だと思ったり。でも何より、心細かった。

色々な経験ができたのが30代で一番輝いていたのではないかと思う。

結婚については、一回離婚しているので、
色々ありすぎて・・。かなり、疲れた。
人生についての後悔もある。
縁談話があったのに、人を見る目がなく、

人生は、日々の積み重ねと思ってて
あまりにも、ゴタゴタで、理想と違いすぎ、

出来るようになっても時期が過ぎていて、夢をつかめず。
それらをしてるうちに、
モラトリアムになってしまった。
誰でも一回きりの人生。
頑張って生きたいと思う。
だけど、スキルを学んで、社会に出ての、今は私はこの年齢でスキルを学んでいる。
これから、再挑戦しなければいけない。世の中は、雇用が厳しい。
その中で、この私の能力で自立できるかどうか、
フォローがたくさんあれば、出来ると思うけど。
今も、条件が整えば、働ける。
が、その条件が難しいのだと思う。

あきらめたい、ばかばかしい。
カウンセラーに言わせると、普通に生きてきた人は、私のような苦しい思いで
毎日を送っていないそうだ。
もっと軽快に普通に楽しく生きているそうだ。
でも、今は意識して、いわれた事が理解できるので、訓練をしなくては
毎日耐えられるようにならない。
仕事もできない。だから、頑張ってる。

年齢の事を言い出したらきりがないので、
人生捨てたくなるので、

患者会では、どうやってふるまおう。。。

  • [82]
  • ふと通りかかりました、さん

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2013年 3月10日(日)07時24分59秒
  • 返信
 
普通になれればベストだけど、そうじゃなくてもいいんだってことを思えば
もっと楽になる。
病院に通う、薬を飲む、専門家に通う、を選ばない選択肢があるって事ですね。
なるほど・・。そうかも、知れません。
理解を求めても、そこに無いなら理解される事はない。ない世界で
いくら訴えても、尽きる事ないのかも知れません。
薬もたくさん飲んだし、医者通いカウンセリング通いして苦しみが治らず、
それは、私の病が酷いからだ、緘黙が深く理解されていないからだ、と
思ってる私とは反対な意見ですね。
私の家庭は機能不全家庭だったので、そこからの問題点もあると思ってる
ですが、貴方の「傷ついた思いを今でも忘れません」という言葉に人として
の芯を感じました。あ~~
自分を疑ってないのですね。それって大事なこと。。

私は高卒で会社に入り、赤面、対人恐怖と会社の中で深刻な症状を抱え
苦しみが増大していき、神経症のはじまりを迎えたので。
もう少し、家庭の両親が支えてくれたら・・弱さを認めてくれたら、
励ましてくれたら、何とか乗り越えれたかもと思ってしまいます。
あの時は必要だったのだと思います。
甘いでしょうか。
元々弱さを認めてもらえない家庭だと、仕事をはじめてからも、相談事が
できないし、言っても決め付けられ、ちょっと不向きなアドバイスをされます。孤独に問題を抱え、挫折する。。
家庭環境も大事だと考えます。
でも、緘黙と言っても、100人いれば、100通り、だからこそ、
仲間ができにくいのかも知れません。お喋りも得意でないし。それぞれが
独立した病気なのじゃないかとも思います。
ですから、孤独の病。難しい。
私は、家庭問題寄りの発言が多かったのですが、家庭が円満でごく普通の家庭でも、緘黙になる人はなるって事なんですよね。
人それぞれ。

貴方の文章を読んで、作業所に行きながらも
ときおり、嫌だなと思ったら休めるようになってて。。引きこもりって
大嫌いだったんですが、頑張りすぎも良くないなって。
自分ペースを見つけつつあるのかも知れません。
ずっと外に出て居ないと不安でしたが、今は、1Kの部屋に引きこもってても好きな音楽聴いたり、嫌な気分には時々なりますが、
ウツで寝込むことは無くなりつつあります。

また、精神の作業所に行っていても、何か違う・・と感じてます。
そこでは満足できないのです。
どうもなじめない。なんだか、物足りない、自分がいる場所?と違和感。
薬は、今のところ、病気を併発したので必要で、一週間三時間程度しか
眠れなかったり。。酷いですから、まだ最小限度飲んでます。
そうですね、
諦めて孤独になる、自分は人と違う、社会を諦めるなどにならない事を
選ぶ方がいいのかも知れない。
私なんか、って思いを捨てられるのか?
病院は危険です・・もろ精神病院に最初行ってしまったので・・。
地獄図をみて、さらに人間不信になりました。
頭は正常なので。
あの世界は忘れられません。確かにデイケアとか、この世の雑事と離れて
遊べるので、なにやっても自由なので、楽しかったのですが。
入院も、雑事と離れられ、逃げられて安息でした。なんども、そのご
入院生活をしたいとおもったくらいです。
甘い世界は禁物で、でもそこに用意されていて、行けと言われる場合もある。
普通になれなくても、いいんだってことを思えばって
緘黙の人には一番適切なアドバイスかも知れないと思い、励まされました。
自分中心の事ばかり書き連ね、気分を害されたと思います。
貴重なアドバイス、ありがとうございました。

  • [81]
  • (無題)

  • 投稿者:ふと通りかかりました
  • 投稿日:2013年 1月23日(水)22時45分42秒
  • 返信
 
長い論文を書く気力はないけど、少しだけ。
自分を、人を決め付けないで欲しいなって思います。
例え症状の名前は一緒でも、中身は十人十色です。
親や家庭「を」否定されるのが一番苦痛だった。
中身はごく普通の子なので。普通に育ててもらったから、普通の内面なのです。
専門家で的を得たことを言ってるくれる人は1人もいませんでした。
傷ついた嫌な思いは今でも忘れません。
専門家通いを否定はしないけど、離れるって選択肢もあります。
周りの普通の人の言葉の方が心に寄り添ってくれました。
薬の処方について、私の考えでは反対です。
ハンデのせいで職業や学業を諦めて孤独になる…
という時以降に、薬が必要なような状態(ウツだとか)になると思います。
普通になれればベストだけど、そうじゃなくってもいいんだってことを思えば、もっと楽になると思います。
かんもくは、ウツや自閉症(普通の作業が物理的にできなくなる状況)とは違います。
社会的な場所(学校や会社)を離れて、病院に通う…という選択は絶対やってはダメだと私は思います。
病院にはいかなくってもいいから、学業や職業を諦めちゃだめです。
勝手なひとりごとですみません。

  • [80]
  • 学校と家庭

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月18日(日)07時10分3秒
  • 返信
 
学校で話せない子供は、そこから学ぶ事ができない体験することができない。
家庭しかない。
家庭の家族関係が、後々はっきりと大人になり緘黙の人の人間関係を左右する事になると思う。
家庭内不和で育った私は、より他の病気を併発しやすい。
家庭内で仲良く育った人は、狭い人間関係の中ならやっていけるのではないだろうか。なんとか・・
家庭内不和だと緊張を家庭でも強いられ、思った事が言えない。
だから、学校でも言えない、自己表現できない、家庭でも本当に思った事を受け止めてくれる人、聞いてくれる人がいなければ言えない。
私は、これに当たる。
話すのは、聞いてくれない両親の元だと「意思表示だけになる」情緒的なやり取りを子供はしたいのだが、心の余裕がない両親だと、情緒的なやり取りをしてる暇がないし、元々センスがない両親だと、本当に思ってる事をいう事を緘黙の子供は体験できないのではないだろうか。

だから家庭は大事だと思う。とくに緘黙のような子供にはそれしかないわけだから。
私は、いまやっとカウンセリングでそれを学んでいるが、もう6年
民間カウンセリングでないと、そこまでやってくれないと体験した事があり、ずっとお金を払い続け民間カウンセリングに通っている
私の場合、家族がいないというのもあり、それもカウンセリングに通う理由になった。
いま、カウンセリングをやっていて、やはりキツイ。
変える!ということは、キツイ。

今回、変えるべきところを指摘されたのは、
以前、自分自身でこうやったら上手くいくかな。。と何とか身に着けたものだった。
癖ではなく、そうしたら上手く社会を渡っていけるのではないだろうかと意識的に身に着けたものを指摘された。
何か上手く行かない時や不穏なときに、相手の欠点を探しそれのせいにして心の平安を得るというやり方だ。
これを悪い癖と言われた、治せと。
だが、それはかなり大人になってから身に着けた癖というか、こうすればいいのではと自問自答の末に身に着けたものだった。元々私が持っていたものではない。

自責の念が、家庭内不和で強いので。
相手の責任を考えるようになった。それじゃないと、自分が潰れてしまう危険を感じた。それで身に着けようとしたものだったがそれを変更しろと言われた。

まったく難しい。でも変更します。。。
こうやって自分の考えを否定され、かえるという事は固くなった体を痛みをしたがいやわらかくするのに似ていて、すごく大変。
だけど、子供の頃に見につけてこれたものを、身に着けてこれなかったので
そうするしかない、。
かなり、ハードで、大変すぎる。
でも、自分への愛だと思ってやりきるしかない。当分、自信なんて持てないだろう


自信の持ち方が違っていたとしたら、今度はしばらくその自信をもてない
結果が出るまでは時間がかかる、それまでは不穏な日々が続く。

薬は、デパスとソラナックス、パキシル。
全部、自分でこれが飲みたいと言ってきたもの。それが、本を読んでいたら
社会不安障害の人に、効くとされる処方だった。
パキシルは、パニック障害、にもきく、私は以前、フルボキサミンを処方されていたが、こういう抗うつ剤は、社会不安障害に効くのだが、
フルボキサミンは、強迫性の症状に対して効くので、私にはあまり聞かなかった。

パキシルは一日一回、デパス、ソラナックスは頓服で飲むのがいいと思うが
医師は三回出している。
どうして薬を飲むのか、体に悪いのにと自分に問うと

七年ほど前から、自律神経がストレスで完全に狂ってしまい
失調症になったと自覚していて・・。それが元に戻らない状態がずっと続いていて。
これを治そうと思ったら、一年は静かな休養所で現世から離れて静かに自分のリズムを整えるくらいでないと、うるさい毎日の中では今の自分の力では取り戻せないと感じていて。
それらの失調から、より不安や神経などが煽られやすく、より乱れやすくなっている。
それらが諸症状を悪くしているので、やはりデメリット、メリットを考えると
今まで薬を飲む生活をしてきて、のわたしなので、今は薬を飲んだ方がよりストレスは少ないと思っている。

いつになったら空けるかわからないけど、
この悩みが、
いつになったら指摘されず、自信をもってやり方を学んで手に入れて
1人でやっていけるかわからないけど。
それでもやっていく。
やめてもいいけど、やめなくてもいい。どちらでもいい。

さまざまな趣味を持つことは大事で、
私には読書くらいしか趣味がなく。人と比べられない、人間関係が無いところで
自分を解放させないと、行き詰ってしまうと感じた。
たくさんの趣味をやってみて、楽しいと思えるものをやってみる、
楽しむことが苦手な私でもたくさんやってみれば見つかるかもしれない。
何かないとやっていけない。
人と比べられる世界からの逃避、人間関係からの逃避
作品だけで評価されるもの。
関わらなくても出してもいいもの。。。
それが趣味なんだと思う。
人間関係は煩わしい。

  • [79]
  • 緘黙、社会不安障害、回避性人格障害

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月17日(土)07時20分14秒
  • 返信
 
緘黙は無視されがち、決め付けられがちです。ほとんど何も説明しなくて
理解されることは無い。
誤解されるばかりの生活だとおもいます。そこから、苦手な事=ダメ
もっと努力・・となり、鬱々として、そのままの自分ではダメだと社会からも
学校からも、友達からも家族からも決め付けられたりする事が多いと思う。
誰にもわかってもらえない孤独な状態が延々とつづく。
苦手なことが悪い事だ、努力が足りないと人格を全て否定される。
自己否定をしだす、このままじゃダメだと子供の頃から思い続ける、ストレス
重圧。
胸がつぶれそうな想い。
そして大人になる、中学生、高校生あたりから症状がではじめる、不安障害
でも、それが不安障害とは認められにくく、ただの我侭と努力が足りない
やる気がないと思われる。
それから、社会人になる。そこで、自己否定が強いために活躍できない。
元々の性格が恥ずかしがり屋でもあり、自分の失敗の方に目がいくタイプなので
自発的なことがますますできなくなる。
周りからの評価も、普通に話せない状態で育っているので、言葉をえらぶ。
より慎重になる。
休憩時間も、くったくのない話が中々できない。リラックスできない。
密封状態の中に置かれてしまう。
エネルギーが途切れるのも時間の問題。

境界例型人格障害は共生関係で、がんじがらめの人間関係を作るという
人間関係のもちかたのあまりの不器用さから、人格障害を疑われる事もあるだろうが、
本来、境界例型人格障害と緘黙、社会不安障害は共生しない。
医者の中には「わけのわからない人間」を境界例と診断する人もいる。

境界例と診断された場合の危険性もあり、もし社会不安障害の人が緘黙の人が
回避の人が、診断された場合、より自分を否定的に疑い見ざるを得ない事になる。
医者にかかるときに、本当に信頼できる医者にかからねば、自分を自信がない上に
疑いつつ責めつつの、非常に苦しい毎日になる事が予想される。

緘黙、社会不安障害、回避性人格障害は
元々、人に迷惑をかける病ではない。
もし、元々緘黙で自分の表現をどうしたらいいのかわからない。
私なんて、元々場面緘黙だったので、場面緘黙しか知らない、中途社会不安障害組みです。・
元々の社会経験が長く。途中で社会不安障害になったのならば、薬で治すことも
かなりの効果があり、元の状態に戻ればいいだけですが。
元々の性格があり、それに生育環境の問題が加わり、タイミングが加わり
緘黙になり、長い緘黙経験を積み、緘黙の世界でいき教育を受けて育ったものが
やがて社会不安障害を併発するというのは、治りにくいと思う。
この点で、
もっと緘黙に目をやる医者がでてきてほしいと思う。治る部分と治らない部分をわけねば。
誤診や、誤解はさけねければ治療自体が患者を苦しめる事になると思う。
私自身も、勉強に勉強をかさね
それでもまだ社会不安障害に苦しめられている。
いま、私自身、頼れるのは医者ではなく自分になってしまっていて。
医者には、なるべく理解してもらうという地点と知ってることで協力してもらうという地点でしか、接点はないと思う。
だから、薬も治療方法も、自分自身が開拓していかねば
治らないと思うようになった。

緘黙はタイミングやきっかけがあれば治ると思う。
早期治療して治れば後遺症は心配しなくてよくなると思う。
長期にわたって何年も続いた場合、社会不安障害、回避性人格障害を
わずらいやすくなるとおもう。
その場合、的確に医者が回避性と名づけてくれるか診断できるかは不安。
生育暦からたどっていって、それからの流れを見ない医者も多い。
私はずっと信じていましたが、
色々と考えるようになりました。本当に複雑で、人の心は繊細で
大雑把に扱うべきものでないと思います。大雑把に診断を下されると
より治療に意味をもたなくなる。ほか、
患者に重大な損失を与えると思う。
そういう功罪を意識していない人間という残虐さにまた人間不信になってしまう。

  • [78]
  • 怒り、恨みは二次的感情

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月14日(水)06時58分20秒
  • 返信
 
高校まで場面緘黙で、いきなり就職した。

就職すると、いろいろ納得いかないことがおきる。
壁にぶつかった
その心のもやもやをどう表現していいか、私にはわからなかった。
少々、知的障害というか、そういう先輩がいて
怒り、の表現をその先輩をみていてやってみた。ことがあった。

怒りを表現しなければ、どうなっていたのだろう。
代りに、さびしさになっていたと思う。
だけど、怒れてしまうような出来事を、さびしさに感じていたら心は平常心だったし、良かったかも知れないけど。
怒り、腹が立つをそこでいう事を学んだ。怒りの表現、それまで他人や同級生に
暴力を振るわれ、悪口を言われても、怒りの感情が全く湧かなかった。
怒りの感情がそれまで皆無だったのだと思う。
だから、自分が損をしても、泣いて終わっていた。

怒り恨みは二次的感情じゃないかと思う。
怒りなどあまりもたず・・・それって、違うんじゃないか・・・。へえ?。ううう。なんだろな。
で、それまでの私は終わっていた。

あの時、怒りの表現を覚えて、良かったのか悪かったのか判らない。
どちらかといえば、不幸になった。かも知れない。
それって、違うんじゃないの?へ、驚いた、ふーーん。と見る。それで
終わってしまっていた。
それが、意識して怒りの表現をしていると、それが身につき
まあ普通になりたかったからそうしていたのだが。それで、赤面も対人恐怖も直したかった、。
怒りを身に着けることで、からかいを対処したかった。
情けないと、情けないと肩を落とし続ける事は、本当に体中から力がぬけてしまい
疲れ切った。
あれが毎日やり過ごせたのは、若く体力があったからだと思う。今の私でh
体力がないので、鬱になると思う。
鬱とは、ある程度、体力があればはねかえせるものだと思う。

二次的感情をあえて、持ってから
批判能力が高まり、物事を白黒判断するようになった。
なんとうか、腑に落ちない物事を見過ごす事ができなくなった。
間違っていたのかもしれない
私には、激しい感情はなく。
ただひたすら、わかんないなーと戸惑う毎日で、そのほうが私らしかったのかも知れない。
怒ることは疲れる。
なんだかよくわかんないなーでいいんだとおもう。
戻りたい。、
二次的感情は、必用なときにだけ取り出して、心の奥底に大人しくいてもらいたい。
変な身に着け方をした。
散々馬鹿にされ続け心身消耗、神経衰弱になり、病人そのものの私は
満身創痍で、皮膚がなく、いたむ肉のままで会社にいき
傷つき続けたようだ。
おおうものがない、おおうものがあれば痛くないのに。傷を負った心がむき出しで
痛んだ、そこにまた刺激を与えられまた痛んだ。
それが目に浮かんだ。
傷ついた心でも、それを補える、おおうものがあれば、守れる。おおうひとがいれば守れる。やがて、傷は癒える。
血がとまり、かさぶたができ、治る、心もそう。だから、心のバンドエイドがいる
それは、多分人。
私にはバンドエイドがなかった、ずっと傷がふさがらなかった
そこに、恨み、怒りの感情を入れたらどうなったか
必用だったけど、
人間関係を学べない場所だったので、あまりよろしくなかった。
今も本当に人を心から怒り、恨んでいるわけではないと思う。
あのとき、
世渡りのため、普通になるためと思い。
一生懸命みにつけた、腹を他人に立てることは
私には、いらないものだった。
わからないなー、へー、ふーん、とみてる時間がなくなり
物事をあじわい、みる、そのままをみる余裕がなくなり
人からみても、我侭な人間にみえるようになったと思う。
わからないなー、へー、ふーん。と忘れてしまえるようになりたい。
元に戻るだけ。
あのとき、手に入れてしまった、あのとき、練習した怒り。
あのときも、それでも一生懸命で、もし間違っていたとしても
それも仕方がない。

  • [77]
  • 精神科医の力量の違いは、大きい。名医とは

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月14日(水)06時24分20秒
  • 返信
 
心を救うのが名医。心を掴むのが名医。
必用に応じ的確なアドバイスができるのが名医。
全て心が従う

心がない人はいくら優秀でも名医にはなれないと思ったりする。
以前、転院していった主治医が
今、大学病院の助教授になっているのを知った。
よくその先生とはぶつかりあった。魂をもった医者というか
最後に別れるときに、
今の仕事は大変すぎるからもっと違う仕事を探してやってください。という
言葉を貰った。

離婚の時に、アスペの夫なので、話し合いができづ、いきなりの事が多く
それも心が通常と違うので、本当に悲嘆に暮れる事が多くなって毎日のように
部屋に帰っては泣いて、朝起きては泣いていた。

私には実家がない。両親もいない。泣く相手がいない。
私だって、実家に帰らせていただきます!という言葉を吐きたかったが
その分、結婚生活で息抜きや、一旦休憩ができなかったと思う・・・。
だから、実家を売り払い遊び暮らした弟は許せない。

その主治医は泣きながら電話をする私に、悲鳴のように泣いて泣いてなく私に
電話口に出て励ましてくれた。
うんうんと聞いてくれた。だから、私はあの苦しさを耐えぬけたのだと思う。
おお泣きしながら電話をしていた、話を聞いて助けてくれた、一切迷惑だろうけど
私にそんな余裕はなく、ひたすら泣いて泣いて、
助けてもらわないと、心が潰れそうだった。
そして、次の日には会社に行った。頭がおかしくなりそうだった。まだ仕事があって救われた。
変らないものがあるという事はどんなに救われる事なのだろうと思っていた。

それからも、ずっとはっきり離婚が決まるまで
ずっと1人で、突然1人で、仕事に行っては帰って泣き続けた。
ああすればよかった、こうすればよかった、でも
決定的な面で、
話し合いができる相手ではなかった。悔しかった。それより、自分の不出来が
私を責めた。

その頃、アスペとはまだ診断されていなかった夫とはトラブルが絶えず
どう理解してよいのかわからず、困惑の毎日で喧嘩ばかりだった。
私が甘えすぎていた部分もあって、表現がとても下手な部分もあって。
でも、夫は話し合ってくれず、いつも思考の中に私はいなくて。
寂しかったのだと思う。
喧嘩ばかりだった、寂しかった、そして苦しかった。

あのとき、あの先生でなければ
私は助けてもらえづ、潰れていた。もしかしたら死んでいたかも知れない。
とっくの昔に自暴自棄になり、不安定に心をかきむしられていただろう。
会社だって続けられなかったに違いない。

あのとき、あの先生が偶然にも私の主治医でよかったと思う。
だから、精神科医の力量は、患者のエネルギーと向き合えるかどうかだと思う
むきあえない医者は、避ける方に力を使い自らを守る。
だから、例外な事はしないと思う。どれだけ患者と真剣にむきあって
その心を守ったか。
それが名医なのかも知れない。
ガッツのある先生だったと思う。避け避け自衛診療ばかりする医者は、
その時はうまくいっても、患者を本当には助けられない。
真剣ではないからだと思う。
病院選びは、あらためて本当に大事なことで簡単に考えてはいけない
あのときに、
あの先生でなかったら、私はどうなっていたか
本当に支え続けてもらえたから、困難を乗り越えることができたんだなと思う。
いつのまにか、
力を取り戻した私は、泣く事もなくなった。

  • [76]
  • 悪い評価ばかり受けても生きる。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月13日(火)08時59分27秒
  • 返信
 
わたしは最近、あまり調子がよくない。

子供のころの、母からの愛情を超えるほどの父からの精神的虐待。
父の前では、もろい母でしかなかった。
父は絶対的で、今、私が最も恐れているのはあの父であり、心の奥底から
ずっと、愚かな父で、働かず妻や子供をいじめる酒飲みの父であったけど
でも、馬鹿にできず恐い存在。
どうにも動かそうにも、どれだけでも食らいついてくる生き物
動かない石。
あげあしとり、ひっぱりあげる。等、
あまり父という男性によい印象はない。

先日、いつもの友人とツアーにいった。友人に誘われてのツアーだったので
お金をすべて払ってくれた。
私はいやいやだったので、払ってくれたのだろう。
どうしてもという事だった。
その間中、いつも越えられない壁を越えたというか、その友人に我侭がいえた
靴かして、服かして。
お弁当を二つ作ってきてくれて、中身は同じだけどどっちがいい?と聞くので
いつも子供用の弁当を作ってるらしく、私はウインナーが食べたいといっていたが
ちゃんとウインナーも入れてくれて、容器が違うだけなのに、どっちがいいと
聞くところが面白かった。
ずっと普段の生活より甘えられた。甘えるとはこんなにも楽しい事なのかと感じていたというか。

その安心感。そのどうして私をそれ程までに優しくしてくれるのか
信頼してくれるのか、親しいお付き合いをしてくれるのか。
ひたすら甘える我侭の私と、そんな私を見下さず、こういう人間だと同級生という
親しみからか、付き合ってもらっていて。
親より、元夫より、とても親しみを感じる。その安心感の元は、わがままを
受け止めてくれる、気持ちをわかってくれようとする。決して、弱みをみせたことで、それで揚げ足を取ったりしない。
どんなダメな私でも、距離を取り接してくれた。

それは、彼女が、
どんなダメなところも、母親が全て受け入れて応援してくれたからこそ
できることなのかとも思う。
昔、遊びにいったときに、彼女が台所にたつ母親の横にたってずっと嫌だったことやその日、一日の事を、聞いてと話つづけるのを、彼女の母親はずっと話し相手になっていた。
こんなに甘えられていいな、相手をしてもらえていいなと
高校時代か、社会人になってから、家にあがらせてもらったときに感じたことが
なぜか鮮明に覚えている。
そこが驚きで、脳裏に残ったのだと思う。

私の家と違う・・。
相手にしてもらえない。こういう構造は障害を生みやすいという。
だから、今現在、私は病気で
同じく場面緘黙のような症状があったその友人は、心を病まず二児の親になっている。
私は、やはり、家族にもう縛られるのは嫌で。だから、今現在、ひとりというのも
とても嘆かわしいとは思ってはいない。
だけど、安心できる人がいるならば、もう一度女性に戻って、愛し愛され同じ方向を向いて歩きたいと思う。
アスペは、同じ方向を向けないから苦しかった。
家庭内で、向く方向が別々とうことはかなり辛い出来事だった。
私も幸せな家庭を知らない、夫も、私よりはマシだと思うが、幸せとはちょっと
違った家庭環境で育った人だと思う。

同じ方向、共感、をして歩きたい。
早々と諦めてしまうのは、自分にとって無責任だと思う。

私の母は50歳前後に諦めの境地に至っていた。
もう一度、女性として花を咲かせて欲しい
でも、母にはそんな気持ちはないようで、木炭のように真っ黒になって
工場と父の前、家、の前に、朽ち果てていったように思える。
もう少し、自分自身への水やりが出きれば、
そんな自分への愛情もかけ、枯れ枯れになってしまうほどに精神的、肉体的に
ハードな日々だったかもしれない。
年商1人で働き一千万越え、月々45万円の返済ができる収入があったという
事は、年収をきいたことがないが、365日
17時間労働というか、朝の6時から夜11時くらいまで毎日働いていたので。
その収入が出来たのだと思う。

家の横に工場があり、いったりきたりだから余計できたのだろう。
せめて、父さえいなければ
安心して休めたのに。
人害というか、本当に人の害は、害を受けた人の寿命を縮ませる。
しかも、害を与えてる方が生きながらえる。

相手を苦しめる事をしてはいけないと
強く思うようになったし
同時に、男性に対して苦手意識や、実際の1人で生きてくるなかで
様々な男性の痴態を見てきて。
嫌いになった。
若い頃はそれでもとても好きな人がいて、長年お付き合いをしたが
三角関係の果て、だまされていて、そして新しい彼女の元へ行ってしまった。
いまは、それだけ好きな人とそれでも付き合ってそれなりに
お互い、惹かれあっていたのだから、幸せだったと思っている。

その後、そこまで好きになれる人と実際に付き合ったことがなく。
私自身の人間関係と情緒的に成長していない部分で、
または、傷つき、表現をやめてしまった部分で、かなりいびつな
女性になってしまったと自分のことをおもう。

緘黙は暗い、内気、情けない、もろもろ
よい評価など受けて育たなく、たくさんの負の評価を実際にまいにちのように
学校や、家で下された。
私自身も、変れない自分を変えなきゃといつも安堵ができなかった。

今は、どれだけ変でもおかしくても
私は私なんだからと受け入れて愛してる。
悪い評価ばかり受けてさらされると
人生が狂ってしまう。

実際、人の評価は良い評価を受ければ
生きやすくなる
悪い評価を多く受ければ
生き抜くくなる
それが絶対的にある。

私は良い評価など要らないし、悪い評価もいらない
誰もわかってくれなくていい
でも、それでも私は私を愛してる。
口が上手なものが世渡り上手で、安易に世の中を渡れるのなら
人を困らせる人がなんの罪悪感も持たないのなら、

私は口が下手で、評価もない。
でも、それでいい。意地でも何でも不器用なままで生きるしかなく
いつか、その不器用な誠実さや、
?をつかないところやらが、評価される日がくるとおもってる。
それに、
私に色々な人が、いろいろこれまたこの人はああだこうだ
思うだろうし、言うだろう。
でも、そこに思う人がいても
実際の私は居ない。
誰がなんといおうと、私は私を逃げるわけにはいかない。
それでも生きてくしかなく
誰もが、自分の人生を大事に思うはずだ、だったら
いかに過小評価されようと酷評をうけようと
なんと評価されようと
私なりに精一杯、自分自身を生きたいとおもうのは
諦めの境地だが、それでいいと思う。
いかに、不器用な人間がいきるのに必要なのは、自分がされたくないことを
人にもしないという事かなと思う。
そして誤解されてもなんでも、誠実に思った事を実行し、結果を受け取ることだろうと思う。
必用なのは他人の評価ではなく他人でもなく、自分がどうしたいか
それはそんな難しい事じゃないとおもう。
人からどう見られているかが不安で溜まらず、強迫観念にかられていたが
あまり人の目は当てにならないものだと最近おもう。

もう、十分。
人からの評価なんていらない。自分だけの評価でいい。

評価なんて、軽いものだ
状況が変れば変る、でも自分自身はなんら変らないでいたい
ずっと変らないもの、人が見ていなくてもわかってもらえなくても
誤解されても、
私の意思は、そのまま持っていいのだと思う。

緘黙が生育期に絡む障害なので、
脳の構造になんらか変化が起きたかも知れず
また、緘黙は、もともと不機嫌な気質があるという説もある。
わたしも、黙っていて安心できる状況なら、
黙っていたい。
話す、感情を交換する等は、かなり高度のスキルであり、よほど
気の合う人でなければ、自分の感情を押し殺して生きてきたので、自分すら
見失ってしまう。
アスペに誤解されるように、私もアスペを理解できない
理解できないと誤解しやすい。

もっと人間関係をひろめ、私もしんに女性としていつかは
最終的には再出発したい、それが私の到達点だとなんだか思う。
しあわせになろう。
いつか、かならずしあわせになるんだ。
そのため、今日も頑張る。
人の評価など、最低限の礼儀だけをつくせば
後は、放っておこうと過ごしてみようかと思う。

  • [75]
  • 思い出したこと。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月13日(火)01時07分19秒
  • 返信
 
突然、嫌な事を思い出して悶々としていました。
夫はひどいなと思います。

もう別れてしまったけど、
私が病気で自分はなんともないのだそうです。
いつも、わかりやすい言葉ではなし
伝えるのに時間がかかり
私にも相当なストレスでした。

先日、少し電話で話す機会があり


久々に話すとやはり違和感があって疲れてしまいました。
だいたい、
集中力がなく、聞いてるのか否か答えが返ってこない
返事まちで、数分またされる。
だから、私は夫の返事まちの時に夫に、囲碁か将棋?のときのように
一秒、二秒、とカウントまねをして
いま、待ってるよと気づかせたりして。

もう責めないで!という夫に
責めてるのではないよ。
自分が困惑しているから、責められているように感じる
かも知れないけど、まってる方だってつらいんだよと
伝えたこともあります。

普通の脳の人との会話は、
難しい表現や、比喩などをすると
より意味が伝わりやすかったりしますが
アスペは
言葉を単純化して
伝えないと、伝わらないので
自分らしい表現がこちらができなくなります。

お互いが、
難しいところでコミュニケーションすることになり
互いが苦痛を感じるのかも知れません。

いかに、
比喩や感覚で話す事がたのしいかを
それらができないので
つまらなくストレスをかなり感じていた

それなのに、
いつも私の病気ばかりのせいにして
病識をもとうとしない
夫は
いつも何でも私のせいになっていて
私が私不信になる
原因にもなっていた
と本当に罪作りな話だと思う。

アスペと一緒にいると
とてつもない孤独に襲われ
まるで自分が加害者のように
思えてきてしまった。
非情に耐え難い壁だった。

わからない事を
一方的に妻のせいにする

後は、
毎日探しものを激しくするところや、そのつどパニックになって
一緒に探さなくてはならなくて
心が休まらなかった事、またか~と。
毎日、鍵がない!あれがない!と大騒ぎで。
ちゃんと置いておけばいいのに・・
パニックになり、ハラハラすると無視していたときもあったが
本当に私もどうしていいのかわからなかった。
毎日、あれがない、これがない!!
巻き込まれて。

後は被害妄想。
「わざとやったんでしょ?」
違うって!という私に
「いや、わざとだ」

このやり取り。本当に疲れた。

会話がまったくたのしくなく
夫と顔をあわせることに心臓がドキドキするようになった
動悸。
へんな緊張が走り。リラックスできず。
それでもいつも私は悪者で。

少なくとも、少しだけでも
発達障害が多少あると精神科医に言われたんだから。
気にする事はないが、
自分の方にも落ち度というか、難しい面があることを
自分は正常という
夫には過去、
疲れた。
多少は自覚をもってくれていれば、違っていたのか。
ナイフのような
言葉、いきなりのストレートな傷つく表現。
罪悪感のなさ、
傷つけてるという自覚のなさ。
つながりのもてない関係。

やっぱり、
人の気持ちがわからないまではいいが、
わからないからといって
私の方ばかり、おかしいと批難されたことは
腹が立つ。
楽しい会話なんてむりだった。

今は、
アスペでない人と接し話す
いかに
会話が楽であるかをとても感じる

それは、
何かの機会に以前の夫と話すとき
苦痛を感じる
私がいて

カウンセラーが
夫とは難しいと話していたのはこのことかとおもう
感覚が違う者同士が
一方だけを
おかしいと傷つける言葉を吐くのは
私はやりきれないほど深く傷ついた出来事だったと思っている。
とても疲れる会話をしなきゃならないストレス

誠意のみ。
それでしか
関係は続かなかった。最後までわかってはもらえづ
なぜ、私は
なにがしら、心に病をもったような人と親子
夫と縁があるのが
面白おかしくそして哀しく、縁なのだなとつくづく
自分の緘黙を思った。

  • [74]
  • 緘黙と自閉スペクトラムの関係

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月12日(月)07時22分48秒
  • 返信
 
私も自閉症の部類に入るのかもしれません。
心から話していないとは、
その部分では器用なので話すことはできるし
なんとか意思疎通はできるのだけど、
心が開いていない。
いまをいきてない
過去をもちこしていきてる。
健康な人ほど、今、その瞬間に生きてるような気がします
すっきり、その都度、だから様々な事を理解し受け入れてすんなりと
いくと思うのです。
わかりはしないけど、そういう想像です。

私は長年、こういう人だと思われて殺されてきたので。
こういう人だと思われたくない。
いつしかそれが身についたのかも知れません。
つかみどころのない人、何を考えてるかわからない人になったのは
私の1人の生活のサバイバルの結果だと思います。

女、として見られると様々危険があります。
馬鹿みたいですが、本当にそう感じて。
わざとやぼったい格好をしたり、わざと品のないそぶりをしたり
そうすることで、女を意識させず
自分の自由の幅を広げたというか・・。守ったというか。
ごつい女の人と、きゃしゃな女の人がいれば
危険なのは、華奢な人の方
弱弱しい方、それをなんだか学んでしまって。防御方法をもたず世間を渡れなかったので、
自ら、品のないそぶり、格好、やぼったい姿
センスのない、人が見向きもしないようなちぐはぐさをわざとみにつけるようになりました。
すべて、自分ひとりで生きる生活を守る為です。そういう、女らしくないのを
身に着ける事により、変な嫌がらせから守れた。
女を感じさせないことですね。
ミニを穿くにも自分が着たいから穿くのであり、必ずスカートの中が見えないように黒のタイツを穿いたり。
様々な勝手な欲望から自分を守りたいというのはあります。
自ら好きになった人ならば別ですが、
人様の勝手な欲望を満たす事はありません。そんな欲望のために微塵も
自分が使われたくない。
かたくなに、それを思うのです。変でしょうが。
別に男性ではなくても、女性でも、その女性の勝手な都合のために
つまり欲望のために、使われるのはゴメンだと思います。
人の欲望の糧になりたくない。
だけれど、まごころには応えたい。まごころで人と接していきたい。
真のこころ、考えぬかれた心、作り上げられた心
つまり、
全てのものは、人の想念で出来ており
作り上げられた気遣いの心は、欲望や我とは離れています。
それが愛です。
愛には愛で応えて行きたい。そういう付き合いをしたい
と何だか思います。
私の考えは変かも知れませんが、作り上げたものはそのままでないから
愛。
でも、そのままの欲望は愛ではない。
鳴かぬなら殺してしまおうホトトギス
鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス
最近、鳴かぬなら殺してしまおうホトトギスという人に出会い
その心の汚さに、悲鳴をあげたところです。
ころす、
人の意思をねじまげてでも、自分の我を通す
相手の気持ちを殺し、自分の気持ちを優先し脅かす行為は
我の強さ以外の何者でもなく
そういう人が、福祉スタッフとして関わってると
なんらか問題が生じてくるとおもうのです。
自分を押し付ける、男性スタッフに辟易しています。

私が、男性恐怖があり
それらをスタッフどうしで話あったそうですが。
「男性が苦手という事で、仲良くしたいと思っています」と
最近、入ったばかりの30代後半くらいの年齢?の男性スタッフが
私につきまとい、
作業や、何かとやってる最中は関わってこないのに!
雑談のときなど、絡んできてやんわり話しをそらしてるのにくっついてきて、
そこの場所から離れても、後をくっついてきて。
もともと私は話すこと自体にストレスを感じるので、気の合う人としか
話せないのです。
ですが、そんなことを知らず、押しの一手。
ニヤニヤしながら、外に出ても外にでてきて、私をのぞきこむのです。
ですから、そこにいた人が、どうしてそこに立ってるの?と聞いてくれました。
それが、社会福祉士なんですからあきれたものです。

ほんとうに怖い。
精神的に病的な人や、嫌なことをする人間でも資格は取れて、
そういう場所に入ってきます。
ですが、こういう事をしたら嫌われるのではないか?と多少悩む経路があれば
ニヤニヤして私を追ってこないと思うのです。

よくよく、考えてみたら
その男性スタッフに、親しみをもって寄っていく人が居ません。
いつも、ぽつんとしています。
それなのに、男性が苦手とスタッフに打ち明け、配慮を願っているのに
ずんずんとくっついてくる
俺を受け入れろ!というのがいやです。
本当に気色悪いです。

あんな事をするから、強引で人の事を考えないから
他の人にも好かれない。それがわからないのなら、向いてないのだと思います。
わたしの男性恐怖を多分、面白おかしく思ってるのです。
論外。
そう思えて仕方ありません。
鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス
でも、私は
自らでしか鳴きません。
強引は我の象徴。
精神的に弱い人間は、福祉の現場には不向きだと思います。
利用者の困惑を喜ぶ神経は
自らの力のなさえの発散かも知れませんが、力がないのならどこに無いか
どうして他の人は必要とされるのに、されないのか?を考えれば
人への発散などしないはずです。
その、思いやりの無さが人を遠ざけているのだと思いました。
いまも、悩んでいます。
ストーカーのように後ろから、ついてくるその男性スタッフは
男性特有の、嫌われて、腹が立って、嫌がらせをしてやろうタイプではないかと
おもえて仕方がありません。
とにかく、私に話しかけなくても話す人は幾らでもいるので
そちらの方向へいってほしいです。
緘黙は頑固だとカウンセラーにいわれたのですが、
同時に繊細でもあるといわれました。
自閉スペクトラムにはいるのではないか?と思ったのは実は今日で・・・

毎日、いろいろ考えた末のこと
自閉スペクトラムに自分が入るのか否か。
これから、それを検証してゆきたい
学んでいきたい
あてはまるところがあれば、もっと知りたいと思います。
なにせ、時間があってもあっても足りません。
でも、こうやってもくもくと1人で書き込んでられるのも
やはり、私に自閉症の気があるのかも知れません。

福祉のスタッフは病みやすいといいます。
あれこれ考えすぎ、病みやすい。
その男性スタッフも
自己表現をどうしていいのかわからず
そういう方向へ走ったのかも知れませんが自殺行為だと思います。

  • [73]
  • 家は地獄と住む事を拒否した弟

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月12日(月)06時15分31秒
  • 返信
 
父が、近所につっかかる人だったし
大声で怒鳴り散らす、いろんな人に大人気ない迷惑をかけていたのはある
弟は実家の土地に住みたくないといった。

父は、母が亡くなってから、人ががらっと変り、生きていけないと言い出した。
一番愛していたと言い出した。豹変
あんなに痛めつけていたのに、人が信じられない気持ちになった私だった。
あんなに痛めつけて、お酒を顔にぶっかけて
寝させない。
大声でどなる。威張り散らす。父は朝でもなんでも自分の好きなときに、仕事もせず酒を飲んで寝てる生活をしていた。たまにくる仕事のお客さんに、無愛想だ!とか
文句を言っては、母に八つ当たりをしていた。
ほとんど仕事をしないで過ごしていたので、母はつかれきっていたと思う。
なのに、寝させない。
本当に血も涙もない行動をする人だと当時から思っていた。
が、矛先がわたしに向いたり、家族全員に向けられたので、家庭内が殺伐としていた。
なぜ、離婚しなかったといえば、当時は暴力を振るわなければ離婚理由にならず
我慢が足りないとされたからである。
母は数回、家庭裁判所に離婚の相談に言っている。
母や家族に暴言や物を壊したり、破天荒にやりたい放題、仕事もしないで酒ばかりを飲む父が、離婚理由にならない時代だったのだ。
誰も親戚も父には手を焼き、肩をもつのだったが、
別れる話が出ると、人が変ったように謝り、誓い、するのだが、忘れる頃になると
ふたたび、同じ人間になった。

父により、かなり心の痛手を私も負い
この人さえいなければ・・・と思う自分を責める事もあった。
早く死んでくれないか、まで高校時代は思っていた。

話が飛ぶが、私が病院に入院したときも、私の事より、自分のさみしさから
「自分の娘に電話して何が悪い!と、ほぼ毎日、病院の病棟に電話をしてきて
私を呼ぶのだ。
うんざりというか、父の役割を果たしていないなと思った。まるで私が面倒をみているような、
そういう状態を主治医は見ていて、父と私を離れさせるための入院という事であった。

数ヶ月入院をし、一旦退院をしたが、不安ばかりで。
3日ほど家にいたが、もう辛くなり。
鬱々としてきて、病院に逃げたくなった。
どうしても入院したいと、また入院をした。
そうこうするうちに、父が体を壊し入院する事になった
それが最後だった。

それまで、父と二人。
睡眠薬をもらって飲んでいた父、酒と睡眠薬で
ほとんど食べ物を取らなかった。

ある中になっていた。
はってあるいては、冷蔵庫の中に酒がないか探しに来る。
ステテコとシャツの姿で、風呂にはいらない。
祖母の部屋だった八畳の畳の部屋で、父は酒で寝たきりの生活を送るようになっていた。
睡眠薬と酒でほとんど酩酊状態だったため、トイレにいけず布団の中でトイレを
したりしてしまい。
はってきた父の手は、父の糞尿だらけだった。これは、本当に痛い話で
だから、冷蔵庫を開け触ると、それらが付いた。
そんな生活を何ヵ月もしている。
まくらの頭の上には、空になった酒のパックが山積みになり。
酒がなくなると、電話で、玄関にお金を置いておいて、酒屋にもってきてもらうのであった。
私は何とかしたかった、近くに親戚も住んでいたし、何とかしてほしいと思っていた。
私自身が出来るなら立ち直らせたかった。
父が食べられるような、サンドイッチや、ラーメンなどを作ったり買ったりしては
父の枕元に持っていった。
お父さん、これ食べてサンドイッチだよ。これだったら食べれると思うから、
酒ばかり飲んでては体に悪いから食べて。栄養を取らないと。
と父に言うのだが、
みむきもされなかった。サンドイッチも何も手をつけてはもらえなかった。
心が通じない相手だとつくづく思った。
本当に寂しかった。私は、相手にされない価値のない子供なんだと思った。
拒否のサインのように感じた。

でも、本当に食欲がなかったのだと思うのだけれど
たまに回復し、出前を父が頼むので・・・
どんぶりとかラーメンが多かった。
わざわざ店で取らなくても、食べれるようなものばかりだったが
出前は喜んで食べていた。
私は何にする?と聞かれ、父に付き合って食べていた。
本当に私の思うとおりにならない、自分だけの父だった。

体重を非常に気にしており、体重計に乗って自分が思うほどの体重では
なくなると、
食べ出す。
非常に痩せていた。
でも、体重計にのって自分の体は心配はしていたようで。
減ってくると食べる。そうだったように思う。
私が食べてとお願いしても、食べないのに。

そしてまた酒びたりの日々がはじまる。
冷蔵庫も使えなくなってしまった。
父に着替えてほしいとやっていたのだろうか?
布団を上げると、下が真っ黒くなっていた。
風呂に入らない、着替えない、布団の中でトイレをしてしまう。
寝ておきて、おきたら飲む。
何もしないでそういう生活をしていた。
それができたのは、私の実家が、母親が働きお金を残したからで
土地も購入していて、それを切り売りしたからであった。

私の作った料理も食べてもらえず
いらないといわれた。
弟と姉は一切近寄らず、私が父の事を相談すれば
あんたが家を出ないから悩むといわれ、あんたが悪いといわれた。

いまも、私はこの考えはおかしいと思ってる。
私が家をでて働けないから悩む。それはそうだ。
でも、悩みの原因は、父のその状態で、決して良い状態ではない。
その、状態を何とか変えねば
父もその中から逃れられないのであって、治療が必要だとおもう
そして愛情が必用だと思った。
その辺が、私がアダルトチルドレンになった要素かも知れない。
でも、誰かが愛情をかけないと、父の命は無いように思ったのだ。
愛情でしか治せないとおもった。
元気になって欲しかった。
いろいろ失敗していくうちに、私がどれだけ頑張っても、父は私の思うとおりにはならないとわかった。
でも、元気になって欲しかった。
ただ、元気になって笑って暮らして欲しかった。
生き生きと生きて、自分の人生を生きて欲しかった。

でも私の思うとおりにならない父だった。
だから、防げなかったのかも知れない。
だが、父が体の病気で入院したときにアルコールの禁断症状がでて暴れて
提携する精神科の病院に送られた。
その時に、父は他の入院患者と一緒にまるで廃人のように、ご飯を食べていたそうで。これは、弟が言っていたのだが。
それで退院させたい、入院なんかさせたら、きょうだい付き合いこれからしない
何も助けないと脅かされ、私は、いやいやだったが、退院させることに同意した。
でも、
あのまま、入院をしていたら、
父にとっては、家で1人でいるより、作ってもらったご飯を食べ、他に人がいて
温かい清潔な布団があり、なにより、
私にとって、父がアルコールのない生活が送れる健康な状態を思えば
ある程度数ヶ月は、入院させたかった。
父が亡くなったのは、父のせいだろうか。
寿命だろうか
アルコール依存症の人間は、およそ父くらいの年齢で亡くなる人が多いそうで。
それくらいだよと言われたことがある。
それくらいかも知れないけど、
入院させるお金に困っておらず、父だって健全な生活を送れ、また人生を取り戻すチャンスだったかも知れないのに、
家族ではどうにもならなかった飲酒をやめさせる機会でもあったことは
今も確かだと思う。
それについて、私はもう姉と弟と話し合いたいとは思わない。

弟は私をホームレスにさせ、金をふんだくり。
怒鳴り散らし、怒り。自己中に生きた。
姉は、私を助けてくれたが、
姉は姉なりに、一生懸命に私のためを思いしてくれた
でも、成功を望んでくれても
それに応えられず、それを誤解された。
私は努力をしたが、何かが欠けていて、
人間関係の力がなく、それが負担になり、不眠症やら
ノイローゼ状態になってしまい、結局応えられないのが
姉には理解できない人だったのだと思うし、
今は、理解してもらおうとは思わず、
離れて暮らし一切合わないほうがいいとおもっている。
姉は姉なりに随分苦しんだと思う、決して、考えが浅い人ではなく
優しいところや賢く人の気持ちを汲むところもある。
でも、上手くいかない。
結局は私の我侭、我慢のなさになってしまうので。
責められる。
責められても自分のすぴーどでしか前進できない
形だけを整えてきたが、しっぱいした理由は、
心がついてゆけなかった。
頭では望むのに、心が人の中にいると不安で溜まらない
一年一緒にいる、会社の人でも、怖い。
とてつもなく怖い。
仕事は楽しいが、人の中にいる自分が突然とても怖くなり不安になる。
刺激に敏感になり、赤面がでて、ぎくしゃくし
目の前のデスクの人の顔さえみることがプレッシャー。
あまりの緊張が、あって
仕事に集中できない。
でも、いろいろ仕事を変えてきたが、作業などの仕事につくと
人より頑張り評価されたいと思うので、評判はよかったが・
いつ何時、いじめの標的にされるか、いつも他人を疑ってばかりいて、
不安で不安で、顔は一応わらってみせるけど
心の中は人間不信でいっぱいだった。
それが、異常だという事はわかるのだが・・それでも、人間不信が治らず
医者にきくと、
人間不信だけは中々治らない。とはっきり言われた。
対人恐怖が一応なおっても、その意識が薄くなっても、気にしなくなっても
人間不信だけは、
治すのが難しいという話を聞かされた。

今は、人中にいても
この中にも、なにか心の症状で悩んだりしている人がいたり、
私だけじゃないんだと思え、
私も段々、自分だけが異常との認識が薄まりつつあるが
まだまだ、頑として私は変ってるとの認識が取れない。

  • [72]
  • かってに着いてきて出来た友人

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月11日(日)23時33分34秒
  • 返信
 
保育園、小学校、中学校と、友人はいませんでした。

高校で、なんとなくくっついてくる感じの友人が二人いて。
なんとなく、少しは会話をしたと思います。
でも、私の心は閉じたままだったのだと思います。
二人の高校時代のことをあんまり覚えていないのです。
ただ、ギクシャクしながら、こんな程度でいいのかなと思って
付き合っていたというか、
こんな事を言えばいいのかな、とこの程度話しておけば大丈夫かなとか。
とりあえずの言葉。
心からの言葉はでてこなかったみたいで、今もカウンセラーに
心から言えていないといわれています。

でも。かってに私に目をつけて、くっついてきてくれた
ので、
私も、遠慮しながら、なにかにつけ
両親をなくした頃から、
数年くらいから連絡を取ってみたりするようになりました。

気がつけば
20年来の友人になっていました。
最近も、ここ数年も、気まぐれでひとりな私に
戸惑う事もあったみたいだし、
最終的には1人でもいいと思ってるし、1人で生きてきた根性があるし
意地もある。
でも、ひたすら私にくっついてきてくれるわけが何となくわかるような
きっと友人も淋しいのだ。
仲良くしたいのに、できない。仲良くしたいのにしゃべれない
お互い話が合うとか、気が合うとか、一緒にいて楽しいとかの関係でもなく。

それがいつのまにか、長年のお付き合いになって。
理解力のなさや、お互いの人間関係の力のなさ、表現力のなさ、人間関係のスキルの無さで、ぎくしゃくしたが、
少し私は我侭が言えるようになり、少し踏み込んで図々しくものが言えるようになり、ずっと気まぐれな私の話を
素直に受け取って、ずっと私を信じてくれた。
なんなのかわからないけど、縁が切れず、とぎれとぎれでお付き合いをしている。
多分、私が不器用だから信用して親身になってくれるのだと思う。
もし、私が器用だったら。
人間って不思議な縁で、こんな人間関係のスキルのない経験のない私でも、
一応、幾人かの話ができる知人達がいる。
こういう友人が欲しい、こんな関係を作りたい、あの人と友達になりたい
と思ってできた関係は、皆無ですが、
でも、なんだか周りに居てくれる人達に、これは縁だったのだろうかと
思う。
流れ流れて、ここまで来て、
これから、少しずつスキルがあがるたびに
人への理解力が増してゆき、
私も変ってゆくのだろう。
若い頃より、恋愛だって何一つ自由にいかなかった。

自己表現ができづ、もっていかれてばかりだった。
理想的な関係なんて築いたことがない。
築きたいのだけど、方法がわからない・・
いかに、子供時代からの人間関係、家庭の中の人間関係が不可欠だったか。。
でも後悔なく、
なんだか勝手についてくれてきた友人達は、私に何らかの親しみを感じてくれて
付き合ってくれたのだろう。
なんの努力もしていない、努力ができない、仕方がわからない
努力して理想の人間関係が自分が好きなタイプの人と付き合えるのなら
いくらでも、これからでも努力するつもり、。
カウンセリングを進めていく過程で、多分身に着けるとおもう
まだまだ時間がかかり、私の青春も終わりそうなのだけど

これから、もっと人間関係を広げれば
格段にカウンセリングが進むらしいので、
人を知る機会を増やし、その中で気が会う人を増やしてゆきたいし
見つけていきたいと思っている自分がいる。

  • [71]
  • 心の癖が、病気と云われるのはおかしい。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月11日(日)22時43分16秒
  • 返信
 
心の表現や癖が病気といわれるようになりました。

緘黙のような症状こそ、発見され治療というか
周りの協力を得たいところですが
様々な症状を症候群や障害と、位置づけるのはおかしいと最近感じます。
かなり、おかしい。
ずっと私は精神科で治療をし、自分でカウンセリングに通ってきました。

が、薬で治すのは無理だとつくづく感じます。
いま、障害、症候群と○○恐怖症と言われているものの、
大半は、ただの性格だと思います。

先日、
とある会で、かなりの数の人が出席しているものでしたが、
対人恐怖症となのる男性や、
緊張してあせが止まらないで悩み、たぶん、病気だと治療を受けていたのでしょうが。
汗。。汗なら拭けばいい。
対人恐怖症も、薬では治らないと思います。

汗で緊張して、なぜ気になるのかを考えると
人前で汗をかき緊張する
緊張するから汗をかく、
緊張してはいけないとおもってる、或いは、汗が嫌だとおもってるのかも
知れないけど。
拭けばいいのではないかと思います。
いけない、○○ではダメと思うから、恐怖症になるのかも知れません。

躁鬱でも、躁でも本人が苦しくなければいいし、
鬱でも、暮らせる状況が整って、本来の自分をとりもどす事ができる場が
あればいいし、
いけないと思うと、なにもかもが病気になるような気がします。

だけど、緘黙は心身の生育に非情に大きな負担を残すし
将来も変ってしまうほどのこと。
話せない苦痛や、そういうものをとりのぞいて欲しいとおもいます。
生育の過程、子供のこころの健康を守る事は
将来、ストレスに強い人間になれるとは思います。

  • [70]
  • 緘黙でも、生育によって違いが出る。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月11日(日)22時32分47秒
  • 返信
 
どうやら、私の高校時代の友人も長い付き合いでやっとわかったのだが、
場面緘黙のように思える。
学校に行くとしゃべれない、小学生のころは仲の良い子と遊んだり友達がいたようだが、うらぎられ?てから、小学校は違うのでよくわからないが、用心深くなったらしい・・・。
高校で一緒の高校になり、最初のころはあまり私はその友人を認識しておらず
1人で、学食をたべていた。
食堂と学校の教室、どちらかで食べる事ができた。食堂で、私はひとりで食べていたらしい。
まったく覚えていません。でも、友人は1人で食べるなら一緒に食べてくれたらいいのに。と思っていたと最近聞きました。
私が1人でたべていたこと、その私を見ながら一緒になぜ食べてくれないのかなとおもっていた事を、はじめて知りました。
私には、本当に記憶がありません。

あまりに一生懸命で記憶がないのか、、
たぶん、その友人と食べないのは遠慮だったのだとおもいます。。。

それで、友人は学校で思い切りしゃべれない分を毎日、家で発散していたそうで、
家では主のようにふるまっていたといいます。
それが、私は・・・・・・・。
家でも脅えていたし、実父が欠点を見つけてはあげつらい、ひきずりおろされるし、帰ったら母が家出をしていたり。
姉にはストレス発散で嫌がらせをされ、弟のことは心配で・・・。
まったく家が安心できる場ではなかったのでした。
激しい喧嘩は日常茶飯事、私は喧嘩は嫌いです、ですが、しないと・・
しないと、家では無残な結果になるので。
ほんとうに、おもいやりがもてない。家族というより、なんというか。
嵐のような家族でした。
したくないのに、喧嘩をさせられる。しないと、いいたい放題云われる。
自尊心を守る為にやっていたような。
感情をかきむしられるのは、本当に嫌でした。

家庭の環境により、病気になるかならないかがわかれめなのだとおもいます。
神経症や、いろいろ、
家族が応援してくれている、受け入れてくれる家庭環境の緘黙と
家族がまったく安心感のない、嵐がいきなり吹くような居場所のない家庭の子と
は、大人になってから結果が違ってくるのかもなと。

でも、いまのところ、
ずっと1人がいいとおもってきた私の願いは偶然に叶い。
過去を否定しないで、生きられていて、
家族にしばられない、家族に苦痛を与えられないで
生活できることがしあわせだと思います。

  • [69]
  • 見られて恥ずかしいものが何もない。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月 7日(水)11時01分38秒
  • 返信
 
見られて恥ずかしいものがなにもない。
嘘、偽り、
うまいこと言って他人をあざむく。
これらが、ない。
ただお上手は言う。

不思議だが、喫茶店のマスターにあれこれ
話すうちに、愚痴を。
一人に話すと、隠し事がなくなったような気分になり、
外へ出るのが多少怖くなくなった。

外へ出るとき、ドアが怖くてあけられない
人々の目が私を切るように見つめるよう。だったのに
ついさっきまで。
ドアを開けるとき、次は何をしようとおもってる私がいる。
不思議。
ずっとクリアーできなかった世界・・。
何も考えず恐怖に思わず、次は何をしよう。
それに集中できることはありがたい。
この状態が続きますように。

  • [68]
  • 喫茶店でおしゃべり

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月 7日(水)10時42分0秒
  • 返信
 
この一年で、出会った喫茶店があり、
そこがカウンター式で、初老の男性がひとりでやってるので、

統合失調症の友人と一緒に行った。
前々から友人はその喫茶店にたまに行っていたらしい。
よく友人がしゃべるので、私はひたすら黙って話しをきいていた。
友人は多分だが、
アスペを持っている、だから空気が読めない。
体調が悪い日があり、かなりうつだった、体力も限界で
思った以上に力がなく、カウンターに座ってるのも大変で。
人の顔がみえるのも、圧迫感しか感じず辛く・・・。

その時に、友人に疲れたからそろそろ帰らないというと
まだ、私はいいから~と
友人の車でのせてきてもらっていたので、帰れず。
喫茶店に入ってから一時間近くたっていた。
もういいんじゃないか、もうだめだ。。
鍵をかりて、車のなか、8月の炎天下、クーラーを入れさせてもらえず
助手席に横たわった。
それからも待たされた。
どうしていつも気持ちをわかってあげてるのに、こういう時に
私の気持ちはわかってもらえないのだろう?冷たすぎる。
待たせてマスターと話してる、友人。。
その後、ニコニコ笑って走って車にきた、15分経過していた。
待たせると悪いから~と言った。
納得したからでてきたのだなと思った。

むしょうに原がたった。
それより、他の友人に携帯でぐちっていたので、
今こられても、でもすごくストレスで。

そういうやりとりをマスターは知っている。
「あなたも、強情だなあ」
と言ったらしい。

10年近くになる付き合い。

それから、とげとげしい言葉が数々彼女から出るようになり。
疑問だった。
疲れた。
それでしばらく縁を遠くした。

その間、ふつふつと色んなことがよみがえり
マスターに話にいくようになった。
なにせ、誰も客がいないので話しやすい。
それに、友人が心の病気だと自らいっていたので、
もう何でもよくなり、
どうせ私もそう思われてるのだろうと思い、話してやる!と
息巻いて喫茶店にいった。
他人に自分の病気のことを話す経験などなくひたすら隠して息を殺し
いきてきた。
それから、私は三時間。。。

その話を他の人に話すと、
人がすきなんだね~ほんとは人がすきなんじゃない?
といわれた。

違うように思う。そうでもない、人より怖いものはない。
つまり、
私には、家族がいなくて、むしろきょうだいも冷たく無理解で
暴言、嘘を言うし、冷たく厳しい。ひどい。
だから、
他人しかいないのだ。
この人ならと思った相手に、あれこれ話す・・
これによって、少し変わった。
いやな体験も、七転び八起き。

人がすきなんだねと言った友人は
実家の母や姉や、愚痴をいえる本音を言える人がいる。私には
それを受け止めてくれる人は、他人。
しかいない。
人がすきなのではなく、わたしのような家族がいない人間が
できることは、垣根を作らず
他人のフトコロに入って我慢する事がどうしてもできなきゃ
話し相手もないって事で。
他人の垣根崩しの橋渡しかも知れない。
見られて恥ずかしいのものが何もない。


  • [67]
  • 人間も動物

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月 7日(水)05時37分49秒
  • 返信
 
キリスト教と、人類の進化
二つに一つの問題。
キリスト教があり、人類があったでもいいのでは。
キリストが言ってる事はおおむね、そうだなと思うし、人類の進化
人間もサルだった、も多分そうだよね。と思う。

いじめの問題も、サル山問題で
結局、強い者が集団で弱いものを虐めるのはサルだった人間の名のこり
いじめる人間は、サルにより近い。
動物に近いわけで、脳が人間化していない。まだサル部分が多く、
ときおり獰猛になる。
で、いいのではないかと、思う。
やはり、人間は動物だったのだ。
なにやら大人しく緊張してる場面が気詰まりで、警戒されてる空気やら
そういうのが、何らかつっつきたい、と思うことが最近、私も経験し、
ショックを受けている。
友達なのに。。泣
つまるところ、私のストレスが=警戒されてる空気(弱い)と察知し
共鳴し、ごちゃごちゃになり、その緊張に耐え切れず何らかアクションを
起こしてしまうサル。
なんだと思った。
だから、人間社会にもいじめは無くならず。
じゃ、どうすればいいかといったら、自分の残虐性を認めることからしか
はじまらない。
で、止める、
理屈に合わないことは止める。
感情と理性があれば、かならず感情が勝ってしまう。らしい。。。
私の場合は、
夢を喪失し、生きたいように生きられなかった過去やら
過去のことを考えても仕方ないと思う憂鬱やら、
だから、それらを踏まえたうえで、覚悟して、立ち直りたい。
優しさ、
そう、優しさ、日本古来の礼儀、は強さかも知れない。
優しさは強さ。
強くなりたいなら優しくなろう。

  • [66]
  • 考え方を変える

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月 6日(火)05時53分5秒
  • 返信
 
以前、NHKのハート・・なんとか
障害者の石田いらの番組で、強迫神経症の特集をやっていた。

強迫神経症・・・私も知ってる患者がいたが、相当プライドが高い女性だった。
声がめいろうで、綺麗で、旦那さんがおり、私と同年齢だった
気位が高く、元気でどこが病気かと感じた。

後は、手洗いが終われない男性もいた。手荒いが終らず食事時間にまにあわないのだけど、止める事ができず、やっと終ったら(納得がいく)もう
時間がすぎ、片付けられていたので、看護婦に食って掛かっていた。
怒っていた。

こだわりだと思う。
拒否なのだと思う。現実を受け入れることの拒否が強迫神経症となる。
じゃどうすればいいかというと、
死ぬか生きるかの前にたたされないと治らないと思う。わたしは。
相当こだわりが強く、それが許される場面にいる。
許されるから続ける。
必ず、強迫神経症には保護者がいた。旦那なり、父親なり、力の強いもの
強迫神経症は、拒否。
分析してゆき、これが嫌いだからいやだからこうなってるだとわかれば
直すと思う。
恐怖も何が怖くて、怖いと思ってるか・・自らの見たくないものへも
目を向けないと解らない。
でも、
強迫神経症の人は、おおむねプライドが高く、活発で、そういう細かな思考はしないで、行動にでるのだと思う。
怒り、拒否、プライド
誰でも欠点はあるのだから、と思う。
生きるか死ぬかの場面になったら治るものを私は病気と思わない。
かくゆう私も強迫性の薬を飲んでいて
恐怖症。
だった。いまでも、ついさっきまでその恐怖で身動きができない
思考の毎日を送っていた。
怖くて解らないから拒否するのだろう、自分のスピードで歩きたいから
とまるのだろう
だから、私は自分のリズムとスピードを感じたいと見つけたいとおもう。

  • [65]
  • 一番優しい者が犠牲になる

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月 6日(火)05時37分59秒
  • 返信
 
20代の頃、初老の精神科医が私の担当で、
病院に不信を抱きながらも、また見舞いに来てくれる家族がなく、
もし閉じ込められても出してくれる人がいなければ、私は身動きができない状態に置かれるという恐怖がありました。
が、
私の担当医の事を信じるしかありませんでした。
入院患者にはいきなり殴られるし、寄声は怖いし、看護婦も信用なら無い
(なるような普通(健全そうな人もいた)
私の入院理由は、つまるところ、精神的不安定、人間がまだ出来てなかった
一人で生きてく力の不足、世間を知らないのでものの考え方の構築の基礎が
できていなかった・・・重いノイローゼを患っていて
相当な対人恐怖症と不安神経症であった、病名は神経症全般と付けられた。

避難・・であった。
私にとって、いきなり放り出された世間が、どんなものか
その年令までで知ってるはずの事を知らず、もちあわせていなかった。
ゆえに、会社で負ってしまった赤面と対人恐怖で
心身消耗、意気消沈していた。
世間がわからない・・そういう不安がおしよせた。

避難。
であったが、デメリットもあった。やはり、ああいうところには
入院しないほうが絶対に良い。

ああいうところだから。
私は、自尊心と命を落としそうになった。
でも入院は現実逃避ができ、楽であり、力の無い私がいきてくのには
それ、しかなかったように今は思う。

その先生が、「家庭で一番やさしい子が犠牲になる!」といっていた。
どうして?と聴く私に、一番やさしい者が犠牲になるといつも答えてくれた。
少し離れて考えると、精神科業界に正解はないように私は思う。
ただやってはいけない事がある。
それは患者の人権を侵すことだ。とおもう
こういう事に長年経験してきて、問題意識を持っている
あなたは○○だから結婚はやめなさい、子供を作るのはやめなさい
今から10年前でも、精神科医はそんなことを患者に言うのだ。
それは人権であり、○○する為に力をかすのが精神科医であって欲しい。
患者の人権になるうるような、行為を阻止する治療を行う医者は
滅びて欲しいと今は思っている。

腹が立つ。のうのうと生きてるのが腹が立つ
県立I病院のT医師は最低だった。

愛情がなければ治らない
精神科医は後悔していたら勤まらない仕事だろう?
いくにんの
命を失ってきたのだろうか
愛がなければ治らない。
人として熱く誠実で真剣でなければ
治せないと
思うのに。

  • [64]
  • 絶縁の意味

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月 5日(月)06時39分28秒
  • 返信
 
私は弟と絶縁しています。
姉とも、なんどか考えますが、やはり絶縁しか無いのだろうと思います。
元々実は責任感が強いので、絶縁も苦しいのです。
ですが、人の事をなんとも思っていない弟をもやは信じる気にはならず、
信じないと決め、
暴言の虐待を続ける姉の悲鳴を聞きたいと思わなくなりました。
私は一人で立って一人でやっていかなきゃ、言葉の迫力、妨害、暴力
嘘、にまたやられてしまいそうです。

もっと穏やかに、誠実に
お互いが譲歩しあわねば、尊重しあわねば、現実はそれでなく
姉に暴言を吐かれてる間も、違う違うといいながらも
それは違うと説明しようとすると、電話を切られ一切聞かれないなど。
誤解。
架空の関係の中で、想像上で争うのはもうごめんなのです。
現実を知らないで、お互いの情報交換もなく、いきなり決め付け暴言
あまりにも幼稚すぎる。
私が、そういう行動をさせる起因にもなっているのなら。
私も嫌だし、近寄れません。
家族崩壊。
誰かのせい、何かのせいにしない。と決めるといいんだと思います。
私は中間子ですから、
上も見て、下も見て育ちました。
自分だけの事は考えられません。
ただ自分なりの努力をしてゆくのみ。
家庭病、
家庭アレルギーは私にはあり、もう家庭を持つことを本音で
望んでいない。
ごたごたより、一人がいい。
もしできるのであれば、姉と弟が話し合い、和解しあい、仲良くなったら
復縁はあるかも知れない。
本来は、きょうだい仲良くがしたいのですが。
一番弱い立場のものが、どうしてもつらい目にあうような素因はまだ
残ってる以上、近づくのは避けたい。
カウンセラーにも、関るのは止めなさいと言われています。
自分なりに考えてみるものの、家庭内不和は私のせいでなく
仲良くする術を知らないもの同士が、
分かり合うのは難しいと思います。
淋しいですが、それが本当のところかと。

  • [63]
  • 母の決めつけ、過干渉とネグレスト

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年11月 5日(月)06時25分45秒
  • 返信
 
もう母の事は憎んでいません。なんとも思わなくなりました。
話すこともできづ、亡くなって20年以上たちました。

なんとも思わないのは、話したことがあまりなく
私が私を自覚して言葉にして表現するまで行かない内に亡くなりましたから
母がどう考え、どう感じ、どうしてそうしたか。。考え方や感じ方を知る
会話の時間もありませんでした。
どういう人か知らないのです。真の言葉でのやり取りがないというか
私が緘黙であったために、後は、家庭内で本音をいえなかったために、
話し合いといっても、できなかったので、母がどういう人であったか知る由もないのかと思います。
ただ、たえず周りの目を気にしてる人のような感じはします、それを大事にしてそういう人であった、他人から悪く思われたくない人でもあったとおもいます。

もうそういう母親を憎む気にはならず、かえってもっと知りたかったし
長生きしてくれたら、もっと会話ができ、もっと母を知ることができたのではないかという、気持ちに自然になってきています。
とても、淋しい。
やはり、母は私には一人しかいないわけですから。

ですが、こうやって何とか自分の力で過去を振り切って
忘れる方法もあるし、何でもなかったように生きる方法もあるが、
あえて、捨てず振り返りながら進む私を褒めて欲しいと思ってる。
母がわからなかった、私の緘黙を私自身が治してる。
解明してゆく。
それを褒めて欲しい、母を悩ませただろう私の緘黙。自ら克服してゆく
姿を褒めて欲しいからやっている気持ちも生まれるようになってきました。
もう随分と図太く、
自分で自分の身を守れるようになりました。
私なりの答えは、
命さえあればいい、元気で明るくあればいい
信頼できる人がいればいい、
自分の目を信じることができるようになり、去年まで外出恐怖が如実で
生活自体も困難の極みでしたが・・。
あの苦痛が二度と襲ってこないように、進んでいます。
自分の目を信じることができれば、対人恐怖症はよくなるし、人に害さえ与えなければ、自分の苦しみを抱え込めれば、また人が怖くなくなりました。
自分に自信を持つこと、
自信がない、自信がなさそう・・と言われ続けた私ですが、
今は自信がないとは自分で思えなくなりました。
私の感覚でものをみて、人をみても大丈夫と何となく落着いています。
自分を信じられないのが、自信がないという事で。
何とか生活上、色々な困難や心配事があるけど、他人の力を二次的には
借りるものの、
自分で考え決断し、想像し想定し、行動して、結果を見るを日々やっています。
一人で生きていくことはとても大変なので、どうしても考えざるを得なくなります。
緘黙だった私は、たぶん一人でも生きていける根性を持っていて。
それが、普通の人とは違うのだと思います。
ただ、根性だけでも生きていけないので現実的なところは普通の人に助けられています。
なんとか、緘黙のままで緘黙の一生を成功させたいと思う・・
緘黙を否定したくない、忘れ去りたくない私がいる。
あれだけ苦しく我慢の日々を子供時代に送ったのだからという
孤独感からかも知れない。
孤独感さえも大事にしたい、そこに何らかの人を救うヒントがあるように
おもえます。
例えば、子供時代におもっていたのですが、集団心理が私はキライで
必ず、同調心理が働き、私は、多人数のいじめにあいました。
集団心理の危険性、同調心理の危険性、自主性の無さ・・が
弱者を追い詰めるという事を肌で感じて、育ったために。
集団心理で流される人達がきらいですが
客観的に冷めた目で冷静に対処することも同時に大切だと思っています。
心の問題を、子供の頃から考えており、
みずから、緘黙だったのに、自ら悩み考えており、
いつか、声に出し、伝える時が必然的にくるだろう
誤解を解く
それをなんとなく、子供ながらに何となく
その時のために、今は話せないけど・・
証言するときがくるだろうと、思っていました。
家庭問題、子供の問題
間違った大人
誤解
力の無いものが犠牲になる
これらを何とかしなければならないと
子供なのに、当時から思っていました。
と同時に、どうして私はしゃべれないんだろう
と自分を責め、悩んでいました。

  • [62]
  • 春の苺、秋のイチジク、

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月27日(土)14時42分25秒
  • 返信
 
コスモスがあきになるといっぱいさき、
春には苺、秋にはイチジク、みかん、きんかん、すずらん、ばら、
さといも、じゃがいも、きゅうり、鈴なりのミニトマト、大根、えんどうまめ
にんじん、白菜、かぼちゃ・・えだまめ、なす、
もっともっと、たくさんあった。
書ききれないほど、私は畑が大好きで、本当に植木も無数で、草花も綺麗で

夏のグラジオラス、ひまわりや、
あじさいの花は紫色、藤色、
水仙もあって、それも何種類もあって咲いていて
まるで天国だった。
ジャングル天国。

あの土間、あの曲がった畑までの小道、不思議がいっぱいつまった
宝箱のようだった。
そこでは自由に無心になれた。
そんな世界を私に与えてくれた事に感謝してくるようになった。
苺は、
最初は大きいのが出来る、でも段々小さいのになってきて
イチゴ狩りができたし、
遊んだ。
あんな世界を私に作ってくれて今は有難いと思ってる。
すれ違いや、涙する事がたくさんあるし、
でも、
与えてくれた、守ってくれた、親なりにしてくれたことに
は、愛情があり
愛せれていなかったわけではなかったと思う。
体を大事にしてくれたことには、心から感謝したいし
もう前のように憎んではいない。

良い種を撒けばよい結果がでる悪い種を撒けば悪い結果がでる
でも。。。

  • [61]
  • 怒りの嵐が吹き荒れてきた

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月27日(土)14時32分6秒
  • 返信
 
いろいろ湧いてきて、以前はこんなにも深い怒りが湧かなかったし
自分が死にたいと心底思うことがなく、死にたいくらいつらいと思っても
死んでしまおうとかは、思った事がないのが私の自慢というかなんというか
ですが・・ですが、
怒りの嵐が吹き荒れて。

言葉にすれば無数で説明しきれづ、

今は、私の両親への怒りや寂しさはありますが、
どうして!という気持ちもありますが。

でも、最近、小さいころによく家族でラーメンやお寿司や
いつも焼肉に連れて行ってくれた事を思い出したんです。
他人は、非常に冷たい
この世で一番怖いものは、人間です。
地震も怖いし火事も怖いが一番怖いのは、人間。

怖い人にあってきました。
名ばかりの精神科医、患者殺しの精神科医・・
感覚が麻痺した人格を疑いそうな非常な精神科医
それと、普通の仕事先やいろんな場所であった悪人達・・・。
いろいろいますから。
だいたいが、私より力を持っている人が多かったです。。そういうものですね。

私が行った事が本当でも、力が強い人が間違った事を言えばそれが本当になるのが
この世のさだめ>?私は、そんなのおかしいとおもうけど
ここ最近はとくにそうおもいます。

でも、子供のころ愛情は十分に与えられなかったけど、
私は食べる物だけは、十二分に与えられていました。
無農薬の野菜、畑を母が借りて祖母や母がほとんど全ての野菜を年中作ってくれました。
いままで大病をせず来られたのは、豊かな食生活のおかげ、である。
食卓には、炒め物でも、味噌味、しょうゆ味、
母親の作るものはおいしかった。
トン汁や、サトイモの煮っ転がし、茄子の味噌傷め、炊き込みご飯、
みーんな、家族を思っての母の愛情だと思って。

疑心暗鬼な世の中で、たとえ不足で厳しく冷たく
私が1人で生きていくには十分な社会性もみにつけられない無理ばかり
いわれた子供時代でしたが。
それでも、私の体の事をすごく心配してくれたことは間違いない。なかった。

母親に感謝したい。
そして、身体がだるいだるいと言いながら、私の洋服をなぜか?買ってやると
選べ、と選んでる間まっていてくれた父。
そのあいだ、スーパーの中の服売り場・・・近所のスーパーなのに、お父さん
しゃがんでへばってました。
そのころから、アルコールによる末期の癌だったとおもいます。それから
数ヵ月後、父は一ヶ月の入院の末、亡くなりました。

ガタガタ震えていたそうです。だから、父には知らせなかったそうです。
泊まっていけよという声を、癌とは知らず振り切って、帰ってきたわたし。
父と一緒の部屋で寝るなんて。と。
でも、その一週間後にもう話せなくなっていた。苦しくて、
母も父も早すぎる。

父が私に洋服を買ってくれたのは、なんだったのか?日ごろそんな事を
してくれた事はありませんでした。
でも、すごくうれしくて。
その夏の花柄の服を今もたまに着ています。もう、かなりボロボロだけど。
一着だけ残っている。
あのとき、買ってくれた服だ。

祖母は多趣味であったが、手芸がとくいであみぐるみや、いろんなものを作ってくえれた。
家が無くなる時。
私は、時間がなかったけど、祖母が後期につくった作品の
ピエロのぬいぐるみを持ってきた。
祖母も、もういないが、
洗ってきれいにして、そして飾っている。
ぬいめを見ると、あの年齢で作ったとは思えないほど
繊細にぬってあり、細部に工夫があって、可愛らしい。

おばあちゃんが私は一番すきだったけど、
おばあちゃんの心の中の穏やかさや明るさ、天真爛漫さや
生活を楽しむ姿は、
わたしのなかにもあるのだろうか、、。

いま、いろいろな怒りの嵐が頂点で・・
出し切るまでは続くと思う。いまが一番
不安定で、どう変るかわからないときかもわからない。
ただ、両親が育ててくれた祖母が育ててくれた
身体を壊すような事があれば、申し訳なくおもう、

他人の冷たさ、世間の非情さ
誠実な人が抱え込み、そうでない力のあるものが事を起こすさまを
自ら体験すると、むしょうに腹立たしく不安なのである。
やりきれない。
ただただ両親に丈夫な身体では元々私はなかったのだけど、
豊かな食生活をくれたことに感謝してそこに愛情があったのだと気がついた。
世間ではそれもされないような子はいくらでもいたのだ。
そういうことなのだなと思った。

  • [60]
  • 条件が一致した時に発症

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月21日(日)06時41分48秒
  • 返信
 
きのうは、友人に電話をして訴えるように話し、中身は
部屋で一人でいて存在を殺すように緊張しだしてしまう・・という事でない
こんな悩みを、人に話せば、繊細な現代病で架空だと言う人もいるだろう
私の主治医のように・・。
一笑に付す。そこで、立ち止まって壁があり苦しんでいて
それはそれだけの事なのに、それが苦しく感じ、実際にすごいストレス。
スイッチが入るには、
複数の条件があるよう。

まず長時間一人でいて段々と不安になってきたのを止められないとき
建物の上の階の人が、私の場合は多分ですが、タクシー運転手で
外に響き渡るような声で、くしゃみやら、席やら、いつぞやはアダルトビデオの声やら、歩き方が雑で、真夜中に洗濯機をまわす、イッセツ周りを気にしない、ポストに入っていたチラシはばら撒いてシタに捨ててたときもあった、私の自転車にずっとゴミのネットをかごの中に入れられるいたずらをされていた、無視していたら、一ヶ月ほどでなくなる、その後、また夏が再来し、数回、気分次第か・・同じ嫌がらせを受けた。
折れた傘をゴミの日でもないのに出す、そのた物件を自分の所有化しているような行動を取る。
周りのことをイッセツ気にしないのに、ゴミの収集者がたまたま一時間早くくると、察知してゴミを出しに行く・・
たまたまかも知れないけど、電話で話し出したり、電話がかかってくると
静かなのが動き出す。
ほとんどずっとドタバタ深夜でも起きてるようだ、朝方の四時くらいに
静かになる時が多い。
仕事にいくのか、寝るのかわからない。
部屋にいる時間がやたら長く、普通の一般的な仕事で不在という事がなく
いる時間がながく、いついるか、いついないかが分からないが
部屋にいる日や時間が長く、いつ仕事に行ってるのか?と思う。

タクシーの運転手は、何日か行って、数日休みという。。
時間がばらばらで、休みが多い。
私見だけど、流れ者が多く、夜逃げや、一人暮らしの男性が多い。
何かわけありの人が多い。
怖い・・というのが私の感想で。

タクシーの運転手になりたいと願望をもって50代で仕事をやめ
運転手になった人の車に乗ったことがあるが、
以前は普通の会社員をしていて、タクシーの運転手に憧れ、転職したら
いたずらはされるし、自らつけたナビを取られるし、人柄や仕事ぶりや
会社の体制がこんなに酷いと思わなかったと、言ってた人がいた
私は、その人とバイトの話をしていて、いろいろ教えてくれた。普通の
親切な人で、ここにいくといいよ、いろいろ説明してくれた。

なにしろ、父親にもいじめられて育ったし
音をさせたら存在を知られる
いると思われたら何をされるかわからない不安が
もう、自動思考のように働くのではないかとうすうすおもう。
経験、それも経験だものね。

同じアル中の父親に育てられ、おなじような
いつ何が起こるかわからない
恐怖の毎日をおくってきた知人がいる
もう孫もいる。
その人と話があう。
豹変する、攻撃がこちらに向かう、逃げられない

卑怯者、弱い人間、弱いけど力をもった人間は
このようなことをするとおもってしまう

だけど、それでも、それだから
頭が働くうちは、それでも
人を信じる努力はしていくつもり
信じるのも
自分を守るちから。
信じられない人でも自分が信じたいさいごまで
騙されているとおもっても
信じてあげれば、変わる人もいるし

心理学的に、こうあってほしい
こういう人だと思って接していると
悪いいみでも、良い意味でも
人はそうなっていくものらしい。
あまりよろしくない人でも、よいところだけをみて
そういう人だと接していくと
応えていくものらしいのです。
これは、臨床心理士が私にいったのですが
好意的にみると人も段々
好意的になってくれるらしいです。

  • [59]
  • いま、声が出ない・・

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月20日(土)19時01分43秒
  • 返信
 
部屋にいても声が出なくなる
周りに緊張してしまう。
馬鹿みたいだけど。
いま、声が出ない
とても緊張して、自分が馬鹿におもえて愚かに思えて・・。
なんだかそんな気分で。
何をやったわけじゃない。
多分、孤独病。
むかしのDNA
これを医者に言っているのに、全然無視で
誰にも聞こえませんから
って言われる。
よっぽど壁や床の頑丈なところか、
お高い一軒屋に住んでいるのだろう。
いっこうに、一笑にふされ問題にされず、
この苦しさ、
声を殺す、存在を殺すが、
わかってもらえない。
スイッチがいれかわるように
私の場合は変わってしまう。
ずっと抱えている
そうなったのは、数年前からで
多分、原因があったのだろうとおもうが
すでに今現在のみてもらってる医者にみてもらっていて
原因を知り逃したのかもしれない。
やはり、薬はどちらでも
先生は選ばねば、苦しみから逃れられない。
声、出せない。
というか、存在を消す努力をまたしている・。
疲れました。
がんばろ。

  • [58]
  • 橋本市長、朝日、人権問題、DNA

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月20日(土)10時57分15秒
  • 返信
 
ですが、、
あれは人権問題に違いないのですが、あのような記事がでれば
DNAの問題ですから、当然
橋本市長の子供達も、いじめに合う可能性がでてくる。

橋本市長の言論の戦い、法律、弁証法?を使っての戦いは
私には関係ないことだが、
人権、人権。と他の日記やブログや記事などを読むと

人権を守るのは当然だという
橋本市長は嫌いだが、
そういう意見をよんで、気が重くなる自分がいた。

なんだかものすごく気が重い。
重すぎて、今日、寝込みそう。早々と。。

どれだけ人権無視されてきたことか、
笑ってしまうほど
むなしい。
声ある人権
こえなく人権侵害される人

声なき声、小さい声の人の方がどれだけ侵害されてきているか・・・・
果てしない。
見過ごされてる、当たり前にされている人権侵害の方が
よほど罪だとおもった。

やりきれない。

  • [57]
  • 自殺を考えても不思議では無いのかも。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月20日(土)08時51分22秒
  • 返信
 
今までのことを振り返ると、病院ではうつ病と診断されているだけの私ですが。
違う!それだけじゃないんだと
わかってくれない社会に絶望を覚える。
自分自身の存在が否定されるというか、緘黙の人は否定され続けた事が原因だという。
わたしも、緘黙の事について自分の感覚はいえるが、ほとんど、どういうものなのか客観的に知らない。
だから、緘黙は甘えてる、緘黙で大人になって様々な症状が医療関係から理解されないと、烙印を押されてしまう、それが違ってるのかどうかさえ
それさえわからず、自分を見失う経験をたくさんしてきた。
だから、
きっと、
大人で緘黙を持っていた人は、また私のようにどうしても辛い気持ちが
ぬぐいきれない、悔しさ、爆発しそうな怒り。寂しさ、どうしようもない心細さに
苦しむ人もたくさん居るのだろうと思って。
緘黙の事を改めて知りたい、そして自分を肯定したいと思った。

爆発的な怒りは、どうして私がこれにならなきゃならないんだ
そして自分が分からないという怒り。
そして、精神科業界に流されてもみくちゃになってきた自分を知ると、、
死にたくなるのである。

最初のころに、私には愛情が足りないと過酷な状況だからと
まるで父親の代わりのように、
愛情をそそいでくれた、初老の精神科医がいた。
私はその先生に7年ほどかかる。
その先生は言っていた。
ももさんは、ノイローゼです。ちゃんとした人と結婚し普通の生活をすれば
治りますから。
他の精神病患者とは違う特徴を持った私を見て、そう思ったのだろう。
あとこうも言ってくれた。
その言葉に感謝したい・・
「精神病院などでなく、どこかの山の中や自然のなかの療養所みたいなところがあればなぁ・・・」
私はそのころ、その先生の本心が率直にあまり理解していなかった。
子供だったのだとおもうが、
いま、その主治医が言いたかった事が分かる!

普通の生活を経験したらあなたの心の病は普通の人によって癒されてゆきます。
だと思う。
私の病気を、症状を、等身大で認知し受け止めて考えてくれていた
私と同じように悩んでくれていた、そう思える先生でした。
深い深い洞察力、迷い、選択、

その若いころ、私は周りの人を真似、
タバコをすっていました。
先生は、ヘビースモーカーで・・治療が煮詰まると・・「タバコ吸いたいか?
吸いに行こうか」と言って、
二人で、喫煙室に行って黙ってタバコを吸っていました。
「タバコはやめられますか?」と聞かれたので、「やめられる、いつでも」と
答えると、
「だったら止めた方がいい。」と言われた。
そんな何気ない会話や時間を持ってくれたのだと今、つくづく思う。

いま、あの先生とのやり取りやあの先生が本当に言いたかった事
私を本当に治してやりたいと思っていた熱意
本気で向き合ってくれた事、
それがあるから、頑張れている。

幸せになりたい。
緘黙の事をもっと学びたい。

緘黙の人は、言葉に感情を込める話し方ができないのではないでしょうか
私も、そんなつもりは無いのに
同じ事をいっても、声も小さいのがあるけど
感情がこもった話し方が出来ないのか?
何度も聞き返されます。
いろいろな事が、本当のところわかりません
もう一度、あの先生に会いたい。でも先生は引退され
どこに住んでいるのかもわからない。
思い出だけ大事にとっておきたいとおもう。
爆発的な怒りは、
時に誤解をされる、怒りにも違いがあり
緘黙の怒り
つまり、私を今破壊するほど苦しめてる怒りとは
外に向かうか自分に向かうかして、自殺へ追い込もうとしてる。
自己実現できない絶望が怒りとなり
虚脱感となり、自殺へ追い込むのかも知れない。
どうやって、というところだろうか

どこか田舎の療養所でも行って
タバコを吸ってみようか。
私はニコチン中毒にはならない、アルコールもならなかった
全てなぜだか、中毒にならなくて済んでいる。
何事も・・自分で片付けてきた失敗をしないように生きてきたゆえか・・・・・。

  • [56]
  • 喋れない時代に何を思っていたか。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月19日(金)08時51分29秒
  • 返信
 
学校においても、喋れない、話すのが下手というのは
マイナスが多かった。
弱者とされた。

私は、高校の遠足だったかで、バス内で水筒をもって倒れる席というか
真ん中の席に座っていた。
高校は女子高だったが、そのとき、私から見ておちこぼれであまりできのよくない
同級生に言われた一言がこれだ。
「水筒をあんなに大事にもってる、水筒が友達なんだー」だ。笑ってしまうが
そのときは、恥ずかしい思いをしたような感じだった。
言ってる事が意味不明ではあるが、いいかえせないいわれっぱなしなのが
悔しいものだ。

喋れない時代におもったこと、今でさえ自己表現は不器用で下手で
人間関係でよい思いをしたり、夢を実現する力がないけど。むかしよりはマシで。
いえるようになったから、本当のことを話せるようになったから
「自分を守れるようになった」
これには間違いない。

言葉なきものに自分は守れない。
言論の自由というが、私には自由がなかった。
人権さえなかったに等しい。と緘黙だった時代を振り返る。

それを考えれば、なぜこのような使命を私が授かったのかわからない。
人は皆、それぞれ違う。違っていい、
わかりもしないのに、決め付けるのだけはフェアーではない。
話せないものを決め付けるのはフェアではない。
フェアーでないのを生きてきたわけであった。

権威にものが言えない。教師にいじめを見過ごされる
みな、自分の事が大事なら、私も自分を大事にしていいのではないか。
そう思った。
喋れない時代に何をおもったか、それは喋れない人間は弱い
喋れるようになってから何を思ったか、喋れると自分を守れる
少なくとも生きていける。1人でも。それは自立にとって、とても大事に核である。

自らが経験した権威のあるものに、崩されていく人間
権威に負けてしまう人間
精神的に殺されて行くもの・・精神科医に自殺に追いやられるもの。を見た。
強くあらねばならない。
それも理性がなければ、感情のみではいけない。

喋れない時代の悔しさが、誤診が出きる立場にいる悪い事をした風でもない
暴れ治療に、ものを言いたくなるのだと思う。
いう力が弱いもの、いう力が強いもの、精神科医の権威により、その精神科医が
いかに人柄的に問題があろうとも、それは見逃される。
これが実情。

私は最近、とみにそう思う。
精神科医といっても、信じるのではなく、人を見て欲しい。
その精神科医はどういう人か?
信じるに値するか、投薬は間違ってないか・・話は聞いてくれるか
どこまで理解しようとしてくれるか、温かいか、ぬくもりはあるか?

人を治す事ができるのは、ぬくもりだけ。心のぬくもり
人によって傷ついた人間は、人のぬくもりによって癒されると思う。
だが、医者にそのぬくもりが無ければ(そういう人が多い)
或いは、熱意、ぬくもりに代る物があるなら、熱意があるかどうか・・
どちらも無ければ、その医者はやめておいた方がいいと私はおもう。

小学生の時に、私は自宅のトイレの中でひたすら座りながら喋っていた。
それが遊びだった。
何を話してるかというとひとり事で、政治やらなにやらニュースやらの問題を
ひたすら自分で考えて、どこがいけないか、どうなのか・・政治家をまねて
話す遊びをしていた。
それが、楽しかった。話せないぶん、そこで発散して、自分の考えを述べていたのだ。
子供だったなと思うし、そこに今の自分の喋りたい欲望


弁護士をみてみればわかるが、特に橋本市長など
いかに自分に不都合な話でも、都合のよい展開にもっていく
弁護士特有の話し方をもっている。
とんでもない比喩でもって、言ってる事が正しいと印象づけるのが上手い。
そうやって、動かしている。
朝日新聞社とのやり取りは、言論によっての巧みなやり取りが見られる。
いかに、言葉には力があるか
言葉によっての戦い。技法。

そういうものに騙されてはいけないと思う。本当を見る目が
自分を守ると思う。

  • [55]
  • 医者の評判

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月19日(金)07時25分16秒
  • 返信
 
私だけ嫌われてるのか?と思ったら、

その躁を発見した医者を嫌ってる人は他にもいた。

あの医者ですか・・・あの人、最低ですね。。という声を数人から聞いた。

激怒する、口の利き方を知らない。下品・・強烈。

などなど、あらあらしいのである。

患者も人を見てる、

でも医者同士はかばい合う、いったんついた病名を変えることすら

前の医者に悪いからしない。

患者は放置される。患者・・?二の次の医者はごまんといる。らしい。

  • [54]
  • 信じられない精神科医はまだ、たくさんいる

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月19日(金)07時22分35秒
  • 返信
 
精神科の誤診、というのでネットで調べると
どうして誤診がくりかえされ、いい加減な治療が繰り返されるかそこに書いてある。

私の元夫も、最初にかかった個人のクリニックですぐに鬱病と診断され
自殺をする気も無いのに・・・投薬開始されてしまった。事実ですよー

そして、その・・・二週間後、見事にハイテンション。
二時間しか寝ないで、肉体労働。大丈夫!とニタニタ笑って、ろれつが回ってないのに会社へ行く。
その前に二度目のクリニックにかかってる!そのときにも、メンタルの医師に
調子がいいです!と言っている。ハイテンションを見抜いてない医師..

そこいらじゅういる。
そして、首寸前になる。。。倒れたのだ。寝ないで働くので体力に限界がきて
倒れたのだと思う。
私はそのときに、夫から抗鬱剤を処方されたのを聞いた。
やぶとは聞いていたけど、通うのに便利だしと勝手に行ったのだった。
唖然とした。
倒れた夫は白目をむいていた。会社帰りに倒れたのだ。
よろよろの夫をタクシーに乗せて、新しくできたクリニックに行った。
時間ぎりぎりだったが、本人がもうどうしようもないという事でお願いした。

躁うつ病の躁ですね。こう鬱剤を処方され二週間目くらい経ってから
こうなったのではないですか?
今すぐに会社を休ませないと、入院になってしまう。入院になったらここでは
診れない。
診断書を出すから会社に提出しすぐに休んでください。
躁鬱だという診断は、正しかったと思う。わたしの夫は、看護婦さんをナンパしていた。。けらけら笑、今なにしてたと思う?看護婦さんナンパしてたんだ。。といって楽しそうに笑った。
それから、ハイテンションを治す薬をもらい、本人は実はテンションが下がるのは苦しいみたいだ。
いろいろ不安な気持ちが出てきたようだった。
それから看病し、即入院はまぬがれた。

医者いわく、躁鬱気質がない限り、抗うつ剤を飲んでも躁にはならない
躁で入院なんて、躁は大変だ、相当に大変らしい。

その後、私自身、元夫に違う医者を進め
そこで発達障害系に詳しい医師にみてもらえたため偶然ではあったが、
発達障害があるようだが、仕事ができてるから問題ないといわれる。

だが、私はどの医者にも嫌われ。。
お前の事は嫌いだ!と躁を診断された医者にも言われた。
その後の発達障害を診断した医者にも、嫌味な対応をとられた。

なぜだかわからない。
私は嫌われる。ことがある
なかには嫌わない精神科医もいるが、相当できた人か変わり者風な先生
名医か変わり者どちらかだった。
変わり者は良い。
問題は、どうしようもないそこらへんの医者だと思う。
今日も、誤診を繰り返し、薬だけを与えてる
苦しんでるのは、患者だけだ。

  • [53]
  • 墓をヤスリでこすりたいと思った。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月18日(木)17時52分13秒
  • 返信
 
近頃、私は馬鹿げています。

でも、父にも腹が立って仕方ないのです。

墓しか残っていないのですが、両親が立てた墓なので

倒してやりたい!ヤスリでこすって、どれだけ苦しかったか苦しめたのか!

とやってやりたいと思うのです。

それぐらい、はらわたが煮えくり返るというか。なすすべなく。

父から受けた精神的虐待は今も後遺症となって私を苦しめる。

毎日をストレスフルにする。

リビングとキッチンが一緒になった部屋に入るだけで、みてるテレビを

最大音にした。むごんの圧力。

出ていけの意味。

いろいろあった、いろいろされた、ぼろぼろが、もっとぼろぼろになった

ぐしゃぐしゃで、その上にまたぼろぼろにされた。

人の心を気持ちをなんだと思ってるんだと。

地獄だった。

  • [52]
  • 励ましてくれた内科医、心を救えない精神科医

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月18日(木)17時30分43秒
  • 返信
 
誤診。

は問題視されない。

精神科医が患者を追い詰める、

メニエールの症状でものすごく怖い体が震える発作を起こした私。

その時、前に書いたように、励ましてくれたのが緊急外来の男性の内科医

であった。

大丈夫!大丈夫!大丈夫だから起きてみて下さい。すこしめまいが

ふらふらしますが、そのまま頭を上げていれば納まってきます。

大丈夫だから、頭を起こして見てください。

腹から声を出してくれました。

そして、メニエールの原因はストレスだと言われました。

他の原因もあるけど、MRIも取ったけど、問題はなくストレスだったそう

私に大丈夫!と励ましてくれる医師、

その言葉を信じてみよう、社交不安障害(自称)わたしが、人を信じるのは

大変ですが、信じてみよう。心底いってくれている、一歩踏み込んで

心を前に出して信用してみよう。預けようと

思えたのは、大きな励ましの声でした。どれだけ、治したいという気持ちが

大事か。

その数日後に、いつもの精神科医の診察へ行きましたが、

何一つ、同じ病院なのに、メニエールのことは何も話してきませんでした。

まったく興味がない。いつもどおりの、診察でした。

原因はストレスといわれていて、その時の恐ろしさや、発作時の苦しさ

ストレスの原因など、なぜ起こったのか原因は思い当たるか?とか

普通あっていい話がないんです。

もうコリャダメだと思いました。

人間的に終ってる。

心を救う内科医と、心を救えない精神科医

もしかすると、そういう人が増えているのかも知れません。

心の病は何の科学的根拠もありません。

病院をかわるたびに、診断名が変わる患者もいるし

また医師間のつうつうの感じで

一旦、他の医者がきめた診断名に意義を唱える事はあまりないのです。

ですので、

私の近辺での事ですが、おおよそ20年前の精神の医療と

今現在の精神の医療とでは、

先生の意思が違ってきているように感じます。

責任感とでもいおうか、愛情とも言おうか、内科医のあの励ましは

患者のツラサを思って、足りないところを足してくれたのです。

不安を払拭して、くれたのです。わたしのために。苦しむ患者を救うため

それが果たして精神科医にあるのか。

疑問です。

愛情と熱意があれば、大丈夫だと思いますが。。。

私が最初のころ

かかっていた大きな病院の医者は、まるで家族のように私に

愛情を与えてくれました。

苦楽を共にし、

今の医療の現場の医師の人柄的なものが落ちた事を痛感せざるをえません。

何事も人をみて

肩書きに騙されるなだと思います。

苦しむ患者を目の前に、自らのことばかり考えてる精神科医も多数

いるという事です。とくに今は酷い。

  • [51]
  • 緘黙のままで

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月16日(火)09時38分31秒
  • 返信
 
精神論に過ぎないのですが、

聞いて下さい。

数年前に、愛のままに
という歌謡曲がはやりました。

小鳥たちはなぜに騒ぐの甘い果実が欲しいのですか?
というような
歌詞だったと思います。

緘黙のわたしも同じような心境で子供時代をすごしました。
他の子供達はなぜに話すことができるの?
わたしは人より臆病で劣っているのですか?

という心境に近かったと思います。

なぜ?

でも愛のままには、愛が愛のままに終わるようにで
歌詞が終わります。

緘黙が緘黙のままで終わるようにも、一理あると思うんです。

むりやりなおそうとせず、治る努力、科学的な行動は続けて

その場では、答えは出ないかも効果が見られないかも知れませんが

何年後かに、答えが根付いてる場合があると思います。

つまりやらないよりやった法がいい。やっただけの事はなんでもある。

実になります。

でも、緘黙は緘黙のままでいいのです。

周りがとやかく言うかも知れない、プラス評価は受けないですね。

でも、やっぱり緘黙は緘黙のままで

それで終わってもいいような気がします。

無理せず欲張らず、緘黙のままで終わる人生も有り?かもです。

大変つらい人生だったので、苦労も絶えず

たまに変ったことを考えます、多分こういう所があったから

鬱でも死なずに済んでるのだと思います。

愛は愛のままに
緘黙は緘黙のままに
終わるように。

心穏やかに。

  • [50]
  • それでも上手く行かなかったら

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月16日(火)09時17分32秒
  • 返信
 
誰もいない所へ行き、

山でもこもり、新鮮な空気を吸って

ああ空気がおいしいな。花が綺麗だな紅葉がすばらしいなと

川の流れる音をききながら

鳥のさえずりを聞きながら、

人里はなれた誰もいない所で、自分の心を休めるのもいいと思う。

おいしい空気は誰が吸ってもおいしいし

おいしい水は誰が飲んでもおいしいから。

しばらく何も感じないかも知れないが、自然のなかに自然の一部の人間として

そこに同化する事で、

生きてるを実感できるようになってくる。

川が流れるように、雲が流れるように、わたしの心臓も鼓動を打っている。

生きていてダメなものは

この世にひとつもない

ただ咲いてる草花さえ、心を励ましてくれる。

草花のようにただ生きればいい。

  • [49]
  • あいつは頭がどうにかしてる

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月16日(火)09時12分21秒
  • 返信
 
心の科学は絶対的にあると思う。

心は科学で、何かがあり何かが加わり何かに変化し

進化していったものが、現在の心である。

どこも間違いは無かった。

これが答え。

鬱病になったのが答えだ。

治りたいなら、いままでと真逆なことをしてみればいいかも

自分に許可していなかったことをしてみるのもいいかも

それは自分が自分に最初から許可していなかったことではない

多分、誰か世間や親や教師が許可していなかったことかも知れない。

もし許可されない事を守ってやらないで鬱になるより

許可されないなら、破って

鬱病が治るなら、社会不安が治るなら

いちかばちかでやってみればいいとも思う。

生まれつき鈍感な子と敏感な子がいる

緘黙になる子は、最初から敏感な子

考える子ともいえると思う。

緘黙になるような子は繊細で敏感な感性をもっていて

間違っても鈍感な子では無い。

傷つけられたから傷ついたのだ。それを守るのが自信だったのに

自信は自分を守る術。

誰も認めてくれなかったら、自分で自分を認めよう。

あいつは頭がどうにかしてると言われても。

  • [48]
  • 鬱と対人恐怖、社会不安の原因は

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月16日(火)09時02分59秒
  • 返信
 
どうにかならないのでしょうかね。
緘黙も場面緘黙も、ほとんど社会で認知されてないのですよねえ。

どうしたらいいのか分からないと鬱になります。
対策が分からないと、不安になりつかれが襲います。

普通に話してこれなかったので、不安感がある
どうしたらいいのかわからないまま日常をこなしてきた、ptsD
ストレス
親にまず理解されず、その上にまた厳しく押さえられしつけられてきた
ハード過ぎる毎日。
自分のペースもつかめぬまま、走るしかなかった毎日。
自分らしく生きれなかった。
見つけられなかった。

他の人達は楽しそうに緊張もさほどせず楽しんで話してる。
でも、それが出来ない事の原因すらわからないが物凄く出来ない苦しみ
孤独。

治療方法も確立されていない。

今の時代は、お金より心だというと笑われそうですが
やっぱり、お金より心なのだと思う。
頑張れる気持ちを持った人と
頑張れない気持ちを奮い立たせて努力で鍛錬で毎日をこなしてる人と
疲れ方が違う。
頑張れる人には頑張れる理由があり、
頑張れない人には頑張れない理由がある
頑張る人はがんばる事が楽しくて、実感できて
頑張れない人は、頑張れないのだが精神で鍛錬でひたすら努力で頑張る
だから力尽きる。
がんばる事が楽しくない。
自分の為に生きて来れなかったからだと思う。
あなたはグズグズしている、グズグズしてる理由もわかってもらえず
ただ決め付けられダメ人間扱いされてきた
わたしは、今、
親がもし健在なら
言いたいことがある。

言葉は薬にも毒にもなる。
という事。
忙しい、仕事が貴重で
暇で、休日、遊びが貴重でないおろかな事ではない。

わたしは心が空っぽで。
いくら大きな家に住んでも、いくらおいしいものを食べられても
心が泣いている。
生きてる実感がない
親のために生きてきた。周りに合わせて生きてきた。
わたしのために生きられなかった。
だからこそだと思う。

わたし中心にすこしだって見てくれた?
わたし中心にいつか遊んでくれた?
そんな事が一度もなかった
空回りから周り
それを掴もうと、ひたすら合わせた
寂しいから合わせた。
自分の心は置き去りに。

なにより大切なのは、元気な心だ。

話せなくても、おとなしくても
大切にされなきゃならない。

いじめにあってきた私だが、
いま健康になれと言われても
なれない。
もしかしたら、なりたくないのかも知れない。

もう自分の気が住むままに

放っておいて欲しいのかも知れない。

社会なんてどうでもいい

常識などどうでもいい。

小学生のころ、中学生のころ、高校生の合宿
いじめられた、目をつけられた経験があり、

どんな自分も愛されるんだという自信は何より人を強くさせる。
誰でも愛されたい。
誰でもかわいがられたい。
誰でも自分を見て欲しい。
どんな自分でも愛されるんだという、いつも愛してくれる人
例えば、お父さんに任せておきなさい
大丈夫だからと言ってくれる父さんや、お前の事は信じてるから
頑張ってみなさい。
失敗したら帰ってきて一からやり直せばいい。
お前らしく生きてみなさい。ずっと見守ってるから、寂しくなったら
帰ってきなさい。
そういう父がいたらなと思う。
すべて空想だが。
でも、そういえば
イエス・キリストは、全ての肩の荷を降ろしわたしに預けなさい
と言っている。
どうしようもならない事はあるし、誰か人に愛されたくても十分に
愛してもらえなかった子供もいる、そして大人になった人もいる

愛してもらう努力を愛してくれない親にさびしいがゆえ応えてくれるまで
した子供もいる。
わたしは人を愛したい。
でも、自分すら愛する事ができない
だから人を愛せない。
人を愛する喜びを心の底から感じたい。でも、そこまでいけていない。

価値・・・価値

苦しみの共有

今、苦しみの渦中にいる人がいてわたしはその仲間に

苦しみの共有があるから生きられるのかも知れない

努力しても、親の期待するものに努力してそれを叶えられなかったら

喜んでもらえず

目をかけてもらえず

じゃあ、もう

物で認めてもらうしかないのかも。

何かをつくって綺麗だねとか、

生きてるだけでも人間って大変だね。

緘黙は苦労のきわみだね。

対策があればいいのにね。

生きてるだけでも頑張ってるんだよ。

生きてる自分を誇りに思おうと自分に言いたいと思う。

変でも何でも。



  • [47]
  • どうしようもない孤独が襲う

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月14日(日)06時24分39秒
  • 返信
 
ずっとアスペの人といると、ストレス性の後遺症というか。

一行ずつしか話が通じない、その後また一行、連動して連鎖して
相手が私が何が言いたいのかわかるように確認しながら、最後まで
話さないと話を理解してもらえないのです。

プライドが高いので、最後まで自分を主張するのが特徴ですので。
負けまいとしても負けます。
それで、一個、一個、順序立てて、話の流れを通じたか確認しながら
伝える。
まとめて長めの話をしてしまうと、何を言いたかったのが相手が
理解出来ない様子でした。
何の勉強もしてないのですが、振り回されるのが嫌で、疲れ果て
そういう言語方法を持つ事になったように思います。
そうでないと、元夫とは上手く最低限の話題、簡単な話でも
話し合えなかったので、孤独だからでした。

不思議だったのが、
元夫とは友人の紹介と、猛烈なアタックで結婚してしまった私でした。
しぶると猛烈にかんしゃくを起こして怒りました。
そして、すごく粘り強いのです。
その頃、経済的に一人暮らしが立ち行かなくなっていたので。
アスペとは知らず承諾し結婚しました。
でも、その後に思ったのは、なんて暗い人なんだろ
こんな暗い人と一緒にいたら、私まで暗くなっちゃうよ、でした。
なんだかとても不安でした。
何が暗いと感じたのか、多分そのころの猛烈なアタックとは別に
「このまま死んだと思って生きてくよ」ということばでした。
意味がわかりませんでした。
いきなり言われ。新婚で、死んだつもりで生きてくよとぽつりと言われ
面白い話ですよね。笑
理解できない。こっちが暗くなります。

どうして、こんな私自身も精神的なものに関係していて
生まれ育った家庭も機能不全家庭で、たぶん両親が病んでいたし
金銭的に難しく生きてくのや考えるのが限界になった頃、
夫とであったのか。
不思議な縁を感じます。

もう、家族や親しい人の事でハラハラしたくない。それがどうやら
私の感想です。
新しい、安心して付き合える人、しっかりした人、喜怒哀楽を持っているが
激しくない人に出会えれば、そのために
つらい日々を生き抜いてきたのかも、あきらめるには
まだ途中なのかもと思ったりもします。
心の休憩、予習ができなくて、いきなり授業と復習
運動つきの振り回し。
くたびれました。
アスペと上手くいく方法を自然とおぼえた私ですが。
結婚生活は、どうしようもない孤独が襲うものでした。
ああいう世界もあるんだなとおもいます
人間って、やっぱり心が通い合うことがないと淋しすぎて
そういうものかもしれません。

  • [46]
  • 苦労したよ。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月13日(土)09時30分53秒
  • 返信
 
私、アスペのカウンセラーになれるかも。
どうやって、
その後、離婚して

その前に、交通事故を旦那が起こして
相手方が、つっこんで来たんだけど・・しかもノー保険
自賠責しかない。
あなたの保険でどうにかできませんか~~

って、その60こえた夫婦、どっかの野○マンションの管理人のおっさん。
住む所がないから、そこで住みながら生活してるんだろうけど。
無保険で、こっちは軽でむこうは普通車で、一旦停止無視して
ノーブレーキで軽の横のドアに突っ込んで突き飛ばす事はないよね。

それで、横転して。私が助手席で窓の下には土。
車が倒れる時の恐怖と衝撃・・。死んだかと思った。
怖かった。
まだ、車から出てないのに
車を元に戻そうと、通りがかりのおっさんと二人がかりで
押してるの。
やめてーーー!また衝撃を与えるつもり
骨が折れてるかも知れないのに、どんだけ無知なんだとびびりながらも
でれない。
あの恐怖・・自分を守るのは自分だけだと思った。


それから、無保険の相手との交渉。
ムチウチで起き上がれなくて、それから治療半年
全て、私がやりました。
お前たちは、金が欲しいだけだろ!とレンタカーも用意せず
レンタカーは使ったことがありませんので、お宅でやってください
金は払いますからって。
あなたの近所でしょ?私たちは、そこから一時間弱かかるところで
事故にあったのだよ。

交渉が出来ない事をはじめて知った。
涙がでた
元旦那は、交渉ができない人だったのだ。
知らなかったそんな人が子の世にいるとは。

情けなかった。
バカヤローといわれるのは私だった。
横で電話を旦那が聞いてて、何もいわなかった
というか感じないようだった。
守ってくれる者が無い。と私は思った。
交渉は全て私がした

その頃から、離れる事を離れなくてはと本当に心が通じないとは
孤独で悲しい事だと思うようになった。
心は離れた。
私はそれほど、強くなかった。
でも、誰かと付き合えるほどに社交性もなく
孤独に耐えた。

その年、二度目のまた交通事故の被害・・・に私はあった

それから、また交渉。
それで、エネルギーがつき
鬱病が酷くなった。
自殺を考えるほどになった、危ないと自分でも思った。
さびしさ、エネルギーの枯渇
それは本当にそうだった。
それなのにじゃんじゃん電話がかかってきた。

でもやらなきゃなんないのが、人生だよね。
交渉ができないってのは
それでも、でも生きてるんだよ
欠けてても、なんとかなるもんさ
自分さえ嫌いにならなければ。

  • [45]
  • 盛り上がって終るだけの診察

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月13日(土)09時14分43秒
  • 返信
 
そう思ってました。
嬉々とした表情で、診察室から出てくる旦那に。

診察室からはきゃきゃ笑い声が聞こえのりのりでしたね~♪
はぁ~。
私の苦悩はどうしてくれるんかいと思った。

でも、その話してて楽しかった!面白いと言って出てくる旦那が
妙に面白かった。嫌味ですが。

まあリラックスも大事だけどね、でも
薬を一切やめて、睡眠薬だけになったので、その医者はそうしたから。
ちょっとしたやり取りの喧嘩で、車からいきなり止めて出て行って
一昼夜返らなかったり、家出をしたり。。
それを全部わたしのせいにされたり。
怒りがひどくないかい?とそれから、ノー薬のせいか行動が激しくなり
車をほっておいて、いきなり運転やめてとっととどっかいってしまって
行方不明になったり。すごかった。
すっごい疲れた。
ありがとーーK先生。あなたのお陰です。怨

結局、仕事ができてても
また感情爆発や、とっぴな行動、振り回しに
疲れが来るのは私で、それを受けるのも私なんですよ!と
いったけど。
そんなの、どうでも女医には良い事だったみたいだ。
まあ、あんなヤブというか
まあまあ面白い先生だったけど、私の担当女医よりは
マシだったと思う。

  • [44]
  • 発達障害と緘黙

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月13日(土)09時07分55秒
  • 返信
 
子供の発達障害は色々病院でも見てくれるようになった現代なようですが、
大人の発達障害は、あっても仕事や主婦などしていれば問題にされないし
鬱病や他の精神病に間違われたり、鬱病だけの治療をされたりするのが
多いのではとおもいます。
現代精神医学は、日本は諸外国に比べ遅れてるそれも驚くほどに遅れてる
他人に迷惑をかけず自分だけが苦しい緘黙など・・・研究がされる理由がない。
統合失調症にはよい薬が出来たのに。環境との関係性も指摘され、遺伝も指摘され、社会の迷惑になるような事は研究されるが、
本人だけがもつ特徴が元の本人だけの苦しみを理解し研究が進まないという事は、発達障害や緘黙の人達の個々の孤独の苦しみを強めると思う。
どんどん孤独に苦しむようになる。
なにか、自分は他の人と違うとは感じるでもそれが何かわからないのだ。
そして、医者は誤診し、いろんな違った治療をする、優秀な医者は別だけど。
私の配偶者は、発達障害がありました。医者はそれを発見したものの
仕事が出来ているから問題なしと、割り切って治療は終わりました。
こういう事があったんです。
そして私がクレームをつけても、上から目線で取り合ってもくれませんでした。
診断中はその若い女医、ナースシューズはピンク色、黒いタイツ、ミニのようなスカートに白衣・・・どんどん加速してったなあ・・。
まるでコスチュームだと思った。
それが、元夫の主治医でした。
でも、以前発達障害を深く扱う医療機関にいた為に、夫の発達障害を見抜いたことには感謝しております。
そういう事があったんです。

仕事をしてるから問題なし、彼は部屋中を倉庫のようにするし
突然切れるし、大声を出すし、感情表現が複雑でした。
喧嘩も耐えなかったです。
結婚数年後に、発達障害を発見してもらえたので。いろいろ私は勉強をし
彼を説得したり、したんですが、最後まで自分が発達障害とは頑として認めませんでした。
医者は「発達障害のようなものがあるが、仕事が出来ているので適応している。それを問題にすることはない」と言ったそうです。
だから、発達障害では無いのだそうです。
あるが・・・気にする事はない。大丈夫だ。考えなくてもいいという事だったんだとおもうのですが
彼は、僕は発達障害では無いと聞き入れませんでした。

どうやって、目が合わない会話や、どうやって私のさみしさを埋めていったのかな・・最後は諦めました。
彼に対する処し方を感覚で掴み取っていったのだと思います。
それまでは、家の中が台風でした。嵐でした。

さびしいって言ったほうが負けなの?って思ったりした。
一人でいても、わりと平気なんですよね。
集団はすきなんだけど、心から話せる友はいなくって。
何かに属してるのを好む人で

私の欠点は人と接する時に激緊張してしまう不安がある人見知りする
などですが、
マイナスとプラス
集団嫌いと集団好き?よいところを探してったら、結局
私が救われたんです。
相手の嫌いなところや、自分が好む程度の理解力を相手に期待しない
幅の狭いところでは狭いコミニケーションをしたら、できました。

それまでは地獄でしたね。まさに地獄。
人間って弱いですね。だからこそ人間なのですね。
人がいて、自分がいて、

父や母は絶対許せないけど。
両親、得に母なんて、自分は子供の事を全部知ってると何故か思ってる
だから、子供のいうことをまともに聞かない。
聞くと聴くは違う。
ただ聞くと、何が言いたいのかを聴くのは違う。

自分の性格にあわしたパーソナリティで
そのままで、向き合ってけばいいんですよ。きっと。。きっと

鬱病は、こうでなければならない、普通は偉い、という普通概念
好まれるものを強制されてる感じがする。
今の社会は、そうで
でも、個人、個人、色は違い能力も違い個性あふれる人間で
それが、一つの枠で全人格を否定されたら生きていられないですね
だから、鬱病になる
受け入れない事です。自分はどうしたいのか、非難されても否定されても
それが個性なら、どう活かしたら社会に役立てるのか。を考えるだけで
いい。
進みたいのに、目標が、定めても通常ルートじゃたどり着けない
だとしたら、自分ルートで、進む方法を考えたらいいんじゃないか。
鬱に逃げ込むのは簡単、負けてしまったのは事実
支援者がいなかった。最大の理解者が信頼を置ける人間でなかった
裏切り・・
でも、自分がこんな風にしたいこんな風な人が好きだ
この人の本を読もう、会いに行こうは自由。
発達障害も、あまり治療されていない。
緘黙も、そうだ。
このめずらしい個性をもった者が、いかに世間に潰されず自分の力や個性を
発揮でき、性格に合った生活を充実できるかが出来ればいいのではないかと
思う。
しかし、社会や人の目のプレッシャーは、よほど
社会不安を持つ者にとって、パニックになる、抵抗するには
やはり自室にこもって、括弧たる目的ができるまで練り上げる
安心して集中できる場が必要。

私は、最近、鬱の嵐で台風13号がきており
心が吹きすさんでいる
その風に吹き飛ばされないよう、布団に包まり
抗不安薬を飲み、鬱がこみあげるツラサから胸を守る
逃れることを試している。
だいたい寝てしまう。
その間、つらい思いはしないで済んでいる。

その後、発泡酒を一本とご飯を食べて
音楽を聴きながら、鼻歌を歌って
苦味を楽しむ。
依存症は嫌いだった。
父がアルコール依存症だったから
でも!全く何にも依存しないということもない
そのうちに、アルコール依存症になるよという人のことは聞きたくない
なるかならないかは私の意思だ。
切り上げる事を私は自分で知っている。
飲んで泥酔できないつらさ、つまり社会不安障害をよりよく知ってる
そうなるのが怖いのだ。
だから、アルコール依存だって、あれだけ出来るってのは私と人種が違ってて。
度胸があるのだと思ってる。

なんでも程度を考えてしまうからこそ、鬱になる。
その枠からでれない
バンジージャンプなど、死んでもできないだろう。
ジャングルジムさえも、高すぎて怖すぎて足がすくだ私だ。
枠を超えたことができないのも個性かも


考えすぎると鬱になる。
ほどほどに。
それがいいらしいよ。

  • [43]
  • 発達障害の精神科医がいるのは事実。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月10日(水)10時48分43秒
  • 返信
 
私の六年間診て貰っている精神科医は、何らかの発達障害を持ってると
思う。
精神科医に、発達障害・・アスペルガーなどあるのか?と思われるかも知れないが、幾人もの精神科医やら病院を巡ってきて20年になる私。

この目で、病院や先生をみてきて接してきた。知ってきた。事実がある。
何気ない、看護婦の冷たい一言ややり方で、鍵のかかった部屋にむりやり
入れられ、中で自殺してしまった若い女性患者もまじかで知った。

たくさんの精神を病む人達と知り合った。かなり接してきた。
その中でも、自分自身の表現力の無さや、他の病気の人の中でもひとみしり
して、言葉に自信のない自分を感じてきた。
周りの患者は、くったくないのに、私はいつもくったくがあるというか
人に対して。
そういう面もいくつか、他の人の病気の方が大変そうで生活もままならないのに、私の方が生活面では恐怖や鬱を持ちながらも、実質できているのだが。
最初から人を信じる人、疑ってみる人、ひとみしりしていつまでたっても
親しくできない私。
遠い目でみてきた。そのせいか、よく分かる部分もあると思ってる。

治療される自分を、客観的に見てるというか・・そういう部分がある。
治療者と自分をみる自分というか。

だから、病名を知らないまでも、この人は知的障害があるなとか、この人は
アスペだなとか。
だいたいが当たっていた。
だから、私の精神科医なのだが、あんな仕事をしていながら学歴も高い
頭脳も明晰だろうに、多分、個人経営の医院を開けば客がこない先生なのだろうと思う。
人の気持ちがわからないのだ。
アスペや発達障害は天才的な部分があり、記憶力も良い面がある。
だが、共感しないできない脳を持つので、人の情緒的な気持ちを理解ができない。
でも、こうやって人は考えるのだという事は記憶できる。

私は鬱で社会不安なのに、ひたすら精神科医にアロマをしろアロマとか
お風呂でゆったりするとか。。言われている。
強迫観念もあり、だからそれが出来ないんですと私は言っている。
鬱や社会不安障害で、ゆったりアロマとか、ゆったり湯船などができれば
ほとんど病気はなおってるじゃないか。
ゆったりとか、ほっこりとか、出来ないのが苦しいんだ。ほっとできない
安心感がないのが、苦しいんだ。
それには、やはり人と人とのふれあい。分かち合い。それがどんどんひどくなっている。
原因はなんだ?
こうやって話してるあなたでもありますと思う。
発達障害の医者が総合病院でこころの治療をしてもいいのだろうか?
発達障害までいかなくても、発達障害気味なところがどうしても消せない
医者もいる。
人間性がためされるのが精神科医だし、その人間性により患者をよくする
アドバイスができ、コミニケーションができるのも精神科医の特権で。

そのために医者がいる。
その他、数々。人間的にも酷い扱いを私は女の30代の女性精神科医から
実質現在受けている

今の情況になってから、辞めていった患者は結構いるらしい。
病院名は言わないが、
私の治療にとって、私の人権侵害をした医者はこの人がはじめてだ。
めずらしいのだ、そこまでの医者はいなかった。
ステータスや、自分が患者を選ぶ、自分のためにできるのは
女だからだろうか、
やはり、それだけじゃない
世の中には、精神の勉強をして、駆使して、精神科医になる
人間性が欠如した。脳の気質が一般的でない精神科医がいまでも
患者の心を傷つけている。
差別をするつもりはないが、常識はずれなことをする医者には
気をつけたほうがいい。
私が受けた損害は大きすぎる。笑い話になってしまいそうだが
許せない。
許さない。

  • [42]
  • 何もしなくても、そのままで

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月10日(水)09時00分56秒
  • 返信
 
愛してくれますか?
責めませんか?
そこに居ていいですか?

こう思うのは、きっとわたしがACのせいだろう。
何もしなくても、そのままで
居るだけでいい。
生きてるだけでいい。
何もしなくても価値がある。
あなたを愛してる。

鬱で寝たきりで、力が出ない
ご飯を作るにも、途中で具合が悪くなり
自律神経がひびき、血圧があがり
くらくらする。
できあがったものが、さらにまずいと失敗したみたいだと
焦る。

バス停で待ってる間も、待つことができない
とても恐い。
失敗が恐い。
失敗でもなんでも
できることができなくなっても
価値があると信じられたら。

  • [41]
  • 母の笑顔を見たいから無理した。子供時代だった。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月10日(水)08時56分7秒
  • 返信
 
母は子供から愛されている、子供は母がいなくては生きていけない事を
本能的に知っているからだ。
だから、母の笑顔で安心し、母を喜ばせたいとおもうし心から母がこの世で
一番大好きだ。

だけど、わたしは姉と弟の間にはさまれ
両親の喧嘩、の間をとりもつ良い子となり、母からもきょうだいにはわたしが
必用、わたしがいなければきょうだいなかが悪くなるから。と笑顔で言われ。
我慢してしまう子になったのだと思う。母の期待に応えようとしたのだと思う。
わたしはすでに緘黙だったのに。
外でも我慢、内でも我慢になってしまったのだと思う。
なんて、悲惨なのだろう。
それが、今現在の鬱の原因のひとつに違いない。

自分が喜ぶのではなく、母が喜ぶから・・した。
だって、笑って欲しかった。
笑っていて欲しかった。わたしに笑いかけて欲しかった受け入れて欲しかった
そうだ受け入れられるという事は、母を喜ばすというか笑顔をむけてもらえると
いう事だった。
そういうのをアダルトチルドレンと言う。私は、きょうだいの中でひとりか
弟もそうかも知れないが、アダルトチルドレンになった。
やりたい放題している子はならない。子供が子供でいられたらならない。

不幸な親、仕事で忙しい親を、喧嘩をして、でも別れなくて何度も傷つける
喧嘩をする両親を・・なぐさめるのがわたしの役目だった。
そうなってしまった。
なんて、悲惨な人生なんだ。
笑ってくれたら、そのままを受け止めてくれたら。わたしに目を向けてくれたら
しっかり見てくれたら。一緒に遊んでくれたら、そのままの存在を情けないなんていわなかったら、ぐずぐずしてるのではなく、
話せないわが子を、恥ずかしいと思わなかったら。

そこに母ではなく、人としての限界をみる
そして絶望する。
そして鬱になる。
愛される子だけが愛されて、だからわたしには恋愛ができない
あのこが欲しい、この子が欲しい・・かごめかごめ
あの子はいらない。。。呼ばれない子に、かごめかごめは残酷で
自分を壊したくなってしまう。

いま、すぐしなくてはならないことは
人を喜ばしたいから自分を喜ばしたい
それを自分に許すこと。
わたしの努力があったから、それ以上に悲惨な家庭にはならず
一応、。家庭の様をしていた、でも中学生になり弟となんだかいき恥ずかしく
弟とも話せなくなったのは。
父が酷くなったのは、わたしのせいだ、わたしのせいだと思ってせめていた。

最初から、笑顔を向ける余裕もなく笑ってくれない母に
笑って欲しくて、受け入れて欲しくてわたしは母のいいなりになった。
わたしがわたしになるまえに、母はわたしにわたしの役割を与え
愛情が欲しいのなら、それに従えと
いうようなメッセージを送ってたのかもしれない。
と思える。
わたしのような場面緘黙でも、アダルトチルドレンじゃない人達は
いっぱいいるだろうし。
普通の家庭の子供もいっぱいいるだろう。
でも深刻な鬱になってしまった理由は、強いわたしなのに・・・なってしまったのは。
わたしは愛する人を喜ばせるために生きていたからだ。
収穫量が少ないところで汗をふりしぼり、頑張って頑張って
笑顔を向けてくれる事だけに力をしぼっていた。

わたしは自然に消耗する生き方を、学んでいた。
自分に自信がなくなる生き方を学んだ。
与えるものもなくなって、わたしは抜け殻になり横たわる。
そして、母も家も、あの苦しかった家庭も
わたしの血のにじむような努力も、人生をかけたものも、もう無い。
家庭はもう嫌だ。
家庭というものが、わたしは経験したから、もういらない。
とてもなつかしのだが辛かった。
わたしがわたしのために生きられるようになれば、きっと鬱はなおるとおもう
人が喜ぶ顔をみて、ほっとするから
自分が喜べるまで長い道のりを歩けるかどうかわからないが、歩いてく。

  • [40]
  • やりたくないことをするから鬱になるって分かった。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月 9日(火)09時39分49秒
  • 返信
 
やりたいことをやっていたら鬱にならない。
自分を責めなかったら鬱にならない。

そういう単純なことが。

わかりました。
きのう、おとといと、自殺願望が
疲労の局地で。
睡眠薬を口に含み、たくさん飲んでしまうところまでで止めました。
昼間から、少しの睡眠薬を飲み眠って自分を守りました。
でなかったら、日々の我慢の限界だったんだとおもいます。
苦しかった~~!。
悶絶の苦しみでした。あれは。

私はあまりいいわけをしないのです。
ですが、鬱にならない人は言い訳をよくするし、私が言ってないことでも
言った、言ったというし
相手が言ったことを、いったでしょ?というと、都合が悪ければ
言ってないと言います。
要するに嘘が上手いのです。で、それに対して罪悪感をあまり持ってない。
もたない。
図々しさがあるのにずるい!と思いましたが。

そうやって、生き抜いてきたから必要なものなのでしょう・・・
なんでも完璧にやる必要はない。
早くやる必要はない、丁寧に時間をかけてもいい。
私の速度で。

やりたくないことや、世間からの否定で価値観で傷ついてるのがわかりました。なんだかそうみたいです。
話さなくても、治したくないなら治さなくていいです。
楽しく元気でありさえすれば、自由自在に人がなんといっても
自分らしく活躍してもいいし、しなくてもいいんです。
きっと。
やりたいことをしていれば、鬱にはならない。
掃除でも仕事でも人間関係でも、
いやな人、怒鳴る人、悪口、噂を言う人。いるでしょうが
それでも、自分を信じて
私の事は私しかわからない!と思おうと思ってます。
やりたくないことをするから鬱になる。
否定されて、それを受け取るから鬱になる。
あなたは加害者でしたか?
私は加害者ではなかった。
それだけでも、生きる権利があるとおもおうと思います。

  • [39]
  • 音が恐い。自殺願望

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月 8日(月)06時30分57秒
  • 返信
 
鬱がここ半年、強く出てきて。
抗うつ剤の力を借りていますが、いまでも自分が鬱病だと医師から診断されたもののの、そう不思議とおもえない。

なんとか頑張ればできることも多く。でも、それらをやると大変に疲れてしまう。

鬱病は自分の心のコントロールができなくなり、喜怒哀楽がコントロールできなくなるらしい
子供の頃はできていたもの、健康な頃は出来ていたものが、できなくなる。
わたしも、できなくなっている

カウンセリングを行って、今現在の医者がわたしにしたこと、言ったことなど
カウンセラーに話してみた。

世の中には、たくさんやぶ医者はいます。私の知人も躁鬱気味なのに、鬱病だと
診断され、抗鬱剤を処方されたら、見事に二週間後に躁状態になり、結局眠れなくなって仕事へ行くので、倒れました。
即、入院になってしまった。こういう事があるのです。
鬱病と躁鬱はみわけがつきにくいと言うけど、見る目がある先生なら、見極めができたとわたしは思ってます。
鬱病の薬を出す前に、わたしが医者なら・・眠れてるかを聞き、ちょっとした精神安定剤と軽い睡眠薬を出すでしょう。そして、ちょっと様子を何週間かみてから
診断名を下すとおもいます。
躁をもってる躁気質がある、もともとある気質的な躁を持っている患者にいきなり
初診で、抗鬱剤を渡すのは、自殺行為をさせるのに近いと思います。
ちゃんとした医者ならそうするべきでない。しないと思う。

わたしも、ちゃんとした名医にかかった事があり、数々の先生に診てもらってきたので。
先生の資質がどこにあるか?は人間性と思います。見極めるというのは、名医にしかできません。
藪医者はたくさんいるけど、本当に見極めるのは大変な事ですから。その患者にあった治療は、名医にしか本当のところ出来ないとわたしは思ってる。

わたしも名医にずっと最初のころ、診てもらっていたが・・そのお陰で。
今は、なんとか我慢していられる。
あんな人がいた、あの医者はわたしにあれだけ力を注いでくれた。
だから、生きなきゃ。

昨日は実は、土曜日に
カウンセリングがあり、

そのせいかどうかわからないが、激しいこみ上げるような落ち込みや焦燥感が
襲い。
我慢の限界で、口に睡眠薬を10錠ほど放り込んでしまった。
涙がたくさんでてきて、おいおい泣きました。
かなり、つらいです。
自殺未遂はした事があり、その時も睡眠薬を多飲しました。気がついたら
大変な事になっていました。
もうするまいと思うのに。

口にたくさん含んで、これでこれが溶ければわたしは無意識になるんだ
自分の意思で死ぬんだと思うと、
なんだかすっかり楽になるような気がして、飲み込めば地獄
薬がぬけて起き上がるときにどれだけ辛いか。朦朧とするかわかっているのに
気が楽になるのです。
コントロールできない自分のつらさに、いま口の中にある薬を飲むか飲まないかは
自分でコントロールが出来て、少し気が楽になるのです。
わたしは、できるだけ我慢してました。もう、気分は楽でした。
誰もつらさをわかってくれない、それと怒りそのものが・・・鬱になってる。

でも、その感情も否定しない事にします。
鬱の時は、目を左右に動かす事に力を注ぐと何とか劇症うつ状態から
逃れられるようです。
欲するものをほしいままに、どんな感情も自分の心の中では否定しない。
わたしはわたしを否定しないと決めたのだから。。。

そのぶん、今現在のY医師や県立病院のT医師や、酷い医者がしてきたことが
腹が立ち仕方がない。
お世話になった、最大の理解者、F医師に会ったからわたしはまだ医療を信じられる。
医者もそれぞれ、患者は犠牲にならないようにしなくては。
ただ。T医師だけは、どうしても許せないし
Y医師は、早く来年の三月を待たなくても去って欲しいとおもっている。
どうしても、人間として許せない。

わたしが窒息死をしかけて、チアノーゼになったとき、白目も真っ赤だった
あのどん底にときに、
はじめてきたY医師は言った。
「それで、今日は何か?突然来院されましたけど、何かあるんですか?」

そこの総合病院の外科でみてもらったが、
あなたは死んでいましたよ、ただ事ではありません。数回気を失いませんでしたか
死んでいてもおかしくない。と
わたしの顔をみて言った。
あれだけ酷いチアノーゼと目の出血・・酸素がもうほとんどいっていなかったんだろう。
本当に苦しかった。わたしも、一時はあきらめかけたのだから。
でも、
最後まで生きるのをあきらめなくて良かったと、そのころより
鬱が酷くなってる今だって、生きててよかったとおもっている。

のに、我慢の限界がきてわたしだって自分をどうしたらいいのかわからなくなってしまった。
昼間から少量の睡眠薬を飲み、眠った。

昔の感情を吐き出すのは大変だ。
でも、カウンセリングでも、それをやりながら、今を生きる。

もう嫌になる。

わかればわかるほど、何をされてきたか
他人に殺されるならば、自分で自分をと思ってしまう。
わたしも負けず嫌い。
しゃべっていたならば、出来た事を思えば思うほどに
悔しい。
その悔しさが、死にたくなるのだ。

だから、今、今を思おう。

わたしにできることはたくさんある。
こういう生まれながらに、逃げることができない病にかかったけれども
それも人生。
時には忘れ、今を楽しもう。それが毎日できたなら
いいのにと思う。
まだまだ一歩、カウンセラーに言われた宿題をこなすと少しずつ良くなっている
人と目を合わせられなかったが、
調子がよいときは、目をあわせられるようになった。。ほんのちょっとの事でも
うれしいから。
音が恐くなるのが、ある。
統合失調症は。音が声にきこえるらしいが
わたしは、馬鹿にされてるように思えるときがよくある。
トクに自分の弱さをさらけだし、泣いてるときとか・・・。
きっと、傷ついた人間は、言葉によって傷ついた人間は
音や声に敏感なのかもしれない。
わたしは、幻聴にまではいっていないので。ありがたいと思う。

  • [38]
  • お母さんへ、ひとりごと。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月 7日(日)09時00分18秒
  • 返信
 
きっと、一人っ子の方がよかったね。
姉だけで十分だったね。

だって、勉強もできて活発で
あなたが内に秘めていた嫌いな暗さや
いくじなさを持って生まれてきたのは私だったからね。

きっと一人っ子でよかったね。
あなたがきっと教育できてしつけができて
仕事をやりながら、自分を大事にしながら、見られる許容範囲は
一人だけだったんだ。
姉だけでよかったのに。

私にはあなたがわからないよ。
あなたは一生わたしには理解できない。
ただ、利口ではなかったんだよね。きっと
私とは違う意味で。
でも私は私を嫌いじゃないよ

だって、もう自分を否定しないって決めたから。
十分苦しんで、つらい思いもしたし、
弱い私は、色んな人の弱い卑屈な面や卑怯な面をみせつけられた
みてきた
それは私しかみれなかったかもしれない。
だから、私はそうなりたくなかった。
それが、たとえ目立たなくても鬱で自分が苦しくても
人を苦しめることでない限り
私は私を許せるよ。

  • [37]
  • 悲しみを出し切れば・・・きっと。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月 7日(日)08時22分17秒
  • 返信
 
姉からいじめられたのは、多分
わたしが赤ちゃんの頃からだっただろう、いつも二人にされた

両親は工場で仕事をしていた。
いたずらざかりの年子の姉と、生まれたばかりのわたしが
二人にされる時間がながく
わたしがいたずらされていたのは、多分まちがいないとおもってる

それから二歳、保育園
高校卒業、それまでずっと
トクにわたしが小学生だったころ、姉が中学生だったころ強く
姉から毎日、からかわれ、いじめられた。
わたしのことが嫌いだったらしい。
わたしは嫌で嫌で、姉が帰ってくるのが窓からみえると足がすくんで
なんとも言えない嫌な気もちがした。

祖母が編んだ毛糸のおしりの下に敷くクッションや
わざわざそういうものをわたしの顔に無理やり押し付けてきたり。

洗濯機をやっていて、当時二層式で・・あとはすすぎと脱水だけっていうときに
自分の洗濯物をもってきて、わたしの目の前で
わたしの洗濯物を出して、お風呂ばに放りなげ。
わたしが、後もう少し、すすぎと脱水だけだからと言っても

あんたのものなんかいいの!あんたなんかいいの!と言って
無視して勝手にやってしまうのだ。
あんたなんかいいの。。。
それでなんとも思わないのが姉だった。

あんたなんか、あんたなんか、今も言われる。

わたしは、何か悪い事をしたのだろうか

大人になって、姉が結婚をしてその時に姉夫婦に言われた
姉から、
あんたのこと、嫌いだったのだからいじめたの。
義兄から、
妹のことなんて、好きな姉なんていないよな!

・・・車の中で3人。
言いたかったのだろう。嫌いだからいじめた
あんたが病気になったって知らないよ
いじめるのは当たり前。
子供なんだからという意味だろうか

わたしは黙っていた
言っても仕方ないと思った
確かにわたしは精神を病んでいた。でも、
この人達は、似たもの同士
わけがわからないが、言っても仕方ないと思った
つぐない
つぐなわれるわけはない。

悲しみを出し切ればきっと
家族のために、一生懸命にやってきたわたしだったけど
歪んだ家族は、むしろわたしより強い癖に
わたしを良い子として、我慢ばかりをさせた。

あの頃の良い子に戻ってよと姉はいった。
わたしは、心を病んでいたが思った。
また病んでしまうじゃないか
あれは、本当のわたしじゃなかった
あんな聖人のような、子供っぽくない我慢ばかりをしてるわたしを
家庭は存続のために望んだが。そうしてきたが
そしてわたしは病気になったのだ。

決して、緘黙のせいだけじゃない。
勝ち組、負け組みあるだろう世間ではいわれるだろう
いわせておけばいい。
わたしはそれでも穏やかに自分らしく生きて行きたい。

  • [36]
  • 夢の中の母へ

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月 7日(日)08時07分21秒
  • 返信
 
朝方、夢の中に母と弟が出てきた。

わたしはお布施にお金を入れて返したいのに、お布施もわたしの分はなかった
どうして残しておいてくれないの?
わたしは母に尋ねた、母はいつも言葉がない人だったので、その時も
ちゃんと応えてくれず、卑屈な顔をしてあいまいな顔をして。

どうして、わたしの分、残しておいてくれなかったの!
どうして!どうして!
母は目をきょろきょろして、本当の母とは違って
髪は短く、背は低く、世渡り上手な不誠実な顔をして悪い事などしていないふう
で、伝わらずにやにやとわたしの顔をみながらあとづさりする。

どうして!どうして!と言って、現実に涙を出しながらわたしは
声をしぼりだしていた。
うなされていた。
そんな事ははじめてだった、鬱々として苦しくて苦しくて・・・。
喉が渇いて乾いて・・砂漠のような気持ちだった。
不誠実
すごくさびしかった。
うなされる夢を見るのは本当に珍しい事で、余りない事だったので
おきたときに驚いた、がさばくのような殺伐とした寂しさと心の重さが・・
胸を押し潰し、わたしを押さえつけた。

その時に、携帯が鳴った。
どうしてる・・・?おきてるかと思って電話した。
めずらしい電話だった。
わたしを救ってくれる人なんていない。
そううなされて目が覚めた時にめずらしい人からの朝方の電話だった。

そんな簡単な偶然が
この世に神様はいるって思えた。
そして、その電話が偶然にはおもえなかった。

昨日も、鬱病はここ半年わたしを強く襲い
社会不安障害さえも、わたしから体力を奪う。

でも、カウンセラーにいわれたのだ。
どうしてわたしには自信がないのですか?

褒められてこなかったでしょう?

そうなのだ。
それがわたしの人生だった。
学校ではきめつけられ、暗いとひっぱたかれ、蹴られ
家では相手にされなかった
姉から毎日いじめられた。

母は、助けを求めてもきてはくれず
やっと来てくれる頃には、わたしはおお泣きしていて
声が枯れていた。
いじめられたのに、数年そうだったのに姉に。

母は言った。
喧嘩、両成敗だ。どっちも悪い。

どうして母は?を言うのだろうと思った。
ちゃんと話を聞いてくれないのだろう。
両成敗なんかじゃない!
いつもいつも母は助けてくれなかった。
本とうに耳を傾けて、わたしの心に誠実ではなく
自分の都合のよういようにした。
それを姉は利用した。

ばかばかばか。
アホ。大嫌いだ。
不誠実で人間ができたふりをする母
でも、祖母はいつも
いたずらをすると、本気で怒って追いかけてくれた
わたしは祖母がすきだった。
追いかけてくれるからだった。

  • [35]
  • 泣いたら悲しみ晴れますか

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月 6日(土)18時16分11秒
  • 返信
 
泣いて泣いて泣いてます。毎日、胸が押しつぶされそうで泣いてます。

こころの中から淋しくて淋しくて淋しくて。

悲しくて悲しくて悲しくて泣いてます。

なんでだかわかりません。ただただ悲しい。

いままで生きてきた人生分の涙だとおもいます。きっと泣きつかれたら

出し切ったら、すっきりすると思う。

それがいつかはわからない。

ずっとずっとさびしかったんだとおもうから。

きっと、やっと涙が出てきたんだ。

私の感情のフタが開いたのだろう・・

今日も一日、がんばりました。

  • [34]
  • 応援してほしかった、母に。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年10月 2日(火)06時52分11秒
  • 返信
 
応援して欲しかったのだと、つい最近わかりました。
カウンセラーから自分の好きなものをできる限りあげよと宿題を前回もらいまして。。
怠けております。。でも、好きなことを考えるのは!ウツの改善でもある!と気づきました。
好きなことがわからなくなるほどに、追い込まれているのです。
でも、好きなことを一生懸命自分のために考えてる・・すると、自分を痛めつけるもの、癒すものがわかってきたような気がします。
それに、楽しいことや好きなことを考えてるときにウツにはならない。
少しだけ、明るい気持ちに必ずなるのですねえ。。
ウツ防止、自殺防止なのかも知れません好きなことを考えることさえ
つらい事実ですが、ゆるされなかったのかもしれないですね。

私は鍛えて鍛えて、元から話すことができない根源を自分で理解していた子供でした。
その根源を根底に築くために、話すに応えるために根源を母と家族の間で作ろうとしました。ちっちゃな子供なのに、わかってた!
根底と基盤を作らなければ、話せだせないとわかってた子供でしたそして一人の人間でした。
それをしないと話せだせないのです。ですが、それに対して鍛えるだけ
二歳の泣きじゃくる私を強引に自転車に乗せて、おいてくるだけ。おいてきぼりにされ、力まかせに、放り出され。無責任を子供ながらにかんじていたようないないような。
なんだか、捨てられた子のようでした。
遊べといわれても一番大事な人と心が通じていないのに、はなせないし
遊べないよ・・。怖いよ。まわりは子供だらけ、私も子供だけど、怖いよ
あの人たちは乱暴だよ。
ねえ、安心させて。それから保育園にいかせて、それがだめならね、家にいさせて、おとなしくしてるから。
そう感じていたような気がします。
絶対的な安心感が得られないゆえに、黙って守るしかなかった。
最初は母親との語らい、通じあいだとおもうのです。それが基盤
私はそれが必要で。でもなかったから、危険でこわくてはなせなかった。
いつも、周りにいっぱい乱暴な子供たちがいて。
私の人形を取り上げて平気な顔をして笑って遊んでしゃべって。
本当に危険から身を守るのに大変な思いをした。
そんな怖いところへ、どうしてわかってくれず置き去りにするのか。
そして時間になったら満面の笑顔で迎えにくるのか。

満足してるのは、母親だった。
私は小、中、高と場面かんもくであったが、一度もそうおもわれたことがない。ただ気が小さい、だらしなく、やる気のない子、として母からも親戚からもおもわれていた。
私には人は障害物で、なにもわかってもらえない存在だった。

不思議なことに大人になってしまうと、回りは私を病気として人が苦手なことを仕方ないことと許してくれる。
でも、守られなければならないこれからの子供の声には耳を傾けようとしないで、おとなしい子ときめつけた。そして、嫌がる子をおさえつけ、鍛えた。つもりでいた。
馬鹿だな、何もわかってないな、わたしは、子供ながらにそう
感じ思うことがあった。いってもいっても伝わらなかった。
決め付けは怖い。
いま、私はある意味、自分は健全だと思う。
苦手なことを苦手といえる、安心がある。
守らなければならない子供に全員に、違うのに、同じことをやらせる
できない子はだめな子?
適正な子供を量産するための場が学校。はみ出た子はだめな子?
個性を見つけて欲しい。
そして、その個性を否定せず応援して欲しかった。母に。

  • [33]
  • やってきた努力を認めて!

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月29日(土)06時06分59秒
  • 返信
 
そう思います。
私の努力を認めて!無かった事に扱わないで!
だいたい、目に見えるところで判断され否定的な言葉や損を受けるけど。
どれだけ努力して耐えてきたのかわかりません。

ほんとだったら、学校から逃げ出して
いま、叩かれていたんだよ、いじわるされていたんだよって
言いたいです。
でも、許さない雰囲気があって
ずっとそれに耐えてただ耐えるだけ、高校では喋れないので手芸サークルに
入ったものの、いけませんでした。
先生から注意を受けるものの、帰宅部になってしまって成績はペケでした。
マイナス、マイナスだらけ。笑
でも、楽しみも無く苦痛をずっと耐え、自己実現も出来なく過ごし
評価も最低。
それでも、その痛みに耐えてきた、そう誤解され評価される事に耐えてきた
その努力・・変な努力だけど認めてと思う。
もしかしたら、楽しんで学生生活を送ってきた人より、何倍も苦しみ
たえ、時間が早く過ぎないか。ずっと待っていたのだから。

楽しみ方を知らない。心を開けないまま集団の中に入れられてしまった。
無視された、本当はそこで大事なのは、心を開けたか開けてないか
喜んでるか、困惑してるか
心を開けて、遊んでいたら安心していいと思うけど。
安心しているか、心を開けてるか、それがあればある程度は保育園でも
安心して通わせてよかったとは思います。

  • [32]
  • なぜ、私にばかり話しかけるのか

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月29日(土)05時58分43秒
  • 返信
 
そう思ったことが最近でも、あります。
精神を患う方の作業所に通っていたのですが、作ったお昼ご飯をみんなで食べる。
ただそれだけの事が私には苦痛です。
まず、食卓を囲む、顔が見える、向かい合わせる、これが苦痛です。

女性スタッフが私にももさん、味はどう?とみんなの前で言います。
応えないでいると、ももさん!ももさん、味はどうなの?と言ってきました

どうして他の人には聞かないのに!私にばかり聞くの!と怒れてきました。
本当に不思議で。
緊張する場面で、もくもくと食べる皆の中で、あえて緘黙の私に問いかけをする。
その問いかけが、私にはどうでもよいことに思える。なぜそのような苦痛を
味あわせるのか?と思ってしまう。
実際、苦痛なので。

それで、無視したりそういう事はありました。
その「苦痛」をどうあらわしていいかわからない、説明できない。
同じ共通点が無い。説明するのはとても難しいです。

社会不安障害、鬱病であるとは言ってありました。
みんなと一緒に食卓を囲むのは、ちょっと楽しい気分だけどとても緊張して
のぞむ態勢になってしまう。という事も話してありました。
それだから、あえてみんなの前で、発言をうながしたのでしょうか?
わかりません。。
そのスタッフとは、分かり合うのに時間がかかるけど、悪い人ではないので
しかし、苦労します。自分にも。

それが、おかしなことなんですが、
食欲旺盛で陽気なあまり人の事を気にしない人を前にして食べると、あまり緊張しないで済むんです。
これは、鍵じゃないかなと。その人自体にめずらしく人見知りがあまりなく
そういう人の方がめずらしい、人への好みもあるのだろうけど、さっぱりしている。
誰でも受け入れるようなしっかりした明るさを持った人の前だと、緊張しないで食べられる。

好き嫌い、緊張の伝達、雰囲気を壊す壊さない、そういう事に学校時代も
微妙な空気があるのが日本の特徴。日本人のコミニケーショんの取り方。
じゃないかと私は感じる。
微妙なことがきっかけでいじめられたり。空気を壊したKYだといわれたり。

でも、平和にのんびりと
ほんとは、素朴にそれを私は求めていて、平和にのんびりと誰かれなく平等にいれたら。受け入れられたら、と求めてしまいます。

私の家庭も、金の亡者、世間体の女王の母親がいて、そんなの欲しくないのに、そのために家庭が犠牲になりました。
私が欲しかったのは、平凡な家庭のしあわせ、語らい、ちょっとしたピクニックなどの楽しみ。家族で遊ぶ事。家庭団欒。ちょっとした楽しみ、

社会の流れに負けまいとする母はすごいと思います。
でも、家は売られてしまって、早死にしてしまいました。
私は私の家族と話し合いたかった。まず、両親が仲が良くする努力と
折り合いを付ける事だったんじゃないかと思います。
できないなら、離婚をするなど、けじめは必要だったかなと
子供を苦しめることは、決してささいな事ではない。
お金の前に、もう少し、仕事を少なくして家族や家庭を大事にしてと
今も寂しい気持ちは残ってる。

  • [31]
  • 誤解して欲しくないですね。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月28日(金)16時50分48秒
  • 返信
 
やはり、発声に声が小さいし、相手に不快感を与える場合もあります。
でも、無視してるように、無視しないと自分の心の準備ができないというか。
声を出す事に、低調なんですね。テンションが低いというか。
まあ、本当にその苦労というのは、こっちの責任にされることが多いですから。
だいたいほかの障害でもそういう事はよくあることで。
誤解はつきもの。
無視したと思われても、じょじょに誤解を解けるように
上手く喋れないのだから、他にジェスチャーとか、
自分のペースでも。いいよね~~?。><

  • [30]
  • 正直なところ・・・

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月28日(金)16時45分29秒
  • 返信
 
自由自在に言葉を発してきた歴史をもつ普通の人と
心と発声が、くっついてしまっている私と

いま、話すにも負担が違うと思うんです。

普通の人でも話してるとき、多少血圧が上がるんです。
ですが、、
緘黙の経験者だと、もっと緊張して意識するので上がるんだとおもう
私は、上がる人で、あまり関係ない人もいると思いますが。
それで、嫌になったりします。
体調が悪くなるというのが実際にあり、心と発声力というのか
がついていかないのです、
話すと血圧があがり、調子が悪くなるのを繰り返し経験すると
やはり、話すのが億劫になったり、更に流暢にしゃべるのを求められると
たとえば、いきなりの問いかけ、こえかけ、それも他の人の前で。
やっぱり、ちょっと大変かも知れないです。
体調のことも考えつつ、負担をかけてる事も自分自身了解しつつ
話す作業をしているときも少なからずあります。
ほんとうに、難しい。
話すと体調を崩す場合もあるのですね、。。リラックス方法を
探して探して探しまくる、
そして、コーラスなど美声を発揮し意識を薄くするなど声を出す時の
無意識の負担を減らしてみるといいと思ってます。

  • [29]
  • アスペルガーで嫌われた理由

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月28日(金)08時40分57秒
  • 返信
 
どこの作業所にも馴染めず、居場所を見つけられないアスペの人が
いましたが。
どうしてか?考えてみた。
人に関心がなく、ひたすら何時間でも自分の話たいように話をする。
相手の挙動にまったく感知できづ無関心。
社会性が発揮できていない。
アスペにも色々なタイプがあり、私が出会った人はそう見えました。

どうしたらいいのか。
好かれる人、嫌われる人という本がPHPの小雑誌から出てますが
好かれる事がそんなに大切なのかな、人に極端なストレスさえ与えなければ
存在してていいんじゃないかと、一つの嫌われる好かれる枠の定義があることじたいが、本を売りたいんだなと思ってしまう。
みな、嫌われるか好かれるか心配なんです。

それを逆手にとって、いざ買ってみるとありきたりなことしか書いてないというのが、今まで何冊もその本を買ってきた私の感想ですが。
好かれる、嫌われる・・そこまではっきり題名を出してくるのは、もう売りたい!そのものだってちょっとあきれました。
絶対、それにつられて買ってしまう人がいるのでしょうね。質が落ちましたね。と思ってしまった。そんなのありっこない。答えは一つではない。

好きな人もいれば、その人を嫌う人もいる。
それだけ。大勢に好かれる人、大勢にわかられない人、難しい人
理解されがたい人。。
好かれる嫌われる二つの分類・・そこまでして人に好かれたくありません。

でも、アスペの人は引きこもりになってしまう。
自分は正しいのに、なぜ人はとがめるような雰囲気のことをするのか。
低く扱うのかと怒りを覚えるのだろうか?
わけがわからないのだろう。
アスペはアスペのことを学んだ方がいいと思う。他の人ではどうしようもない思考回路をもっていて、それが個々、個性的で違う。
だからして、アスペの勉強を自らしてこういうものなんだと客観的に自分をみて、普通の感覚と違う感覚だと学びじゃあどうやって理解されようかと
思ったほうがいいのかと思う。
緘黙は、アスペのプライドの高さが無い。鈍感でもない。強気でもない。
怒りも覚えない。私はそうで。
緘黙の感覚を理解してもらおうとしても、とても無理そうだと普通の人にはと思う。
私が出会ったアスペの人の難しいところは、人に介入し過ぎるというところで、人が自分の事に対してこうだ!といっても、人の事に対していや、それはこう考えた方がいい!と感じ方や考えに介入していた。
そして、僕の考えの方が正しい、悪い事はいっていないのにあの人は
優しい心を無視して、応えようとしない。
優しさはうけとるべきだ。という

僕はパソコンが出来るが、中年のそのおじさんはパソコンやネットができないのだから、外で作業をしている、寒いのだから、僕がダウンジャケットをきたらと言ったら、そんなのいらない!といった。
そのおじさんは、パソコンができないから外で作業をしている。
寒いのだから、着た方がいいよと助言してあげてもきかなかった
そのおじさんとトラブルになった、話し合った結果、僕が言ってることは正しいとスタッフは言ってくれた。
やっぱり僕は間違っていなかった。その変なおじさんは、性格が病気のせいか曲がっている。
という事を聞いた事がある。
相手の感覚や考えをまったく感受できていない。正しいか正しくないか
善意でやったことなのに、拒否した。
ネットができる僕達と、できないおじさん、可哀想だからという目でみている。
その確定が、他人の事なのに確定して白黒判断をしてしまう。
おじさんは、迷惑だったんだと思う。
力仕事をして暑かったのかも知れないし、着たら作業がしにくくて
少々の寒さなど平気だったのかも知れない、パソコンが出来ないというより
パソコンに興味がない、外の作業の方がきらくで楽しかったのかも知れない・・
私もそうだが。
人に問わなくていいと思う。もし、人と仲良くしたいのならば、わからなくてもとりあえず、うんうんと聞いて笑ってればいいんじゃないか。
あまりにも自分の特徴に鈍感だと、活かし方ができない。

私は趣味や研究、独自でできるものに向いてると思う。その方が自分を活かしやすいし、本当は販売員など、そういう仕事も好きだ。
人を喜ばせたいし、通り一頭の丁寧さ、心から人を喜ばせたい気持ちがあり
その付き合いの距離感が実はすきで。
そういう形で、人と笑顔でやりとりできるだけで心が満足した。
心の病気の治癒、もう少し進めば、なんとかなるかも知れない。

  • [28]
  • 統合失調症患者の幻聴に

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月28日(金)07時39分38秒
  • 返信
 
妄想、幻聴をよく告白してくれる。
そんな事あるわけないじゃないの、何いってるの?
頭がおかしいわ。
笑われて終り。では、一人になってしまう。

そうなんだ、へー。そうなんだね。
それは怖いねえ。そんな事あるんだね。
と同時に大変だねえ。
困っちゃうね。そんなだったら・・うーん。
と私は返答するんです。
なんだか身につけた対処の仕方というか
そうすると、共有でき安心してくれるのかな。
まず、そう感じることを否定されない事が大切みたいで。
それも考えようによっては個性ですから。
へーー大変~~とか、疲れちゃうでしょう?とか
よく言います。
それ以上は言わない。
その世界は共有できないけど、その不安を緩和することはできる。
私も弱い人間、かれらかのじょらよりもっと弱い部分をも持つ
弱さが違っているだけ。

  • [27]
  • そう、感じる事は正しい。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月28日(金)07時31分17秒
  • 返信
 
どう感じようと、そう思うことは正しい。
これは、私がたびたび友人に指摘されることです。
自分を主張すること、自分がそう感じたことは感じたのだから正しいのです。
これはとても大事な事のように感じます。
私の中に無い感覚だからです。
そう感じる事を否定する。そう感じる事なんてくだらないと思う。
いつから、そうなってしまったのか。

緘黙児は、自分の感受性そのままを受け取られる事に失敗しているのでは
ないかとおもいます。
そのままを受け取られない、そう受け取られない。確認されない。誤解される。
そういう事があったのかなと。
私はカウンセラーに、話していたら死んでいたと言われました。そう感じないことで、話さない事で苦痛から逃げていた自分を守っていたとも言えるのではないか。
事実を事実として捉えてしまったら、もう生きていくのが大変過ぎて。だから閉じこもる事で自分の心の世界を守ったのでは。
話せる環境でなかったのです。
こころがゆるんで、ほのぼのして、自分のぺーすでいられるのなら
子供は話すはず。
そのリズムは、ものすごく繊細で微妙です。ですが、安心した家庭の一定のリズムや安心感があれば、自分に対しての注目があれば、それが喜ばれれば喜ばしいものとして自然に受け取られれば、自分を出す事ができるような気がします。
当たり前のことを当たり前にうけとられる。受け取る側の体制がどうなのかなと。
ボールをなげても、キャッチする方が外れていたらいくら投げてもキャッチボールは出来ない。
そういう環境があったのでは、それも心理的にです。そうおもいます。
忙しすぎる親とか、。子供のぺーすじゃないペースにあわさせようとする
学校とか。
ベースは家庭、母親、父親ですので。そこから、くじけたのではと思います。

そう感じる事は正しい。
あなたにどんな欠点があろうとも、あなたが恐怖に感じようとも
あなたが今、そう感じている事実は正しい。
まず、そこからです。
否定する環境や、自分自身の考え方の癖。

私は友人に、そう思ったのは思ったのだからそれは伝えないとと
最近よく言われます。
私には無い部分です。自分の思ったことを尊重しないできない。
なにか。
そうだね。自分がそう感じたことや思ったことは思ったのだから
そう伝えること、そうであることに自分が困難を
感じる事はない。
考え方や感じ方を無理に変更する事はない、ポジティブなど一般向けに
たくさんそういう本が出ているが、みな同じ方向を見る必要もない。
個性を無視した環境が個人を否定する。
どんなに普通に考えておかしかろうが、そう感じる事は正しい。
感じたことは感じたのだから。それをまず
否定されたのじゃないか、それも緘黙や今現在の私の鬱そのもの
死にたいような
苦しさ、そう感じていることは正しい。
良い考え、悪い考えはない、よい感じ方、悪い感じかたもない
明るく、挨拶、できない子だっていていい。
こうじゃないとダメが子供をダメにさせる。
大人の心だってダメにする。
簡単なことらしいのだが、自分らしさの獲得をできなかった
私である。
これから、感じる事は正しい。
笑いたかったら笑い、泣きたかったらなく、まずそこから。

  • [26]
  • 人生最大の鬱

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月27日(木)13時08分14秒
  • 返信
 
ここ数年、それもこの数ヶ月ずっと死にたいような鬱がおそってくる。
焦燥感。胸から、わー!とこみあげるどうしようもない苦しい気分。
気分が悪い。
原因が無い。
でも、多分だけど過渡期なのかも知れない。
このグラグラする煮えたぎる鬱を乗り越え、欝の理由を理解し解毒すれば
出し切れば、すっーと消えるのかも知れない。。
劇症鬱病。
私さえいなくなれば、薬いっぱい飲んじゃえばいいんでしょ。
と思うと、すっと楽になる。
もう何も考えなくていい。
今まで自殺なんて考えなかった。生きる事になにより貪欲で
死が怖くって。
でも、延々に続きそうで。なんだか自分の人生に納得して死んでもいい
私の命は私のものだって思って。
なんだか時々、思ったりする。
病気の友人はいるが、たくさんいろんな事があるし、普通の健康な友人が欲しいが、世間話ができず緊張してしまう。
山あり、また山、山、だ。
どこまでいっても苦しい山を登り続けなければならないのか。
カウンセラーが、世間話ができるのは最終地点とさらっと言ったけど、
実はものすごく傷ついた。
すごくつらかった。そうなんだ・・・と意気消沈した。
まだまだ私は孤独なんだ。
カウンセラーは、優秀でその他のことで不満は持っていない。でも、あの
言葉。。あなた何考えてるの?みたいに聞こえた。そういう風にいったわけじゃないだろう。
でも、私にとって世間話、何気なく人と接する事がどれだけ希望し
心から欲し、かかわりを持ちたいと思ってるか。
ほっとしたり、会話を楽しみたい。
その願望のせつなさは、世間話は到達点だから、と笑ってさらっと言われるには重過ぎたんだと思う。
でも、実際到達点なのだろう、ずっと遠いのだろう。
少し、腹が立つ。もう少し力になって欲しい。

  • [25]
  • 口をきかなかった弟

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月27日(木)11時26分48秒
  • 返信
 
家庭の中で、私が中学生になったときに弟と自信の無さで家庭内で話せなくなってしまった。
それまで弟と祖母と母とは話した私だったが、姉とも少し、父とは祖母をのぞき家族全員が敵対視していた、子供は精神的虐待にあったから仕方がないが、母は見方に子供をつけていたように思う。

弟とはよく遊んだし喋った。冗談もいったし。
でも、話せなくなってしまい、申し訳ない気持ちで一杯になった。
弟も、可哀想だったけど、私の心の中がどうしても話す事ができず。
困惑するようになってしまった。
そういう事もあったのか、工場とは別の倉庫の鍵のある六畳に弟は
閉じこもるようになった。

話すのは母とだけ。母に話すのも、他の家族がいる場合、ほんとうに
つぶやくような声で、耳元で、何を言ってるかわからないくらいに。
母としかコミニケーションをとらなくなった。
話すのは母にだけであった。それが、あとは閉じこもり、他の家族を避けた。私のことも避けた。
弟の孤独を思うと、声をかけたかったが。何を言ったらいいのかわからなかった。ただ、自責の念がずっと私を責めた。

それから10ねん、母が急死した。
辛かった10年、母が病院の集中治療室で一週間ほど意識の回復のないまま
だった。
家族の泊まり部屋で過ごした。
弟とそのさい、はじめて会話をする勇気をふりしぼった。弟と話て、私と弟の血液を母の手術に使って欲しいと頼みに行ったが、断られたこともあった。
不思議なことに、切り出せずに居たのに、母がそうなった時から弟と話せるようになった。
が、長い十年という月日は弟にも心の変化を産み、孤独が心を病み
私への目も偏ったものになり、自己中心的な部分が出来上がっていたのかも知れない。
今、弟とは7年か、8年ほどあっていない
財産を奪い取られ騙され、話しても激昂した弟に、通じない。
私が心配していた10ねん、同じように辛かった10年。
弟は微塵も知らない。ただ、憎んでいるようだ。自分だけと。
そうでもないのに。もういい。
母が亡くなる前に、こういふ不自然な家族を苦しみを何とかできなかったのかと思う。
家族崩壊。もう家族があるときから、崩壊していた
子供の力をかりて存続してきたけど、もう家はとっくに母の力では
崩壊していたのだと思う。

  • [24]
  • 家庭を守りたい。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月27日(木)06時38分20秒
  • 返信
 
姉は最大の母の理解者で、父と激しい喧嘩をして馬鹿にしていました。
包丁をもって父が追い掛け回して、トイレの閉じこもり、父がトイレのドアに凹みを作ったり。
怒るのが姉の役目で、それでそこまでやらなくてもと思いながら、もう私は怒らないですむのです。
なぜならば、私まで父と格闘したならば、もう家庭はめちゃくちゃです。
喧嘩の仲裁に入り、おお泣きに泣いて悲しんでやめてー!というのは弟と私の役目でした。
だから、姉は悲しまず冷静に無視して勉強ができたんだと思うのです。
すべて、思うになってしまいますが。

悲しみたくなかったです。
怒るドタバタを見たく聞きたくなかったです。
その家庭は守れたのでしょうか?お金はまもれた。でも、家族の心は
ぼろぼろになって平穏なんて無かった。
続けたのは、紛れも無い母だった。
どうしても、愛せない人、母が許せない。
私には、母という人がどういう感受性をもっていたか、子供を利用し
自分の仕事を発展させる為に、父にアルコールを許し、守をさせ
子供や父に向き合ってこなかった母が許せない
愛される、必要とされる事に甘んじ、
子供を犠牲にした事を許せない。私は、母からこう言われた
あなたが一番きょうだいの中の要、いなくなったらきょうだいがバラバラになるそう小学生の時に言われた。
私は立派にその役目を果たそうとした。
でも、中学生になり、いろんな事に自信をなくした私は弟と遊ぶ事も
できなくなって、口も聞けなくなってしまった。
そして、かつおぶしの出しがらのように、私の存在価値は消失したのを
痛いほど感じた。
私はどうやって今、母を憎み、母を理解し、愛したらいいのかわからない
憎んだらいいのか、必要としたらいいのか
でも、卒業しなければならない。
母に自分がこんな思いを抱いていたとは、なぜここですらすらと書けるのか
心から噴出してくるのか、わからない。
不思議だけど、家族という力関係の元、私は私を責めずに子供時代をすごすことはできなかった。
いま、心の中にすうすうと風が吹いている。寒くて、寒くて仕方が無い。
ときどき、吐き気がする。
私は生きていていいのだろうか
こんな出しがらの私が、誰のためになるのだろう?いや、自分の為に
生きるなどもう辛すぎる。
あれだけ、犠牲にしなくては生きてこれなかった。
そのままで行く方が楽で、その他の生き方を知らない。
また、苦しみ考えるのはもう力がない。
自分の為に生きることはとてもツライ。
でも、見失ったまま生きるのもツライ。

あの家庭は地獄だった。
母はいい人なんかじゃなく、父がいっていたとおり
金の亡者かも知れない。
もう卒業しなければならない。
家族に叩かれまくった父だけど、子供にも精神的虐待、母にもしてきた
父だけど・・。
しあわせには見えなかった。どちらかというと母の方が都合よく
生きてたような気がする。
悔しい。
でも、心を失った女性を誰が愛するのだろう
母もぬけがらになったのだ。
心から自分を愛する事、素直にいること、愛を伝える事
相手の気持ちや自分の気持ちを大切にすること、しっかりみること
変えられるものは変える勇気を、変えられないものは受け入れる力を
この二つを見分けられる知恵をもちたい。

私の家庭はこんな家庭だったのだ。
傷を癒すのに時間がかかる。
どうしたらいいのか、はっきりわからない。
父のように酒は強くない、母のように仕事に夢中になれない
自分の未来を遅くても打撃を受けても
信じて、遅いけど未来はどうなるかあきらめない事しかない。

  • [23]
  • 従う親子関係、力の支配

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月27日(木)06時13分35秒
  • 返信
 
先日、友人親子と食事をした。
その時に、子供がぐずった。
友人は、もう知らない!とけんまくで怒った
無視して、そんなこは嫌いとすがりつく五歳の子供を振り払った。
私は、店をかえる?ここじゃなくていいよ。
鬱病の私を友人は心配してくれている。

どうにかおりあいがつき、
子供がロールケーキとクリームソーダーを食べた。
私はちょっとわからないのだけど、その五歳の男の子は体重が40キロ
はあると思う。
以前35キロだと言っていたけど、それからだいぶ大きくなってるように
みえた。
大人でもクリームソーダーと、大きなロールケーキは食べるのに大変だと
思う。私は、鬱もあり食欲がなく、そのロールケーキだけでも大変だった。
おいしいという気持ちも感じられないくらいだから、仕方ないのかもしれない。
食べ始めると、友人はにっこり息子に笑いかけるのです。
なにか店に入りたくない理由があったのだとおもうのです。
結局、眠たかったのが原因らしいのですが。
そういう事ってよくあること。

母親の拒否と無視は絶大な力がある。
なにもできない私はふがいない。
機嫌がなおったときや、いう事をきくときの母親の受容の笑顔
ごめんなさい
私は、もうそういう力関係の加減がわからなくて。
怖いのです。
母親にならなくてよかったのかも知れないと思った。
私自身が子供だとしたら、もう相手の顔をうかがって生きたくは無い
自分がそうしてしまうかも知れない恐怖からも逃れたかった。
強くなりたい。
今は、自分を私は見失わず強くなりたい。

  • [22]
  • 福祉援助者の中の自己愛、供依存症

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月27日(木)06時04分22秒
  • 返信
 
福祉関係や、作業所の社会福祉士などの中に
精神的に供依存ではないか?と疑われる人が結構いる

それは、私が疑ってるのですが・・
あきらかに人の境界を越える。

人が困ってると、にんまりする。やっと私の出番がきたわ
どれどれ・・価値をそこに見出し料理法を考えるのである
供依存は、相手のことがすきで世話をやくのではない
世話をやく自分に価値を見出し、相手の事を道具にしているにすぎない。
自分を愛するように思うために、価値を見出す為に相手を必要とするのだ。
そこに健全な心は存在しないと私は思う。

鬱状態が酷く、休んでいて離れたところにいるのに・・
そこまできて、延々と問いかけてきて、つきまとったり・・
なぜ?なぜ?を繰り返したり。
精神的な病気の相手にわざと中途半端な事をいい、相手の反応をみて
とまどう反応の中に喜びを見出す。
自分の苦しみを相手が表現してくれてる。それを上からみる自分として
あるいみ支配をしていると思うのではないか。
少し心が救われるというか・・
私もこの年令になり、最近おかしい?と思う福祉関係の人を三人であった
一人は自己愛であり、すぐに怒る
あとの女性二人は、40代、20代であり、相手がいやがってもつきまとう
それも、周りのスタッフが誰もいないときに、相手を私に強いて
それを嫌がると世話を焼かせない事に腹を立てるような。なぜ?わからないの?なぜ・・を繰り返した。
鬱が酷くて、一人でいたい。ここで黙っていたい・・
私にはわかりません。そういう事には興味がありません。

鬱病という事は伝えてあるのに、それらの言葉が無視された。
これは暴力だと思った。
そこで、福祉関係者の中にも病気の人がいるということ
供依存が福祉関係の仕事につくおもしろみを、そこで感じ取り
それに、犠牲になり負担をかんじ、無視された状態の本当にケアーされない
利用者の関係が本当に底にあることに驚く。
気がつくようになってよかったと思う。
まず、自分が自分を愛し、自分が本当に喜ぶ事を単独で見つけること
自分をすきになること。誰かを利用せずである。
病的な私には、まだまだ、鬱病は続くだろうし
親密な人間関係が苦痛をもたらすものと、どうしても人を避けてしまう。
そのままでいい、
もう病的な人々は去った。健全になりたい。

  • [21]
  • 仕事中毒の母とアルコール依存の父との間の私。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月27日(木)05時54分36秒
  • 返信
 
私の存在はとってもちっぽけなものであった。

愛されて育ったものは自分の感情や存在に自信を持つ生き方が出来る。
だが、
私に渡された愛は本当に少なく、見分けられるほどのものでもなく
一生懸命探さねば分からない愛だった。
そこで私は、母の役に立つ事で愛されようとした。
父からは、女なんかになにができる!と母への暴言を聞いていた。
そして朝から日本酒を飲んで、ニヤニヤ笑ってるのである。
もちろん、仕事はしない。

私がリビングに入っていくと、テレビの音を最大にして近所迷惑に
なるような事をし、拒否する。
弟がカップラーメンのビニールを開けている音さえ、うるさい!と言った。
すべてが父中心に我侭に、排除的に私も弟も育った。
いったい、母は何をしていたのだろう?

母には振り回された。弟をつれて家庭裁判所になんどかいったようだが
当時は、暴力を振るっていないと中々あなたの我慢が足りないといわれた
ようである。よく、わからない
どうしてだか、母はわたしの弟に頼っていた。
高校の前で学校からでてくるのを待ったり、弟を頼りにしていた部分があった。

私の次が弟だったようである。姉にいかなかったのは、姉は両親が喧嘩していようとも、どんなに泣いていても、自分の部屋でひょうひょうと勉強していた。われかんせづ
価値が、勉強ができ、学校で協調性があり、そこに見出していたのだろう。

私と弟は、家庭が上手く行かないか、まだ愛を求めていた。
母の仕事中毒は、結婚する前からであり。
父のアルコール依存症は、結婚してからであった。

母が亡くなる数年前、
とっくみあいの喧嘩を玄関でしていた。父にはむかって母は泣きながら
とっくみあいをしていた。
もう私が成人かその頃である。
その時、母はいった。ちゃんと家庭をやっていってるじゃないか!
みんなの心は粉々で、たくさん犠牲をだして、ぼろぼろなのに・・
ちゃんとやっている・・・・・・続くのか?
もういい加減にして、私は家庭を壊したいとおもった
母は思い違いをしているとその時、は?と思った。
とっくみあいには、こまったが、やはり両親がそういう姿をみせ声を上げてるのは、とてももう哀しくて仕方がなかった。
そして、母は病気ではないかと思った。おかしいと。
その頃から、母は
私さえいなくなれば、いいんだ。この家庭は上手くいくんだというようになり、私に聞こえるように、胃が痛い胃がんだったら放っておいて死にたいと
言うようになった。
少し、もう、自分の事ばかりの母に、どうしようもないと思った。
私はしっかりしてるわけでない、毎日会社で精神的ないじめにあい。
赤面をからかわれ、会社の食堂でもご飯を食べれなくなっていた。
音に敏感になり、人に敏感になり、そのたびに、赤面して、心がやすまらず
またそれをからかわれ、病人!といわれながら仕事をしていた。

もう、どこまで続くのだろう
いい加減にしてほしい。
生きるとはなんて過酷なんだ。
上手く行ってるように見せる家族と本当にうまく行ってる家族

信頼する事をゆるさなれない家族
信頼しあえる家族
そこに生まれるものが供依存で、私も影響を受けてしまった。
供依存は、
他人と親密になるのを恐れる
親密になったら、傷つけられる。信じたら裏切られる
最初にみた精神科医は、私に人間不信があり、それは簡単になおるものでないと、少々あきらめぎみに言った。
尊敬できる医師だったので、それは本当だと思う。

緘黙と供依存の関係を考えると、
今の私の対人の考え方、親しい人間関係、そのままの自分の感情を恐れる
というのは、供依存も関係している
私は、依存を続け子供をいたぶる母と、子供の心をずたずたにする父との間で育つしかなく
そして、影響をうけ何とか生き残った。
私は時々、自分を壊してしまいたいと思う。もう、守るのはいやだ。と思う。
でも、死がとても怖い。
負けるのはいや。
そこで思うのは、私の死は誰にも影響しない、誰に負けるわけでない
私の選択だと、多量の薬を飲んで死んでしまおうかなどと考える。
今は、鬱がひどいので、何かすると途端に疲れる。
なにもできない私は、いらない人なのじゃないかと思う。
そこに供依存という、なにか誰かの尻拭いをしないと誰かの役に立たないと
自分の存在価値はない、愛されないという感覚があるのはぬぐえない。
よけい。
鬱に拍車をかけてるのが否めないのではないかと思えてきた。
長年、本などや精神病の人と関る世界にいた。


  • [20]
  • 私の中の嫉妬との付き合い方

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月26日(水)14時15分48秒
  • 返信
 
私は、大変に両親を亡くし苦労してきました。

周りに言っても、周りは結婚やら恋愛やら私と違った環境で悩む人達。
話がずれ、とてもそこでも孤独でした。

ネットの時代になり、マイミクさんで一人の緘黙だった女性と
知り合いました。
とても純粋で、世界一愛してるという旦那様と二人で暮しているとの事でした。
ですが、別に暮す母親とお兄さんの事で色々問題を抱えて訴えていました。
父親も確か健在だったと思います。
年令は30代半ばでした。
話題が、実家の家族の問題を長らく悩み語っているので「理解がない」とか
私には家族が居ません。ですので、返す言葉が無く。
ふーんと思って聞いてました。ですが、それが長い悩みで、ずっと続くので
段々と私は面白くなくなってきたのです。
世界一愛す事ができ相思相愛の旦那様の生活を手にして、まだなぜ実家のことで悩むのか。
その内容をなんとなく聞いても、私には理解できないものでした。
わざわざ悩み対象のところへ行って悩んでるような、他に問題をうつしているような気がしたのです。
もっと夢、自分の夢の方へ、自分の事に力を注ごうよと私は思った。
そして、嫉妬が、
私には家族もいない、両親もない、きょうだいは遠く暮し理解もなく
親戚も冷たい。
両親がいるだけでいいじゃないか、親がいるだけでどれだけ大変な目に
あわなくてすんでるのか分からないし、プラスもある。
結婚をして、別々に暮してるのだからどうして私にその不満を漏らすのだろう。
私には悩む両親もない、声もきけない、おふくろの料理も食べれないで
20年やってきた。
食べたかった~。作ってみたけど同じ味にならなかった。料理を手伝おうとすると、おそくなるからあっち行っててと言われた。
同じ料理を作ろうにも作ってみても、違うものとなった。

距離をおいて付き合えば良いじゃないか。私の嫉妬だった。
どれだけつらい肉親しか頼れない時もすでに肉親はいなかった。
うらぎりの弟とは縁遠く、病気で嫌う姉とも縁遠く暮していた。

しかも、離婚したばかりだった。
世界一愛する気が合う旦那様と出会えるだけでも、もう幸せに思えた。
気遣いというものがあるなら、私は私の淋しさや不安を自分の力以上に支えるものを持たなかった。
どうしても辛く縁を切った。私よりは、他の人達にめぐまれて
分かち合えてる人だと思った。どうにも苦しかった。

  • [19]
  • コンビニにおいて

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月26日(水)09時04分2秒
  • 返信
 
私はレジが苦手です。
そこに相手がしてくれるスピードで留まって立っていないといけないから
どうしても無防備になります。
自分を守れない、逃げれない気がして
心臓がドキドキします。

でも、最近自分主導にしてから少し楽になりました。
それは、後ろに並ばれたり、近づかれたりするのが嫌なので、
レジをやってもらってる間、レジ待ちの客がきたら。
横にずれてずれるという方法です。
レジの前ではなく、レジから離れて待つという変な形です。
でも、その方が私は楽なのです。
少々、苦痛がやわらぐのです。
わけがわからない人間で構いません。
苦手なのです!
自分を苦しめないでいようと思います。
私がずれても、傷つくような人はいない
ああ、この人は近づかれるのが嫌いなのだなと思うかも知れませんが
他人から意味不明と思われても構わない。
私は私が楽なように人に迷惑をかけない範囲でします。
それでいい。
いままで、他の感覚に世間の感覚にマッチさせてきました
その際に、とても苦痛ですが、顔では普通の顔をして
脇汗や心臓ドキドキに耐えていました。
それが、もっと赤面や恐怖に行ってしまった悪い結果になったのではないか
と今、実験中です。
楽に行きましょう。

  • [18]
  • 喫茶店において

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月26日(水)08時59分23秒
  • 返信
 
人間関係を広めなくてはと思ってます!”強烈に
でも、緊張してやはり恐いのです。
体もついていけません。

早朝の喫茶店がすきです。
あさ6時くらいから営業している喫茶店があります。そこのおばあちゃんが
いつも笑顔で、人を判断して差別しないような人?に思えて。
すきなのです。
違うお店で知り合った男性のお客さんが一人、早朝にきていて、ちょっと声をかけてくれるのです、
その方もちょっと変わった人見知りな臆病な方のようで、それが伝わってきます。
会社も、いじめに合い早めに退職したそうです。結婚もされず一人で暮されているようです。

その方がいると思って、ちょっとでも話せるかな?と行きました。
すると、いつもの席に座っていました。
私もいつもの奥のせきに挨拶をして通り過ぎ、座りました。
話しかけられ、返すものの、それが精一杯で・・・何か言おうか何か・・
と、またいつもの緘黙状態に・・・なってしまいました。
お久しぶりの感覚に。。これだ!まただ!久しぶりだな。。どうしたもんか
と暗い気分になりました。

でも、このまま黙っていようとおもいました。
私は私のペースで、喜べる者、目に入るものを見よう、楽しもう、緊張を解こう。
私の目には、店の外の緑、テレビの声、古びたいい感じの店の雰囲気、
それから、段々と差してくる朝日に照らされる壁のきらめき。
焦る事はない。
全部しろうとせず、分かるもの、見れるものに反応しよう・・。
把握する必要はない、そこにいて、そこの一員になろう。
見る人がみれば、すぐに引っ込み思案な私の性格は言わなくても伝わるだろう。
変な人には見えないし、ただ私は私に安心して、勝手に判断してくれるから素のままでいよう。無理しない。
喋りたくなったら喋ってみようと思いました。
このままでいい。

私は仕事をしにきたのではない。
楽しみに、空間を楽しみにきたのだから。
自分を優先していいんだ。
正直な自分でいていいんだ。
もし、私を引っ込み思案だと変わってると非難する人が居るなら
避けよう。
ちょっとしか楽しめなくても、慣れがいつか素のままでいることからの
余裕から、色々なことを受け入れていく事ができると思えました。

  • [17]
  • 私の重複した問題を手にして。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月26日(水)08時49分22秒
  • 返信
 
前の続きではなくなってしまいますが、

私は機能不全家庭で育ちました。
ですからアダルトチルドレンでもあると自分で分かってます。
そして、アルコール依存症の父から受けた精神的な虐待と教育についても
どんな影響が私にあったのかを、明確にしたいのです。
おそらく、私は供依存体質ではないか?と最近、嫌な事実ですが認めざるをえないなと思うことがありました。
ある人の文章を読んで、この人は自分が無さ過ぎるとおもった。例えれば
だしをとった後のかつおぶし。
なにも味もなにもない。ふぬけの人間が、生きてくのは大変でだから
依存対象を求める。
私は、この依存対象が人ではない、それは社会不安障害であるからであるが、こうやって自己主張が強いのも誰かに訴えたい社会に訴えたいからであり、その執着は依存ではないか?とおもったのです。

ふぬけの人間が生きていくにはかなりのエネルギーが必要でしょう。
私には、依存する人がいない。
自己愛の欠如があげられます。まず自分を心から受け入れ愛さねば
本当に、うばわれたものは多大で大きいです。
ですが、特定の近しい人に依存する事はなく、むしろもしかしたら
突き放すべき人も突き放せずにいて、その人の中の弱さをみてその弱さに
ああ一人でないなと依存してるのかも知れない。
友人にも、さしあげたお土産をまずいといわれました。好みじゃないと
口にあわないと、非常しきにも程がありますが、じゃあ私はすきだから食べるから返してというと、そんな一度もらったものを返すなんてできない!そんな非常識なことをいうものじゃないよ!ももちゃんと。。。

言われまして・・。汗。
統合失調症の彼女、旦那の仕事のことなどの内容が分からず、夫婦の会話もギクシャクしてるようで。。
腹が立ち、電話を切ってしまいました。
普通に付き合う事もできないくらい、非常識な横柄な態度をストレス発散でみせてくるなめられた態度に対して、私は縁を切ってもいいのです。
それなのに、その弱さに自分の弱さを重ねて依存していまってる私がいる
あ、そろそろ卒業せねばなと思いました。
どんどん人と会わないで専業主婦を良い事に、家庭の中だけしかいない彼女は自分が非常識といわれたくがないために、自分のものさしで人を非常識扱いするようになるまでに自分でなっていってるんです。
この事実がとても残念でした。
あきれるばかりです。
ですので、距離を置きたいとおもいました。後から、電話をかけて何かあったの?と聞くと、夫婦の間が不安なのだという事でした。
フォローはしましたが、私の傷がなおるわけじゃありません。切り離す時が必要だと思いました。
ただただ、鬱が酷く、強烈なむなしさや焦りが襲ってきます。
それは社会不安障害で、抗鬱剤が効きます。
自分を愛す、これはとても必要。
まず自分から愛す、大事に心を、大事に体を、大事に生活を・・ですね。

  • [16]
  • Re: 読んでますよ

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月25日(火)17時33分25秒
  • 返信
 
>>15
> 読まれているか、反応が無くて不安だと思い、お返事しました。他にも読んでいる方は結構いると思いますよ。でも、ももさんの書かれている内容は人生の重みというか、軽々にコメントできない感じがして、今は静かに読ませて貰っているところです。もちろん、書くための場ですから、どんどん書かれて良いと思っています。 サイレント・リスナーの一人より。

サイレント・リスナーのkogureさん

ありがとうございます。
なんだか私の独壇場になってます!汗。汗。。

いつか緘黙のことや事実を伝えるんだ!と黙ってすごしてる間にも
思っていました。
社会人になり、両親を早々になくし社会に女の子1人私は放り出されました。
若い女の子が、社交性もなく、18まで緘黙で付き合い方も知らず
世間を理解できず、どうやって流れていったのか。
どんな危険に遭ったのかは、事実ですし
だからこそ、場面緘黙を理解される1つのきっかけになるとおもいます。
当たり前のこととして捉えたくないのです。
いつか、これを明らかにするんだ!伝えるんだ!いつか緘黙の証人になろうとおもってきたんです。
それがあったから何とか生きてこれた部分もあります。
私には守ってくれるものが、すでに無かった為に1人で生き抜いた記述とこれからが書けるはずです
もちろん家族に守られたり、新しい家族を作ったり人の人生はいろいろです。
読んでますよのメッセージ、伝えて下さりありがとうございます。私も1人のサイレントな人間です。

  • [15]
  • 読んでますよ

  • 投稿者:kogure
  • 投稿日:2012年 9月25日(火)16時05分50秒
  • 返信
 
読まれているか、反応が無くて不安だと思い、お返事しました。他にも読んでいる方は結構いると思いますよ。でも、ももさんの書かれている内容は人生の重みというか、軽々にコメントできない感じがして、今は静かに読ませて貰っているところです。もちろん、書くための場ですから、どんどん書かれて良いと思っています。 サイレント・リスナーの一人より。

  • [14]
  • アロマの効用と病気の起源

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月23日(日)22時02分31秒
  • 返信
 
人をまず自分を守りたいと思っている。
この間、友人の五歳の子供と久々に三人ではじめてのお店にロールケーキを
食べにいこうと私が誘いました。
そこで、子供がくずり中々店に入ろうとしないで嫌々をしていました。
私には子供がいません。
ですので、どうしたらいいのかわかりませんでした。
ここから先は明日、書きます・・。

  • [13]
  • なぜ、緘黙から社会不安障害になるか

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月23日(日)21時49分59秒
  • 返信
 
最初に医療や精神科医に、私は腹を立てています。

それは、今後話します。
もう期待はしません。ある程度までしか・・。
開拓してくしかないので、患者会の方の力をかりて
解明していくつもりです。
いままで、最近如実にそうしてきましたし。
私の場合だけで申しますと、
欠点を受け入れてもらえない経験が、私を作った。
社会不安障害を作ったのです。
これを誰も教えてはくれませんでした。
馬鹿みたいに、医者に通いながら薬を飲みながら
わからないまま過ごしました。
だから、これを私が気がついた事もできれば、誰にも教えたくありません
医療関係者に利用されては困りますから。これは、嫌味ですが。

ですので、黙っててもよい、それがいけないと思わせられる経験があり
苦しくなったり、鬱になったり、自分の存在が恥ずかしい、臆病
失敗をおそれる、体験しない・・・ことになるのです。
ああ、言っちゃった。
これは、最近わたしが解明した事です。
そのまま緊張したら、人前で無理せず硬直していればいいのです
なんとかしよう、なんとかせねばと思うから。苦しい
あなたは、私も人より劣ってなんかいない!
硬直するのも、緊張するのも、悪い事ではありません
ですが、それが過去に悪い事をいう親や悪い事という同級生や
いじめをする人達がいませんでしたか?
それをすりこまれてしまったのです。
ですので、生きるのがツライのでした。
私はノイローゼ気質です、ですのでわからない事はずっと考えてます
ノイローゼ気質は、遺伝なので仕方ありませんが。
こうやって、理由がわかって楽になったりする事もあるんですね~。
失敗が、死であったり、失敗が事故であったり
挑戦は、なにかしら危険が従います。
人間関係に自信がない、話すのが下手なわたしたち
肺機能が低下して、小さな声しかでないわたしたち
口が滑らないわたしたちです。
私たちは、失敗が恐いように育てられた
失敗を受け入れてはもらえなかった人。
そのままでいいよというメッセージを受け取る事です
私は聡明な人がすきで。
なぜかというと、自分で物を見る目をもっているからです
私を救ってくれたひと、違った病名をつけられ
人から罵られ、屈辱をうけ人前に更に出る事を避けるようになった
苦しさを救ってくれたのは、医者ではない
医者は私の人生を奪った。人が一人います。。

県立病院の医者でした。
そして、知識は問題です
自分で診て感じる目を奪うからです。
医者のプライドは問題です、患者の話を上から決め付ける事も
あるからです。
ですから、自分で問題を捉えて解明して
周りに流されず自分を信じる人が私を救ったわけで
私は聡明で、自分をしっかりもった人のみが
本当に困った人を助けられる一人の人間である
自分の思いで行動する人、真価を問う目を自分でもつ姿勢を
もってるかです。
わかってもらえない病気をもちつつ生きてきました。
誰があなたを私をわかってくれるのでしょうか。

  • [12]
  • ねこを見てて思うこと。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月23日(日)21時38分6秒
  • 返信
 
むかし、猫を飼っていました。
捨て猫で、三匹いましたが、二匹のオスは死んでしまい
残った食い意地がはったメス猫でした。

その猫には、私のような無口で発散できない抑えた猫になってほしく
なかったため
色々話しかけ、観察しました。。猫は嫌いだったのですが、噛み付かれたり
ひっかかれたり、非常に恐い存在で。。
でも一人暮らしだった私に、職場の動物好きな同僚がもらってくれない?と
言うので、これも縁かなと捨て猫と私・・似てるね!って。
はじめてでしたね、猫を飼うのは。
猫のかわいさは初めて知りました、それまでは犬しかかったことがありませんでした。
猫は繊細で、私が教えた言葉を一生懸命伝えて、何か話しかけると必ず返事をするし、猫の好きな声色というのがあるのですね。おしゃべりな猫になりました。
一度、獣医に連れて行ったら、ものすごく人馴れしてる猫ですね~と
驚かれました。
どこが人懐っこいのかわかりませんが、なんだか親心で嬉しかったです。
私が人を恐がるようには育ってません。

それで、ある事に気がついたのです
猫と飼い主も信頼関係ですから、とくに動物は素直です。飼い主を信頼できないと、精神的に不安定になります。とくに家の猫は虚勢もしていなかったので、ホルモンでも不安定になりやすく一人にする事が多かったもので。
で、一度猫パンチごっこをしていて、猫のパンチってすごい面白くて
私もストレス発散で、そしたら脅かしすぎて、猫は本気で戦いたくはないですよ、飼い主とは、でも、本気でやりあってしまったようで。。
猫として・・・。それくらい、ちょっと猫を追い詰めてしまうくらい
猫パンチのやりあいをしてたんです、
叩かれるのは私ですが。
それをすばやく、叩かれないようにするという。叩かれるのは私なのです
でも、猫は本気になってしまった。

それでしばらく猫を精神的に追い詰めてしまったようで、私を見る目が変わってしまったのです。
どーしよーと思って、きげんをとってみても、不機嫌でした。
信頼関係が破壊したな。。と思って反省しました。
なんとかしなくては、時間がかいけつしてくれるか・・とそれも正解でしょうが。。そのあいだ、自分がした事とはいえ、猫が可哀想です。
私もつらい。
それで、猫が大好きだったねずみのおもちゃをやっと買ってきたんです
いつも忘れて買ってこれなかったもの、忘れてというか、まあいいやって
ついつい売り場にいかずに、、。
それで、そのねずみのおもちゃを振り回すと猫が超機嫌よくなり。
そこで信頼関係を回復したのです。

猫のことなんですが。
これは人間でもあてはまる。
遊びは猫を回復させた。少々のトラウマも解消させて遊んでくれる飼い主に
遊んで!とねだるようになり、遊べば遊ぶほど楽しい思いが信頼関係を修復する。
とすると、これは人間にも当てはまるのではないか
つまり、楽しいという思いが楽しみ・遊びがストレスや傷つくようなことにもおおらかに受け止め流せるような体質を作るのではないか。

楽しい事がないストレスフルな日々にいやなことがあったら、落ち込みますが、楽しい事があって、たまにストレスなことがあるなら、やっていけるんだと思いました。
遊びや楽しさが、トラウマを消す。
中々、場面緘黙などは長い歴史でなるので、これを消すのは大変ですが。

  • [11]
  • 社会不安障害、社交はどうして死が恐いか。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月23日(日)21時24分1秒
  • 返信
 
私は大変な死の恐怖に参ってます。
命にかかわるような病気には有難いことにまだかかっておりません。
が、それでも毎時死ぬのが恐怖で恐くて仕方ないのです。
ここ一年くらいです。その恐怖にとりつかれたのは。。
それが、社会不安障害と結びついているはずです。
それを自分で解明したいと思ってます。
いままで、自分がつけられた病名が違う事も解明したし
どうやったら、緘黙によっての被害をどこまで食い止められるかは
私の挑戦です。
・・・医者には言っても伝わりません。


  • [10]
  • 生きてるってすばらしい

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月23日(日)21時21分11秒
  • 返信
 
みんな、生きていくんだよ。場面緘黙は全然ほとんど知られてなくて、
でもしっかり生きていくんだよ。
あなたはそこに存在してる、ちゃんとみなと同じように生きてる!
ちゃんとわかってるから、自分を見失わないで!きっとちゃんと自分のこと
話せるときが来る。
自分の歩きたかった人生、歩ける時がくる、たくさんたくさんやること
いっぱいある。道は開ける。
私も長い時間、かなり長い時間、かかりました、
でもいつか、きっと話すときがくるだろうと何故か子供頃、自分の未来を
思っていました。
不思議ですが、いつかきっとほんとのこと語るときが来る!と思って
誤解される毎日や、いじめの毎日、過小評価されて誰も私のこと、わかってくれない毎日、ツライ毎日、家庭内のゴタゴタに、耐えていました。

緘黙のこは、ずっとずっと我慢強いよ。
だから、諦めないでね。
きっと来る、ちゃんと自分の事話せるときが
私がこうやって、話す勇気が持てるようになったように。
自分を分析できて、人に話せるときがくる
医療が発達してなくて、泣きたくなる。
私だって、違う病名をつけられ10年苦しみました。
返して欲しいです。
その事については、後に触れます。
でも、生きるってすばらしい。幾つになっても限りない可能性がある。
私は、一度死に掛けました。
医者に、あと一分であの世であったと言われました。スレスレでした。
自殺ではありません。
不慮の事故です。
あの時、生きたい!生きたい!この世は、人が作った物であふれみな
愛で満ちている、生死をさまよう恐怖の中で思いました。
まわり道をたくさんしました。
わからなかったです、いろんなことが。
ね、私の身の回りに人が作ったものでないものはありません。
既製品であっても全てが愛。死にそうになりながら、そうおもいました。
気がついた、、この世界から離れたくないよ!まだ、私はたくさん分かち合っていないたくさんの人達とたくさん語り合って、触れ合って、遊んで知って、世の中をしって十分生きてから死にたいよって。
まだ早いよ、あきらめたくないよ!さようならなんていや。
そう強く強く思いました。
今は健康です。あの時、私は事故には遭いましたが治療して体を治しました。
でも、あのとき、おもった私のこの生きてる事や人と分かち合いたいという
まだ出来てないという心の悲鳴が私の生きる意味でありそれをかなえるために生きてます。
生きるって、すばらしい。なんでも出来るもの可能性があるもの。

  • [9]
  • 仮面鬱病が治るとき

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月21日(金)07時35分7秒
  • 返信
 
仮面鬱病は、トラの威をかるキツネです。
親が社会的に安定した地位があり、結構裕福な家庭の人
出来る人、が裏にいます。
そしてその親に完全に依存して甘えきっています。年に似合わない甘え方ですが
それを他人が指摘しても認めようとしない、時には親より偉く振舞っています。
そう振舞う権利がどこにあるのか、私にはわかりません。
養ってもらって、衣食住をやってもらって、国民年金まで払ってもらって、洗濯物まで洗ってたたんでもらい、置いておいてもらう。
この男性がやってるのは、一日6時間の作業所かよいです。自給が200円の。
そして、病院側の助けをかりて障害年金も厚生年金枠で受け取っています。
それなので、結構裕福で、障害年金は全てちょきんに回しているので、二年で100万以上貯まったといっていました。
でも、親は70過ぎです。
こうなったのは、親の責任だと・・父はいっています。
責めるような事をいったら、あの子は潰れるといっています。
本当に私は立場をかわりたいくらいです。
トラとキツネですから、トラがいなくなればきっとカレはしっかりします。
どうしても性格がキツネなので、虎に病気だから仕方ない、いくら障害年金もらってるとおもってるんだ、少ないだろう?これで生活できるとおもってるのかーという。
立場が違えば、態度も違ってくる。しっかりした大人じゃないんだなと思います。
気が強いのは、病気の中では一番かもしれません。
その気の強さは、我の強さは、嫌な事から逃げたい、いくら上司でも自分が偉いという変な感覚さえなくせば、末っ子思考とでもいうのか、治癒に一番ちかい病に私見ですが思います。
ですので、友達付き合いもできませんでした。本当に人の事を考えないのでストレスを受けました。
統合失調症の友人は、考えが固くて狭いけど、ゆったりしていて攻撃性がないので
付き合いやすいです。争いが嫌いなゆえに、病気になってる私見があります。

  • [8]
  • 被害妄想と幻聴

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月21日(金)07時21分39秒
  • 返信
 
私にはお陰様で、幻聴はありません。でも、音が恐い時がよくあります。
被害妄想に関しては、心の癖というのがあって、被害妄想まではいっていないと
おもいます。
統合失調症の知り合いと親しく交友する事が多く、友人の数も多かったので
なんだか、あのほのぼのとした素直な人柄が私は親近感を覚えて、本当に親しく垣根なく家族のようにお付き合いしました。
本当に不思議な縁です。
統合失調症の方々は純粋で弱いという印象があります。
お兄さんが国立大の教授で、その弟が知り合いなのですが、中学生の通学路が目の前の道路であって、話し声が「パー、パー」と聴こえるそうです。
くるくるぱーという意味だそうで、私はそうなんだーへえーおもしろいねーと言って笑ってしまいます。そうじゃないよ、そんな事いってないよと言っても本人にはそう聴こえるので、自然にそうなんだ、それは大変だよね。と言うようになりました。
それから、結婚している女性の友人は「旦那さんのお弁当も作らないで、あの人は楽してるわ」と聴こえるそうで、音に敏感です。
それに耐えて生活してるようですが。「あんな一日中、家にいて一体なにしてるんだろうね」とか聴こえるそうです。
それは、その友人が自分でそう思われているんじゃないかと、自分で弁当を作らなくて楽だなと思ってたり、投影してるのだと思いました。
なんか、その辺はぺーとくらべて、世間を意識していて女性独特のプライドが高い彼女ゆえの幻聴なのかなと思います。
認めてしまえばいいのに、認められない。パーだって、お兄さんは優秀だったけど
自分はそこまでいけなかったと認めてしまえば、違う道を歩めるのに、認めたくないがための病気が幻聴。
認めるだけの強さが無いのかも知れません。
だから、なにかと会話をしていても受け取りたくない意味が含まれてる言葉などは
受け取ってくれないので、会話がギクシャクして、怒りや腹痛や急な不安をそういうものを起こして、安定してません。
私も社会不安障害なので、この障害だと医者から言われていないのが不満なのですが。ちゃんと診断して治療して欲しいと思ってますが。
統合失調症の友人と外出するとお互いが助けあっての、外出となります。

家庭に入ってるその友人も、外に出ると疲れるのです。ですから、家にずっといたいんでしょう。ですが、それも周りが気になる。しっかりした自分をもてないのが統合失調症。まわりに常に誰かがいないと、音にさえ脅えている。
生きた心地がしないのではないでしょうか。

私に偏った見方ですが、それに比べ仮面うつ病の方は大変に気が強く、嫌な事から逃げたいがゆえに、鬱になるという、外面は人より温和だけど中身は傲慢の塊という幼稚さが見え隠れして、我慢してやりすごすのも大人で、我が強すぎて我慢ができないのが仮面鬱病の人のような気がします。が、あくまで私の偏った感覚でみてます。
私は果たしてどうなのでしょうか・・・。
母に被害妄想を抱いているのでしょうか?もう20年も前のことなので、亡くなってしまっていて、その頃は母は母、恨みもしなくて。でも、ほのぼのと母との記憶を思い出せるものも無かった事は確かなような気がします。
ほのぼのとした母との記憶や楽しい思い出や絆があれば、死後も私の歩いた道は違っていたように確実にそうおもえます。
カウンセラーが母に怒れ、私を母だと思って怒りを発散して向けてと言ったのが今
カウンセリングをはじめて、6年目でここの掲示板に出会って、やっと怒りを感じることができています。
やはり、私の今抱えている障害に鬱病にも、場面緘黙と母との関係は深くトラウマになって足をひきずり歩いているのです。基盤がそうなのです。
基盤の原因から、整理しないと今の鬱病を治す事はできないと考えます。
今は、ひたすら辛いです、朝は鬱が酷く、こうやってパソコンを開けるときに
少し気分が楽になります。死にたいくらいの暗い気分で、気分も悪いのです。

怒りを出し切れば何か違ってくるかと思います。
こうやって、パソコンの向こうにいらっしゃる方々に向け、聞いてもらうことで
訴えようと気持ちになり、書く意欲がでてきます。書くこと=心の整理なのだとおもうのです。
私は私を否定しない。という事と、自分の欠点を隠そうとしないという事、認めることをしていれば、社会不安障害も少し良くなるような気がします。弱さの受容です。

  • [7]
  • 欠けていてもいい

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月20日(木)19時02分57秒
  • 返信
 
欠けていてもいい、歩くんだ。
自分の人生捨てないんだ。

  • [6]
  • 失敗の人生でも

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月20日(木)19時02分14秒
  • 返信
 
失敗の人生でもいい、歩くんだ。

  • [5]
  • 立ち止まって、労わって欲しかった。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月20日(木)19時00分32秒
  • 返信
 
母にどうしてもらいたかったって言うと、たまには休んで
立ち止まって、自分の体を労わって欲しかった。
私は、母に弱音を正直に吐き出してほしかった。
そのツケがみんな私に来ていたからだと思う。
家庭の力学だ。
私はとっても家庭の中で一番いいこだと母親に言われていたので
そうした。
私はかつおぶしの出しがらみたいに、ダシがでなくなったら捨てられた
気がして仕方ない。
私の価値はそれしかなかった。
もうふにゃけた私しかいない。
そんな私に姉はいった。
子供の頃は一番良い子だったじゃないいい性格だったじゃない
あの頃に戻れない?病気になった私にいった。
あのころ?あの頃の私は、そうであって欲しいという願いを演じてた
だけだよ、あの家庭の存続の為に母に利用されたんだよ。
もっと子供らしく育ちたかったよ。
いつも、両親の喧嘩の仲裁に入り、姉と弟の間では円滑油みたいに
ふるまって。
我なんて出せなかったじゃないか。
また戻るには、正真正銘の病気じゃない前つまり二歳になる前に
もどるには。
いい人、病気じゃない人になるには
我を出し切らないと、そこを経験しないと歩き出せない。
もうかなり困難だけど、もう遅いけど
一杯やりたいことを許されて、一緒に遊ぶ仲間と遊んで
楽しさを知って。時間が限りなく、語り合って。
やりたい放題やって、遊び放題あそぶ自分を経験しなきゃ
なれないんだよ。

  • [4]
  • 母への誕生日プレゼントの行方

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月20日(木)18時47分21秒
  • 返信
 
私の母は四月生まれでした。
母に誕生日プレゼントをアピタで買ってきて渡したんです。
あれこれ悩み、楽しみ、買いました。

何を買ったか、白いランジェリーでキャミソールでした。
私も持っていないような、大人っぽい綺麗なよい代物でした。
母には調度よい、綺麗なお母さんになって欲しい。女性として輝いて
欲しい。と思い喜んでプレゼントしました。
渡せて嬉しかったです。
その後に、ショックだったのですが、
姉がそのランジェリーを私物にしていて着ていたのです。母が姉に
あげたそうです。
何も知らなかった。
気に入らなかったのかも知れないけど、姉にあげたわけじゃない。
どうして?と思った。
母って私の気持ちにすごく無頓着で私の気持ちなんて考えないんだねって。
すごくショックだった。姉の事はあまり好きでなかったから、。
裏切られた気持ちがして、姉と母は仲が良いんだとおもった。
なぜ、一言いってくれなかったのだろう。
せめて、しまいこんでくれたっていいじゃないか着なくても。

  • [3]
  • 母と話していたんだろうか?

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月20日(木)12時06分32秒
  • 返信
 
記憶が定かでない。
下着を洗っていた洗面所、
父と母が、昼間なのに風呂からでてきた。母は、私がアンモニアを
使っているので、当時はそれが汚れを消すと言われた。
一生懸命洗っていた、なんだかひやひやした。

そしたら、出てきた母が私を怒った。
また失敗して見たいなことを言ったんだろうか
でも、どうしたらいいかは全く教えてくれなかった
ただ非なんした。
父がまあいいじゃないかみたいな事をいった。

そのまま二人は去っていった。
今、おとなな私は、今同年齢ほどのこの両親が
何をおもったのか何をお昼から風呂に入っていたのか
想像はできる。
でも、子供のその時はあまりにも知らなくてわからなかった。
ただ、母が見てけんまくを起こし非難した事だけ覚えてる。

なぜ、教えてくれないのだろう。
こうしたらいいよとか、受け入れてくれないのだろう。
私の失敗。
まるでひとことのように。
困ってやってることなのに。
非難するくらいなら、教えてください。
どうしたらいいのか。
ぶつけないで下さい。そのままの感情を。
私はわけがわかりませんでしたが悪いと思いました。
一人ぽっちでした。
その後も一生懸命に洗ってた。
怒られたから、さらに
綺麗にしなきゃと、、失敗のうわぬりをするように
隠すように。
失敗、隠す、受け入れる、受け入れてもらう
優しく受容される、理解される、助けられる

失敗=ダメ
失敗=非難
失敗=かみなりがおちる
じゃなく、知らないのだから子供のみになって
教えてください。
母親なのだから、こうした方がいいよ。
大変だったねと、。

あなたは私の母親でしょう?だって。。

  • [2]
  • 母親は笑っている

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月20日(木)11時13分29秒
  • 返信
 
成人式の日、父は荒れ放題でした。

私はピンクの着物をきました。
母は、玄関の前で二人そろっての写真を撮ってくれました。
でも、家庭の中では、まんまるの器に入ったお祝いのお寿司と、
不機嫌に怒り狂ってる父。
ストレスでお腹が痛い母。
幸せじゃないのに、まんまるの器のお祝い寿司。
哀しいのか、お祝いなのか、楽しいのか、わかりませんでした。

成人式は、いきました。
たくさんの人がいました。もちろん、同級生だらけです。
でも、私は一人でした。
身を隠すように式が終ってから、そこに居ようとするのだけど
いられない緊張とつらさが高まって。
綺麗な振袖、とは矛盾して、そそくさと会場を出ました。
そして、近くの眼鏡屋さんに姿を隠そうと入ったのです。

喜んでいられるでしょうか?ね、お母さん。
私は、楽しいでしょうか。わからなかったよ。お母さん。
それで、
電話をかりて、迎えにきてもらった。
眼鏡やさんは、言った。
成人式?なんですよねえ?・・・。

説明できなかった。
母親は笑ってる、写真に向かって笑ってる
笑ってる写真が多い。
何を残したかったのだろう。
心はそんななのに。
私に向かって本当に笑いかけてよ。
本心から笑ってよ。
世間体ばかりきにしないで
本気で向き合ってない人だった。
何を残したいんだろう
何を写真にばかり笑顔を作っているのだろう。
家庭の中は、真っ暗で
そこで私は笑わなきゃいけないのだろう、成人式だから。
馬鹿。

  • [1]
  • 好き嫌いってあるのかな。

  • 投稿者:もも
  • 投稿日:2012年 9月20日(木)11時03分7秒
  • 返信
 
わたし、好き嫌いの世界じゃとても生きていけないなと思います。
子供の頃、保育園であった
あの子が欲しい、この子が欲しいって遊びがあったけど。当然
指名されなかった。
本当にそういう積み重ねだよね。
小学校でも、バナナが給食で出るときは、必ず一番残りの腐った
バナナが私の所に来る。みんなが嫌がったものが来るんだよね。
残り物。
黒くなった腐った部分があるバナナ、食べていたかな。
もう分かっているんだよ、いやだな~って思っているんだよ
バナナが出る日。

もしこの世が親からも、好き嫌いで可愛がってもらえるもらえない
興味をもたれるもたれないで、計られてばかりなら
私、自信ない。
その他の世界で生きたい。
昨日も、鬱が酷く胸を上から押え付けられるように苦しくなりました。
自殺を考えました。こうやって、いえるから救われてます。
苦しい理由がわからないのです。
明日はルボックスからパキシルに薬を変えてみようとおもいます。
昨日、統合失調症の友人に寝込んでばかりいると言ったら、そんなんじゃ
ダメだとびっくりされました。
筋力が落ちるからだという事です。寝込んでいてもご飯だけは作ってるし
外へ出れば緊張で、首や肩が凝り、胃が痛くなる。あまり長い時間いると
神経が磨り減り、へとへとになります。
誰と一緒に行動することもないので、いつもひとりです。
友人に甘えようにも、負担になることを考え、我慢して欲しくないと思って返って負担に思ってしまう。
主治医は、嫌なら嫌っていうから。。といいますが、それでも負担におもえます。
だったら一人で寝込んでいたほうがいいと。
でも、その統合失調症の友人がいってくれた、そんな事していたらダメだ
年とったら足にくるよ。の言葉で。。
我慢じゃなく、薬を変えてみる提案を主治医にすることとしました。
諦めてはいけませんね。
諦めたいくらいにツライ。
母親が生きていたら、言いたい
死にたいくらい辛いんだよって。
カウンセリングがはじまって六年目。。
母に怒っていいんだよ、私が母親だと思って怒りを出してと
カウンセラーに言われたけど、ぜんぜnできなかった。
それが、この掲示板で自分自身が、怒りをもっていると
自分で発見できたことは大きかった。
いづれ、緘黙の人達のためになるんだ!そうおもっていた。
それしか、できないというか・・・。
もっと治療方法が解明されてくれないだろうか。

でも、弥生桜さんや私よりずっとできる人達の
お陰で、こうやって書く場を与えてもらって
感謝しています。
生きてる実感が欲しい、外へ出ても怖くなくなりたい
社会に認められたい、貢献できる場が欲しい。
存在意義が欲しい。
恥ずかしい存在と自分の事を思いたくない。
出すぎ、でしゃばりOK
母親が、おじいちゃんの葬式の日に涙して泣いてまして
それを私は見上げてました、ぼーーと見ていた。
あ、お母さん泣いてるって。。そしたら、母が、見るなといって
私の頭をとっさに押さえたことがありました。
なんだか、すごく私も嫌で覚えてます。
なんだか、すごく壁を感じたのを覚えてます。
変な違和感を感じました。感情みせあって何が悪いんだろう?
悲しんで何が恥ずかしいんだろう。
いつも強くなきゃいけないの?
なんで、娘に涙を見られると怒るの。
本当に不思議な母だった。


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